先住民族関連ニュース

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山形アマゾン民族館、閉館へ=貴重な資料、活用に期待=山口館長「魅力伝え続けたい」

2013-10-30 | アイヌ民族関連
ニッケイ新聞 2013年10月30日
山形県鶴岡市の「アマゾン民族館」(出羽庄内国際村内)、「アマゾン自然館」(月山あさひ博物村)が、市の財政状況を理由に2014年3月末で閉館することに決まった。文化人類学者の山口吉彦館長(71、山形)がパラー州を中心に、アマゾン地域で収集した先住民に関する民族学的資料1万点、生物学的資料2万点が収蔵されている。個人収集によるアマゾン関連資料としては、世界有数の規模と内容を誇り、関係者から惜しむ声が上がっている。
 同氏は71年からペルーの日本人学校で、76年から3年間、ベレン総領事館附属日本人学校の教員として勤務。その後もベレンにとどまり調査、研究を続け、80年、収集した資料を持って帰国し、同県鶴岡市の自宅に私設のアマゾン資料館を開設した。
 その後、自然館(91年)、民族館(94年)をオープンし、当初はそれぞれ年間約15万人、約5万人という記録的な入場者を得たが、現在はともに1割程度に激減。
 05年、運営主体である鶴岡市が市町村合併、また11年東日本大震災後は仙台、福島からの団体客が激減したこともあり、光熱費・人件費・企画展示費など、入場料と市の補助金で維持していく事が困難となり、鶴岡市の行財政推進協議会が両館の閉館を決定した。
 山口氏は「アマゾンの自然とインディオの生活の魅力と意義を、多くの人々に紹介出来たことは幸い。新しい環境で、研究を続けたいし、その魅力を伝えていけたら」と話している。
 日本がワシントン条約に加盟した1980年以前に収集された資料は、現在ブラジル国外に持ち出すことはほぼ不可能。
 それ以降はアマゾンの急速な開発により、先住民の生活様式は失われ、生態系も大きな影響を受けたこともあり、入手困難な資料が多く含まれることから、資料の有効的活用が課題となる。
 閉館後の資料の行方は未定としながらも、山口氏は「資料をこれまで同様、学術研究に役立てたいと願う」と、資料の提供・展示協力依頼があれば、積極的に協力する意向を明らかにしている。
 沼田行雄在ベレン日本国総領事も「長年にわたり、日本におけるアマゾン紹介の拠点として貢献してきた両館が閉鎖されるのは、大変残念。いずれも貴重な資料であるため、今後も有効活用されることを望みます」と述べている。
http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/131030-71colonia.html

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アイヌ儀式で豊漁祈願 シシャモの季節にカムイノミ

2013-10-30 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2013年 10/29)
 鵡川アイヌ文化伝承保存会(佐渡日出男会長)主催で、シシャモの豊漁を祈願するシシャモ・カムイノミが27日、むかわ町汐見の鵡川河口左岸の「ムレトイの丘」で行われた。
 シシャモは、むかわ町の名産品。アイヌの伝説には、飢えで苦しむ人たちのため、神様が柳の葉を川に流し、魚に変えたという話もあり、漢字では「柳葉魚」と書く。
 むかわ町は、アイヌ民族の神様を祈願するカムイノミにシシャモの豊漁祈願も込め、同保存会が北海道アイヌ協会むかわ支部の協力を得て1992年から毎年10月に開催している。
 見学も含めて約120人が参加。会場のムレトイの丘は津波から人々を救った伝説が残る場で、イナウをささげた祭壇を構え、アイヌ民族の伝統衣装を着た男たちが、シシャモを備えた炉を囲んだ。海や山に魚といった神々を意味するイナウに祈りを込め、続いて、女性たちが供物を届けて先祖供養も行った。
 その後、苫小牧アイヌ文化保存会などが古式舞踊を披露し、さらに、参加者全員にシシャモ汁やごはんも振る舞われた。
 佐渡会長は「肌寒い中での儀式だったが、シシャモ荒れと言って寒さが厳しくなると、シシャモが寄ってくるとされる。ここ数年不漁が続いているので、きょうの願いが届いてくれたら」と話していた。
http://www.tomamin.co.jp/2013106585

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企画特集1【蘇る北方の光 アイヌ収蔵品展から】(下)異国の収集家

