先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

標津町の一般会計69億円 23年度予算案 生活分野に重点

2023-02-22 | アイヌ民族関連
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北海道新聞2023年2月21日 20:16(2月21日 21:21更新)

標津町役場
 【標津】町は21日、2023年度予算案を発表した。一般会計は前年度当初比6・3%増の69億2千万円。子育て・就学支援など生活分野の事業に重点を置く編成とした。
 町は「出会い、子宝、子育て」の分野で、茶志骨生活館(茶志骨13)の建て替えに8600万円を計上した。1974年建築の建物を5月までに解体して着工し、11月末ごろ完成予定。町内会などの利用のほか、アイヌ文化に関する教室などでの活用も見込む。
・・・・・
(小野田伝治郎)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/805371

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浦幌で先住民族の権利学ぶ国際シンポ アイヌ民族団体などが5月初開催

2023-02-22 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年2月21日 20:14(2月21日 20:48更新)

国際シンポジウムの開催を発表したラポロアイヌネイションの差間正樹会長(左)と北大開示文書研究会の殿平善彦共同代表
 十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)と北大開示文書研究会は21日、浦幌町で先住民族の先住権について学ぶ初の国際シンポジウムを5月26~28日に開くと発表した。
 シンポは「先住権としての川でサケを獲る権利」と題し、カナダや台湾など5カ国・地域から招いた先住民族や弁護士が、現地での権利運動や漁業権獲得について講演し、アイヌ民族と議論する。同団体の差間正樹会長(72)は「各地の先進事例を学び、多くの人に理解してもらう機会にしたい」と話している。
 申し込み不要で入場無料。詳細は北大開示文書研究会事務局、電話0164・43・0128へ。シンポの運営費用もクラウドファンディング(CF)のサイト「キャンプファイヤー」(https://camp-fire.jp/projects/view/645409)で募っている。(麻植文佳)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/805367

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アザラシやトドの飼育法を紹介 おたる水族館の飼育員が講演

2023-02-22 | アイヌ民族関連
会員限定記事
北海道新聞2023年2月21日 19:48

おたる水族館や祝津周辺の自然の魅力について話す徳山航さん
 小樽市総合博物館(手宮1)で19日、アザラシやトドなど海獣をテーマにした講座「博物館ゼミナール小樽学」が開かれ、おたる水族館(祝津3)の飼育員、徳山航さん(39)が「海獣たちと祝津の海の魅力」と題して講演した。徳山さんは、飼育の苦労話や、水族館で人気のペンギンショーの舞台裏などを紹介した。
・・・・・
(平岡伸志)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/805337

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アイヌ語と多言語主義から見る多様性ある社会 塾生ができることは

2023-02-22 | アイヌ民族関連
慶應塾生新聞2023-02-21
毎年2月21日は、言語の多様性を保護する国際母語デーである。多様性のある持続可能な社会の重要性が強調される今日、特に注目されているのが先住民言語だ。国連も、2022年から2032年まで10年間を、先住民言語の10年として定め、先住民言語の保護に取り組んでいる。
日本では、アイヌ語が消滅する恐れが非常に高いとされる。そこで、アイヌ語の研究を進めてきた湘南藤沢キャンパスの藤田護専任講師に話を聞いた。
アイヌ語伝承の現状
アイヌ語は、かつて北海道だけでなく樺太や千島列島、さらに東北地方でも幅広く使われたという。しかし、アイヌが和人の下での生活を余儀なくされ、伝統的な生活を禁じられたことにより、徐々に伝承されにくくなった。現在アイヌ語は、高齢のごく一部の人のみが家庭内で言葉を伝承された記憶をもつという状況に陥っている。
しかしながら、これが必ずしも言語の消滅を指すわけではないと藤田さんは述べる。国境を越えた先住民同士の交流に刺激を受け、蓄積されたアイヌ語の記録を活かしながら、新たにアイヌ語を身につけようとする動きが若い人たちの間に広がっている。
ニューメディアを活かして
藤田さんは、大学生が少数言語を守るための活動を行っていることを知ってもらいたいとも強調した。元塾生の関根摩耶さんが、SFCでの在学当時同級生と協力し、若い人が日常で使用しやすいアイヌ語などを教えるユーチューブチャンネル「しとちゃんねる」を開設した試みは、義塾内の塾長賞やSFC Student Awardを受賞するとともに国立民族学博物館の展示にも取り上げられた。
藤田さんは、この活動をアイヌと和人の学生による協働という点でかなり貴重だと評価する。
多言語主義と湘南藤沢
湘南藤沢キャンパスが言語教育を重視する背景として、創立以来掲げてきた「多言語主義」がある。英語とスペイン語、アラビア語、日本語などを同等な位置で扱うカリキュラムはもとより、日本語以外の言語が必ずしも全ての塾生にとって「外国語」であるわけではないことを見据え、「外国語」という言い方自体を避ける動きも出ている。
その一方で「グローバルな共通語や隣国の言語以外の言語についての取り組みは、世界全体でその重要性が認識されているにも関わらず、まだまだ心もとない」と藤田さんは述べる。
多様性のある社会へ
藤田さんの授業のシラバスには「人種差別行為は禁止」と書かれている。これはどういう意味をもっているのか。藤田さんは、アイヌを貶める言葉が民放テレビで流された事件を挙げながら、様々な形でセンシビリティーの欠如がマイノリティーを傷つけるかもしれないと語った。そして、SFCでは件の民放番組による差別発言検証の取り組みにも協力してきているという。
また、少数言語の研究においては、複数の領域での「力の非対称性」に気を配ってもらいたいという。例えば、先住民のことに取り組むことが、同時に男女格差を拡大させないように気をつけなければならない。例えば、男女という二分法によるジェンダー代名詞を使い続けていいのかという「包摂的言葉づかい」の問題は、スペイン語のようなグローバルな強い言語でも先住民言語でも問い直され始めている。
このように「言語の観点」から多様性と複数性をめぐる様々な事柄を考えるきっかけが得られるのだと、言葉を担当する研究者として藤田さんは伝えていきたいのだという。
(朴太暎)
https://www.jukushin.com/archives/55219

