先住民族関連ニュース

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沖縄の舞踊家、墓前で慰霊の舞 牡丹社事件を追悼

2016-06-30 | 先住民族関連
毎日新聞2016年6月27日 23時13分(最終更新 6月27日 23時15分)

牡丹社事件の犠牲者の墓前で八重山舞踊家による舞が奉納された=台湾屏東県車城郷で2016年6月26日、鈴木玲子撮影
宮古住民ら犠牲に 日台関係史の出発点
 【屏東(台湾南部)鈴木玲子】1871年に台湾南部・屏東県に宮古島(沖縄県)の船が漂着し、宮古住民らが先住民パイワン族に殺害された「牡丹社事件」で、沖縄の民間団体「八重山台湾親善交流協会」が26日、現地の墓を訪れ、地元住民と交流を図った。墓前では八重山舞踊家が慰霊の舞を奉納した。
 同団体は2013年、歴史的につながりの深い八重山と台湾の交流促進を目指し、沖縄県石垣島の住民有志らが台湾出身者らと共に結成した。石垣では戦前に入植した台湾人がパイナップルや水牛耕作を導入して農業振興に貢献。この功績をたたえる顕彰碑が12年に石垣に建立され、団体の結成につながった。
 13年には多くの台湾出身者の故郷である中部彰化県で伝統舞踊の公演会を開催。今回は日台関係に大きな影響を及ぼした145年前の同事件の地を選び、地元住民と交流した。
 訪問団は37人。屏東県車城郷にある犠牲者の墓前では、酷暑の中、日台関係者が花や果物を供え、八重山舞踊家が慰霊の舞を奉納した。パイワン族の子供たちによる合唱や、団体メンバーによる慰霊の歌も披露された。
 訪問団を率いた宮野照男・沖縄支部長は「言葉や文化が違い、コミュニケーションが図れなかったために起こった痛ましい事件。皮肉にもこの事件が日台関係史の出発点になったと言える。未来志向で交流を進めていきたい」と語った。慰霊の舞を奉納した八重山舞踊家の川井民枝さんは「安らかに眠ってくださいという気持ちを込めて一生懸命に踊った。気持ちは届いたと思う」と話した。
 また呉麗雪・屏東副県長(副知事)は「文化交流により台湾と日本の理解を深め、和解の道を歩んでいきましょう」と呼びかけた。同夜には同県芸術館で八重山舞踊やパイワン族の歌などが披露された。
牡丹社事件
 1871年、沖縄本島の琉球王府に年貢を運んだ宮古島の船が帰路に台湾南部・屏東県に漂着した。乗組員66人のうち54人が牡丹社という集落で先住民パイワン族に殺害された。12人は漢族に助けられた。
 明治政府はこの事件を口実に74年に「台湾出兵」を行い、南部を制圧した。近代日本初の海外出兵となった。清が賠償金を支払い、日本軍は台湾から撤退したが、琉球は日本に帰属すると清に認めさせることになった。清はこの後、防衛強化のため、積極的に台湾経営に乗り出すようになった。
http://mainichi.jp/articles/20160628/k00/00m/030/135000c

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18歳へのメッセージ/5 根深い差別、断ち切れ 「アイヌ資料館」館長・萱野志朗さん(58)

2016-06-30 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年6月29日 北海道朝刊
 「なぜアイヌが学校の先生なのか」。北海道平取町にある萱野(かやの)茂二風谷(にぶたに)アイヌ資料館の館長、萱野志朗さん(58)は、生徒の保護者が陰口を言っていたことを知人から聞いた。遠い昔ではなく、2000年代になってからの話だ。
 志朗さんのいとこが30年ほど前に結婚した際には、相手の両親や親族が「アイヌ」を理由に一人も結婚式に出席しなかったこともあった。最近ではあからさまな差別が表面化することは少なくなったとされるが、志朗さんは「根深い差別や偏見は今でも残っている」と話す。
 志朗さんは、アイヌ民族で初の参院議員となった故萱野茂さん(1926〜2006年)の次男。「言葉は民族の証し」という父の意思を引き継ぎ、アイヌ語の季刊紙の発行やミニFM局による放送講座などで、民族の言語の継承に取り組む。国も複合施設整備などでアイヌ文化復興を後押しするようになった。
 アイヌの人口は、道の13年の調査で道内に約1万7000人とされるが、道外は正確には不明。国が昨年秋に実施したアイヌ1000人の意識調査によると、有効回収705人の72%が「差別や偏見はあると思う」と回答。「自分」が差別を受けたという人の中には「アイヌへの差別発言を聞いた」「職場で不愉快な思いをした」との回答も多かった。
 「アイヌの血筋を引きながら、出自を知らない子どもが『あの子はアイヌ』といじめていたケースもある」と志朗さんは指摘する。
 政府は今年5月、アイヌ民族への差別解消や生活向上を図る新法制定などを検討することを打ち出した。志朗さんはその動きを歓迎しつつも、「法の下の平等」「人種による差別の禁止」という憲法の理念の実現へ、一歩を踏み出したに過ぎないと思う。
 茂さんは「足を踏んでいる人は、踏まれている側の痛みに気づきにくい」とよく口にしていた。父の言葉を思い出しながら、志朗さんは「親が子に誤った差別意識を植え付けると、世代をまたいで負の連鎖が続く。国の施策として断ち切る必要がある」と訴えている。【澤俊太郎】=つづく
少数者の存在、意識して
 いま、私たちアイヌ民族には国会の議席がなく、日本国民として「差別をなくす」という当然の権利を確立するための意見を通しづらい状況にある。そんな立場の人々がいることを理解してほしい。そして少数者の意見を国政に反映させるには今の選挙制度で本当に良いのか、ということも考えながら、選挙権を行使してもらいたい。
 ■ことば
法の下の平等
 憲法は第14条で「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又(また)は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と規定。第2項で「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」とした。
http://mainichi.jp/articles/20160629/ddr/041/010/004000c