2013-10-30 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2013年10月26日
■民族の証し 生活用具に
 【泉賢司】141点のアイヌ資料が展示されている「ロシアが見たアイヌ文化」展(小樽市総合博物館本館)。このうち103点は約100年前にポーランド人のアイヌ研究者、ピウスツキがサハリン(樺太)や北海道で集めたものだ。樺太アイヌや北海道アイヌが「アイヌ民族らしく生きていた時代の姿が見えてくる」。道立アイヌ民族文化研究センターの元研究主幹、古原(こはら)敏弘さん(61)は話す。
 ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918)は帝政ロシア支配下のリトアニア生まれ。皇帝暗殺未遂事件に関わったとしてサハリンに流刑され、先住民族のアイヌやニヴフの人々と接する。10年の刑を終え、科学アカデミーの指示などでアイヌ資料を収集した。
 ピョートル大帝記念人類学民族学博物館が収蔵するアイヌ資料約1400点のうち、ピウスツキの収集資料は約850点に及ぶ。1995年から2001年にかけて、同館をはじめロシアの博物館にあるアイヌ資料の調査に参加した古原さんは「ピウスツキの資料は世界的にも有数のアイヌ資料」と話す。
 ピウスツキは樺太アイヌの音声をろう管に録音したことでも知られるが、その生涯は波乱に満ちていた。
 1903(明治36)年に白老と平取を訪れ、道内アイヌの着物などを収集。樺太アイヌの有力者のめいと結婚し、アイヌ子弟の学校開設や辞典作成にも取り組んだが、日露戦争で両国の関係が悪化する中、05(明治38)年に妻子を置いてサハリンを離れる。その後に滞在した東京では、二葉亭四迷らとも交友を結び、ポーランド独立運動に身を投じて、第1次大戦の終結前、パリで自死する。
 樺太アイヌの人々の運命も、歴史の渦にほんろうされた。
 ピウスツキがサハリンを訪れる前の1875(明治8)年に日ロが結んだ樺太千島交換条約を受け、開拓使により北海道・対雁(ついしかり)に強制移住させられた樺太アイヌは生活苦に追い込まれ、流行病で多くが命を失った。
 そして、第2次大戦末期、南下するソ連軍から逃れ、北海道に移住した樺太アイヌの人々も再び苦難に直面する。
 「本当は私たちの手で、この展覧会を開きたかった」。11日の開幕日、樺太アイヌ出身者らでつくる樺太アイヌ協会会長の田澤守さん(58)は話した。「自分たちはこういう生活をしていたんだということを見てもらいたかった」
 1998年、札幌で開かれたサハリン所蔵のアイヌ文化展で、田澤さんはぞくぞくする感覚を覚えた。展示品の器に張られたシールに祖母方の親戚「西川タミ」の名前を見つけたからだ。田澤さんの一家は漁船で宗谷にたどり着いたが、他の多くの樺太アイヌの人々と同様、着の身着のままで逃れてきたという。それだけに先祖につながる器が貴重だった。
 ピウスツキが集めた100年以上前の先祖の生活用具は、大陸との交流や極寒の地で生きる樺太アイヌの暮らしの知恵を物語る。「樺太アイヌと北海道のアイヌは文化も歴史も違う。北の地で先祖たちがダイナミックに生きていたのを感じる。自分たちのルーツを知るものがあるのは、とても大事なことだ」と田澤さん。資料は、いまを生きる子孫たちに民族の証しを伝えている。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20131028011200001.html

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白糠を満喫/飛鳥Ⅱの観光客

2013-10-30 | アイヌ民族関連
釧路新聞  2013年10月29日 09時40分更新
 釧路港に24日入港した国内最大級の客船「飛鳥Ⅱ」の乗客5人が来町し、アイヌ文化体験やチーズ工房見学、白糠の食材を生かした昼食などで白糠を満喫した。5人は博多港発着の日本一周クルーズツアー参加者で、釧路寄港中に提供される全11コースのオプションツアーの中から「アイヌ文化と北海道の豊かな食材に触れる白糠満喫ツアー」を選択した。釧路港から貸し切りバスで訪れた一行は、町和天別にあるアイヌ文化拠点施設「ウレシパチセ」でアイヌ文化保存会の会員によるアイヌ民族の音楽や古式舞踊を鑑賞した。また会員のアドバイスを受けながらアイヌ文様の刺しゅうも体験した。 
http://www.news-kushiro.jp/news/20131029/201310294.html

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企画特集1【蘇る北方の光 アイヌ収蔵品展から】(中)絵師のまなざし

