日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース2025年2月28日

2025-03-31 18:56:33 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2025年2月28日
【ロシア語能力検定】次回第85回は2025年5月25日(予定)、3級4級が実施されます。
 
【カザフスタン学習会】「広島とカザフスタンンとの懸け橋となったヒロセミの歩み」が2月23日(日)西区鈴が峰公民館で開催されました。報告 小畠副代表:カザフスタンはどんな国、一館一国・地域応援事業の思い出、カザフスタンの交流と変化 佐々木代表:中央アジアにおけるカザフスタンの立ち位置、核兵器禁止条約と議長国の自覚 サプライズ参加:平岡敬さん(熱が出て欠席されました。)


【カクワカ広島とのミーティング・ カクワカ、ニューヨークに行ってきます会(出発前トーク)】2月25日(火)ハチドリ舎 マイラさんの今夏招聘の日程表を渡す。次回合同ミーティング3月15日(土) 13:00~於ハチドリ舎。核兵器禁止条約第3回締約国会議参加国会議員 立憲民主党 森本真治 公明党 平木大作 れいわ新選組 天畠大輔 日本共産党 吉良佳子 社会民主党 福島瑞穂 無所属(立憲民主・社民・無所属)三上絵里いずれも参議院議員、2月26日現在。[今夏カザフスタン共和国マイラさんの招聘と行動予定]
・7/27(日)セメイ-アルマティ・7/27(日)アルマティ- 7/28(月)ソウル ・7/28(月)ソウル-東京成田 ※ 出迎え ・7/29(火)東京- 広島※ ホテルはアステールプラザを検討 ・7/30(水)広島・7/31(木)広島 夕方: 平和の灯火 ・8/01(金)広島 ・8/02(土)広島 ・8/03(日)広島生協子どもひろば(小山美砂) ・8/04(月)広島 ・8/05(火)広島 ・8/06(水)広島 ※ 広島市記念式典 ・8/07(木)広島 10:00- 福岡新幹線 福岡15:00-ソウル16:20 /ソウル18:05-アルマティ20:50 ・8/08(金)アルマティ-セメイ