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【ウポポイ】囲炉裏の煙で塩漬け魚を燻製に…アイヌの伝統的な保存食「サッチェプ」づくり 白老町

2023-02-22 | アイヌ民族関連
HTB2023年 2月21日 12:01 掲載
 白老町ではアイヌの伝統的な保存食「サッチェプ」作りが行われました。
 白老町の民族共生象徴空間=ウポポイで行われた「サッチェプ」づくり。
 「サッチェプ」とはアイヌの言葉で「乾燥させた魚」という意味で塩漬けにした魚を乾燥させた後、囲炉裏の煙で燻製にしたものです。
 ■ウポポイ職員野本三治さん:
 「27年間サッチェプつくるのに携わっていた。若い人たちにも伝統文化を受け継いでいただくように指導していきたい。」
 「サッチェプ」を燻す作業は8月ごろまで行われ、早いもので5月初めから完成品が仕上がっていくということです。
https://www.htb.co.jp/news/archives_19189.html

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能代市木の学校でこつこつと 英国出身男性、アイヌ民族楽器「トンコリ」製作

2023-02-22 | アイヌ民族関連
北羽新報社2023.02.21

完成した「トンコリ」を手に笑顔を見せる英国出身のカールさん
 英国出身で八郎潟町に住むALT(外国語指導助手)の男性が、能代市河戸川の木の学校でアイヌ民族の弦楽器・トンコリ(五弦琴)の製作に挑戦、約2カ月の作業の末、19日に完成させた。男性は「なかなかの出来栄え」と笑顔を見せながら、「優しい先生たちの下、安心して作ることができた」と施設のサポートに感謝している。
 トンコリを製作したのは、旧琴丘町のALTも務めていたカール・スペンサー・ブースさん(51)。昨年秋、中学生が学校の授業で琴の演奏を体験している様子を目にし、7、8年前に北海道で演奏を聴き、その優しい音に魅了されたトンコリを思い出し、弾いてみたくなったのがきっかけという。
 最初はトンコリ作りの職人に依頼して購入することも検討したが、安くても10万円以上することや納品までに1年以上かかると分かり、「それなら自分で作ってみよう」と思うように。そうした時に、講師を務める英会話教室の生徒から木の学校のことを聞き昨年12月、同施設に協力を仰いだ。
 作業は毎週末や冬休み期間に通って実施。サポートの依頼を受けた木の学校では、カールさんが自身で入手した製作マニュアルを土台に、材料選び(イチョウ)、進め方の手順、丸ノコ盤、サンダーといった機械の使い方、仕上げのコツなどを技術指導員が折に触れてアドバイス。練習用で試作した1台目(長さ約85㌢)に続き、19日には改良版の2台目(約110㌢)も出来上がった。
 同日、早速試し弾きをしたカールさんは「私の演奏技術に問題はあるけど(笑)、いい音。これから頑張って練習して、生徒たちの前で演奏してみたい」とにっこり。「いろんな工程で決断を繰り返しながら進めるものづくりは、本当に楽しい。もう夢中です」として、早くも3台目の製作に向けて動き出しており、「今度はノミを多く使って、よりトラディショナルでワイルドな仕上がりを目指したい」と目を輝かせた。
 また木の学校については「さまざまな機械がそろい、教えてくれる先生たちも皆優しい。この素晴らしい施設を、ぜひ多くの人に利用してもらいたい」と話した。
 製作をバックアップした技術指導員の青山秀樹さん(50)は「楽器作りを相談されたのは初めてで、最初はどうなることかと思ったが、マニュアルがあったのは大きかった。われわれにとってもいい経験になった」と振り返り、「『木でこんな物が作れないか』といった相談はいつでも歓迎。気軽に問い合わせてほしい」と語っていた。
 木の学校の利用時間は午前8時30分~午後4時。機械の利用は有料だが、木工工作室自体の利用は無料。毎月第2、4、5日曜日、祝日は休館。問い合わせは☎0185・52・5249へ。
http://kyodoshi.com/article/14774

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白老の千葉昊也君 卒業式に向け アイヌ正装を自作

2023-02-22 | アイヌ民族関連
苫小牧民報社2023.02.21
白老町の白老民族芸能保存会最年少会員の千葉昊也(こうや)君(12)=萩野小学校6年=は、自作したルウンペ(木綿衣)とマタンプシ(鉢巻き)を身に着け、来月17日に行われる卒業式に臨む。2年生の授業で触れたことをきっかけにアイヌ文化を独学し、5年生で保存会に入会。昨年からアイヌ民族の正装作りを進めてきた。完成した衣装をまとい、「晴れ姿で堂々と卒業証書を手にしたい」と話している。