2013-10-30 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2013年10月25日
■厳しい現実 映し出す
 【泉賢司】アワビを刃物で殻から外し、釜でゆでて天日に干す。浜で働くアイヌ女性らを描いた平沢屏山(びょうざん)の「干しアワビ造り図」だ。
 開催中の「ロシアが見たアイヌ文化」展(小樽市総合博物館本館)で、国内初公開されている屏山作品3点の一つ。縦24センチ、横40センチほどの和紙に描かれた「アイヌ絵」には、左の入り江にアワビ漁であろうか2そうの小舟が浮かび、沖には北前船のものらしき大きな帆が3張、風をはらむ。
 「黒目が光るようにニカワを使ったり、光線の具合で器の細かい模様が浮かび上がったり、技巧を凝らしています」。約15年にわたって絵師屏山を調べ、同展の図録に解説文を書いた道立近代美術館の主任学芸員、五十嵐聡美さん(49)は話す。
 屏山は1822(文政5)年、奥州稗貫郡大迫村(岩手県花巻市)の生まれ。弟を伴って函館に移住し、初めは船乗りに売る絵馬を描いていた。豪商杉浦嘉七と知り合い、その請負場所だった十勝を訪れてアイヌの人々に接する。この時の見聞などをもとに函館でアイヌの風俗画を描き始めると、細密な描写が評判を呼び、土産物として外国人に人気を博した。
 だが、無類の酒好き。河野常吉編著「北海道史人名字彙(い)」には「屏山磊落不羈(らいらくふき)にして酒を嗜(たしな)み、容易に画(か)かず。而(しか)して一度筆を揮(ふる)えば咄々(とつとつ)真に逼(せま)るものあり」と記されている。大金で注文したのに描かない屏山に腹を立てた貿易商で博物学者の英人ブラキストンに殴られたり、ロシア領事に運上所に訴えられてようやく筆を執ったりと、逸話には事欠かない。
 絵には、注文主が与えたとも見られる外国製の紙や顔料も使われ、とりわけアイヌ衣装の鮮やかな青(ウルトラマリンブルー)は「屏山の青」とも称される。五十嵐さんらの調査で、今回の展示品は1868(明治元)年冬に描かれた連作の一部と見られることもわかった。
 土産物なので小さな絵が多いが、欧米に伝わる屏山の絵の中には、画面の奥に描かれた小さな屏風(びょうぶ)の中に、さらに細密な屏風絵が描かれたものなどがあり、絵師としての技量の高さを裏付けている。
 屏山が題材にしたのは、酒宴の様子や女性たちによる調理、男たちの漁労の場面などアイヌの人々の暮らしだ。一見、何事もない日常だが、五十嵐さんは絵の背後に、当時のアイヌの人々が直面した現実が映し出されているという。
 干しアワビ造り図の女性たちは、和人の請負場所などに労働力として集められ、有力な輸出品「長崎俵物」の生産に従事させられた姿であった。北前船は買い付けに来たのだろうか。男たちも漁に駆り出され、働き手のいなくなったコタン(集落)は疲弊していく。
 五十嵐さんは「絵には買う人が見たいものが描かれた。だが、いま絵を見れば、その背景に思いを致さざるを得ない」という。和人の絵師が描いたアイヌの暮らしの背後に、民族の厳しい歴史が扉を開けている。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20131025011200001.html