【日本全土を「核のゴミ捨て場」にすることは容認できない】
 原子力発電が「トイレのないマンション」と言われてきたにも拘らず、この国は原子力発電を強引に進めてきた。
 今回、環境省が、福島第一原発事故後の除染作業で発生した除去土壌(放射能に汚染された土壌)を全国の公共事業等で「復興再生利用」するため、放射性物質汚染対処特別措置法(2011年8月30日議員立法)施行規則の一部を改正する省令案等について、25年1月17日から一カ月間、パブリックコメントをおこなった。放射線防護の観点から原子炉等規制法で定められたクリアランス制度では、年間10μシーベルトの追加被ばくに相当する100 ベクレル/kg(セシウムの場合)を放射性物質として扱うかどうかの基準としてきた。100ベクレル/kgを超える場合には「放射性物質による汚染が生じている」と社会がみなしていることになる。
 11年5月、環境省は「福島県内の災害廃棄物」について、東京の環境放射能水準がクリアランス基準を上回っていることをふまえ、クリアランス制度を「当てはめることは適当ではない」と判断した。原子力安全委員会とは意見を異にして、原子力災害対策本部や環境省はセシウム134と137を合わせて8000ベクレル/kg以下であれば埋立処分が可能、焼却や再生利用により埋立処分量を減少させることや、クリアランス基準を超える場合であっても「管理された状態で利用可能」などとする枠組みを定めた。省令改正案は20年にも提案されたが反対の声が多く一旦取り下げられ、再提案。2025年4月1日実施を予定。
 しかし、放射能汚染土壌(福島第1原発事故由来放射性物質)をすでに広島県三原市本郷産廃処分場(安定型)に持ち込むことが既に広島県承認の下で行われていることがある。22年から24年までの間に13回放射性物質(汚染土壌)を持ち込んで埋め立てている。21年4月1日現在で、産廃処分場施設数は、北海道289、愛知県94、広島県76。県の言い分では「土壌」は「特措法」(放射性物質汚染対処特別措置法を根拠とする、11年11月8日の閣議決定方針)に基づいていて、クリアランスレベル(放射性物質として扱う必要がない物質として扱う)だといい、しかも放射能の分析票も添付していない杜撰さ。
 上安産廃処分場も本郷産廃処分場も同じ業者が運営していることを考えると、福島汚染土壌が上安に持ち込まれても不思議ではない。許されない。
 一番の問題は、行政が守るべき弱い立場の住民の盾になるのではなく、住民が訴えた汚染や業者の資質への懸念にも、廃掃法を根拠にフタをし、業者に有利に働いてしまったことである。広島県に対し当初から、日本国憲法に規定された生存権を問いかけてきた。しかし、「どこかが引き受けなくてはならない。廃掃法による産廃立地を進めることも県の務め」との姿勢は変わらなかった。そもそも廃掃法は50年前(1970年)に産廃立地を進めるために整備された法律であり、「適正処理による生活環境の保全と公衆衛生の向上」は形骸化している。また、当時の有害項目の基準で運用しているため、放射能やPFAS、マイクロプラスチック等、新たな汚染は考慮されず、さらに安定型産廃処分場は水質汚濁防止法の適用まで除外され、まさに公害が起きるべくして起きる状態にある。
①三原市本郷産廃処分場:2012年 三原市・竹原市の分水嶺の土地が宗教法人により買収される。その後所有権が産廃業者に移転され、安定五品目(廃プラ、ゴムくず、金属くず、ガラス・陶磁器、がれき類)を埋め立てる「安定型」処分場として、2022年9月から稼働。事業者である東京の「JAB協同組合」によれば、埋立面積96,939㎡、埋立容量1,038,125㎥の「大型処分場」で、毎月3,000トン前後の産廃を埋め立てている。
②広島市安佐南区上安産廃処分場:・1993年 産業廃棄物処分場・2013年 JABが譲受 3ha 35万立方メートル。・2020年11.5 ha 215万立方メートル・2021年11.3ha 121万立方メートル 推定250万トン、さらに200万トン以上埋め立て予定。・2021年9月 エイクス(外資系投資会社)が運営。
[写真:左より、本郷産廃処分場、処分場から流れ出る汚染水、上安産廃処分
場(瀬戸内トラストニュースより)
]
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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2025年1月31日

2025-02-01 17:35:20 | 日記
 日本ユーラシア協会広島支部ニュース2025年1月31日


【ロシア語能力検定】次回第84回は2025年5月25日(予定)、3級4級が実施されます。
【核なき世界基金主催イベント】1月25日 愛宮ラサール記念館で開催されました。・オープニング・ノーベル平和賞授賞式に関しての現地からの報告 浅野英男さん・シンポジウム 平岡敬 ・平林今日子・小山美砂さん ・核なき世界基金のこれから ・エンデング・三つの目的 1:「核兵器禁止条約」の批准拡大を後押しする活動の支援 2:世界の核兵器由来の放射能被害者の支援と放射能汚染からの環境回復の支援 3:核兵器廃棄を目指す活動の支援    https://nuclear-free.net/参照