卒業式に向けて自作の正装をまとい、笑顔を見せる千葉君
 アイヌ文化に興味を持ったのは、小学2年の総合学習の授業で保存会のメンバーが来校した際、ムックリを練習したのがきっかけ。踊りにも興味を持ち、インターネットの動画サイトなどを見て独自に踊りの型を学び始めた。2020年の夏には授業で学んだアイヌの刺しゅうを自由研究の題材に選び、取り組んだ。
 5年生になった21年夏には、民族共生象徴空間(ウポポイ)で保存会のメンバーと一緒に踊る機会があり、会との距離がぐっと近くなって冬に正会員になった。師匠と仰ぐ同保存会理事の飯島宏之さん(40)から踊りの指導を受けるようになり、イヨマンテリムセ(熊の霊送りの踊り)やク・リムセ(弓の舞)などの舞踊技術はめきめき上達している。
 ルウンペの自作は、6年生になった時に卒業式に向けて構想。「着物計画」と題した計画書を作成して取り組んだ。昨年7月に自分の体の大きさに合った型紙を手作りし、町内の手芸店などで生地や糸を買ってきた。8月に本格的な制作に着手。刺しゅうや模様の縫い付けを地道に進め、今年2月5日にルウンペとマタンプシを完成させた。首回りの刺しゅうやステッチ(縫い方)の一種「エタラカ」が「大変でした」と笑う。エタラカには、悪夢を捕らえて防ぐ魔よけ(ドリームキャッチャー)の意味合いがあるという。
 飯島さんは千葉君について「文化の保存と伝承を使命とする保存会で、自ら積極的に学び、すでに自分の踊りを模索しているなどとても頼もしい存在」とエールを送る。飯島さんの旧友でもある父親の理生さん(40)も「親として本人のやりたいようにさせたい。伸び伸びと学んでほしい」と目を細める。
 今は春からの中学校生活で、バスケットボール部に興味深々の千葉君。保存会の活動は今後も継続し、さらに研さんを重ねていく。
http://kyodoshi.com/article/14779

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武四郎まつり、26日に松阪で3年ぶり

2023-02-22 | アイヌ民族関連
読売新聞2023/02/22 05:00

武四郎像と並んで、まつりへの来場を呼びかける山本館長
 北海道の名付け親として知られる松浦武四郎を顕彰する「武四郎まつり」が26日、松阪市小野江町の武四郎記念館で開かれる。コロナ禍の影響で3年ぶりの開催。山本 命館長は、「松阪の偉人を知る良い機会」と来場を呼びかけている。
 武四郎は幕末から明治にかけて活躍。 蝦夷地に渡り、アイヌ民族の協力を得て調査記録をまとめた。山本館長によると、北海道の「カイ」には、アイヌ語で「この国に生まれし者」との意味がある。ただ単に「北の海の道」ではなく、命名の背景には、「どんなに開拓が進んでも、私たちはアイヌ民族の大地と暮らしを尊重しなければならない」という武四郎の熱い思いが込められているという。
 旧三雲町時代の1996年に始まったまつりは、2回の中止も含めて今年で28回目。生誕200年を祝った2018年に全国から6000人が訪れたのを最高に、今では4000人規模を集めるイベントに成長した。山本館長は「2年のブランクで実行委員会のメンバーも代わった。緊張感を持ってやり遂げたい。隣の小野江公民館には、みそ仕立ての『武四郎鍋』なども用意するのでぜひ楽しんで」とアピールしている。
https://www.yomiuri.co.jp/local/mie/news/20230221-OYTNT50178/

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北海道の白鳥大橋から考えるインフラツーリズム。公的施設の開放で「稼ぐ広域観光」を