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写真報告「アイヌ民族の遺骨と先住民族の権利を返して!」

2013-10-28 | アイヌ民族関連
 首都圏で「秋のアイヌ民族交流ウィーク」(2013年10月17日~22日)開催 西中誠一郎
レイバーネット日本 2013/10/28
 10月18日の昼、「東大はアイヌ民族の遺骨198体をアイヌ民族のコタン(集落)に返還せよ!」という要求を掲げ、文京区本郷の東京大学「赤門前」に、2人のアイヌ民族と日本人支援者7、8人が集まった。
 東京大学は1877年に設立、1886年に「帝国大学」として改編されて以来、敗戦まで帝国植民地時代の日本の学府の頂点に君臨し続けた。植民地支配した民族を「野蛮な劣等民族」とし、社会進化論(ダーヴィニズム)や血統主義に基づく「優生思想」、万世一系の皇国史観などを正当化するための思想•理論研究を、政府や軍と一体になって推し進めてきた。先住民族のアイヌ民族も、「優勝劣敗」「適者生存の原理」から「絶滅人種」とされ、人種差別的な調査•研究が行われてきた。
 東大医学部や理学部には、現在も200体近いアイヌ民族の遺骨と副葬品、血液のサンプルなどが「保管」されている。明治以降1930年代にかけて、東京帝国大学はじめ北大、京大、阪大などの旧帝国大学が中心となり、アイヌ民族や植民地だった朝鮮、サハリンの先住民族、琉球民族などの墓から略奪し、「形質人類学」などの研究材料にしてきた。1980年にアイヌ民族の海馬沢博氏が、北海道大学医学部動物実験室に放置されていた1500体にのぼる遺骨の存在を告発して以降、「学問の府」による盗掘の実態や研究内容などの真相究明、遺骨と副葬品の返還を求める取り組みが始まったが、未だにその実態や経緯、責任の所在などは一部しか明らかにされていない。
 1995年には北大文学部の「旧標本庫」で6体の人骨が段ボール箱の中に放置されているのをアイヌ民族が発見し、「北大人骨の真相を究明する会」が結成された。真相究明の闘いの結果、うち1体の遺骨は韓国へ、また3体はサハリンへの返還を実現した。しかし残る2体については、北大は真相を明らかにせず、現在では話し合いにも応じていない。
 先住民族に対する人種差別的、優生学的な調査研究は、旧植民地宗主国であるイギリスやナチスドイツ、アメリカ、カナダなどでも行われてきた。これに抗議して、長年に渡る世界各地の先住民族による権利回復の闘いを経て、2007年に「先住民族の権利に関する国連宣言」が国連総会で採択された。日本政府もようやく重い腰を上げ、2008年「G8北海道•洞爺湖サミット」の開催直前に、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択され、内閣官房長官談話に基づき「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」を開催し、2009年7月に「報告書」を作成した。その答申を受けて2009年12月に内閣官房アイヌ総合政策室「アイヌ政策推進会議」が設置された。
 しかし「有識者懇談会」の「報告書」では日本政府のアイヌ民族への侵略•収奪の歴史を「近代化政策」として是認し、民族自決権の剥奪についての反省や謝罪は一切なく、「今後のアイヌ政策のあり方」についても、「国民の理解の促進」、「生活向上」、「観光振興」、研究対象としての「アイヌ文化の伝承」といった傾向が強い。2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」で提示された「民族自決権」や「民族自治の権利」、「文化的伝統と慣習などの現状回復と補償」「宗教的伝統と慣習、儀式•遺骨の返還」など、全国各地に在住するアイヌ民族自身の権利回復の要求からは程遠いのが実情だ。
 「有識者懇談会」の報告書の中には、「広義の文化に係る政策」の体現として「民族共生の象徴となる空間の整備」が掲げられている。この「象徴空間」は「アイヌの精神文化の尊重 という観点から、過去に発掘・収集され現在大学等で保管されているアイヌの人骨等について、尊厳ある慰霊が可能となるような慰霊施設の設置等の配慮が求められる」とある。これを受けて「アイヌ政策推進会議」に「『民族共生の象徴となる空間』作業部会」などが設置された。同作業部会は2011年6月に「報告書」を作成した。「民族共生の象徴空間」を北海道白老町に設置し、そこに「慰霊•研究施設」を建設するとしている。
 2011年11月文科省は「アイヌの人々の人骨の保管状況についての調査」を全国488大学4法人に送付し、遺骨の数や保管状況を報告するように指示を出した。「アイヌ政策推進会議」の「政策推進作業部会」は2013年6月に最終調査結果を発表し、少なくとも全国11大学に1635体の人骨の「保管」が確認された。
 このような政府の動きに対して「アイヌ民族の団結と権利奪還に向けた共同宣言(2013年9月6日)」(よびかけ共同代表:【旭川アイヌ協議会】川村シリンツ エオリパック アイヌ、【現住、アイヌ民族の権利を取り戻すウコチャランケの会】石井ポンペ)は以下のように厳しく批判している。
 「アイヌ政策推進会議は、全国の大学が奪ってきたアイヌ民族の遺骨を白老に集中し、『慰霊•研究施設』を建設する計画を強力にすすめています。これは『慰霊』とともにDNAなどで『研究』するという絶対に許せない施設です。遺骨、アイヌ民族を侮辱するものです。」
http://pirikagento.jugem.jp/(「アイヌ民族の団結と権利奪還にむけた共同宣言」全文)  アイヌ民族を先頭にした、民族差別的な研究への抗議と奪われた遺骨や副葬品などの返還を求める行動は、北大に続いて阪大や京大に対しても開始されている。そして10月18日、初めて東京大学に対して「東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会」(「返還させる会」)が申し入れ行動を行い、2人のアイヌ民族、「旭川アイヌ協議会」の川村シンリツ•エオリパック•アイヌさんと「東京アイヌ協会」の宇梶静江さんも参加した。