【書籍の紹介】「平和都市」ヒロシマのまがりかど~広島市平和推進基本条例の制定過程を検証する 西日本出版社 1870円

 内容紹介 まえがき 発刊に寄せて「広島市の平和行政は前進するのか」 平岡 敬 <本文>第1章 広島のアイデンティティ・クライシス  宮崎 園子 第2章 「平和都市」ヒロシマの自己否定  田村 和之 第3章 【覚書】広島市平和推進基本条例の制定過程田村和之第4章 市政と憲法 金子 哲夫 第5章 広島で「平和」の条例をつくること  本田 博利 第6章 「黒い雨」はどのように扱われたか  向井 均 第7章 戦争の実相  橋本 和正 第8章 「このままではいや。-はじめてのロビー活動記-」 渡部 久仁子 第9章 広島市平和推進基本条例と「ヒロシマの心」 湯浅 正恵 あとがき・イスラエルのガザ侵攻が始まった2023年、「平和都市・広島」では、その足元を大きく揺るがすいくつもの「事件」が起きた。 まずは2月、広島市教委が、故・中沢啓治さんの『はだしのゲン』を、小学校の平和学習教材から削除したことが、地元紙の報道によって明らかになった。中学校の平和学習教材からは、アメリカの核実験により、太平洋を航行中の日本のマグロ漁船、第五福竜丸などが被曝したビキニ事件(ブラボー実験)の記述が消えた。5月には、広島1区選出の岸田文雄総理大臣(当時)が議長を務めた広島開催のG7サミットにおいて、主要7カ国と欧州連合が、「広島ビジョン」の名の下、核抑止力を肯定する内容の共同声明を発出した。今、「平和都市」広島で何が起きているのか。広島が訴えてきた「平和」とは何なのか。混沌とした世界の中で、広島はこの先、どんな役割を担おうとしているのだろうか。一連の出来事を受けて、この地で平和活動をさまざまな形で展開してきた市民たちは、大きな疑念を抱き始めた。広島はいつから、こうなってしまったのだろうか。それを考えるとき、実は大きな転換点が近年あったことに気付かされる。それは、広島市議会初の政策条例として2021年6月に成立した、広島市平和推進基本条例だ。一部の市民は、その成立過程を見守り、条例の文言をつぶさに検討し、問題提起をしてきた。本書の執筆陣は、その一部だ。研究者、元広島市職員、元国会議員、市民活動家、記者など、職業も世代も様々だ。だが、広島がこの先もヒロシマであり続けるのだろうか、という問題意識を共有する仲間として、私たちは「平和推進条例検証会」なる会合を立ち上げ、定期的に集って論議を重ねてきた。情報公開請求によって公文書を入手し、その制定過程を検証するのが主な目的だった。この条例から透けて見えるものは何か。本書は、この間の論議を踏まえて、メンバーがそれぞれの領域に寄せて執筆した。

【1.27ネバダ・デー報告】1月27日12時15分より平和公園で「1.27ネバダ・デー」国際共同行動(座り込み)がされました。原爆死没者慰霊碑前で、県原水禁や県被団協、市民など60人が参加しました。1945年7月16日米国核実験、1949年8月29日ソ連核実験を経て、1951年1月27日、アメリカ・ネバダ核実験場で初めての核実験が行われ、その33周年目に当る1984年1月27日、米国の核実験被害者の呼びかけにより全米各地で反核集会が開催され世界に広がりました。広島県原水禁主催でこの日、核実験全面禁止を求める国際連帯行動として座り込みがされ、その後、この日が「ネバダ・デー国際共同行動日」となり広島他で毎年、座り込み行動が続く。昨年ノーベル平和賞を受賞した被団協の箕牧さんが参加され挨拶「今年は被爆80周年、3月に核兵器禁止条約締約国会議が開かれるが、日本は不参加、これには怒っています、国内外に核兵器廃絶を訴えていくためにも静かに抗議の座り込みをしよう」と訴えられました。ヒロシマからのアピールでは、核兵器使用の危機が迫っている今日、「核も戦争もない平和な世界の実現」を求めるため、・核実験場の閉鎖・核実験禁止、・すべての国と地域が核兵器禁止条約に参加すること、・世界のヒバクシャと連携し、ヒバクシャの人権確立を確立、・原発の再稼働、新増設をやめ、核に頼らないエネルギーへの転換、など7項目を全世界に訴えることが採択されました。当日は多くの報道関係者が取材を行い、翌日の紙面に掲載されています。核兵器廃絶に向けたこの行動の重要性が発信されています。

【被爆ピアノコンサート】昨年12月19日南区光明寺原爆慰霊碑前でのコンサートに参列しました。
今回使われた矢川光則ピアノ工房で保管されている被爆ピアノは爆心地から約3.1キロの南区宇品御幸2丁目で1945年8月6日に被爆したものです。