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「ゴールデンカムイ」作者・野田さん 白老アイヌ民博に色紙

2016-06-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 6/29)

館内に設置されたゴールデンカムイの特設コーナー
 アイヌ文化をストーリーに取り入れた人気マンガ「ゴールデンカムイ」の作者・野田サトルさんの自筆サイン色紙が、白老町のアイヌ民族博物館内で展示され、来館者の話題を集めている。若者に人気の同作品を館内でも販売しようと、出版する集英社に打診。快諾とともに作者の野田さんから色紙が届いた。野本正博館長は「全国の若い世代にアイヌ文化に興味を持たせるきっかけをつくったという点で貢献度は非常に大きい」と作品を絶賛。同館の話題づくりに加え、来館者に対するアイヌ文化の理解浸透に大きな期待を寄せている。
 ゴールデンカムイは週刊ヤングジャンプで連載中のマンガ。「マンガ大賞2016」の大賞作品に選ばれ、全国的に人気を集めている。
 作品は明治末期の北海道が舞台。隠された金塊を探す日露戦争帰りの元陸軍兵士・杉元佐一と、道中で知り合ったアイヌ民族の少女アシリパの2人が主人公。同じように金塊を探す一味の追跡をかわし、時には戦いながら金塊の在りかを探すというストーリーだ。
 作中にはアイヌ民族の食や狩猟、生活、伝統的な習わしなど幅広い文化が取り上げられており、アイヌ語表記もアイヌ語研究者の中川裕氏が監修している。
 野本館長が出版社側に館内販売を打診したのは連休明けの5月上旬。従来とは違ったアイヌ文化の普及啓発効果に着目したのがきっかけで、「出版社側からすぐに取り扱いを快諾する返事を頂いた」という。合わせて色紙も届き、博物館のミュージアムショップ・イカラカラ内に展示特設コーナーを設けた。
 色紙には登場するキャラクターのアシリパがカラーで描かれ、「白老ポロトコタンさまへ」の添え書きも。売店担当の中村孝子さんによると、中高生を中心に色紙と記念撮影する人がいるといい「書籍を全巻まとめ買いする人もいますね」と言う。
 野本館長は「博物館がアイヌ文化を紹介するのとは違った切り口で面白く、若い人たちがアイヌ文化に親しむという点では最高のメディア」と高く評価する。主人公の少女アシリパが頭に巻く「マタンプシ」(鉢巻き)は、昔の白老地方のアイヌ女性が着用していたものと同じデザインといい、館内スタッフにとっても身近に感じているよう。同じ文様のマタンプシを中村さんが手縫いで制作中。近々展示コーナーに飾る予定だ。
 昨年には作品の愛読者がコスプレ姿で来訪し、館内で写真撮影をしたこともあったといい、「多方面でアイヌ文化に対する興味や関心が集まっているのは大歓迎」と学芸課の八幡巴絵係長。”ゴールデンカムイ効果”による来館者の底上げにも期待が集まりそうだ。
http://www.tomamin.co.jp/20160640034


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★ 粘って、しつこく ★

2016-06-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 2016年06月28日

エゾカンゾウの花が満開になってきました。草原が見事な橙色に染まるのはすぐです。アイヌの人が古来より「カッコク・ノンノ」(カッコウの花)と呼び、カッコウの托卵活動とエゾカンゾウを結びつけてきました。
おばんです。小太郎でごじゃります。

左がメス、右がオスのカッコウです。何の目的か、オスが枯れ茎を2本くわえています。
************************
 ◆  粘って、しつこく  ◆
エゾカンゾウが咲く草原の上をカッコウの夫婦が飛び回っています。産卵の時期に入ったコヨシキリやシマセンニュウ、ノゴマ、アオジ、オオジュリンに托卵するために必死なのです。
托卵が佳境に入っているので夫婦でつるんで行動しています。メスが卵を託す小鳥の繁殖状況を観察し、托卵するチャンスをうかがっています。
AU1A4280.JPGハマナスの灌木の上やシシウドの枯れ茎に止まり、じっとして潜みます。小鳥が産卵し、数日のうちに卵を産むチャンスを狙うのは並大抵の苦労ではなさそうです。
その間、オスはそう遠くないメスの近くに降りて周囲を見張っています。縄張りにしているところに他の夫婦や独り者のオスがやってくると、「カッコウ、カッコウ」とよく通る声で威嚇します。
AU1A4543.JPG侵入してくる個体には「カッコウ、カッコウ」を繰り返し、激しく追い立てていきます。なかなか去らない侵入者には襲い掛かるくらいの勢いで攻撃していきます。
追い出すとまた近くに戻ってきて少し見通しの良い枯れ木や杭の上に止まり、見張ります。時々草むらに降りて大きな毛虫を捕ってきます。毛虫は多いので、食べることには苦労せず、托卵に精を出していけるようです。
AU1A4405.JPGじっとして観察していると目の前にシマセンニュウやノゴマ、コヨシキリが警戒しながら姿を見せます。
この時期はこの攻防が見られるので、カッコウ夫婦の追っかけは愉しめます。
AU1A4674.JPG         シマセンニュウが周りを見て、警戒しています。
http://blog.hokkaido-np.co.jp/love-kotaro/2016/06/post-790.html


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地下都市に何が遺されたか? マトゥア(松輪)島の日本軍の遺物調査が終了へ

