先住民族関連ニュース

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アイヌ兵動員 毒矢で示威~蠣崎慶広(1548~1616)

2012-09-28 | アイヌ民族関連
( 読売新聞 2012年9月27日)
 若狭(福井県)武田氏の武田信広は蝦夷地(えぞち)(北海道)に渡ってアイヌのコシャマインの乱鎮圧に軍功を上げ、花沢館(北海道上ノ国町)主だった蠣崎季繁(かきざきすえしげ)の婿に迎えられ、蠣崎姓を名乗るようになった。その後、蝦夷地南部、松前の大館に本拠を移し、蝦夷地の中にいわゆる「和人地」を確保して、光広を経て3代目の義広に至る間に、在地領主として急速に成長している。
 慶広(よしひろ)は、4代目季広(すえひろ)の三男として生まれたが、永禄4、5年(1561、2年)に長男・次男が相次いで死に、慶広のところに家督の座が転がりこんできた。慶広は弟たちを分家させ、また、姉妹を有力な豪族のもとにこし入れさせて、同族結合を築きあげていった。
 こうした同族結合を支配のバネにしながら蝦夷地支配に乗りだした慶広であったが、ちょうど豊臣秀吉による全国統一の最後の総仕上げの段階にあたっていた。機をみるに敏であった慶広は、それまでの侵略によって得た土地を確保すべく、豊臣政権に接近しているのである。
 天正19年(1591年)に陸奥国(岩手県)で起きた九戸政実(くのへまさざね)の乱のとき、九戸城攻めに出陣した武将の中に、秋田実季(さねすえ)・津軽為信・小野寺義道らとともに慶広が加わっていた。しかも、注目されるのは、慶広軍の中に、戦闘要員として多数のアイヌが動員されていたことである。アイヌの軍勢は毒矢を使ったことで知られている。
 実際、このときの戦いで、慶広が動員したアイヌ兵の毒矢がどれほどの戦果をあげることができたかはわからない。だが、アイヌ兵を多数引き連れていくことによって、秀吉に、慶広がアイヌの頭目であること、すなわち、蝦夷地の領主であることを強烈に印象づけたであろうことは容易に推察される。
 2年後の文禄2年(1593年)正月、秀吉から蝦夷地一円の知行を安堵(あんど)されたのは、アイヌ動員のデモンストレーションが功を奏したわけで、実質上の蝦夷島主に認定されたことを示している。なお、蝦夷地安堵は慶長3年(1598年)とする説もある。
 秀吉の死後、慶広は徳川家康に接近して、姓を松前と改めているが、これは松前を実質的に支配しているという自負心の表れでもあった。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/study/busho/20120919-OYT8T00665.htm?from=navlk

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【白老】サケの遡上見学ツアー 初の修学旅行生受け入れ

2012-09-26 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2012年 9/26)
 近年、観光客の人気を呼んでいる白老町のウヨロ川の「サケの遡上(そじょう)ツアー」。これまでは一般客が中心だったが、25日には初めて修学旅行を受け入れた。地元の観光関係者らは「これをきっかけに、環境教育の素材としてツアーの需要が広がれば」と期待を寄せている。
 ツアーに参加したのは、埼玉県坂戸(さかど)市の県立坂戸高校の2年生353人。23日に本道入りし、3泊4日のスケジュールに空知管内長沼町での農家民泊や札幌・小樽での自主研修などを盛り込んでいる。アイヌ文化を学びたいという学校側の意向から、白老町をルートに組み入れた。
 この日、生徒たちは地元ガイドの案内で川沿いのフットパスを散策。傷だらけになりながらも、たくましく上流へ向かう姿に目を奪われていた。アイヌ民族博物館(若草町)も訪れ、伝統楽器ムックリの演奏やアイヌ伝統料理の試食を楽しんだ。
http://www.tomamin.co.jp/2012s/s12092601.html

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【新ひだか】シャクシャインをしのぶ第66回法要祭

2012-09-26 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2012年 9/25)
 没後343年となるアイヌ民族の英傑・シャクシャインをしのぶ第66回法要祭が23日、道内外から約1000人が参列し、新ひだか町静内真歌公園シャクシャイン像前で行われた。
 法要祭実行委員会(委員長・大川勝道アイヌ協会新ひだか支部長)が毎年、秋分の日の23日(実際の命日は10月23日)にシャクシャインゆかりの聖地、真歌の丘で開催。人間平等の理想と民族自衛のため立ちあがり、1669(寛文9)年に和人の手により無念の最後を遂げたアイヌ民族の長の偉業をたたえている。
 カムイノミによる法要祭では、道内各地のアイヌ協会支部幹部や道アイヌ協会の加藤忠理事長、鳩山由紀夫元首相、各町長、道議らも来賓で参列し、古式にのっとりシャクシャイン像前で霊を慰めた。
http://www.tomamin.co.jp/2012s/s12092502.html