【炭本遵さんのボルゴグラード訪問記】(1978年の訪問を1998年に執筆されたものの14回目。2024年8月号の続き。)モスクワは曇寒いホテルロシアのベリョーウカで絵はがき、スライドを土産 に買う。ここから北西に聖ヴァシリー寺院や南にモスクワ川、川の向こうに火力発電所が目に入る。地下鉄プローシャジ・レボリューチ(革命広場)から1駅で降り、アレクサンドロフスキーー公園で(クレムリンの西側)で無名戦士の墓に参る。永遠の火がともされていた。マルクス大通りとカリーニン通り(新しい通りウクライナホテル、日本の商社が入っている) の角にレーニン図書館あり、左回りで赤の広場へ、スパスカヤ塔へ革命記念日の飾りつけをやっていた。賑やかなグム百貨店をみて、赤の広場へ出た、レーニン廟がみえる案外狭い広場に見えた。パリャコフさんの説明を聞く、1617年この広場で ステンカラージンが処刑された。ポジャルスキー記念像に礼拝。車でミール大通りからオスタンキノ放送局、BДHX博覧会場に宇宙開発オベリスク等国民経済成果が表示されている。

【講演ご案内】2月23日「広島アジア大会30周年記念講演 ヒロシマ×カザフスタン」「広島とカザフスタンンとの懸け橋となったヒロセミの歩み」会場・申し込み 鈴が峰公民館(広島市西区鈴が峰町44番1号 先着30人 082-278-7599)


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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年12月28日

2025-01-30 22:37:14 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年12月28日
【ロシア語能力検定】次回84回は2025年5月25日(予定)、3級4級が実施されます。
【12.8カザフスタン取材報告会】カザフスタンに行って聞いた核被害者の叫び 小山美砂と田中美穂さん

1.取材の概要について 取材日:2024年9月1~11日(移動日含む)Almaty、Astana、Semey(旧セミパラチンスク市)を訪問。下図における「Kurchatov」下の点線が囲われた範囲がセミパラチンスク核実験場(図は略)。
2.セミパラチンスク核実験場について
 旧ソ連が設置。1949年8月29日~1989年10月19日、456回の核実験が実施された。
3.今回の取材で見えたこと
  ①現在進行形の核被害 ②カザフスタンが抱える”ダブルスタンダード"
4.セミパラチンスク核実験場跡地
 国立原子力センターの職員の案内で訪問。最初の原爆実験が実施された場所では、基準の8~9倍の放射線を検出。
5.サルジャール村
 最も汚染された村の1つ。「60歳まで生きられる人が少ない」。医療体制の不備。
6.NGO Poligon21」
 2022年設立。核実験被害者を援助するための新法を求めて活動している。
7.ベスカラガイの障害者リノヽビリセンター
 障害者差別が根強く残る同国で、2012年に設立された。3~97歳の297人が通所・訪問で利用。
8.心に残ったことば
 ①「国際的なアピールの前に、自国の被害者をまず助けてほしい」一マイラ・アベノバさん②「『被害者』として認められて初めて、平和や反核に立ち上がることができる」一アケルケ・スルタノバさん
9.執筆記事
中国新聞 連載『声 セミパラチンスクからヒロシマへ』 全3回
右のQRコードから、小山の最新記事一覧に飛びます。
https://note.com/s__mallmount/n/n7039a5b42a4e

【長田新さんと飯島宗一さん】日本ユーラシア協会の旧称日ソ協会に関わりの深いお二人の展示会が開催されました。中国新聞2024年12月2日:広島大医学資料館で業績たどる企画展
 被爆した子どもたちの手記集「原爆の子」を編集した広島文理科大(現広島大)元学長の長田新氏(1887~1961年)、原爆症を研究した広島大元学長の飯島宗一氏(1922~2004年)。長野県出身の両氏の業績をたどる企画展「信州から来た2人の学長、原爆を見つめる」が、広島市南区の広島大医学部医学資料館で開かれている。25日まで。(鈴木大介)「原爆の子」集合写真など50点 同大原爆放射線医科学研究所(原医研)が主催し、関連資料約50点を展示する。「原爆の子」に手記を寄せた子どもの集合写真、手記集に基づく新藤兼人監督の映画のパンフレットなどが並ぶ。飯島氏の主導で、大学関係の原爆死没者名簿や遺稿を収録した被災誌「生死の火」もある。長田氏は教育学者で自らも被爆し、終戦直後に学長として大学の復興に尽くした。飯島氏は病2人の元学長の足跡を紹介する久保田助教理学者で、69~77年の学長時代に同大で初めて原爆死没者追悼式を開いた。原医研忖属被ばく資料調査解析部の久保田明子助教は、2人の母校(旧制諏訪中、現諏訪清陵高)の「正しいと確信したら困難があっても立ち向かう」校是が、気概の土台にあると分析。「被爆地の大学の使命を考え、信念を持って行動した大学の使命を考え、信念を持って行動した2人の業績を知ってほしい」と話す。※2人の元学長の足跡を紹介する久保田助教