2023-02-22 | アイヌ民族関連
ライフルホームズ2023年02月21日11時05分 更新
国交省がインフラの観光活用を推進。景観や非日常感が価値に
暮らしや産業に欠かせないインフラ。老朽化や人口減少で維持管理の方法がよく問われるが、うまく活用できれば「稼ぎ」を生み出すというポテンシャルもある。そのスケールからダイナミックな景観や非日常感を楽しみつつ、インフラや産業への理解が深まるため、近年は観光資源としても注目されている。
国土交通省は、ダムや橋、港湾などを見学・体験する「インフラツーリズム」を積極的に推進。全国にモデル事例を選定し、インフラの魅力を引き出す工夫を学べる「インフラツーリズム拡大の手引き」を改定するべく、2022年度も検討を進めている。
東日本最大の吊り橋で、日本で初めて積雪寒冷地に建設された北海道室蘭市の「白鳥大橋」もツアーが実施されているインフラの1つ。室蘭市長の提案をきっかけに管理者である同省北海道開発局が検討に乗り出し、地域による実施体制を整え、地元の企業がクルーズ船を運航している。室蘭市を含む周辺の3市4町は「西胆振」地域と呼ばれ、著名な温泉地やアイヌ文化を発信する国立施設、港湾クルーズが人気の室蘭港、室蘭の「工場夜景」などとの周遊観光が期待されている。
同開発局は2023年1月、白鳥大橋の事例を通し、インフラツーリズムの魅力を高める方法を探るシンポジウムを室蘭市内で開いた。観光の専門家、観光庁や北海道開発局の職員、地元首長らによる講演やパネルディスカッションの様子をレポートする。
行政」の取り組みから「地域」の取り組みに深化
観光先進国に向けた政府の「日本の明日を支える観光ビジョン」(2016年)では、魅力ある公的施設を広く国民や世界に開放することを掲げている。
北海道開発局長の石塚宗司さんはシンポジウムの冒頭、「2013年度から公共施設の見学ツアーと銘打ち、インフラをツアーに開放するソフト対策に力を入れています。西胆振は観光ポテンシャルの高い地域。ピンチをチャンスにという発想のもと、観光で稼げる地域を目指してほしい」とあいさつした。
白鳥大橋は2020年、国土交通省の「インフラツーリズム魅力倍増プロジェクト」のモデル地区に選定され、以前はできなかった主塔に登頂できる、地域主体のツアー商品の開催につながった。360度の絶景のパノラマを楽しめるコンテンツとして売り出している。
北海道開発局の室蘭開発建設部長の篠宮章浩さんは、インフラツーリズムについて「非日常を体験するツアーにより、地域に人を呼び込み、地域活性化に寄与することを目指すもの」と紹介。また地元市長の提案をきっかけに、モニタリングツアーやガイド研修などをへて、地元観光協会や経済団体などでつくる「室蘭観光推進連絡会議」で白鳥大橋のインフラツーリズム推進が承認されるまでの経緯に触れ、「行政の取り組みが地域の取り組みに深化した」と語った。また、イルカウオッチングや港湾のナイトクルーズといった船上コンテンツ、地元のグルメと結びつけることで、より幅広い展開が見込めると期待した。
地元市長の提案から動き出したインフラツーリズム
パネリストとして登壇した「鉄のまち」室蘭市の青山剛市長は、室蘭が製鉄業や港湾で栄えてきたことから「かつて観光は遠い存在だった」と話した。10数年前から室蘭の「工場夜景」が注目される中、自ら白鳥大橋の主塔に登ったことをきっかけに、白鳥大橋の開放と活用を思い立ったという。2018年、維持管理する北海道開発局の室蘭開発建設部に観光活用を打診し、検討がスタートしたことを振り返った。
青山市長は登頂した当時の印象を「羊蹄山や室蘭港など360度を見渡せ、最も高いところは高さ140mにもなる。車が豆粒に見えるような迫力でした」と語った。ワイヤーケーブルは市内の製鉄所で製造され、地域ならではの背景も感じられるという。
主塔が建つ人工島まではクルーズ船で向かうため、ツアー開催は気象条件に左右されるが、青山市長によると、参加者からは「普段は入れないので特別感がある」といった感想が寄せられている。2021年度は39件、2022年度は48件の申し込みがあった。
稼ぐ観光に向けては、「手ぶらフィッシング」や「スイーツ作り」など複数のコンテンツと連携させる他、道の駅での地元作家の作品販売などを進めているという。西胆振の広域観光については、アイヌ文化の発信拠点「ウポポイ(民族共生象徴空間)」、世界遺産となった縄文遺跡群などとの相乗効果を深める考えを示した。
室蘭市に隣接する登別市の小笠原春一市長や伊達市の菊谷秀吉市長は、バスツアーなどを通じた西胆振地域の連携の現状を紹介した。北海道新幹線の札幌延伸を2030年度末に控えていることから、いっそうの関係強化を図るとした。
消費者は「本物」を求めている。民間の力で稼ぐには
国交省「インフラツーリズム有識者懇談会」の委員を務める、跡見学園女子大学・観光コミュニティ学部の篠原靖准教授は専門家として講演した。
篠原准教授によると、これまで日本経済をけん引してきたモノづくりの競争力が低下したことで、成長産業として観光が注目されている。観光の主眼を「稼ぐこと」と捉え直すことや、観光客の地方分散と消費の底上げが求められていると指摘した。
そのためには、行政主導に依存し過ぎず、民間の力を引き出した「稼ぐ観光」の仕組みづくりが急務だとした。観光客の人数を成果目標として求めるだけでなく、いかに消費額を伸ばすかを意識すべきだと強調した。
篠原准教授によると観光客が求めるものも変化していて、従来は「コンビニ型」だったが、今後は「寿司屋のカウンター型」になる。「いつでも・どこでも・誰でも」ではなく、「今だけ・ここだけ・あなただけ」という価値がますます大切になり、それを体験や滞在、交流を通して感じられる「本物」こそが消費者に求めているという。
白鳥大橋のインフラツーリズムについては、「市長の熱い思いを開発局が受け止めて形になった、全国に知られるモデルの1つ」と評価。その上で、白鳥大橋の取り組みをきっかけに、西胆振という広域で「稼ぐ観光」に発展させるよう提案した。広域連携を進める上では、まずテーマ別のコンテンツを開発し、次に市民に「観光で稼ぐ」という意識を持ってもらい、最後にビジネスモデルを構築する―という手順を示した。
付加価値の高い持続可能な観光へ。人材確保への処方せんは
ウィズコロナ、アフターコロナの時代、広域で稼ぐ観光地域づくりには、持続可能な観光を可能にする仕組みづくりが必要になる。その具体的な方法について、会場からの質問を受けて意見交換がなされた。
シンポジウムでは、観光庁・観光地域振興課長の河南正幸さんも講演し、コロナ禍をへて旅行者のニーズとしても、観光関係者の意識すべき視点としても、付加価値を高めた「持続可能な観光」がますます重視されていることを伝えた。
その上で、どんな属性の観光客に訴求し、何を求めているのかを分析するマーケティングの大切さに触れた。「まずターゲットを絞り込まないと、観光資源を磨くことや地域連携、効果的なプロモーションができない」と強調。そのためには、マーケティングや本質的なガイドができる人材、地域内の多様な関係者をまとめるマネジメント体制が求められるという。観光におけるマネジメントは、上長からの指示で動く企業のような組織と違って難しいため、専門家の国費派遣も検討するよう呼びかけた。
篠原准教授は「これまで日本の観光のマーケティングは欧米から幼いと言われてきた。われわれは勘でターゲットをイメージしていた」と指摘した。
一方で、シンポジウムに参加した観光関係者からは、インバウンド(訪日外国人観光客)がコロナ禍から回復していて増加に転じると、観光に携わる人材がさらに不足するという懸念が寄せられた。
これに対し篠原准教授は、当初は観光業界を志望しながらも、休日の少なさや労働負荷、給与などの実態を知って他業種にシフトする学生が多いと明かした。「労働生産性が低く、働いても儲からない。観光人材の不足という、日本の大きな弱点が顕在化している」と話した。
河南さんは「安い料金設定で多くの『数』に頼るという発想ではなく、働く人たちの価値を上げて対価に反映され、それを認めてくれるような顧客を呼び込むシステムに変えないと、持続可能な観光は実現できない」と強調した。
https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01473/