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アイヌアートプロジェクト:海外初公演、28日にノルウェーへ 先住民族「サーミ」と共演も /北海道

2012-09-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞 9月25日(火)11時44分配信
 札幌を拠点に活動し、ノルウェーでの初の海外公演が決まっていたアイヌ音楽グループ「アイヌアートプロジェクト」(結城幸司代表)が、現地に向けて28日に出発する。現地の先住民族「サーミ」とのジョイントコンサートやセミナーを開き、日本の先住民族としてアイヌをPRする。
 グループは00年に結成され、アイヌ民族伝統の弦楽器「トンコリ」に、ギターなどを加えた演奏を通し、自然との共生を願うアイヌの精神世界を紹介する活動をしている。結城さんは昨年12月、ノーベル文学賞作家、ル・クレジオさんに招かれ、パリ・ルーブル美術館でアイヌ叙事詩「ユーカラ」をトンコリ演奏に合わせて披露した経験ももつ。
 ノルウェー公演にはリードボーカルの結城さんやギターの早坂賀道さん、トンコリの福本昌二さんら5人が参加する。28日から8日間、首都・オスロと、北部の中心都市・トロムソで公演し、サーミの音楽グループと共演。アイヌセミナーを開催し、サーミが通う小学校も訪れて交流を深める。
 結城さんは「伝統を生かし、今を生きるをキーワードに活動してきた。自分たちの言語を大切に守ってきたサーミとの交流も楽しみ」と話している。【千々部一好】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120925-00000090-mailo-hok

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3劇団初共演も息ぴたり 紋別

2012-09-26 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 09/24 16:00)
 【紋別】北海道演劇集団に加盟するオホーツク管内3劇団の初共演作「真冬の夜の夢~オホーツク」が23日、紋別市民会館大ホールで上演された。
 紋別「海鳴り」、斜里「みずなら」、北見「錬」の3劇団に加え、網走「ポプラ」、湧別「町民芝居ゆうべつ」の団員も参加した。
 シェークスピアの「真夏の夜の夢」をモチーフに、アイヌ民話も織り込み、「便利さ優先」の現代社会のあり方を問いかけた作品。スモークと照明で幻想的に演出された舞台で、共演とは思えぬ息のあった演技を見せた。
 「北海道演劇祭inまりも祭り阿寒」(10月6~8日・釧路市阿寒湖温泉)でも、6日午後8時から上演する。(島田季一)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/406508.html

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石狩川 風景への旅 江別(3)

2012-09-25 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2012年09月19日
■樺太アイヌ 移住の悲劇
 19世紀初頭から戦前まで、豊平川が石狩川と結ばれる合流点は対雁(ついしかり 江別市)にあった。対雁は石狩川から札幌へ舟で入る行程の拠点となり、幕末に蝦夷地を6度にわたって調査した松浦武四郎も、ここに4度立ち寄っている。また武四郎が、対雁から豊平川を3里ほどのぼった地(現在の札幌)に北海道の中心都市を置けば良いと函館奉行所に上申した(『西蝦夷日誌』)ことも、道央史に欠かせない挿話だ。
 この地はほどなく、歴史の大きな舞台に現れる。1875(明治8)年、樺太千島交換条約が結ばれ、それまでは日本とロシアの国境や権益が入り交じっていた樺太がロシア領となり、そのかわり日本は千島列島の全18島を得た。特命全権公使として外交を進めたのが、榎本武揚だ。
 開拓使は、ロシア領となった南樺太にいるアイヌ民族は日本人だとして、北海道への移住を進める。そこから悲劇ははじまった。開拓使長官黒田清隆らは、アイヌたちが望む宗谷での漁労ではなく、対雁で農民となることを無理強いしたのだ。
 76(明治9)年6月、樺太アイヌ一行約850人は、当初は石狩で漁民になれるという約束があったものの、結局はだまされて対雁の地を踏んだ。必死の抗議により彼らには、石狩での漁も許されることになる。そしてほどなく、小屋は対雁にありながら、一年の大半を石狩で暮らすようになった。
 北海道庁が発足した86(明治19)年、本州で猛威をふるっていたコレラと天然痘が道央を直撃。この恐ろしい疫病に和人よりも抵抗力が弱かったアイヌたちは、ふたりに1人が命を落としたという。
 強制移住の上に病災で半数を失った樺太アイヌの一行は、やがて1905(明治38)年、日露戦争の勝利で南樺太が日本領になると、30年にわたる底知れぬ苦悩を経て、家郷に戻った。
 そもそもなぜ対雁だったのか。日ロ外交を進めた榎本武揚がこの地に持っていた農場との関わりを、誰もが思うことだろう。しかしその疑問について、『新江別市史』などは沈黙を通すばかりだ。
 (文・谷口雅春 写真・露口啓二)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01001071209190001