2016-06-29 | アイヌ民族関連
Sputnik 日本-2016年06月29日 00:09

© 写真: Russian Geographical Society / Andrey Gorban
クリル諸島の中心部に位置するマトゥア(松輪)島でのロシア国防省とロシア地理協会の合同調査隊は終盤を迎えている。調査では多くの発見があったが中でも最大級のものは日本の軍機だった。東軍管区のアレクサンドル・ゴルデーエフ広報長官は「機体は翼もありよい保存状態で第2次世界大戦時代の三菱のゼロ戦だったものと思われる。ゼロ戦の中隊はマトゥア島に置かれていた。シャシーには漢字がくっきり残されており、製品番号の1733と製造年の1942の数字が読み取れる」と語っている。
1942年製の日本の戦闘機がマトゥア島で発見される
今年5月、ロシア国防省がクリル諸島の中心部に位置する無人島のマトゥア島に注視。専門的な検査機、設備、地質学者、化学者、生物学者から成る最強の調査隊が負った目的は2つあった。1つが太平洋艦隊のベースの一部を移すのにこの島が適切かどうかを知ること。もう1つがこの島を前の主の遺物を調査することだった。
マトゥア島についての最初の記述は1711年。ここにアイヌの村があった時代のことだ。つづいて日本の軍部が島に興味を持った。第2次世界大戦開戦前にはマトゥア島は強力な城砦、地下には塹壕が張り巡らされ、大小さまざまなトーチカ、空港、港湾設備を有していた。島での上陸戦は展開されなかったが米軍は定期的に海上からの爆撃を繰り返していた。
日本が全面降伏を宣言すると1945年8月下旬には日本軍守備隊は無抵抗でソ連のパラシュート降下隊に島を明け渡した。この際あらかじめ岸壁に掘られていたトンネルを爆破している。
第91歩兵師団の司令官、ツツミ・フサキ中将への尋問録には次のような一節が残されている。
「クリル諸島のなかでは松輪島(マトゥア島)が最大の意味を持っております。島は中間的な航空基地であり、同時に船舶の停泊基地でもあります。この島を奪取すれば北海道に対抗する行為とる場合の良好な基地が出来、また北方の島々との連絡を切断することも可能となるでしょう。米国はこの島に関心を抱いていました。このため日本は多くの軍事力を投入し、堅牢な防衛を築いたのです。この島には第5戦線本部に直属する第41混成大隊が駐屯しておりました。」
クリル諸島で第二次世界大戦時代の日本のポンプ場発見
20世紀の半ば、マトゥア島にはソ連の対空防衛が置かれ、その後国境警備隊が駐屯していたが、そうした者たちは調査は行っていない。2001年、警備隊は退去されられ、島は無人化した。だが日本軍の残したあまりに強力な軍事設備は歴史家らの胸を騒がせ続けた。これらの背後に歴史家らは一種の超越した軍事課題または機密があったのではないかとふんでいた。カムチャッカ半島のそうした研究者らが初めて独自の調査を開始したのは2003年だった。
研究者らは実際に目にしたものに驚愕し、その結果行われた調査回数は実に15回にも及んだ。そうした調査の全て参加した学術指導員のイリーナ・ヴィテル氏はスプートニクからのインタビューに次のように語っている。
「この島を丹念に調査したのは私たちが初めてであり唯一だ。国防省と地理学協会の調査の計画段階では我々が集めた資料は最も完全で客観的な情報源となった。
島には縦横に壕、塹壕、人工的な洞窟が掘られている。島の北方は火山という自然の地形が防御壁となっていたが、後は全て日本の工兵らの手で強力な守備城砦が作り上げられている。マトゥア島の縦方向の沿岸は全て石または岸壁から掘り出された岩で密に組まれたトーチカが数珠繋ぎに環状に続いている。これらすべてのシステムは枝分かれした網目状の地下道を有していた。
ある丘の下にはおそらく司令官の官邸が置かれていたのか、地下の風呂場まであった。完全なる地下都市だ。その機能がなんであったのか、我々は結局明らかに出来ずじまいだった。
ここの地下には日本軍の細菌兵器ラボがあったとか、または原爆製造のベースキャンプだったなど様々な噂は流れたが、そのどれも証拠は見つけられていない。それはまず地下設備の全てには到底潜入することはできなかったし、それに今回の調査隊のようなすごい機器は我々は持っていなかったからだ。
その代わり我々は空港の滑走路を見つけていた。よい保存状態で機体の昇降のためのコンクリート製のスロープが設けられている。この数年で我々の発見したものは兵器から兵靴、台所用品まで枚挙に暇がない。マトゥア島に日本軍が残した遺物を並べたら博物館が数軒建ってしまうほどだ。島自体、野外の自然状態での戦争博物館といえる。」
クリル列島中部マトゥア島に残る旧日本軍の飛行場 ロシアのヘリポートに
カムチャッカの調査隊は日本人研究者らと何度も連絡を取ろうとしてきた。だがこうした照会にはほとんど回答が得られなかったという。
「ある時我々は日本の胸章かメダルのようなものを見つけた。磨いてみると文字が出てきた。下関市の幼年学校卒業とある。我々は外務省を通じて日本政権に対し持ち主を明らかにしてくれるよう要請し、もし親戚が生きておられたならば、その方々にお渡ししたいと伝えた。ところがそれに対する回答は『名前の解読は不可能』。こんな例は唯一ではなく、日本人とコンタクトしようとするとその度になぜかきまって無理解の壁に阻まれ続けてきた。」
イリーナ・ヴィテル氏は全ての調査が終わった結果、手元に残ったのは回答よりも疑問のほうが多くなったと語っている。日本の歴史家らとの協力が実現すれば、第2次大戦の歴史の新たなページが明らかにできるだろう。この調査の結果の続きについては今後の発表を待ちたい。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160629/2387226.html