【原発再稼働と「廃炉」】
11月13日女川原発再稼働起動、12月7日中電前で、島根原発が再稼働起動された。[写真は12月6日島根原発2号機再稼働中止を求める市民。]

 旧ソ連の原子力発電開発に対置して、米国アイゼンハワー大統領が、1953年12月8日国連総会で「核の平和利用Atoms for Peace」演説、以来寿命の来た永久閉鎖原子炉の数は12月11日の時点で米国41、英36、独33、日本27、仏14、露11と続く。資源エネルギー庁によれば2022年12月1日時点では、再稼働10基(稼働中7基、停止中3基)、設置変更許可7基、新規制基準審査中10基、未申請9基で、廃炉は24基。寿命を超えた原子炉の廃炉とは別に、私たちは原子力発電所での重大事故を経験し、その「廃炉」に直面している。事故レベル5以上の事故は、1957年英国・ウインズケール原子炉(レベル5)、1979年米国スリ―マイル島原発(レベル5)、1986年旧ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原発(レベル7)、2005年英国セラフィールド再処理施設(レベル5)、そして2011年日本で福島第一原発(レベル7)を経験した。昨今福島第一原発の燃料デブリの取り出しが話題になった。11月7日には880トンの中から0.7グラムが取り出され、茨城県大洗に運ばれた。放射線量は表面から20センチのところで0.2mSv/h(毎時0.2ミリシーベルト)である。放射能汚染水の海洋放出と並んでこの燃料デブリの高レベル放射性廃棄物の取り出しが少なくとも40年間、2051年まで続けられる。1979年米国TMI事故後の「廃炉」の手順では作業員被曝低減・安全重視のためには「解体先延ばし」や事故原発であっても通常の原発廃炉同様の状態の確保が求められ施設の解体・更地化には除染の基準として0.25mSv/yearが求められている。
 ウクライナは「チェルノブイリ廃炉法」(1998年12月成立)で、チェルノブイリ原発4号機に設置された「新シェルター」を、「原子炉解体・デブリ取り出し」用施設として建設・運用することを義務付けた。2009年に設立した「国家廃炉プログラム法」では、100年を要する廃炉工程を定めた。シェルター内部の石棺解体、デブリ取り出し、敷地のクリーンアップという完了要件を定め、政府による最終的な関与を約束している。こうしたチェルノブイリ廃炉法が定める工程と比較するとき、福島第一原発では、その廃炉工程を巡る制度的な不備が浮き彫りになる。①国際人権法から見た退去させられた住民の権利②国際海洋環境法から見た隣接沿岸住民の意思決定参加権③核の負の遺産を押し付けられる将来世代の利害と権利(尾松亮さん著作)も指摘される。


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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年11月30日

2025-01-30 22:23:32 | 日記
  日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年11月30日

【ロシア語能力検定】次回84回は2025年5月25日(予定)、3級4級が実施されます。

【国際フェスタ2024】11月24日(日)広島国際会議場及びその周辺で開催予定です。世界の屋台、バザールに参加しました。[写真 左]
 同時に「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」ブースが国際会議場ホール(ヒマワリ)で設定されました。カザフスタンの民族衣装、ポリゴン21、リハビリセンターの子どもたちの絵 等。(写真右:民族楽器ドンブラを手にして。)
                     