 2人がアイヌの民族衣装に着替え、赤門から一行が構内に入ろうとした途端、数人の警備員が駆け寄り「本日、面会はできません」と入構を拒もうとした。それでも広い本郷キャンパスを横切って、本部棟に向かおうとすると警備員も着いてきた。
 すでに10月3日に「返還させる会」が、東大当局に対して「東大のアイヌ民族遺骨•副葬品収集について、話し合い(チャランケ)の申し入れ」を送付していた。「申し入れ」の要求項目の概要は以下の8項目。
(1)文科省「調査票」の記載に留まらず、アイヌ民族の遺骨と副葬品の総体について、収集の目的とそれに関与した人物を明らかにすること。
(2)「発掘人骨台帳」と「野帳(フィールドノート)」を全て明らかにすること。
(3)他大学や研究機関などから寄贈•委託され保管している遺骨・副葬品と、他大学や研究機関に寄贈・委託した遺骨・副葬品の明細を明らかにすること。
(4)「東京大学学内標本資料の概要」(1976年)によれば、「理学部人類学教室(人類遺伝学実験室)」にアイヌ民族の血液が保存されているが、誰から、何の目的で収集したのか明らかにすること。
(5)明治から昭和にかけて、東京帝国大学はじめ旧帝大で行われたアイヌ民族研究の指導者のひとりで、医学・解剖学・人類学者の小金井良精(こがねいよしきよ)教授の差別思想や、遺骨・副葬品を盗掘した実態と、現在も「医学部解剖学教室」前に立っている小金井教授の胸像に対する東大の見解。
(6)収集した遺骨・副葬品は謝罪と賠償の上、アイヌ民族のコタン(集落)に返還すること。遺骨がアイヌ民族に返還されるまでの間、アイヌ民族が主宰するイチャルバ(供養祭)を毎年実施すること。
(7)政府「アイヌ政策推進会議」が北海道白老町に建設を計画している「民族共生の象徴空間」の「慰霊・研究施設」への、アイヌ民族の遺骨の移管に、東大は反対すること。
(8)以上7項目の申し入れについて、10月18日にアイヌ民族も出席の上で話し合いの場を設け、総長、医学部長、理学部長、総合研究博物館館長が同席すること。
 しかし10月11日に東大総合企画部総務課から話し合いを拒否する回答があり、16日に「返還させる会」は再度話し合いの申し入れを大学当局に対して行っていた。11日の大学側の回答内容は、政府「アイヌ政策推進会議」が「民族共生の象徴空間」の整備を検討していることや、「文科省調査」以上の内容は答えられないというもので、大学の責任においては、7項目の要求内容に何も触れていなかった。
 しばらく歩いて「東大本部棟」に到着すると物々しい警備員に行く手を阻まれ、大学職員が出入り口を塞いだ。
「事前に申し入れをしたのに、何の理由もなく門前払いですか?北海道からアイヌ民族の人も来ているんですよ」「勝手に遺骨を盗んだのは誰?198体あるんですよ。闇に紛れて盗掘した骨だって、小金井教授自身が本に書いている!今でも研究材料にされているんですよ」「北大だって、話くらい聞きますよ。この対応は文科省の指示ですか?上司への対応ぐらいして下さい」。
 無言を貫く大学職員に対して、「返還させる会」のメンバーは詰め寄った。その傍らで成り行きを見守っていた「東京アイヌ協会」の宇梶静江さんは静かに怒りを込めてつぶやいた。
「その骨は生きている私たちそのものなのよ。警備さん、あなたも人間、私も人間。どうして関所はるの?」
 「秋のアイヌ民族交流ウィーク」参加のため、北海道から駆けつけた「旭川アイヌ協議会」代表の川村シリンツ・エオリパック・アイヌさんは、少し離れたところからじっと見つめていた。
 しばらく本部棟の前で押し問答が続いた。やがてパトカー2台が大学構内に乗り付け、10人近い警官が近寄ってきた。大学が呼んだようだが、事情も分からずにうろうろしていた。
「骨を大地に返して下さい。人間の骨ですから、人間の魂ですから、返してやって下さい」
 宇梶静江さんが無言の大学職員に語りかけた。気がつくと川村シリンツ エオリパック アイヌさんと腕を組んで立っていた。「心が通じない。これが東大の学問ですか?人の心を踏みにじって。人間だったら・・」。二人は怒りと悲しみを込めてつぶやいた。しかし何の反応もなかった。
 シュプレヒコールの声が上がった。「東大は差別的な学問をやめろ!遺骨を返せ!副葬品を返せ!アイヌ民族に返せ!」
 夜は都内で「東大のアイヌ民族遺骨を返還させよう!10.18集会」が開催された。聴衆は「返還させる会」メンバーの報告や解説、世界の先住民族と連携しながら長年に渡りアイヌ民族の権利奪還に取り組んできた川村シリンツ・エオリパック・アイヌさんの講演、今年80歳になる宇梶静江さんの体験談などを傾聴した。2020年の東京オリンピック誘致決定を機に「民族共生の象徴空間」の建設を急ぐ日本政府と北海道政や、差別的なアイヌ民族研究を推し進めてきた大学研究機関に対して、遺骨や副葬品などの返還と真相究明、謝罪と賠償、先住民族の真の権利奪還を求めていくことを誓い合った。
10月17日から22日にかけて、「秋のアイヌ民族交流ウィーク」が都内各所や埼玉大学などで開催され、アイヌ民族の歌や踊り、語り、ユカラ(叙事詩)などの豊穣な世界が繰り広げられた。
http://kamuyukar.jugem.jp/?eid=137
http://kamuyukar.jugem.jp/?eid=139
【参照資料、サイト】
「東大によるアイヌ民族遺骨・副葬品略奪を差別研究を糾弾する」(「東大のアイヌ民族遺骨を返還させる会」編)
「東大のアイヌ民族遺骨を返還させよう10.18集会」配布資料「先住民族アイヌの権利回復を!」(旭川アイヌ協議会アイヌ•ラマット実行委員会共同ブログ)
 http://asahikawaramat.blogspot.jp/
「先住民族の権利に関する国際連合宣言」
http://www.cais.hokudai.ac.jp/wp-content/uploads/2012/03/indigenous_people_rights.pdf
「アイヌ政策推進会議」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/index.html
「第12回『政策推進作業部会』議事録概要」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/seisakusuishin/dai12/gijigaiyou.pdf 他。