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夢を歩く

2016-06-29 | アイヌ民族関連
日刊スポーツ (ブログ)-2016年6月28日16時55分
 休日、日課は散歩である。
 自宅周辺を歩く。多摩川の土手に季節を味わい、気が向けば羽田空港まで出向き、遠く房総半島を望み、飛来する航空機をながめている。
 時折家人らと歩く。せっかちな性格からか「追いつけない」と文句を言われる。歩くのが速すぎる、というわけだ。もっともそれは若い頃の話で、先日通勤途中で気が付いた。会社の、最寄り駅まで2駅ばかり、銀座の町並みを歩くのが常なのだが、行き交う人々に次々と追い抜かれる。ペースを変えたつもりはないが、寄る年波? で歩行速度が落ちているらしい。追いつこうとペースを上げるのだがこれが辛い。息が上がる。
 都会人はかなりのスピードで歩いている。
 精密な日本地図を作った伊能忠敬は2歩で1間(約1.8m)を正確に守り、そのためには路上の犬糞も避けぬ、文字通りの愚直さで日本中を突き進み、実測して歩いた。その歩数4千万歩。17年をかけ、その距離3万5千キロはほぼ地球一周にあたる。
 下総佐原村の婿養子先・伊能家を再興、50歳で隠居するや天文学を学び、56歳で蝦夷測量に出発した。74歳で亡くなる1818年(文化15年)まで晩年を除いて、一年の休みもなくひたすら歩き続けた。その像は東京・江東の富岡八幡宮にみえる。
 もう1人-。
 松浦武四郎は三重・松阪の人。7歳の、江戸への一人旅から全国各地にその足跡を残し、28歳からは国防の危機にさらされていた蝦夷地を6回にわたり調査した。探検家、作家・地理学者・画家・博物学者として多彩な顔を持ち、明治新政府では先住民であるアイヌの人々の文化を尊重、擁護し、中央を弾劾し、「北海道の名付け親」と呼ばれた。
 その業績である「蝦夷大概之図」(嘉永3年) 「蝦夷変革図」(嘉永4年)「千島一覧」(明3年)らに見える細密な等高線や等深線は、自ら踏み締めた、無数の、点の集合体であろう。
 終(つい)の棲家はわずか一畳。全国各地の有名な社寺仏閣から集めた古材で組み立てたそれは人間がスッポリ収まる空間で、彼の全宇宙はこの一隅で十分だった。「一畳庵」は東京・三鷹市の国際基督大学敷地内に移設されている。
「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない。 願望は寝ても覚めても忘れるな」
 伊能忠敬の言葉である。
 と言うわけで、凡夫は今日もまた歩く。その歩みはいかにも心もとないが、忠敬の言う「夢」さえ忘れなければと、細いすねをさすっている。
 【文化社会部編集委員・石井秀一】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「新聞に載らない内緒話」 (2016年6月)
http://www.nikkansports.com/general/column/naisyo/news/1669943.html

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JALが胆振観光に注力 機内食に道産品、機内誌で情報発信

2016-06-29 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 6/28)
 日本航空は7月、観光需要を国内各地に呼び込む「JAL 新・JAPAN PROJECT」の一環として、登別市を中心とした胆振を取り上げる。機内食に道産食材を使うほか、機内誌の国際線版などに白老町の観光情報も盛り込んだ。
 訪日外国人旅行客などに当地の観光情報を発信することで、地域経済活性化に役立てるのが狙い。日航は前身のプロジェクトで、帯広市や函館市などを取り上げている。
 今回の企画では、国内線ファーストクラスの機内食に「祝いの宿 登別グランドホテル」のシェフ村元茂美さん(62)=恵庭市生まれ=が監修したメニューを提供。道産サーモンや若鶏など地元の食材を活用する。また機内誌にも観光情報を取り上げる。
 このほか機内誌の国際線版で、白老町のアイヌ民族博物館で販売しているアイヌ文様刺しゅうが入った工芸品を英文記事で説明。さらに国内線の一部路線で上映する機内ビデオに、白老町のアイヌ文化を紹介する。
http://www.tomamin.co.jp/20160639998

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「北海道の日」7月17日に…道議会条例制定へ

2016-06-29 | アイヌ民族関連
読売新聞 2016年06月28日
 7月17日を「北海道の日」に――。道議会の全5会派は27日、北海道の日条例案(仮称)検討会議を初めて開き、道民としての一体感を高めるため「北海道の日」を条例で定める方針を確認した。座長の松浦宗信議員(自民党・道民会議)は年度内に議員提案で条例を制定し、来年から関連行事を始める考えを示した。
 7月17日は、「北海道の名付け親」と呼ばれる幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88年)が、1869年(明治2年)に「北加伊道ほっかいどう」を含む呼び方を明治政府に提案した日だ。道議会内で昨年9月に超党派で設置した準備会では、「道民」を語呂合わせした「10月3日」なども検討されたという。
 会議では、準備会がまとめた報告書が提出され、制定の意義について、「縄文文化やアイヌ民族の歴史、開拓の歴史などについて理解と関心を深め、道民であることを誇りに思う心を育むこと」などと位置づけた。関連行事として、記念事業や小中学校での関連授業の実施、道立施設の無料開放などが想定されている。
 道によると、全国では東京(10月1日)や秋田、埼玉など少なくとも16都県が「県民の日」などを制定。このうち6都県では学校を休みにしている。「北海道の日」の休校案は、授業数確保の観点から見送られたという。
http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20160628-OYTNT50009.html

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住み家もシャワーもなく、18時間労働で日給11ドルの苦境

