タケシのブログ

日常のいろんな事を書いていきたいと思います。

竹島へ隠岐の島の漁民が拠点として、漁をした海図等見つかる。

2014-02-18 18:27:50 | Weblog
県は17日、韓国が竹島(隠岐の島町)を不法占拠する直前の1952~53年頃、隠岐諸島・島後から竹島に漁船で渡った際に
使われた海図を初めて発見した、と発表した。コンパスで針路を確認しながら船を進めたらしく、
海図には竹島と隠岐、大山(鳥取県)を結ぶ2本の線が鉛筆で引かれている。県は「竹島が隠岐の住民の生活圏内であり、
日本固有の領土であることを裏付ける貴重な資料」としている。(矢沢慎一)
海上保安庁が発行した海図「日本海西部」(1949年改正版)。県の竹島問題研究会などが昨春、島後で集めた資料5578点を整理中、
地元漁協が保管していたものの中から発見、昨年8、9月と今月、関係者から聞き取りを実施して、当時どのように使われていたかを確認した。
県などによると、この海図を使って渡航したのは島後の住民3人で、既に亡くなっている。遺族らの話では、
3人は肥料などの原料になるリン鉱石を採取するため竹島に渡り、半日間滞在したという。
当時の竹島への渡航法に関しては「海図とコンパスを使い、帰路は右斜め前方に見える島前や、大山を目印にして進んだ」
との証言もあり、海図に引かれた線がそれを裏付けている。
 隠岐の住民は江戸時代以降、竹島を拠点に周辺海域でアシカやアワビ、サザエをとっていた。一方、
韓国は52年、国際法を無視し、竹島を取り込む形で「李承晩ライン」を設定、54年に竹島を不法占拠した。
今回見つかった海図は、県竹島資料室(松江市)で複製を展示している。
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