:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ポーランド巡礼-12

2008-08-04 05:15:17 | ★ ポーランド巡礼記

★ ポーランドー12

2010-12-05 15:17:12 | ★ ポーランド巡礼記

 

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ポーランド巡礼
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第二幕 聖マクシミリアノ・コルベ神父とヨハネ・パウロ2世

第二場 ヨハネ・パウロ2世


第一景
「ヴァドヴィチェ」


下のタイトル、訳するなら「カロル・ヴォイティワのルーツの旅」とでもいうところか。



モノクロ写真のこの教会の名は、カトリック信者の私が訳すと「祝せられた乙女マリアのご奉献の小バジリカ」となる。
この教会で、前教皇ヨハネ・パウロ2世は洗礼を受け、初聖体を受け、堅信の秘跡を授かった。
アウシュヴィッツはクラカウから44号線でほぼま西に約50キロだが、ヴァドヴィチェはクラカウに戻る途中で南に折れ、
28号線号線に入って約10キロのところにある小さな町だ。
私たちは巡礼の歩みを進め、そこでこの可愛い教会を訪れることになっていた。

バスは途中で小さな村に停車した。洒落たレストランがあって、昼食が私たちを待っていた。
テーブルには一人一人のために小さなお鍋が用意され、その中のスープを固形アルコールを燃やして温めるる工夫がなされていた。
日本の旅館でもよく見るあれだ。

料理の名前を控えたメモを失くしてしまったのは残念だが、とにかくこの地方の有名な郷土料理なのだそうだ。
スープ皿にたっぷりお替りができるほどの中身は野菜たくさん、お肉は羊かな?
溶けたバターの香りがして何とも美味しく、思わずみんな平らげてしまった。とてもこころ温まる食事だった。



ただ、ローマでは当たり前のテーブルワインがないのが唯一物足りなかった。口淋しいというか、「画竜点睛を欠く」というか・・・。
しかし、文句を言ってはいけない。良く考えて見たら、ブドウが栽培できるのはライン川の流域あたりまで。
冬の厳しいポーランドを、クラカオ、ワルシャワ、そしてバルト海沿岸のグダニスクへと流れるウイズラ川の流域では、
ブドウの木が育たないのだった。
だから、ワインは高価な輸入品で、巡礼団が立ち寄る程のレストランのテーブルに、自動的に並ぶはずのものではなかったのだ。
あたり前のように葡萄酒が並ぶクラカウ修道院がポーランドとしてはむしろ例外と考えた方が正しい。


そのとき、突然ふと思い出した古い話がある。

それは、旧ソ連時代のある日のことだった。冬のモスクワの外国人向け豪華ホテル「コスモス」のダイニングルーム。
テーブルには、見事な陶器にデザートのリンゴが盛ってあった。食事も無事終わって、
給仕がその器をもってある日本人に恭しく差し出した。すると、何を思ったか、その男は大きな声で-もちろん日本語で-
「何だ、このリンゴは?こんな物食えるか。無礼な!俺様を誰だと思っているんだ?!」
と怒鳴って手で押しのけた。給仕は、何が起こったのかさっぱり分からず、
パニクッて引き下がった。 もてなしのつもりだった主催者の心もさぞ傷ついたことだろう。

次の日、会議の参加者全員のテーブルに、銀座の千匹屋で一個1000円もしそうな、
それは美事で艶やかなリンゴが盛りつけてあった。
東京・狸穴のソ連大使館にテレックス(当時の最も早い通信手段だった)で指示が飛んだのだろう。
日本で手に入る最上等のリンゴが買い占められ、その日のアエロフロート便に積み込まれたものに相違なかった。

この話の背景は1980年代初めに遡る。
この年の11月、私の自宅の郵便受けに立派な封筒に入った一通の招待状が届いていた。
中にはアエロフロートのファーストクラスのモスクワ往復切符が添えられていた。
差出人には「日ソ円卓会議」とあった。
北方領土問題を抱えた日本は、ソ連との間に平和友好条約を締結していなかった。
だから、この政府間条約がないために起こる様々な不都合を補完するために、
「民間」を語って実質的交流を図ろうと言うのが、この円卓会議の目的だった。

ソ連側からは露骨に政府が前面に立つが、日本側はあくまで民間の「任意団体」の装いを崩さなかった。
とはいえ、130名の代表を率いる日本側の団長は、当時の自民党の「禿」おじさん、桜内幹事長だったし、
社会党はもちろんのこと、日本共産党を除くあらゆる政党、経済団体、文化団体、スポーツ団体、
それに伝統仏教、新宗教、キリスト教各派に至るまで、我も我もとみんな相乗りした形だった。

その中で小さな困った問題があった。日本のカトリックの代表が参加しないのだ。
それは、モスクワの総主教率いるロシア正教会と日本のカトリック教会との間に窓口がないため、別の言い方をすれば、
日本のカトリック教会がアメリカに亡命したロシア正教会との間に外交(?)関係を結んでいたからだった。
これでは、またまた「画竜点睛を欠く」と言うことで、なぜか個人的に私にご指名があって、
なんでもいいから日本のカトリックを代表してくれ、と言う話になったのだった。
左翼運動シンパで上智大学を追われ、当時ドイツの銀行に勤めていたカトリック信者の変わり者に、
向こうは目を付けたのだろう。 

