中越沖地震 48 中日新聞 検証 新潟県中越沖地震の介護現場
検証 新潟県中越沖地震の介護現場(上) 福祉避難所 フル稼働
2007年8月29日
先月十六日に発生した新潟県中越沖地震から一カ月半。ライフラインの復旧や仮設住宅の整備も進み、日常生活を取り戻しつつある。だが、介護が必要な高齢者には、行き場のない人も少なくない。どんな生活を送っているのか現地を訪ねた。 (広川一人)
「冷房もあって一般の避難所より過ごしやすい。でも月末に福祉避難所が閉鎖されたら、東京に戻るしかないと思う」
新潟県柏崎市内の福祉避難所で、大橋和子さん(78)の避難生活は続く。家族はなく、数年前から市内の弟宅に身を寄せ、三年前の中越地震も経験した。「住民票が東京都中野区にある」ため、弟家族と仮設住宅に入るのは「遠慮した」。
先月十六日の地震で、弟の家は半壊。近くの避難所に移り、四日過ごした。「食事の配給はパンかおにぎりで食べにくかった。扇風機はあったが、暑さがこたえた」
大橋さんは被災前に在宅介護を受けていなかったが、保護が必要と判断され特別養護老人ホーム内に被災後に開設された福祉避難所に入った。
福祉避難所は、災害救助法で規定された避難場所で、特別な配慮を必要とする高齢者ら災害弱者を収容する。阪神大震災を受け二〇〇〇年に導入された。食事などの費用は県と国が負担する。県の要請を受け、新潟県老人福祉施設協議会などが職員を派遣、ピーク時には同県内で九カ所開設され、九十三人を受け入れていた。
避難所の責任者、遠藤真一さんは長岡市の社会福祉法人からの派遣。「要介護度の高い人は施設が受け入れている。ここには要介護度は高くないが、虚弱者や内向的な高齢者が多い」と説明する。「ライフラインの大部分が復旧し、仮設住宅も完成しつつあるが、今も避難している人は、行き先の決まっていない人たち」と話す。
被災直後、介護関係者が直面したのは在宅介護を受ける高齢者の安否確認だ。柏崎市は民生委員や保健師に確認作業を依頼、全員の確認ができたのは被災から六日目だった。ただ介護施設も独自に行い、被災翌日には確認し終わった。刈羽村役場でも翌日には全員の安否確認ができた。
次に避難場所の確保に追われた。要介護高齢者は、福祉避難所だけでなく各種介護施設が受け入れて急場をしのいだ。
刈羽村でショートステイやデイサービスをする小規模多機能居宅介護事業所「ももの木」には、地震当日、デイサービスなどの利用者十八人がいた。すぐに近くの一般の避難所に退避した。
だが「この施設の利用者の七割は認知症がある。環境が変わり、夜中に大声を出したり徘徊(はいかい)したりする人が出た」(歌代晃施設長)ため、翌日から全員で施設に戻った。今月中旬まで定員を超える人数を受け入れ、「避難所としての機能を果たした」という。
利用者の大半は復旧に伴い、自宅や家族の元に戻ったが、遠藤鉄太郎さん(93)は妻のツネさん(87)と震災以来、この施設に宿泊している。
訪問介護を受けていた自宅は被災調査で一部損壊と判定され、仮設住宅入居基準外だった。東京に住む長男(63)らと相談し月内は施設にとどまることにした。「施設と縁をつないでいれば、面倒を見てもらえるから」と頼りにする。
先の大橋さんが身を寄せる福祉避難所は、月末で閉鎖されるが、大橋さんの身の振り方も決まっていない。
避難所代わりの介護施設で生活をつないだ高齢者は少なくない。施設やその職員も被災していたが、それを支えたのは、県内外の介護関係者たちだ。
中日新聞検証 新潟県中越沖地震の介護現場(上) 福祉避難所 フル稼働暮らしCHUNICHI Web
検証新潟県中越沖地震の介護現場(中) 問われる官民連携
2007年9月1日
新潟県中越沖地震直後から、介護施設や事業所は、介護の必要な人たちの「避難所」になった。被災者でもある職員に加え、県内外の介護関係者らの手厚い支援がそれを支えた。一方、「地域の介護状況をつかめず、連携できなかった」との声もある。 (広川一人)
柏崎市の特別養護老人ホーム「しおかぜ荘」の松井裕園長は地震当日、休みで自宅にいた。被災した道路を通り、しおかぜ荘に着いたのは約二時間後の正午すぎ。当日の勤務者が、マニュアル通り利用者を食堂に集めていた。安否確認は済んでおり、利用者二人が軽傷を負っただけだった。
建物の周囲に亀裂が入り、ガスが止まったが、電気は通じ、給水タンクも応急修理で使えるなど施設被害は小さかった。
だが、臨時夜勤など通常以上の職員が必要になった。利用者や家族たちから緊急引き受けを頼まれたためだ。地震当日の通所サービス利用者が帰宅しなかったほか、自宅で被災した利用者が家族やケアマネジャーに連れられ、次々と訪れた。
ピークは、地震から三日後の七月十九日。特養とショートステイで宿泊定員七十人のところに、百人を超える宿泊者を受け入れた。デイサービスを中止し、定員超過は八月初めまで続いた。
「職員自身も被災し、避難所から通勤した人もいた」(松井園長)中、この態勢を支えたのは、県内外から集まった介護関係者やNPOのボランティアだ。