2016-06-29 | 先住民族関連
newsweekjapan 2016年06月28日(火)16時31分

通常なら禁止されている有害な殺虫剤をタバコの栽培に使うことを余儀なくされているウィチョル族の労働者 From César Rodríguez @huicholesdeltabaco
<メキシコのナヤリット州で生まれ育ったセサル・ロドリゲスは、過酷な環境のなか、タバコ農場で長時間低賃金の労働を強いられている先住民族ウィチョル族の問題を写真で世に問う>
 社会問題や人道的な問題は、写真家にとって大きなテーマのひとつだ。メキシコのナヤリット州に生まれ育ち現在も住み続けるセサル・ロドリゲスも、そうした問題をテーマとする写真家である。
 彼が長年追い続けているのは、メキシコの主要なタバコ産地として有名な同州でタバコの栽培に従事する先住民族ウィチョル族たちだ。
【参考記事】暴力と死が蔓延するメキシコで家族写真を撮る意味
 彼らは乾季が終われば、シエラマドレ山脈から沿岸部に降りてきて農場で働く。長時間、低賃金の過酷な労働だ。1日18時間働いて稼げるのは11ドルほど。食べ物もまともに買うことができない。タバコ・シーズン中は、まともな住み家などなく、上水道やシャワーも存在しない。それは悲しくも、農場の殺虫剤や肥料の薬品に身体をコンスタントに接触し続けることを意味する。近くのサンチェゴ川と通じている運河は彼らの主要飲料水であり、身体と服を洗う場所でもあるが、その川自体、メキシコで最も汚染された場所のひとつになっている。
 また、ウィチョル族の大半はシーズン中、家族全員で農場に暮らすため、子供や妊婦も同じ環境に曝される。いや、貧しい彼らにとって、子供たちも重要な労働力だ。そうして、彼らの多くは病気や栄養不良になってしまうが、近くには医者もいない。
 このウィチョル族タバコ労働者たちの問題をプロジェクトとして取り上げたのは、同じメキシコ人としての責任からだとロドリゲスは言う。とりわけ、同じ州で生まれ育った者としての責任だ。彼の写真歴は実質まだ4年ほどだが、写真で食べていけるかどうかの恐怖を追い払って写真家になる決意を固めたのは、この問題がきっかけだった。大きな問題にもかかわらず、ウィチョル族タバコ労働者たちの人道問題は、今までヴィジュアル・メディアでほとんど取り上げられてこなかったからだ。
Abelardo is 6 years old, he can not speak or walk very well. His father says “ He was born bad, he cannot walk or talk well”. Adding all of this, his father took him to a doctor and was diagnosed with malnutrition in grade 2. According to the UN, in Mexico about 45% of child laborers have some degree of malnutrition. In Nayarit, 7% of these children have malnutrition in grade 3. In this state of malnutrition, the body weight is 60% lower than expected for their age and height, the growth rate is very slow and children suffer from anemia and diarrhea. In addition to cellular functions, it also affects the thermogenesis, which is the body's ability to produce heat, so they are in imminent danger of dying. Abelardo´s family doesn’t have the resources to have a healthy diet, their diet at the tobacco fields consists mostly of tortillas, beans, coke, instant soups and some fruit that people give them. - - - - - El es Abelardo, tiene 6 años, no habla ni puede caminar bien. Su padre dice que “así nació”, un médico le diagnosticó desnutrición en grado 2. Según la ONU, en México aproximadamente un 45% de los niños jornaleros tienen algún grado de desnutrición. En Nayarit, un 7% de estos niños tiene desnutrición en grado 3. En este estado de desnutrición, el peso corporal es 60% menor al esperado para su edad y talla, la velocidad de crecimiento se hace muy lenta y los niños sufren de anemia y diarreas. Además de las funciones celulares, también se ve afectada la termogénesis, que es la capacidad del cuerpo de producir calor, por lo que están en peligro inminente de morir. La familia de Abelardo no cuentan con los recursos para tener una alimentación sana, su dieta en los cultivos consiste mayormente de tortillas, frijoles, coca cola, sopas instantáneas y algunas frutas que la gente les regala. #igers #mexigers #huicholesdeltabaco #everydayeverywhere #reportagespotlight #everydaylatinamerica #mexcelente #burndiary #dailyphoto #photojournalism #instagood #blackandwhite #bnw #laborers #jornaleros #tobacco #britishtobacco #philipmorris #tabaco #mexico #humanrightshumanwrongs #humanrights #hikaricreative #indigenousrights #hallazgosemanal #WHPimperfections #memomagazine
(写真)極度の栄養不良のため、満足に歩くことも話すこともできないウィチョル族の6歳の子供
Laura, mother of Andres and Maria goes every 2 or 3 days to the irrigation canal to wash their clothes and themselves. They wash themselves with laundry detergent because it costs less. Laura sais she has been doing this since she was a girl, with her mother. The canal comes from the Santiago River, a river where international and national companies throw their waste in to their waters. #everydaylatinamerica #everydayeverywhere #a7r #huicholesdeltabaco #tabaco #britishamericantobacco #photojournalism #tobacco #jornaleros #daylabor #bnw #blackandwhite #byn #hikaricreative #humanrights #everydayclimatechange #indigenousrights
(写真)汚染された灌漑用の運河で身体と服を洗う一家
 目標は、多くの人にウィチョル族タバコ労働者の現状を知ってもらい、彼らの環境を変えていこうとするムーヴメントを生み出す手助けになること。そのムーヴメントにより、タバコ農園の頂点にあるフィリップ・モリスやブリティッシュ・アメリカン・タバコといった多国籍企業を動かすことである。
 人道問題を扱っている写真家が陥りがちな、ある種ネガティヴな活動家的押し付けがましさはロドリゲスには見られない。写真そのものが力強さを放っているためだ。また彼自身が同じ地域のメキシコ人であるためか、素朴さや純粋さが写真にも漂っている。
【参考記事】紫煙に覆い隠された、たばこ産業の現実
 ロドリゲスが「Huicholes del tabaco」(タバコ・ワーカーのウィチョル族)というタイトルで本格的にプロジェクトを始めたのは、わずか1年と8カ月ほど前だ。インスタグラムでもこのプロジェクトだけに絞っている。だがすでにプロジェクトは大きく前進している。多くのメディアやギャラリーで紹介され、賞も取り始めた。そのおかげで、ウィチョル族の過酷な現状が世界に知られるようになってきているのだ。
 とはいえ、道のりはこの先もまだ長いだろう。本来、ウィチョル族にとってタバコは伝統文化であり、儀式や医療の手段に使われてきた。それなのに彼らは、巨大なたばこ産業が生み出したある種"負の作用"であるグローバリゼーションという怪物のもとで、貧困と過酷な環境の罠にはまってしまっているのである。
今回ご紹介したInstagramフォトグラファー:
César Rodríguez @huicholesdeltabaco
Agustin y Felix, siblings , they comes from the Sierra of Jalisco. They works as tobaco laborers in Santiago, Nayarit. On a good day, they earn 200 pesos a day working 16 to 18 hour shifts, that's about 11 dollars per 18 hours of hard work. - Agustin y Felix, hermanos, vienen de la sierra de Jalisco. Ellos trabajan como jornaleros de tabaco en Santiago, Nayarit. En un buen dia, ellos ganan 200 pesos el dia pero trabajando 16-18 horas de trabajo duro. #everydaylatinamerica #everydayeverywhere #huicholesdeltabaco #photojournalism #reportagespotlight #tobacco #jornaleros #daylabor
写真)16歳と18歳の兄弟。1日18時間働いて200ペソ、約11ドル稼げるだけ
http://www.newsweekjapan.jp/sakamaki/2016/06/11.php