以来、ソ連が崩壊するまでの80年代に「日ソ円卓会議」はモスクワと東京で毎年のように交互に開催され、
私はずっとそれに関わることになったのだった。
モスクワに行くたびに、会議後のご招待のオプションツアーでザゴルスク、レニングラード、キエフ、
トビリシ(今はグルジア共和国)など、ロシア各地を国賓待遇で巡る機会に恵まれたものだった。
(あのころの話しだけでも、たちまち数編の小話が書けるのだが、今はその時ではない。)

とにかく、11月も半ばを過ぎたモスクワは、白樺の林に雪が降りしきる氷点下の厳しい季節だ。
日本では全く商品にならないような真っ赤で、小さくて、いびつで、ちょっと皮がしなびたようなリンゴでも、
モスクワの上流社会では大変貴重な果物なのに・・・。
それを、威張り散らした自民党の代議士が、「こんなもの食えるか!」とやってしまったのだった。
同席して実に恥ずかしい思いをした。

ローマで食事にワインをいつも飲み慣れた私が、ポーランドの田舎で「お飲み物は何になさいますか?
お水?アイスティー?それとも、オレンジジュース?」と問われて、当然のような顔をして「ワインだ。
ワインはないのか?」とやってしまったら、あの田舎代議士と同じことになってしまうのだな、
と自分に言い聞かせた次第だった。

さて、話を元に戻して続けよう。

ヴァドヴィチェの町外れに差し掛かると、淡い緑の新芽を吹き出したばかりの大きな柳の木の下に、何やら丸いポスターがあった。
町の名前と、2006年5月27日というのだけ読み取れた。
青空の雲間にヨハネ・パウロ2世の顔が小さくあしらわれ、その下に現教皇ベネディクト16世の、目の周りに隈をつけ、
口元は笑っているのかいないのか、曖昧な表情の顔が大きくデザインされていた。
察するに、前教皇の遺徳を慕って、それにあやかろうと、現教皇がここを訪れた時の記念と思われる。

問題は、その程度のことで、そう簡単にパパ・ヴォイティワの人気にあやかれるものかどうか・・・・?、だ。
日本では、昔から「柳の下に泥鰌が二匹」と言うが、それは普通「同じ柳の下に泥鰌は二匹居ないよ!」
「世の中そんなに甘いものじゃないよ!」という教訓的な言い回しとして用いられると私は理解している。

パパ・ヴォイティワは、ローマの教皇265代の中でも片手に数えられるような偉大な教皇だったと
後代の歴史家は評価するだろうと私は予言したい。
だから、この大きな柳の木の下でその後を受けて立つ者は、どんなに優秀な人でも見劣りする他はないだろう。
そういう意味では、現教皇様、ちょっとお気の毒だな、と同情を禁じ得ない。

 

バスが広場に入る直前に、屋根越しに東欧の教会に独特の、ドイツ語ではツヴィーベル(玉ねぎ)と言う、形の塔がちらりと見えた。



広場に入って正面から見ると、実にかわいらしい白いお菓子のような教会だった。



空は抜けるように青く、ベンチの若い女性たちはすでに半そで姿だった。



中に入ると、小学校の低学年ぐらいの子供たちが、黒い制服の優しそうなシスターに連れられて入ってきた。
これからベンチに座ってキリスト教のお勉強だろうか。ポーランドの人口の70パーセントが、まだカトリックの信仰を実践している。
しかし、ここにも世俗化の影が確実に忍び寄っている。大学を出たインテリから教会離れが進んでいる。
一家庭当たりの子供の出生率が目立って低下し始めた- まるで日本の水準を目標にしているかのように、・・・等々。
その子供たちに向かってポスターの中のヨハネ・パウロ2世は、上の一行にイタリア語で「恐れるな」《Non avere paura》 と呼びかけ、
下の方にはイタリア語、ポーランド語?、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、○×語、ドイツ語、×○語で、
「有難う」と手を挙げている。
世界の世俗主義の風潮の中で孤立することを《恐れるな!》といい、
教会の伝統に忠実でいてくれて《有難う!》と言っているように感じた。



左の写真はポスターから、右は実物を直接に、撮った写真。
教皇になって故郷を訪れ、跪いて洗礼盤に手を触れ、自分の受けた洗礼の恵みを神に感謝する教皇の祈りが伝わってくるようだ。

教皇の生家にも足を運んだ。中産階級の立派な建物だった。
後で訪れるであろうコルベ神父の生家の貧しさ、素朴さと好対照であることが分かるだろう。





建物の中の写真は全部カット。
一枚だけ、左は揺り籠。右は何とも可愛い坊やではないか。
結構やんちゃに育ち、大胆不敵に、しかも誠実に青春を生き抜いた教皇の三つ子の魂がここに写っている。



我々のような無数の凡俗な人間と、カルロ・ヴォイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)のような非凡な魂の違いは一体何だろう。
本人の気高い志と努力だけの問題だろうか。
専ら神の自由な選びと恵に因るところなのか。
自分の至らなさ、罪深さを思いながら、神の御業の不思議を賛美するばかりの巡礼のひと時だった。


 つづく 

コメント (1)
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