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のぼりべつクマ牧場:長寿記録更新中の「ロコ」に供え物--登別 /北海道

2012-09-24 | アイヌ民族関連
毎日新聞 9月22日(土)10時39分配信
 登別市ののぼりべつクマ牧場で21日、32歳とオスの国内長寿記録更新中のヒグマ「ロコ」に、サケや果実などがプレゼントされた。
 牧場の社員らが敬意と感謝を表して、アイヌ民族の伝統儀式に準じて長寿祈願のカムイノミを行った後、供物を振る舞うと、ロコは大好物のニンジンをボリボリと音を立ててほおばり、ご満悦の様子だった。
 ロコは人間なら100歳に近い高齢だがいたって元気。女性飼育員は「おじいちゃんになって闘争心は薄れたが体調もまずまずで食欲も旺盛」と話し、長寿記録更新を願った。【横尾誠治】
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20120922ddlk01040265000c.html

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東日本大震災:支援と交流継続を

2012-09-22 | 先住民族関連
 ニュージーランド首相が七ケ浜視察、被災地にメッセージ /宮城
毎日新聞 2012年09月21日 地方版
 日本人28人を含む185人が犠牲となった地震(11年2月)の被災国・ニュージーランド(NZ)のジョン・キー首相(51)がこのほど、七ケ浜町を訪問。東日本大震災の被災現場を視察し、今後の支援と交流の継続を強調した。
 同町は昨年、「七ケ浜町国際村」恒例の国際交流イベントのテーマ国をNZとしていたが、2月と3月に両国で相次いで起きた震災のため中止となった。しかし、双方の被災に対して義援金や支援物資を贈り合うなど絆を深め、今春には町をあげてNZイベントを実現。キー首相は、イベントのお礼と東日本大震災被災地支援のため、APEC首脳会議の帰途に訪れた。
 キー首相は同町菖蒲田浜で津波の被災跡や復興作業を視察。視察現場では、渡辺善夫町長の説明に熱心に耳を傾け、「この美しく穏やかな海が惨禍をもたらしたことに驚く。津波はNZでも教訓にしなければならない」と語り、国際村ホールでの歓迎集会でも「私は日本が大好き。みなさんの勇気と決意に敬意を表し、今後も被災地に最大限の支援を続けたい」と東北へのメッセージを寄せた。
http://mainichi.jp/area/miyagi/news/20120921ddlk04040043000c.html

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アイヌ民族犠牲者を悼む 根室で供養祭/根室

2012-09-22 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2012年09月21日
 1789年のクナシリ・メナシの戦いで犠牲になったアイヌ民族を慰霊するノッカマップ・イチャルパ(供養祭)=北海道アイヌ協会根室支部主催=が15、16日の両日、市内ノッカマップなどで執り行われた。今回で39回目で、道内外の民族の代表者や関係者ら約60人が参列した。 クナシリ・メナシの戦いは和人から迫害を受けていた国後島や標津町、羅臼周辺のアイヌ民族が蜂起し、和人71人を殺害。その後、松前藩に制圧されたが、民族の指導者37人がノッカマップ周辺で処刑されている。 
http://www.news-kushiro.jp/news/20120921/201209216.html

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【南米発!Breaking News】薬物中毒の男、学校に侵入し生徒2名を殺害

2012-09-21 | 先住民族関連
マイナビニュース-2012/09/20
(グアテマラ)
グアテマラ北中部のタクティク市にある先住民の自治体で、男が学校に侵入し生徒2人の首を切り落とすという残忍な事件が発生した。この男は、住民達による集団暴行を受け、生きたまま体に火をつけられ殺害された。
ニュースサイトSIGLO21.comによると、この事件は今月12日、40歳の男がタクティク市にある学校の教室に突然侵入し、8歳の少女と13歳の少年の首をマチェーテ(主に中南米で使用されている刃物)で切断し殺害したことに端を発する。この男は地元ではアルコール中毒および麻薬中毒者として知られていたが、今回の殺害理由については明らかとなっていない。
その場にいたもう1人の少女が襲われる寸前にどうにか逃げ出し、この襲撃を教師や近隣の住民達に報告したことで、男は取り押さえられることとなった。
しかし事件はそれだけでは終わらなかった。激怒した教師や住民達によって男は学校の広場に引きずり出され、石や棒でさんざん殴られた後、生きたまま身体に火をつけられるという報復を受けることとなった。その後通報を受けた消防隊員が学校に到着したが、その時すでに男は死亡していた。
(TechinsightJapan編集部 椎名智深)
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/techinsight/2012/09/breaking-news2-17.html