【島根原発2号機再稼働抗議行動】
 12月7日 集まろう!島根原発2号機再稼働抗議集会へ
 福島原発と同じ型の原発。そして宍道断層と鳥取沖断層は連動しないのか?
 万が一、大地震と共に事故が起きれば、私達は避難することができるのか?その避難は長期に亘り、私達は仕事をなくし、家を捨て、町から追い出され、知らない町でゼロから生活再建を迫られる。一番の問題は被ばくさせられること!
 そもそも、そこまでして、原発を動かさなければならないのか?ここで暮らす私達には、全く理解できません!
 皆さん。言っても無駄だと考えないで!声を上げましょう!再稼動が行われる12月7日には、各地で抗議の集会やスタンデイングなどが行われます。ぜひ、お近くの会場へお集まりください!日時場所は次の通り。
12月7日:・❑11:00~12:00 米子公会堂前交差点 連絡先090-7138-0730(土光)・❑12:00~13:00 鳥取駅前 連絡先080-6173-1318(山中)・❑ 13:00~14:00 境港市商工会議所前街頭 連絡先090-8711-6144(足田)・❑13:30~14:15 松江駅前テルサ横 連絡先090-3889-3519(山崎)・❑14:30~15:00 出雲市役所前西側交差点 連絡先090-7594-6972(有田)・❑17:00~17:30 倉吉駅前 連絡先090-3745-6785(深田)[写真は伊方原発訴訟団の尾崎宗明璋さんの蒲生田絵葉書]https://youtu.be/ZDPYSXN-00s?si=0yIwcJrIEfu8yusq
Они были внутри Чернобыльского Саркофага / Уникальные кадры Урбан Наследие(彼らはチェルノブイリの石棺の中にいました/ユニークな人員 ウルーバン ナスレヂエ)
 事故(1986年)から数年後、チェルノブイリ原子力発電所の石棺の下で何が起こったのか?最初のチェルノブイリのストーカーは誰でしたか?コンスタンチン・チェチェロフはなぜシェルターに不法に行こうと決めたのか?石棺の内部にはどのくらいの放射線が入っていますか?これらのすべては、新聞 "Visnik hornobilya"(1987-1994)Volodymyr Savranのフォトジャーナリストによって語られます。ビデオで論じられているように、違法な行動中にビデオは撮影されなかったため、ビデオはコンスタンチン・チェチェロフが組織した石棺の下の別の歩行の映像を使用している。アーカイブビデオの作者はセルゲイ・コシェレフで、彼のチャンネル/ @СергейКошелев-b8tへのリンク(https://www.youtube.com/channel/UCxPZ1D3XvTTbuk5HSUhPXWQ)があります。

【安野発電所強制労働西松裁判】
 10月19日、「安野発電所への中国人強制連行 和解を導いた力Part4『生きてこれたのが不思議だ』被爆者・于瑞雪さんの生涯をふりかえる」が、広島市弁護士会館で開催されました。翌20日は現地安野発電所・安野中国人受難の碑前で第17回「中国人受難者を追悼し、平和と友好を祈念する集い」が開催されました。
 于瑞雪さんの遺族の娘さん、三女の于蘭芬さんと四女の于栄春さんのお二人が参加された。お二人のお話は、父于瑞雪さんの安野での苦しい労働と生活、1945年7月の大隊長と3班班長への暴動(撲殺)、1845年8月6日、広島刑務所の独房での被爆、帰国後の健康・生活と事を聞いた。国民党軍として日本軍にとらえられ、日本に労度のために連れてこられた事情、安野での苦しい生活と苛酷な労働、またが中国に帰国してから軍の工場のトップを務められたこと、娘さんたちとの生活。強制労働させられていた人たちが、8月6日に被爆する原因となった、安野での事件が、大隊長や3班班長を撲殺したことは「蜂起」として考えておられるとのことは、食料分配をめぐる争いから事件が起きたのではなく、抑圧に逆らう、必死の行動であった事が強い印象としてのこりました。お二人の証言の後は岩崎誠さん(中国新聞 特別論説委員)の「戦後79年『獄中被爆』を問い直す」の講演がありました。 (黑川冨秋)

【人権教育講座小山美砂さん講演】カザフスタンのヒバクシャを取材してー私たちがすすめる核兵器禁止条約12月8日 13時30分(40人先着順) 楠那公民館3階大集会室 ①ジャーナリスト 小山美砂さん②核政策を知りたい広島有権者の会(カクワカ広島)田中美穂さん講演


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日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年10月31日

2024-11-29 23:42:46 | 日記
日本ユーラシア協会広島支部ニュース2024年10月31日
【ロシア語能力検定】10月26日、27日実施されました。次回は2025年5月25日、3級4級が実施されます。