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アジア人タップダンサーとして史上初の快挙を成し遂げた熊谷和徳、その挑戦の日々と未来図を聞く

2023-02-22 | アイヌ民族関連
J-WAVENEWS2023年02月21日 11:45

世界的タップダンサーの熊谷和徳が、タップとの出会いやニューヨークでの修業時代、さらには、全ダンスジャンルを対象としたアワード「ベッシー賞」を受賞した際のエピソードなどについて語った。
熊谷が登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
このプログラムは、ポッドキャストでも配信中。
・ポッドキャストはこちら
https://www.j-wave.co.jp/podcasts/
タップに興味を持ったきっかけは、マイケル・ジャクソンのMV
東京の街を軽やかに走り出した「BMW i4 eDrive40i M Sport」。車窓に流れる六本木通り沿いのビル群を眺めながら熊谷は、タップダンスと出会った少年時代に思いを馳せる。
熊谷:初めてタップに興味を持ったのは5~6歳の頃です。当時の僕は喘息を患っていて、学校にもあまり通えていませんでした。そんな時期に観たMVで、マイケル・ジャクソンがタップダンスのような動きをしていたことに惹かれたんです。また、マイケルがフレッド・アステアやサミー・デイヴィスJr.などのタップダンサーを敬愛していることを知り、タップへの関心を深めていきました。
そのときから、「自分もタップを踊りたい」という思いがあったのですが、僕の地元・仙台ではスクールがあまりなくて、一度諦めたんです。気持ちが再燃したのは15歳ぐらいの頃。グレゴリー・ハインズ主演の映画『タップ』をたまたま鑑賞したことがきっかけでした。映画に刺激を受け、改めてスクールを探してみたところ、一件だけ見つけたんですよ。
グレゴリー・ハインズは、天才的なタップダンスのスキルにより、ニューヨークのブロードウェイで一世を風靡したエンターテイナー。その華麗な足さばきに魅了され、地元・仙台のダンススクールに通い始めた熊谷少年は1996年、19歳のときに今後の人生を決定付ける大きな決断を下す。
熊谷:仙台でタップをやっていた頃は、進路に悩んでいました。勉強に集中できないし、周囲からの反対もあってタップにもあまり熱心になれなくて。それに、喘息もひどくなっていた。そんな状況を打破したかったし、何となく新しい世界に飛び出したい気持ちもありました。そこで19歳のとき、親と相談して、一番憧れの場所であるニューヨークへ行くことを決めたんです。
NYでタップのコミュニティに混ざり、のめり込んでいった
熊谷が渡米した頃は、現在のようにインターネットやケータイが普及している時代ではなかった。「行ってみなければ何があるのか、何ができるのかわからない状況」だったと振り返る。
熊谷:タップスクールを探すために、ガイドブック片手にニューヨークの街を歩き回ったこともありました。そんな中、憧れのグレゴリー・ハインズや、“マスター”と呼ばれるジミー・スライド、バスター・ブラウンといったレジェンドたちと知り合うことができたのは、運が良かったというほかありません。
ニューヨークに来て気付いたのは、タップはすごく小さなコミュニティだということ。とあるジャズクラブでは、グレゴリー・ハインズをはじめとした、映画『タップ』の出演者たちが集まって、セッションみたいなことをよく行ってました。そこへ足を運ぶと、『タップ』の面々は「一緒に踊ろうよ」と、自分もファミリーの一員のように混ぜてくれる。そういった環境で、どんどんタップにのめり込んでいきました。
そんなあるとき、ブロードウェイのショー「ノイズ&ファンク(原題:Bring in 'da Noise, Bring in 'da Funk)」が新しいタップダンサーを募集していたんです。オーディションに参加したら、「ファンク・ユニバーシティ」というトレーニングプログラムを受講することになって。プログラムの期間は3か月で、練習量は毎日6時間。このときに師匠のテッド・リービーと出会ったことで、歴史や文化を含めた本当のタップの意味を知りました。
アジア人タップダンサーとして史上初の快挙
憧れのグレゴリー・ハインズと親しくなり、トニー賞にもノミネートされたことのある師匠テッド・リービーの指導を受け、本格的にタップダンサーとしてのキャリアを歩み始めた熊谷。いくつものステージに立ち、数えきれないほどのステップを重ねていくうちに、目と耳の肥えた本場の観客を魅了する一流のパフォーマーへと成長を遂げていく。
そして2016年。渡米してからちょうど20年の節目に、あらゆるジャンルのダンスを対象に毎年ニューヨークで開催されるアワード「NY DANCE AND PERFORMANCE AWARD」通称"BESSIE AWARD”で、最優秀パフォーマー賞を受賞した。同賞の獲得は、アジア人タップダンサーとして史上初の快挙だった。
熊谷:実は授賞式当日、入口でお客さんにもぎりのスタッフと間違われたんですよ(笑)。アメリカで暮らしていると、人種の壁は厚く、アジア人として生活する難しさを感じる瞬間があるのも事実です。そんな中で、最優秀パフォーマー賞をいただき、会場が総立ちになってあたたかい拍手を送られたときには、実感するまでに時間がかかりました。会場に入るときはもぎりのスタッフと間違われましたが、会場を出るときにはみんながあたたかい言葉を掛けてくれて、そこには、自分が尊敬するタップダンサーたちもいて……。タップというジャンル自体、アメリカでは他のダンスに比べまだまだ地位が低い。だからこそ、賞をいただけたことは僕個人としても、また、タップダンサーとしてタップファミリーに何か貢献できたという意味においても、うれしかったですね。
「一生タップを楽しみ続けたい」
熊谷の舞台における特徴の一つが、ジャンルを超えたコラボレーションだ。様々な表現者と共演する背景には、タップダンスのルーツが内包する人間の本能が深く関係していた。
熊谷:タップダンスって、もともとは土着の文化から生まれたものなんです。太鼓を鳴らし、大地を踏み鳴らして踊っていたアフリカの人たちが奴隷船貿易でアメリカに連れて来られ、しゃべることさえ禁止される中、自らの感情を表現するために地面を踏んだことが起源とされています。その後、ブルース、ジャズ、R&B、ヒップホップといった多様なブラックミュージックが発展していきましたが、すべての音楽の根底に流れるリズムを、タップダンスが作ったということはあまり知られていません。そんな背景もあって、世界中にある民族音楽と共鳴することは人間の本能というか……。怒り・悲しみ・人の生死など、人間の本能を表現するために踊りや歌があって、その一つの形がタップダンスだと思うんです。だから、自分の中でアイヌの方々や沖縄の民族音楽のミュージシャンとコラボレーションするのはすごく自然なことなんですよね。
少し話は変わりますが、ここ3年は、横浜の赤レンガ倉庫で毎年公演を開催させていただいています。今年1月21日と22日には、シンガーソングライターの中村佳穂さんをゲストにお招きし、「Hear/Here」と題した公演を行いました。ステージ上での音の掛け合いは、まさにその瞬間のひらめきでの会話のようでした。公演の最後のほうでは、佳穂さんがタップの板の上に横になって歌い、自分も無心で気持のおもむくままに踊れて幸せな時間でした。佳穂さんの歌を実際に聴いて思ったのは、喜怒哀楽がとても豊かで楽しい曲の中にも、その根底に流れているものにブルースを感じました。これまで数々のタップダンサー達がそのルーツにある悲哀をステージ上で笑顔で表現してきたのと同じようなエネルギーを、彼女の歌声に感じたんですよね。だから一緒にやっていて深みを感じるとともに、すごく楽しかったんですよね。
タップを文化として根付かせる─「未来への挑戦」
熊谷は舞台に立つだけでなく、東京中目黒と仙台でタップダンス専門スタジオ「KAZ TAP STUDIO」を展開し、それぞれの拠点でタップスクールを主宰している。スクールは2008年から運営しているそうだが、どんな思いから、後輩の指導にあたるようになったのか。
熊谷:当時、タップの板が張られた踊れる環境がほとんどなかったので、自分の練習場所を探していたんですよ。そんなときに、中目黒でたまたまいい場所を見つけて。そこで仲間と練習しているうちに教えるようになり、次第に一般の人も来始めて、今に至る……といった感じですね。以前は趣味でタップを習う人が多かったんですけど、今は中学生~20代前半のプロを目指している人も集まってきて、すごくいいエネルギーを感じています。
パフォーマー・指導者としてタップの普及に努める熊谷。彼にとっての「未来への挑戦」とは。
熊谷:自分のカンパニーにいる子たちとこれからも一緒に作品を手掛けて、若いタップダンサーたちがもっと自分を表現できる環境を構築し、タップダンスが文化として認められる土壌をしっかりと作っていきたいです。タップはそういう段階に来ている気がするんですよね。でも、一番大事なのは、自分自身がタップを楽しむこと。これに尽きると思います。ずっとずっとこの先、きっと死ぬまで、タップを楽しみ続け、追いかけ続けていくつもりです。
ドライブをしながらインタビューをする同番組。熊谷が乗車中によく聴く音楽は、米国のシンガーソングライター、キャロル・キングの楽曲だという。彼女の代表曲「You've Got a Friend」を例に挙げ、「弾き語りの静かな、心を落ち着けるような音楽を聴いています」と語った。
『BMW FREUDE FOR LIFE』では、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招いて話を聞く。オンエアは毎週土曜 11:00-11:30。公式サイトはこちら(https://www.j-wave.co.jp/original/freudeforlife/)。
(構成=小島浩平)
https://news.j-wave.co.jp/2023/02/content-1351.html