http://www.labornetjp.org/news/2013/1018nisi

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「入れ墨は伝統」、アイヌ民族が抗議――先住民マオリ女性を入浴拒絶

2013-10-28 | 先住民族関連
週刊金曜日-2013 年 10 月 25 日 4:30 PM
 北海道を旅行中だったニュージーランドの先住民族マオリの女性が、恵庭市内の温泉施設で入れ墨を理由に入浴を拒絶される事件が起き、北海道の先住民族アイヌの間から日本社会の不寛容に対する抗議の声が上がっている。
 被害にあったのは、ハミルトン市でマオリ語の復元活動に取り組むエラナ・ブレワートンさん(六〇歳)。アイヌ民族との交流事業のため来日中だった先月八日、札幌市内の豊平川で執り行なわれたアイヌの「アシリ・チェップ・ノミ(新しいサケ迎えの儀式)」に参加後、食事に寄った温泉施設で入浴を断られた。ブレワートンさんは唇と顎にマオリの伝統的な紋様のモコ(入れ墨)をしている。
 事件を受けて市民グループ「少数民族懇談会」(会長はアイヌの清水裕二さん)は同月一三日、施設や政府に「異なる国や民族の文化を学び受け入れる努力を」と要望。またアイヌ長老会議の小川隆吉さん(七八歳)は今月二日、一一三筆の署名を集め、公衆浴場法に基づき同施設の運営を監督する立場にある高橋はるみ道知事に、謝罪などを求めた。
 アイヌ女性も口の周りに入れ墨をする文化がある。しかし明治政府は「陋習」(いやしい習慣)と決めつけて一八七一年、「自今出生ノ女子、入墨等堅禁ベキ事」と布達。和人との同化政策を進めた。
 原住・アイヌ民族の権利を取り戻すウコチャランケの会代表の石井ポンペさん(六八歳)は、「亡くなった祖母は入れ墨がありました。でも外出時は(口元を隠すために)いつも頬かぶりをしていた」と振り返る。多数派政府による一方的な風習禁止が差別感を生み、アイヌたちを苦しめてきた。
 今回のような事件は「入れ墨=やくざ→入浴お断り」の安易なマニュアルを持つ施設ならどこでも起こりうる。こんな日本はいまだ少数者を切り捨てる社会だと批判されても、反論は難しい。
(平田剛士・フリーランス記者、10月11日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3815

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「山でクマと遭遇したら逃げるな」生き延びるための10の方法

2013-10-28 | アイヌ民族関連
アメーバーニュース 2013年10月26日 14時30分
提供:Web本の雑誌
「クマに近づくな」
10月18日に、異例の声明を発表したのは、有識者で構成される知床世界自然遺産地域科学委員会。
世界遺産でもある北海道の知床には、遡上するサケ・マスを捕食するヒグマを撮影するために、観光客やカメラマンが殺到。カメラを持ち数メートルまで近づいた人や、望遠レンズ越しで距離感を失い転倒する人もいるなど、いつ事故が起こっても不思議ではない状態になっているのです。
そうやって自らクマの元に向かう人もいれば、望まずしてクマと遭遇してしまう人もいます。クマが餌を求めて集落に現れるといったニュースは、昨今、数多く聞こえるようになりました。仮にクマを捕獲して山に返しても、クマが人を恐れなくなっている場合もあり、繰り返し集落に出没してしまうのです。
もし、集落にクマが現れたら。もし、ハイキングや登山中にクマと遭遇したら、どのような対応をすべきなのでしょうか。
姉崎等さんは、アイヌ民族最後のクマ撃ち猟師。12歳から村田銃で狩猟を始め、22歳からは単独でクマ撃ちへ。25年間で40頭、集団猟を入れると60頭ものクマを獲っています。そんな姉崎さんが書籍『クマにあったらどうするか』のなかで、対応方法を指南しています。ポイント10項目。
まず予防のための2つ。
1.ペットボトルを歩きながら押してペコペコ鳴らす。
2.または、木を細い棒で縦に叩いて音を立てる。
そして、もしクマに出会ってしまった時の8つ。
3.背中を見せて走って逃げない。
4.大声を出す。
5.じっと立っているだけでもよい。その場合、身体を大きく揺り動かさない。
6.腰を抜かしてもよいから動かない。
7.にらめっこで根くらべ。
8.子連れグマに出会ったら、子グマを見ないで親だけを見ながら静かに後ずさり(その時に母グマからのバーンと地面を叩く警戒音に気をつけていて、もしもその音を聞いたら、その場をすみやかに立ち去る)
9.ベルトをヘビのように揺らしたり、釣り竿をヒューヒュー音をたてるようにしたり、柴を振りまわす。
10.柴を引きずって静かに離れる(尖った棒で突かない)。
私たち一般人は、まず予防をすることが大切ですが、もし、遭遇した場合にはクマを刺激しないようにじっとし、相手の目を見つめる。そして、できれば大きな声を出すことがポイントのようです。
もし、と遭遇したら、自分から逃げ出すのではなく、クマが立ち去っていくのを待つことが、数少ない生き延びる方法と言えるかもしれません。
『クマにあったらどうするか―アイヌ民族最後の狩人姉崎等』
著者:姉崎 等,片山 龍峯
出版社:木楽舎
http://news.ameba.jp/20131026-197/

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滋賀県立近代美術館で「柳宗悦」展―ゆかりの大津絵など約400点、柳宗理作品も