新潟県は同日、県内外の自治体に対し、新潟県老人福祉施設協議会(県老祉協)などを窓口とした介護職員応援を要請した。八月末までに、柏崎市内の施設や福祉避難所での活動を中心に、延べ九百人あまりが応じた。また、県看護協会も福祉避難所への夜間(午後五時-翌午前十時)の看護師を派遣。県が派遣した保健師は九月七日まで、避難住民らの健康状態把握などを担う。
県主導の支援以外に、松井園長は「横のつながりに助けられた」と振り返る。近隣市町村の施設は、食料などを提供してくれた。市外の福祉用具リース業者らは、地震当日夜にふとん三十組、未明までにベッド二十三台を運び込んだ。新潟市の介護専門学校教師も、バスでボランティアの学生を二十人連れてきた。
松井園長は「説明しなくても必要な人や物資が集まった」と協力に感謝する一方、「市との情報共有ができず、市内全体の介護状況が見えなかった」と話す。施設への受け入れ希望者が、どこにどれくらいいて、どこの施設が受け入れられるのかなど効率的な対応ができず、うまく連携ができなかった。「市や市社会福祉協議会などが主導して、関係団体と地域の介護連携を図るべきだった」と指摘する。
刈羽村の小規模多機能居宅介護事業所「ももの木」の歌代晃施設長も、地元自治体との連携の不備を痛感した。行政が目配りをする一般の避難所と違い、同施設は村から私的避難所と扱われた。要介護者を保護したにもかかわらず、物資支給など公的配慮はなかった。「発電機や厨房(ちゅうぼう)用ガスの手配とレンタル費用は自前」(歌代施設長)という。
同村の武本純住民福祉課長は「情報が伝わらなかった点は反省したい」としながらも、「介護事業者は、あくまで民間企業」と、公的な支援に難色を示す。震災緊急対応期の介護施設への官民連携に課題が残った。
地震から一カ月半。仮設住宅への入居が進み、ライフラインもほぼ復旧した。震災対応は、復興期へと軸足を移した。
中日新聞検証新潟県中越沖地震の介護現場(中) 問われる官民連携暮らしCHUNICHI Web
検証新潟県中越沖地震の介護現場(下) 本格稼働まだ時間が
2007年9月5日
新潟県中越沖地震で建設予定の仮設住宅は千二百二十二戸。大半が完成し、入居も進んでいる。住宅内には、多くの高齢者も住む。施設には集会場が設けられ、介護サポートの拠点として動きだそうとしている。 (広川一人)
「バリアフリーがおおむねできている。狭いけれど、荷物をたくさん持ち込まなければ快適に過ごせそうだ」
先月二十一日、長岡市に住む荒瀬清孝さん(46)は、母(87)と兄(53)のため、柏崎市の仮設住宅を下見に訪れた。身体障害者で電動車いすを利用する母と腎臓透析を受けている兄は、同市内で二人暮らし。地震で自宅が半壊し、長岡市の市営住宅に住む荒瀬さんの元へ避難していた。
仮設住宅は、入り口やトイレに手すりが設けられ、室内に段差はない。玄関に階段があるが、希望者には、後日スロープがつく。浴室の浴槽は床より高いが、「踏み台を置いてもらえる」(荒瀬さん)ことになった。
県福祉高齢課は「仮設が市内三十九カ所に分散している。被災者は自宅近くに入居できており、ほとんどの住民は被災前と同じ在宅介護を受けられる」とみる。柏崎市福祉保健部も「介護が途切れることはない。不安は、震災による介護認定者の増加」と話す。県が派遣した保健師に、仮設住宅の全戸訪問を依頼し、健康調査を始めたところだ。
仮設住宅には多くの高齢者も入居する。当然、介護の必要もでてくる。仮設住宅独自の取り組みも始まっている。柏崎市、刈羽村では、戸数の多い計十一カ所の仮設住宅に県が集会場を設置した。同市と同村は、そこを利用して介助入浴が可能な広い浴室を備えた介護拠点をつくった。
モデルは中越地震の際の長岡市のケースだ。仮設住宅の集会場内に、地元の社会福祉法人がサポートセンターを設置。通所介護や訪問介護、介護予防のほか、見守りも兼ねた配食サービスなどを実施した。
今回県は、被災者の生活や福祉を援助する生活支援相談員をスタッフとして常駐させる計画。二十人規模の人材を各集会場に派遣する方針だ。
高齢者の期待は高まるが、求められるのはスピードだ。相談員派遣について、採用担当の県社会福祉協議会は「今月十八日には即戦力の人材を送りたい」と言うが、仮設での生活は始まっている。
相談員とは別に独自にスタッフを置く計画の地元自治体側も思うように進んでいない。刈羽村では、入居開始直後からボランティアが常駐、かき氷を振る舞うなど仮設の住民交流には一役買っている。入居の住民たちが「十五人ほど入居する独り暮らし高齢者の見守りをしている」(総務課)が、介護など「福祉拠点としての活用は、保健師の訪問調査が終わる八日以降に検討する」(住民福祉課)のが実情だ。
柏崎市では、ボランティアによる生活相談のために集会場を数時間開放しているだけだ。県の担当者は「仮設入居は原則二年。素早い対応が望ましい。住民に開放してほしい」と指摘する。
今月一日に設置された市復興支援室は「これから自治会の設置を住民に持ちかける」と説明する。市の担当窓口もやっと決まったばかりで、運営について県との調整はこれからだ。集会場の活用は「早くても九月中旬以降」(近藤清信福祉保健部長)の見通しだ。
中日新聞検証新潟県中越沖地震の介護現場(下) 本格稼働まだ時間が暮らしCHUNICHI Web