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当代きってのシンガー・ソングライター、寺尾紗穂が2020年に発表した2枚のアルバム、『北へ向かう』と『わたしの好きなわらべうた2』を待望のアナログ・LP・レコード化!

2023-02-22 | アイヌ民族関連
ルーフトップ2023.02.21
寺尾紗穂が2020年に発表した2枚のアルバム、『北へ向かう』と『わたしの好きなわらべうた2』がアナログ化されることが発表された。2タイトル共に7月5日(水)に発売される。
北へ向かう
現代において最も真摯に「歌」の姿を追い求めて来たシンガー・ソングライター、寺尾紗穂、2020年発表の9thオリジナル・アルバム『北へ向かう』、待望のLP化。ともに「今」を歩み続ける多彩なゲスト・ミュージシャンが集結。寺尾紗穂の流麗な歌声とピアノ演奏に、華やぎと豊かな感情を注いでいる。寺尾の実父・寺尾次郎の逝去に際し書き上げた、キャリアに燦然と輝く名曲「北へ向かう」をはじめ、収められた全ての楽曲が、「今歌われるべき」という細やかな萌芽に満ちた、決定的アルバム作品。2020年代における「歌」の姿とそのゆくえを鮮やかに提示した、それまでの寺尾紗穂の活動を集大成した傑作。
わたしの好きなわらべうた2