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テ・ウルロア・フラベルさん=ニュージーランドのマオリ開発相

2016-06-29 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年6月28日 東京朝刊
 「カ・マテ(私は死ぬ)カ・オラ(私は生きる)」。マオリ語で叫びながら勇壮に踊る伝統舞踊「ハカ」。ラグビーのニュージーランド代表の演舞で知られるマオリ戦士の舞踊を、在日ニュージーランド大使館で22日開かれた歓迎行事で披露した。ワイシャツ1枚、鋭い視線で踊る姿は誇りにあふれていた。
 ニュージーランド先住民マオリ族の子孫。名門オークランド大学でマオリ学を学び、教師になった。
 2004年、ニュージーランド政府は波打ち際を国有化する法律を制定した。伝統的なマオリの土地所有権を認める司法判断の広がりを懸念したためだが、マオリは先祖代々の土地への規制に反発し、民族政党「マオリ党」を結成。「マオリの主張を国政に反映させたい」と政治の世界に飛び込んだ。
 12年の初来日時、同じ先住民のアイヌが話すアイヌ語が消滅の危機に直面していると知り、心を痛めた。マオリ語も一時勢いを失ったが、その後に復興に成功。テレビやラジオにマオリ専門番組があり、公用語にもなっているためだ。
 翌年にはアイヌの訪問団を受け入れ、マオリ語の教授法を伝えるなど草の根交流を続けてきた。「民族の言葉や文化をなくすことは心を失うことだ。自分の経験を話すことがアイヌの人たちの助けになれば」と厳しい表情で語った。<文・松井豊/写真・森田剛史>
 ■人物略歴
 ニュージーランド北島生まれ。2013年から「マオリ党」共同代表を務め、14年にマオリ開発相に就任した。
http://mainichi.jp/articles/20160628/ddm/008/070/150000c

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NZ先住民マオリ族政府高官とフラヴェル大臣 白老のアイヌ民博を視察

2016-06-29 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2016年 6/27)

一緒に踊りを楽しむフラヴェル大臣(右から3人目)
 ニュージーランドの先住民マオリ族とアイヌ民族の文化交流イベントに参加するため来道していたテ・ウルロア・フラヴェル・マオリ開発担当大臣と政府高官の一行17人が24日、白老町のアイヌ民族博物館を視察した。フラヴェル大臣の来道は2回目、博物館訪問は今回が初めて。アイヌの古式舞踊などを通じて職員らと交流した。
 フラヴェル大臣は以前から交流があったアオテアロア・アイヌモシリ交流プログラム実行委員会の招きで来道。視察先の博物館では野本勝信代表理事や野本正博館長、戸田安彦町長らが笑顔で出迎えた。野本館長が館内施設やアイヌ文化などを紹介しながら、古式舞踊を見学。記念品交換も行われた。
 伝統家屋チセ内のステージでは、伝承課職員がアイヌ民族の楽器トンコリやムックリ演奏を披露。続けて「サロルンチカプリムセ」(鶴の舞)や「クリムセ」(弓の舞)などが演じられた。「ヤイサマネナ」と呼ばれる即興踊りでは大臣や同行者も一緒に参加。博物館側の演目が終わった後、大臣らがマオリ族の歌と踊りで感謝の気持ちを返すなど笑顔の文化交流が行われた。
 フラヴェル大臣は視察後の取材で「過去に北海道に来たことがあり、アイヌ文化には親しみがある。歌と踊りで文化を維持するというのは私たちも同じ。そこに類似性を感じている」と感想を語った。
 野本館長は「マオリの人たちは先住民としての権利だけを得ているだけでなく、自分たちの文化資源を活用してビジネスを展開している。(白老町の整備される)民族共生象徴空間もアイヌ文化の振興ということであれば新たな法律に基づき、きちんと未来を見据えた中で政策を推進していく必要があると強く感じた」と述べた。
http://www.tomamin.co.jp/20160639964