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農家のつながり強めようと22、23日に朝来市で「森の集い」

2012-09-20 | アイヌ民族関連
両丹日日新聞 9月19日(水)15時21分配信
 農産物販売や種の交換会
 自然と向き合う農家たちが集まり、22、23両日に朝来市和田山町竹田で「森の集い」を開く。農産物などの販売やアピールをしていくほか、随時ライブなどをする。一般向けのイベントについては、両日とも午前10時30分から午後3時まで。
 昨年の東日本大震災後に、被災地へ食糧支援に出かけた農家や青果店などが中心になり、農家のつながりを強めていこうと今年5月に大阪で初めて「森の集い」を開催。今回が2回目となる。
 会場は木村酒造跡地。稲刈りで農家が忙しい時期だが、関西一円から無農薬・減農薬、有機栽培に取り組む30人ほどが集まり、自慢の農産物を販売する。素材や調理法にこだわる料理、菓子の販売も。計60ブースほどになる予定という。
 また、ロケットストーブや薪を使った料理の実演、在来・固定種の交換会、和田山地域への入植相談も。希望者には農家を巡るツアー、交流会などを計画している。
 23日午後1時からは、酒造跡近くでアイヌの伝統的な儀式を追った映画「イヨマンテ-熊おくり」上映会をする。1500円。定員40人。
 このほか夜にはキャンプの火を囲んで語り合う場を設けたりする。
http://www.ryoutan.co.jp/news/2012/09/19/005663.html

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代々木公園で「ナマステ・インディア」-飲食・物販など130ブース

2012-09-20 | アイヌ民族関連
(みんなの経済新聞ネットワーク 2012年09月19日)
 代々木公園イベント広場で9月22日・23日、インドと日本の相互理解を深めるための文化交流イベント「ナマステ・インディア2011」が開催される。
 1993年、アジアクラブと日印経済委員会の共催で初開催され、2003年からNPO法人「日印交流を盛り上げる会」が事務局、2005年から主幹となり展開。会場も築地本願寺(中央区)などを経て代々木公園に発展、拡大し、今回で20回目を迎える。昨年の来場者数は17万人以上。同イベントは20回目。
 会場には、同イベントのマスコットでもある張りぼての親子ゾウや、日印国交樹立60周年を記念して、大仏の手のレプリカと、大仏がその柱の穴を通過した人たちを守るといわれている「穴の開いた柱」を展示する。
 ブースは飲食や物販、観光、NPO・NGOなど130ほどを展開。飲食ブースでは、インドのワインやビール、紅茶、タンドール窯で焼くナン、チキンカレー、ホウレンソウのカレー「サグパニール」、豆から作るスープ「サンバルスープ」、ゆでてつぶしたジャガイモとグリーンピースなどの具を辛料で味付けし、皮で包み揚げる「サモサ」などを提供。物販ブースでは、インドのスパイスや菓子、レトルトカレー、ハーブティー、サリー、アクセサリー、雑貨などを販売する。
 ステージでは、マリナ・アーマッド・アラムさんの声楽「カヤール」や、インド文化交流評議会派遣による武術「カラリパヤット」、古典舞踏「オリッシー」、「カタック」、「バラタナティヤム」、ボリウッドダンスショー、和太鼓、アイヌ古式舞踏などが、300人以上のダンサーたちにより披露される。
 第2会場となる「たばこと塩の博物館」(渋谷区神南1、TEL 03-3476-2041)では講演会を開く。「めくるめくインド-その奥深き世界遺産」(講師=日印協会理事長の平林博さん)、「最近のインド映画事情:インド映画2012・秋の話題」(同=アジア映画研究者の松岡環さん)ほか。各回定員80人。参加無料(別途入館料100円が必要)。
 開催時間は10時~20時(23日は19時30分まで)。入場無料。雨天決行。
http://www.shibukei.com/headline/8815/

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先住民族会:基地集中は人権侵害 国連理事会で訴えへ/沖縄

