日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年2月29日

2024-03-10 23:02:28 | 日記
   日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年2月29日
【2023年度ロシア語能力検定試験】第83回ロシア語能力検定試験(3・4級)は2024年5月26日を予定しています。

【ペアセロべ】2024年1月14日10時、旧広島市民球場跡地(ゲイトパーク)開催に参加しました。マトリョーシカの絵付け教室が好評でした。ロシア
雑貨も販売しました。[写真 下]


【日本ユーラシア協会定期総会】
   3月23日に開催されます。オンライン参加も可能です。2023年度までの会費納入が参加要件です。
[会費納入について]月額は、正会員700円以上、賛助会員(学生会員など)300円以上です。1年間分前納の場合は11ヶ月分を納入してください(正会員7700円、賛助会員3300円)。同封の振替用紙が行き違いの節はご容赦願います。
【2024広島フラワーフェスティバル】
 5月3日4日5日に開催されます。
参加出来る方は08055054872に連絡をお願いします。

【ミンスク通信(一回目)】 西村汐音
 ミンスクで暮らし始め早くも2月で三か月が経った。冬のベラルーシ              で太陽はとても貴重である。大学の先生は「ベラルーシ人に笑顔が少ないのはビタミンDが足りていないからだ。」とよく冗談を言うが、私はベラルーシの人々はにこやかで、とても親切だと感じる。暗く冷たい天気の日々が続いても、勉強のモチベーションを失わずにいられるのは、そんな彼らとコミュニケーションを取りたいからだろう。
 私は語学留学のためこの国へ来た。ロシア語の勉強(ミンスク国立言語大学外国人のためのロシア語コース)は、大学必修の第二外国語をきっかけに始めたのだが、留学を決めた理由は語学や文化への熱い思いから…ではない。何に対しても努力が出来ない自分に嫌気がさし、人生一度くらい何かに一生命向き合いたいと思ったからである。その矛先がロシア語に向かったのだ。留学から三か月、当初の目的が果たせているかは微妙なところだが、生活する中で知ったこの国のことについて、書ける範囲でお伝え出来たら、と思う。
[写真はベラルーシ・ミンスク市内]


【能登半島地震と志賀原発】
 「志賀原発が稼働していなくてよかった」「珠洲に原発がなくてよかった」「珠洲岬の原発計画は阻止運動で阻止できた」「地震列島日本に原発はありえない」、1月に発生した地震被害から1日も早く生活を取り戻すことが大切な中で、多くの人の実感として語られています。M7.6の地震のエネルギーは1995年の阪神・淡路大震災の9倍といわれ、破壊された断層の長さは150kmに及びました。土地の垂直方向の移動は4mの隆起が観測され、国土地理院は、水平方向の移動は基準点「輪島」で西南西方向に1.2m程度の変動だと発表しています。気象庁は1月2日、能登半島地震で震度7を観測した運転停止中の北陸電力志賀原発(1号機、2号機)が立地する石川県志賀町の揺れの最大加速度が2826ガルを記録し、2011年の東日本大震災で震度7だった宮城県栗原市の2934ガルに匹敵する大きさだったと明らかにしました。北陸電力は志賀原子力発電所1号機原子炉建屋地下2階で は震度5強、399.3ガルが観測されたと発表。外部電源を受け入れる変圧器が使用不能となっていたことは公表されましたが、原発敷地内への「部外者」の立ち入りは禁止されており、客観的な状況は明らかになっていません。
 能登半島の原発は「志賀原発」「珠洲原発」計画から始まりました。1967年、北陸電力が能登原発候補地4地点を公表しました。1975年、珠洲市議会全員協議会が国、石川県に原発適地可否調査を要望しました。関西、中部及び北陸の電力3社での100万kW級の原発開発となりました。関西電力が珠洲市高屋地区、中部電力は寺家地区を予定。1989年以降、珠洲市での原発反対運動は共有地運動などとして拡がりました。今回の地震で地盤の隆起・陸化が寺家で見られていますが、珠洲市の原発建設は2003年に阻止されました。1993年、54万kW、BWR型の志賀原発1号機、2006年、135.8万kW、ABWR型2号機が運転開始となりました。1999年、1号機で制御棒が抜ける臨界事故が起こりましたが、北陸電力は8年間隠蔽しました。2006年には金沢地裁は、2号機の運転について、「想定を超えた地震による事故で住民が被曝する具体的可能性がある」と運転差し止め判決をしています。2023年、原子力規制委員会有識者会合は、「敷地内断層は活断層と解釈するのが合理的」と評価しています。[図は2号機設置許可申請書添付書類][写真は広島の企業が珠洲市に送った救援用五右衛門風呂 1台が有償、5台が無償。]




【ウクライナ情勢とパレスチナ・ガザ空爆(2)係争の地パレスチナ】
クリミヤ戦争は、各地の民族主義と帝国主義国の対立に、各国の宗教的利害が結びついて始まりました。1953年イスラム教のオスマン帝国(トルコ)と正教会のロシア帝国の軍事衝突(シノープ沖の海戦など)として始まり、1853年10月4日、オスマン帝国がロシアにたいして宣戦布告。1854年、イギリス海軍によるロシアの首都サンクトペテルブルクのソロヴェツキー修道院、カムチャツカ半島への砲撃も始まりました。パレスチナ・ベツレヘムの聖地エルサレムの管理権をトルコに要求して南下を図った正教徒のロシアに対し、阻止しようとするカソリックのフランスがイギリス・トルコ・イタリアと連合しての戦争でした。1846年「エルサレムは、イスラム教徒にとってはメッカに次いで世界で二番目に神聖な場所であり、キリスト教徒とユダヤ教徒にとっては世界で最も神聖な場所である。」とハリエット・マルティーノは書いています。エルサレムの聖墳墓協会とベツレヘムの降誕教会の管理権をめぐる問題でした。当事国ロシア、トルコ、フランス、イギリスは宗教問題を前面に押し立てて戦争に突入しました。オスマン帝国分割の際のイギリス・フランスの同盟と進出、オスマン帝国内でのキリスト教・ロシア正教会の権利をスルタンに認めさせる要求がありました。1844年、イスラム教の背教者に対する死刑の罰はスルタンが廃止しました。1852年11月、トルコ政府はパレスチナのベツレヘム降誕教会の鍵の管理権をカトリック教会に与えるとの政令を発しました。



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