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綱引きは、世界の伝統行事!? シンプルながら奥深い、その魅力

2016-06-29 | 先住民族関連
dot.-(更新 2016/6/27 18:30)
近年、春や初夏に運動会が開催されることが増えましたね。「つい最近、綱引きをした(見た)」という方も多いのではないでしょうか?
一本の綱を二組に分かれて引き合う「綱引き」。特別な技術がなくても参加でき、誰もが楽しめる競技です。
この綱引き、もともと神事やお祭りとして行われてきたもの。日本だけでなく、世界中に「綱引き文化」が存在しています。
豊作を願う、力を自慢する、領土を争う……など、その目的はさまざま。
近代化を経て、現代に生きる「綱引き文化」をひも解きます。
「綱引き」は、世界じゅうにあるんです!
世界遺産にも指定されている、カンボジアの宗教遺跡群「アンコールワット」。
大蛇を綱にして、神さまと魔神が綱引きをしているレリーフが残っています。
5~6世紀の中国の書物「荊楚歳時記」には、正月立春の行事として綱引きをしたとの記述があります。
これが、文献に出てくる最古の綱引きだそう。
現在でも、中国の少数民族ミャオ族、そして韓国の南部などに、伝統的な綱引きが残っています。
カナダの先住民族イヌイットに伝わるのは、耳に綱を絡めて引き合う(?)綱引き。
南米のベネズエラに暮らすヤノマミ族の人びとは、木のつるを綱にしての綱引きを行います。
ロシアや東ヨーロッパにも、春のお祭りで綱引きを楽しむ習慣があるのだとか。
もちろん、日本にもたくさん!綱引きを伴うお祭り
旧暦の5月5日に行われる「呼子の大綱引き」(佐賀県)。
町じゅうが「岡組」と「浜組」に分かれて綱を引き合います。
岡組が勝つと「豊作」、浜組が勝つと「大漁」になるのだとか。なんだかとても楽しそうですね。
同じく旧暦の端午の節句に行われるのが、「因幡の大綱引き」(鳥取県)。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている、ユニークなお祭りです。
お祭りの前日にショウブやカヤを刈り、当日はそれらを使って、まずは綱つくり。
作った綱の「綱頭」を地面に叩きつけながら祝い歩き、その後で綱引きを行います。
「綱を切ってしまう」という、不思議な綱引きが伝わるのは鹿児島県。
綱を蛇に見立て、蛇の不思議な生命力にあやかろうとする意味合いがあるとされています。
東日本にも、綱引きの文化はたくさん残っています。
たとえば福島県には、米だわらを引き合う綱引きが。
秋田県には、旧暦のお正月に、上町と下町に分かれて綱を引き合う行事があるそうですよ。
五穀豊穣、雨乞い……沖縄は「綱引き王国」
沖縄、とくに本島の南部では、綱引きが盛ん。
熱心な綱引き愛好家は、「チナムシ」(綱武士、綱虫)と呼ばれるそう。
沖縄の綱引きの多くは、旧暦の6月から8月にかけて行われます。
その目的は、五穀豊穣、豊漁、雨乞い、悪い病気を祓う、などなど。
たとえば、糸満市に伝わる「糸満大綱引」は、五穀豊穣と豊漁を祈願して行われるもの。
「雄づな」と「雌づな」を繋いだ大綱を引き合います。
それらとは異なる意味合いが込められているのは「那覇の大綱挽」です。
古くから交易で栄え、王都・首里にも近い那覇の綱引きは「祝い綱」、つまり慶賀の綱引き。
沖縄戦による中断を経て、復帰の前年(1971年)に復活してからは、灰燼から立ち上がった市民の力を称え、平和を願う意味合いをもこめられています。
そんな「那覇大綱挽」にまつわるお話は、また日をあらためてご紹介いたしましょう!
参考:北村皆雄「つな引きのお祭り」(福音館)
国土社編集部編「日本の伝統文化 中国・四国」(国土社)
「日本の祭り」編集室編「日本の祭り 九州・沖縄編」(理論社)
稲福政斉「沖縄しきたり歳時記」(ボーダーインク)
http://dot.asahi.com/tenkijp/suppl/2016062700277.html

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「標柱と裕次郎は私の神様、新設に感謝」 美幌峠で建立記念式 「君の名は」出演の石原まき子さん

2016-06-29 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/27 07:00

アイヌ民族の衣装を身にまとい、新標柱と対面した石原まき子さん
 【美幌】美幌峠展望台(町古梅)の新標柱建立記念式が26日、道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」で行われた。峠など町内がロケ地となった映画「君の名は 第2部」(1953年公開)に出演した石原まき子さん(82)をはじめ、町民や観光客約70人が峠のシンボルの再出発を祝った。
 新標柱は、昨秋の暴風雨で元の標柱が折れた約2カ月後に建てられた。石原さんは、第2部にアイヌ民族の女性役での出演を機にスターの仲間入りをしただけに、美幌への思い入れは強く、記念式への出席を快諾。24日に来町した。
 峠周辺は濃霧に覆われたため、式は屋内で行われた。神事に続き、あいさつに立った石原さんは、映画宣伝用ポスターで元の標柱に寄り添う写真が、自身の知名度アップにつながったことを踏まえ、「(亡夫の)石原裕次郎さんと標柱は私の神様。新しい標柱を造り直してもらい、感謝しています」と述べた。
 悪天候のため、新標柱との対面は中止の予定だったが、石原さんの希望もあり実現。アイヌ民族の衣装を身にまとった石原さんは感激した面持ちで、新標柱に寄り添っていた。(嶋田直純)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0286642.html


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ヘイトスピーチ対策法施行 今後の課題は?