【国際フェスタ2024】11月24日(日)広島国際会議場及びその周辺で開催予定です。世界の屋台、バザールに参加します。(右のチラシ)
                     
【全国女性・青年集会9月28日~30日】盛況裡に開催されました。カザフスタンから日本に「竹取物語」の研究のために留学されているシャラフアットさんの手紙を紹介します。
●日本ユーラシア協会の皆様
平素より格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
この度は全国青年女性集会の際、カンパをいただきまして、誠にありがとうございました。
カンパの呼びかけをしてくださった黒川広島支部長に感謝申し上げます。
カンパとして皆様から合計2万3千円のご寄付をいただきました。ご協力くださった方々に心よりお礼申し上げます。皆様のおかげでホテル宿泊二泊分を捻出することが出来ました。内藤祐太青年共同委員長は無料航空券を手配してくださいました。また伊藤彰倫青年共同委員長は海鮮居酒屋での夕食懇親会の費用を払ってくださいました。皆様からの多大なるご協力のおかげで、広島を訪れて、宮島にも行くことができました。今後とも、皆様のご期待に沿うべく、一層の努力を重ねてまいる所存です。ご支援に心より感謝申し上げるとともに、皆様のますますご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
 ジルキバエワ・シャラフアット カザフスタン共和国 アルマティ市 現在東京に留学中
[写真下は参加者一同]
【ぺあせろべ2024】10月6日、広島城内広場で実施されました。[写真はブース]
  (飲み物クワスが好評)                 (大人もこどもも絵付けに夢中)
【日本被団協のノーベル平和賞受賞に際して】  黒川冨秋
 高校の後輩が「被団協に入っているのでしょ。ノーベル平和賞受賞はよかったですね。」と声をかけてくれた。「母親が入市被爆者だから私も原爆被害者の会の会員なんよ。」と素直にうれしい気持ちを表した。同時に「アフガニスタンで倒れた故中村哲さんが受賞されていたら」とも思った。日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は1956年8月10日、長崎市での第2回原水爆禁止世界大会2日目に結成(代表委員は広島大学の森瀧市郎さん他)された。広島・長崎で炸裂した原子爆弾は人と物を焼き尽くしただけではなく、被爆した多くの人の人生を奪い、放射能後傷害を体に刻みつけた。10月11日の国会内での受賞報告集会では田中重光代表委員が「2025年3月開催予定の核兵器禁止条約締約国会議への参加」を訴えられた。
 雑誌「自然」1966年2月号に佐久間澄さん(広島大学理学部)の「三村剛昂先生の想い出」が掲載されている。「原爆が(三村)先生の心に与えた傷はきわめて深く、原爆への怒りと、核兵器による人類滅亡への憂いとは、亡くなられるまで止むことなく続いた。」「戦前も先生は、日本学術研究会議会員として活躍しておられたが、戦後いち早く、研究体制の再建に心を用いられ、とくに日本学術会議の創立には骨を折られた。学術会議会員には、二期までしか出られなかったが、1952年10月第13回総会で、茅・伏見両氏によって日本原子力委員会設置の案が提案されたときの先生の発言は、文字通り、歴史的大演説であった。“米ソの緊張がとけるまで、原子力研究は絶対してはいけない”と主張される、無惨な体験に裏づけられた声涙下る大演説は、ついに提案を撤回させただけでなく、のちに、坂田教授らの尽力による原子力平和利用の三原則確立の礎石をなしたものであった。原水禁運動には、科学者京都会議に参加されたほかは、手を染められなかった。」「このお考えは、(1965年)10月9日に私がお見舞に上ったとき、最初に、“今度はもうだめじゃ。心残りは何もないが、ただアメリカが核戦争をやり、アメリカ自身が原爆でやられるのを見ないで先に死ぬのが、一つだけ残念じゃ”といわれた言葉の中にも窺われる。」
 三度、いや一度たりとも許すまじ原爆を。[写真:箕牧智之さんの記者会見での発言。]

[秋のイベント]ブログでご案内します。炭本遵さんのボルゴグラード訪問記の14回目も次号以降に。


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