2013-10-28 | アイヌ民族関連
びわ湖大津経済新聞 2013年10月25日
 滋賀県立近代美術館(大津市瀬田南大萱町、TEL 077-543-2111)で10月12日から、「『柳宗悦』展-暮らしの眼差し-」が開催されている。工業デザイナーだった子息・宗理の作品と合わせ約400点を展示する。
 柳宗悦は1889(明治22)年、東京都生まれ。1910(明治43)年文学雑誌「白樺」の創刊に参加。宗教哲学を論じたり西欧近代美術の紹介に務めたりした。3年後、東京帝国大学哲学科を卒業。朝鮮陶磁器の魅力に引きつけられたことをきっかけに民間で用いられる日常品の美しさに目覚め、日本では木彫仏、各地の手仕事などの収集を通し、新しい美の思想を確立していった。1925(大正14)年陶芸家の河井寛次郎・濱田庄司と共に「民衆的工芸」「民間の工芸」の意味から「民芸」という新語を作った。1925(昭和11)年、日本民芸館が開設されると初代館長に就任。台湾、日本のアイヌ民族や沖縄の工芸の紹介を通し抑圧される固有の文化を尊重するなど滋賀ゆかりの大津絵の収集・展覧会も開催した。大津絵については「美術というよりも、むしろ工芸」と高く評価した。
 同館学芸員の高梨純次課長は「民芸とは民衆の中にあった『用の美』を見いだしたもの。宗悦は伝統的なものを研究するだけでなく、より機能的なデザインなど現代に再構成してみせた。宗悦は日本の急激な近代化に危機感を覚えていたが哲学者・美学者としての美意識を極めていった」と解説する。「興味を持っていた柳宗悦の審美眼をあらためて知ることができてよかった」と草津市の西由花さん。
 関連イベントとして、「たいけんびじゅつかん『大津絵キャラに大変身ーかぶり物をつくって撮影会をしようー』」も開催予定。11月9日、10時~16時(講師は宇野君平さん=アーティスト・成安造形大学美術領域講師)。
 開館時間は9時30分~17時(入館は16時30分まで)。月曜休館(11月4日の祝日は開館し5日が休館)。観覧料は、一般=950円(前売り750円)、高大生=650円(同500円)、小中生=450円(同350円)。11月24日まで。
http://biwako-otsu.keizai.biz/headline/942/

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中野駅北口暫定広場で「チャランケ祭」-アイヌと沖縄人が踊り歌う2日間

2013-10-28 | アイヌ民族関連
秋田経済新聞-2013年10月24日
 中野駅北口暫定広場(中野区中野4)で11月2日・3日、アイヌと沖縄の踊りの祭典「チャランケ祭」が開催される。主催はチャランケ祭実行委員会。
 同イベントは「祭りは天と地を継ぐ、踊りは人と宇宙を継ぐ」をコンセプトとし、今年で20回目を迎える。アイヌと沖縄人が東京で出会ったことがきっかけとなり、1994 年から中野駅北口広場で、昨年からは中野駅北口暫定広場に会場を移して開催している歌と踊りの祭典で、人と人とが触れ合い、交流を深めることを目的としている。
 「カムイノミ」というアイヌの儀式から始まり、「旗あげ」という沖縄の伝統儀式のもとで2日間、歌と踊りが繰り広げられる。それぞれの民俗芸能とともに、アイヌ料理や沖縄料理などの屋台、木彫りや刺しゅうなどの文化交流コーナー、歴史を学ぶブースなどを用意する。
 イベントの名称である「チャランケ」は、アイヌの言葉で「とことん話し合うこと」を意味する「ちゃらんけ」と、沖縄の言葉で「消えんなよー」という意味の「ちゃーらんけ」が似ていることから、付けられたという。
 実行委員長の沖隆寿(たかとし)さんは「アイヌと沖縄、それぞれ日本の端に位置する民族を中心に世界や日本各地の民俗芸能団体が、歌と踊りを通じてお互いの文化や考えを共有し、理解し合ってきたイベントも今年で20回目の節目となる。このイベントを通じて、いろんな人たちが交じり合い、触れ合って、お互いのルーツを確かめ合うことで共有する『本気の遊び』を発信していきたい」と意気込みを話す。
 開催時間は12時~(3日は10時~)。入場無料。雨天決行。
http://nakano.keizai.biz/headline/327/