2016-06-26 | アイヌ民族関連
dot.- (更新 2016/6/26 11:30) by 編集部・古田真梨子

じわじわと追いつめられていったデモ隊は、最後は神奈川県警の説得に応じ、デモの中止を決めると、警察官に囲まれながら東急元住吉駅へと退散した。デモ行進は10メートルほどで終わった(5日午前、川崎市中原区) (c)朝日新聞社
 ヘイトスピーチ対策法が施行された。国として「差別を許さない」という姿勢が明確になった意義は大きいが、課題も残る。
 6月5日、川崎市。十数人のデモ隊員が、数百人の反対派(カウンター)の市民に取り囲まれた。デモ隊はプラカードや日の丸を手にしているが、掲げることはなく、下を向けたまま。表情はそろって硬い。ヘイトスピーチ対策法が施行されて初めて迎えた週末でもあり、カウンターからは、ひときわ大きな「帰れ! 帰れ!」コールが響く。「ヘイトは違法だ」などと書かれたプラカードの数は圧倒的だ。
●和解の希望見えた
 大混乱の中、同市でヘイトデモ反対の先頭に立ってきた在日コリアン3世の崔江以子さん(43)は、デモの主催者である男性に、手紙を手渡した。
「『私たち、出会い直しませんか。加害、被害のステージから共に降りませんか』と書きました。施行前には、受け取ってもらえなかった手紙です。対話による和解は無理だと絶望していましたが、希望に変わりました」
 崔さんはそう言って、安堵とうれしさ、差別を受けた悲しい記憶が入り交じったような深いため息をついた。
「ヘイトスピーチ」という言葉が知られるようになったのは、2012年ごろのことだ。13年には、新語・流行語大賞のトップ10入りし、その存在は看過できないものと認識されるようになる。政府の実態調査によると、ヘイトスピーチを行うデモは、12年4~12月は237件、13年は347件、14年は378件、15年1~9月は190件。計1152件、29都道府県にのぼる。
 国として、対策を──。高まる声を受けて成立した同法だが、課題は残る。今回のデモでは、川崎市が市の管理する公園の使用を不許可にしたほか、横浜地裁川崎支部が、崔さんが勤める社会福祉法人の半径500メートル以内でのデモを禁止する仮処分決定を出したが、神奈川県警はデモ隊の道路使用を許可。具体的な禁止規定や罰則がない「理念法」であるために、警察は直接取り締まることができないからだ。結果、デモ隊は道路を使うことができ、冒頭の大騒動となった。同県警関係者は、「デモ行進を警察が実力行使で止めると、賠償責任を問われてしまう。人体を傷つけるような明らかな暴力行為がない限り、警察はあくまでトラブル防止の『お願い』しかできないのが現状です」と、もどかしい思いを口にする。これまでも警察は、デモ隊ではなく、道路に座り込むカウンターを排除しなければならないことがあったが、今後も同様の事態が続く可能性があるという。
●慎重な条件設定を
 また、ヘイトスピーチの対象が「適法に居住する在日外国人とその子孫」と定められたことから、アイヌ民族や難民認定申請者などへの差別が許されると解釈される恐れも。海外のヘイトスピーチ規制に詳しい静岡大の小谷順子教授(憲法学)は、
「他国は、法律の中で禁止することを明言し、刑罰を設けるなど、人種差別の撲滅にきちんと向き合っている。一方、日本のヘイト対策法の条文には『人種』『民族』という言葉が一度も出てきません。表現の自由を規制しようという法律なのだから、人種差別を撤廃しようという国際的な流れを汲んだ上での、もっと慎重な条件設定が必要です」と指摘する。
 課題を抱えながらの船出。だが、同法の成立に奔走した民進党の有田芳生参院議員は、「今回の川崎のデモで、実効性は示されたと思います。明確な罰則はなくとも『法律違反』ではあるために、デモ隊に萎縮が見られましたし、反対派によって押し戻すこともできた。何より、ヘイトスピーチに中立の立場をとってきた国が、明確に『差別はダメだ』と言ったことの意味は大きい」
前出の崔さんも、「キラキラ輝く、宝物のような法律です」と話す。差別がなくなる日にむけた一歩が踏み出されたことは間違いない。(編集部・古田真梨子)
※AERA  2016年6月27日号
http://dot.asahi.com/aera/2016062300240.html

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ロシア極東 先住民族が伝統文化アピール

2016-06-26 | 先住民族関連
NHK-6月26日 9時25分

ロシア極東のサハリンで、先住民族の人たちが、エネルギー開発などが進んで、薄れつつある伝統文化を紹介し、保護をアピールするイベントを開きました。
サハリンでは、ニブヒ人やウイルタ人などの先住民族の人たちがおよそ4000人暮らしていますが、石油や天然ガスのエネルギー開発が進んで、生活に必要な漁や狩りをする場所が狭まるなど、伝統文化が薄れつつあります。
25日、先住民族の4つの部族が、自分たちの伝統文化の保護をアピールするイベントを共同で開き、サハリンの港町、ポロナイスクの海岸に、1000人以上が集まりました。
はじめに、来月1日に始まる沖合のサケマス漁を前に、民族の料理を海に供える神事を行い、安全と豊漁を祈願しました。
そして、民族衣装をまとって踊りや歌を披露したほか、竪穴式の住居をつくって、その外に保存用の魚を干すなど伝統の暮らしぶりを紹介しました。
また、若い男性たちがチームを組んで、漁や狩りの伝統にちなんで、弓で矢を放って的に当てたり、海でボートをこいだりして、技術を競いました。
参加したニブヒ人の女性は、「若い人たちに民族の伝統文化を知ってもらう取り組みを続けていくことがとても大事だと思います」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160626/k10010572251000.html

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