シンガー・ソングライター、寺尾紗穂が日本各地のわらべうた/守子歌を発掘採集、彼女ならではの美しく、ときに大胆なリアレンジの下、新たな命を吹き込む大好評作『わたしの好きなわらべうた』。9thオリジナル・アルバム『北へ向かう』に続いて2020年に発表されたその続編をLP化。稀代の「ソング・キャッチャー」としての審美眼によって、原石のごとき民族史的遺産を掘り起こし、ときに繊細に、ときに大胆にリコンストラクトしていく。ダイナミックなピアノと透明で凛然とした歌声を軸に、様々なゲストが彩りを添え、「忘れられた」美しいうたの記憶が鮮やかに蘇る。
北へ向かう
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PLP-7990
フォーマット:LP
価格:定価:¥4,378(税抜¥3,980)
発売日:2023年7月5日(水)
完全限定生産
【収録曲】
<SIDE A>
1. 夕刻
2. 北へ向かう
3. そらとうみ
4. やくらい行き
5. 安里屋ユンタ
<SIDE B>
1. 君は私の友達
2. 選択
3. 一羽が二羽に
4. 記憶
5. 心のままに
6. 夕まぐれ
参加ミュージシャン:あだち麗三郎、伊賀航、池田若菜、歌島昌智、キセル、北山ゆうこ、ゴンドウトモヒコ、千葉広樹、蓮沼執太、マヒトゥ・ザ・ピーポー、U-zhaan
わたしの好きなわらべうた2
レーベル:Pヴァイン
商品番号:PLP-7991
フォーマット:LP
価格:定価:¥4,378(税抜¥3,980)
発売日:2023年7月5日(水)
完全限定生産
【収録曲】
<SIDE A>
1. 山口/山口のたこあげ唄歌「山の婆 山の婆」(山口市)
2. 兵庫/川西の守子歌「うちのこの子は」(川西市東畦野旭)
3. 北海道/アイヌの鬼遊び唄「タント シリ ピルカ(今日はお天気)」(胆振・登別市登別)
4. 福島/桧枝岐の守子歌「ねんねの子守は」(南会津郡桧枝岐村)
5. 山形/小国の子守唄「やんやん山形の」(西置賜郡小国町)
6. 沖縄/沖縄の寝させ唄「耳切り坊主」(島尻郡佐敷村屋比丘、中頭郡読谷村宇座)
7. 岐阜/本巣のてまり唄「鳥になりたや」(本巣郡根尾村平野)
8. 富山/成木責めの唄「なるかならんか」(射水郡大門町水戸田)
<SIDE B>
1. 岩手/遠野の寝させ唄「千福山」(遠野市)
2. 大阪/大阪のてまり唄「いちでよいのは」(大阪府内各地)
3. 東京/両国のてまり唄「向こう山に鳴く鳥は」(墨田区両国)
4. 広島/廿日市のてまり唄「ひいふうみいよう」(廿日市市)
5. 鳥取/鳥取の寝させ唄「ねんねんころりよ」(鳥取市赤子田町)
6. 宮城/石巻の寝させ唄「こけしぼっこ」(石巻市大瓜)
7. 山梨/労作唄「えぐえぐ節」(北巨摩郡駒城村)
8. 奄美/笠利の子守唄「なくないよ」(大島郡笠利町)
参加ミュージシャン:あだち麗三郎、伊賀航、歌島昌智、小林うてな、等々力政彦、やぶくみこ
https://rooftop1976.com/news/2023/02/21180000.php

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難民たちの今 遠い安住 <中> 「難民認定」待ち15年

2023-02-22 | 先住民族関連
中日新聞2023年2月22日 05時05分 (2月22日 05時06分更新)
 「こうやって着物を着て結婚式をするのが夢だったんです」。民族間の紛争が勃発したバングラデシュから逃れ、県西部に住む三十代男性はアルバムをめくりながらほほ笑んだ。昨年、結婚式を挙げた三十代のベトナム人女性と二人で住むアパートの一室。友人や支援者らと笑顔で写る幸せそうな写真とは裏腹に、十五年待ち続ける男性の難民認定は今もおりず、在留資格はない。「婚姻届も出せません。法律上は夫ではないんです」。皮肉めいた口調で明かした。
 男性は、バングラデシュ南東部の仏教系の先住民族のチャクマ族。一九七九年から、民族の住む丘陵地に政府がイスラム系のベンガル人を入植させたことに反発し、紛争が勃発した。
 男性によると、ベンガル人は住んでいた村を度々襲撃。男性も十三歳のときに目の前で父親を殺されたという。その後、反政府グループの中心メンバーとして活動に身を投じた男性は警察に逮捕され、三カ月にわたる拷問の末、瀕死(ひんし)の状態で解放された。「あのとき死ななかったのは奇跡だと思う」。その後、インド、スリランカを経由し、二〇〇七年に日本にたどり着いた。「日本に着いたときは、本当に自由になったんだってうれしかった」
 ...
中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。
https://www.chunichi.co.jp/article/640470?rct=h_tokai_news

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国産のミルクチョコレート作りにかけた大いなる夢!その誕生の歴史を歩む