2012-09-20 | ウチナー・沖縄
毎日新聞 2012年09月19日
 琉球弧の先住民20+件族会(AIPR、宮里護佐丸代表)で活動する我如古朋美さん(25)と上間怜奈さん(23)は17日から28日までスイスのジュネーブで開かれる国連人権理事会に参加する。書面で声明を提出し、米軍基地がもたらす事件事故により沖縄が受け続ける人権侵害の実情を訴える。オスプレイ配備に反対する「琉球民族」の自己決定権を尊重するよう日本政府に求め「これだけ多くの米軍基地が集中し続ける状況こそおかしい」というメッセージを国際社会に発信する。
 同理事会には各国のNGOや政府関係者が参加。2人は戦後の米軍の凶悪犯罪や航空機墜落事故のほか、オスプレイ配備、辺野古や高江への新基地建設問題を報告する。2人とも理事会への出席は初めてだ。
 恵泉女学園大学大学院(東京)で平和学を学ぶ我如古さんは「基地があること自体が差別であり、歴史的には言語や文化も奪われている。これまで多くの先輩たちが研究してきたことを
http://mainichi.jp/area/okinawa/news/20120919rky00m040008000c.html

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社説 アイヌ遺骨 遺族に返すのが道理だ

2012-09-20 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 9月19日)
 学術研究のために先祖の墓から掘り出され、大学に保管されたままになっている遺骨を返すよう、アイヌ民族が北大を訴えた。
 「祖先の霊を供養する宗教上の行為が妨げられている」と、憲法で保障された信教の自由の侵害を理由に挙げている。
 札幌地裁に提訴した日高管内浦河町出身のアイヌ民族3人は、郷里の墓地には78人が埋葬されたのに、遺骨は一体もなく、北大に保管されていると主張する。
 事実とすれば、北大は重く受け止めるべきだ。学術目的でも、遺骨を扱ううえでは民族の尊厳や、遺族の心情に配慮しなくてはならない。
 発掘調査は昭和期に道内や千島、樺太など各地で行われた。北大が開示した資料によると、3人の郷里では死後、7年ほどの遺骨も含めて13体以上を集めている。
 祖先を敬うのは民族を問わず、共通で自然な感情である。ましてや祖先の遺骨をずっと返してもらえなかった苦痛は察するに余りある。
 北大は確認作業で確定すれば、速やかに返すのが道理だろう。
 戦前から戦後にかけて、民族の系統解明への関心から、骨の比較研究が盛んに行われていた。
 現代でも、民族の遺伝子を分析する研究が医学や薬学などの分野で脚光を浴びており、人体の「サンプル」は依然、必要とされている。
 米国では1990年に「先住民墳墓保護返還法」が制定され、大学などが所蔵する遺骨の返還が法のもとで進められるようになった。人骨が出土した場合は、民族の承諾なしに研究ができなくなった。
 遺骨の返還と、民族の意思尊重は時代の流れといえる。
 80年代にアイヌ民族から遺骨の管理を問題視された北大は、道ウタリ協会(現・道アイヌ協会)の求めに応じて大学構内に納骨堂を建て、毎年、供養の儀式を行ってきた。遺骨も一部返還している。
 とはいえ、今回は提訴前、北大を訪ねて面会を申し入れた「原告」に対し、大学側は「担当者がいない」と取り合わなかったという。あまりに冷淡な対応と言わざるを得ない。
 政府は胆振管内白老町に造る「民族共生の象徴空間」に慰霊施設も置き、返還されなかった遺骨を全国から集める構想だ。ならば、なおさら返還は待ったなしといえる。
 慰霊施設との関連で、文部科学省は、全国の大学に、それぞれ何体の遺骨を保管しているかの実態調査を命じるとともに、今春から遺骨返還の指針づくりにも着手した。
 遅きに失した感はあるが、文科省には研究のあり方を含む指針づくりを急ぐよう強く求めたい。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/405176.html

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ビザなし第9陣が帰港…今年度最終

2012-09-19 | アイヌ民族関連
(2012年9月18日 読売新聞)
北方領土・国後、色丹両島を訪れた今年度のビザなし交流最終第9陣の日本側訪問団65人が17日、5日間の日程を終えて、根室港に戻った。今年は計9陣の日本側訪問団で、昨年より約70人多い約490人がビザなし交流を行った。
 第9陣は13日に根室を出港し、14日に国後島へ上陸した。日本人墓地の墓参や空港視察の後、色丹島へ移動して、15日に斜古丹湾でロシア人青少年約30人とごみ拾いを行い、環境省や東京都の職員が日本の廃棄物処理について講演した。訪問団副団長で、北方領土の返還を求める都民会議事務局長の蓮池攻さん(69)は「子供たちとのごみ拾いでロシア人の意識の変化を感じた」と話した。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20120918-OYT8T00033.htm

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