2023-02-22 | 先住民族関連
CBCテレビ2/21(火) 10:40配信
チョコレートはカカオ豆から作られる。もともとはアメリカ大陸の先住民族が、カカオ豆を粉末にして溶かし、唐辛子などスパイスを加えて滋養強壮の薬として飲んでいたと伝えられる。16世紀に探検家コロンブスが、カカオ豆をスペインに持ち帰った。砂糖などを加えて固めることによって、ヨーロッパで「チョコレート」という菓子が生まれた。日本には、江戸時代に長崎の出島に、オランダ人によって持ち込まれた。“珍しい食べ物”として、ほとんど食べられることはなかったという。
明治時代の後半、1899年(明治32年)、ひとりの男性が米国から帰国した。森永太一郎(もりなが・たいちろう)さん。11年間にわたって、西洋菓子を学んできた。
「西洋のお菓子を日本に広めることができるのは自分しかいない」
森永さんは、東京の溜池に「森永西洋菓子製造所」を創業した。わずか2坪の工場には、手作りのコークス釜や米国から持ち帰った菓子作りの機械が、ところ狭しと並べられた。当時の日本で、西洋菓子の製造法を習得している日本人はほとんどいなかった。森永さんは、マシュマロ、キャラメル、キャンディー、そしてチョコレートクリームなどを作り始めたが、「西洋菓子」というだけで敬遠され、思ったように菓子は売れなかった。
そんな頃、1903年(明治36年)に大阪で産業博覧会が開催された。初参加の森永さんが出品したチョコレートクリームは高く評価されて3位に入賞した。森永さんは、米国やヨーロッパで人気の菓子「チョコレート」作りに、本格的に乗り出すことにした。当時の日本でも、洋酒を入れ込んだボンボンチョコレートが作られていたが、庶民には手が出ない高級品だった。森永さんが取り組んだのは「板チョコ」だった。
板チョコはスイスの職人が開発し、とても食べやすいチョコレートだった。輸入したビターチョコレートを加工して作り始めたものの、より手軽に購入してもらおうと、大量生産することを考えた。原料のカカオ豆からチョコレートを1か所で作る“一貫製造”のための工場を、巨額の投資によって作ったのだった。現在では「Bean to Bar(ビーントゥバー)」と呼ばれ、米国のクラフトチョコでは主流となっている“一貫製造”を、森永さんは大正時代の日本でスタートしたのだった。
それでも「チョコレートは苦くて食べられない。これはお菓子ではない」など、厳しい声があった当時、森永さんはミルクチョコレートを製造した。19世紀末に、スイスでは粉ミルクを入れる製法が発明されていたが、森永さんもチョコレートにミルクを使用したのだった。
1918年(大正7年)、板チョコの「森永ミルクチョコレート」が誕生した。日本での本格的なチョコレート大量生産が始まった瞬間だった。
チョコレートは庶民の味となった。「栄養のある美味しいお菓子、大人も子どもも、安全で安心して食べることができるチョコレートを作りたい」という森永さんの願い。
「チョコボール」「小枝」「ベイク」など、次々と親しみやすい人気商品が発売された。森永さんの会社、現在の「森永製菓株式会社」である。日本のチョコレート史には、「不二家」「明治」「ロッテ」など次々と、菓子メーカーが加わっていった。また、2000年代にかけて「ゴディバ」「ピエールマルコリーニ」など海外の有名メーカーが日本に上陸。オリジナルのチョコレート開発に乗り出すなど、日本は世界のショコラティエたちが競う、甘くて華麗なステージへと成長した。
森永さんが、創業から6年後に決めたエンゼルマークは、マシュマロが米国で「エンゼルフード(天使の糧)」と呼ばれていたことに由来する。「子どもたちに夢を」という創業時に抱いた森永さんの願いは、数多くのチョコレートと共に今日もしっかりと息づいている。
「チョコレートはじめて物語」のページには、日本の文化の歩み、その確かな1ページが“カカオとミルクの風味豊かに”甘く刻まれている。
【東西南北論説風(405)  by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】
※CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー「北辻利寿の日本はじめて物語」(毎週水曜日)で紹介したテーマをコラムとして執筆しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df033f5f606a70c5d9489fe2d7fbb2bad758e616

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チャールズ国王、英軍によるウクライナ兵訓練を視察

2023-02-22 | 先住民族関連
時事通信2/21(火) 8:43配信
【AFP=時事】チャールズ英国王(King Charles III)は20日、南西部ウィルトシャー(Wiltshire)州で英軍から塹壕(ざんごう)戦の訓練を受けているウクライナ兵を視察した。
 ロシアのウクライナ侵攻開始から1年になる24日を前に英軍は先週、半年間で1万人のウクライナ兵を訓練する目標を達成したと発表。ウクライナ兵は200人ずつ、5週間の基礎戦闘訓練に参加している。今年はさらに2万人が訓練を受ける予定だ。
 訓練の指揮はニュージーランド出身のトニー・ハリス(Tony Harris)陸軍少佐が執っている。チャールズ国王はニュージーランド軍関係者と、同国の先住民マオリ(Maori)式のあいさつを交わし激励した。
 ハリス少佐はチャールズ国王に、ウクライナ紛争では、100年以上前の第1次世界大戦(World War I)の特徴の一つだった塹壕戦が行われていると説明。「ウクライナ軍は実に頑強に防衛している」と語った。
 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelensky)大統領は今月訪英し、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)でチャールズ国王と会見。ウクライナからの避難民受け入れに謝意を示していた。【翻訳編集】 AFPBB News
https://news.yahoo.co.jp/articles/03d6fc341ab012e3d0ba609b6f38aede225c9ff9

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LGBTQ 後れ取る日本 谷口洋幸・青山学院大教授

2023-02-22 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2023/2/22 東京朝刊 有料記事 530文字
意識でなく権利の問題 谷口洋幸・青山学院大教授(国際人権法)
 欧米ではLGBTQなど性的少数者の権利が人権として認識されている。カトリックなど宗教上の教義として同性愛をタブー視する現状は続いていても、宗教的な価値観とは別に「人を人として尊重する」という考えに基づいて権利が認められてきた。同性愛に理解のある立場を取るプロテスタントの教会が率先して権利を認めてきた国もある。
 中南米にもブラジル、メキシコ、コロンビアなど同性婚を認める国が多い。これらの国では民主化運動や先住民の権利を巡る歴史的経緯から、マイノリティーの人権を重視する機運があった。
この記事は有料記事です。 残り257文字(全文530文字)
https://mainichi.jp/articles/20230222/ddm/003/040/092000c

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