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アイヌ遺骨 返還の信頼性が揺らぐ

2013-10-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 社説(10月20日)
 アイヌ民族の遺骨のずさんな管理が、北大でまたしても発覚した。
 北大は、研究者が戦前から戦後にかけて研究目的で集めた遺骨の一部をそれぞれの埋葬地に返還してきたが、別人の骨と取り違えた疑いが出ている。
 信頼性を揺るがす事態だ。解明を急ぎ、返還先に経緯を説明する責任がある。保管する一体一体を再度、記録と照合し直すべきだ。
 北大は、保管する千体余りのうち、35体を2001年までに北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)の各支部と旭川アイヌ協議会に返還した。
 ところが、あらためて調査した結果、返還したものと同じ識別番号が付いた遺骨が学内に5体存在することが明らかになったという。
 本物は返した方か、それとも大学に残る方か、判断できない状態だ。
 アイヌ民族の遺骨は現在、全国11大学が1635体を保管している。遺骨の返還要求に最大限応え、それでも実現しなかった遺骨は、胆振管内白老町に創設する慰霊施設に納骨するのが政府の方針である。
 今回発覚したような取り違え疑惑が生じるようでは、返還手続き自体、信ぴょう性を失いかねない。
 保管する11大学には遺骨と収集記録の照合や埋葬地、個人の特定などに慎重を期して対応することを強く求めたい。
 作業が困難だとして返還を早々に断念し、慰霊施設にまとめて納骨することは断じて許されない。
 遺骨返還をめぐっては、高橋はるみ知事が今月、菅義偉官房長官に慰霊施設の設置を20年から18年に前倒しするよう要請した。
 官房長官から前向きな回答を得たとされるが、北大では今年3月にも、個別の箱に複数の頭骨を収めるなどのずさんな管理が発覚している。
 知事がこうした状況を知ったうえで前倒しを要請したのであれば、なし崩し的に決着を図ろうとしていると受け取られても仕方ない。
 遺骨が大学に保管されていることで祖先の供養が妨げられ、憲法が保障する信教の自由が侵害されているとして、北大は日高管内浦河町出身のアイヌ民族から返還訴訟も起こされている。
 政府は遺骨の問題を大学任せにせず、アイヌ民族と有識者の委員会を設置して助言を得るなど、返還が適正に行われるか、外部の目でチェックする必要がある。
 先祖の遺骨を自分たちの元に返してほしいという当然の願いをこれ以上、踏みにじってはならない。先住民族の尊厳にかかわる問題だとの認識を持ち、返還作業を着実に進めてもらいたい。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/499046.html

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国連向け報告書、人権団体が政府の嘘を指摘…マレーシア

2013-10-21 | 先住民族関連
レスポンス 2013年10月20日(日) 11時00分
人権状況の普遍的・定期的審査(UPR)のための非政府組織(NGO)の団体、Comangoは、国連人権理事会へのリポートにおいて連邦政府が嘘をついていると批判している。
Comangoには女性や市民の人権保護団体が参加している。
リポートは20ページに渡るもので、マレーシアにおける人権状況や改善に向けた取り組みについて書かれている。女性や子供、先住民族の医療や教育を受ける権利、政治、市民権などについての内容が網羅されている。
Comangoによると、リポートの中で政府は2009年のUPRで指摘された内容に基づいた勧告を全て実施している、もしくは調査中と表現しているが、具体的な改善策については触れられていない。また、国内治安維持法(ISA)の廃止には触れられているものの、ほぼ同様の内容である1959年犯罪防止法(PCA)の改正案が可決された件については表記がない。また、ゲイやレズビアンなど性的マイノリティの人権保護に関する内容もリポートには含まれていない。
《千田真理子》
http://response.jp/article/2013/10/20/208929.html

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カジノ誘致:解禁法案の動向注視 北海道内3市、動く 知事、国に推進要請へ

2013-10-21 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2013年10月20日
 カジノ誘致の動きが北海道内でも活発化している。釧路と小樽、苫小牧の3市が誘致に前向きで、24日には小樽商工会議所が中心となった小樽国際観光リゾート推進協議会が「第8回日本カジノ創設サミット」を小樽市で開く。超党派の国会議員で作る「国際観光産業振興議員連盟」(IR議連)は開会中の臨時国会にカジノ解禁に向けた法案を提出予定で、誘致を目指す道内自治体は法案の動向を注視している。【坂本太郎、近藤卓資】
 ◇釧路
 釧路市では2005年に商工会議所青年部がカジノ構想を掲げて勉強会を発足。翌年は若手経済人らが「誘致研究会」を設立し、香港とマカオのカジノを視察した。
 誘致場所として想定しているのは阿寒湖温泉で、道東の中心にあり、空港などからのアクセスにも優れている点をアピールしている。豊かな自然に充実した宿泊施設、さらにアイヌ文化を生かせる滞在型観光地としての統合型リゾート(IR)を目指している。12年には道内初のカジノ創設サミットを同温泉で開催し、環境に配慮した中規模カジノの構想を発表した。
 今年6月には「ひがし北海道統合観光リゾートIR誘致協議会」(会長、山本寿福・釧路商工会議所会頭)が旗揚げ。カジノについては、ギャンブル依存症や治安悪化などの懸念から否定的な意見もある。しかし同協議会は、収益の一部を納付金として徴収し、依存症や青少年対策に充てるとしている。同協議会の白崎義章代表理事は「昼間は観光で夜はカジノ。抜群の自然環境を生かした地方型IRを造りたい」とし、小樽などの他都市と連携して道内誘致を図る考えだ。
 ◇小樽
 小樽市の中松義治市長は市商工会議所専務理事だった頃、「小樽にカジノを誘致する会」の事務局長を務めた。市長就任後はカジノ誘致に慎重な姿勢を見せていたが、24日の日本カジノ創設サミットに補助金20万円を支給することを決め、官民で誘致に取り組む姿勢を示している。中松市長は「観光振興や地域振興、雇用も生まれるのでプラス部分の方が大きい」とカジノ効果に期待する。一方、東京や大阪など多くの自治体が誘致に意欲を見せているため、「簡単なハードルではない」とし、2020年の東京五輪誘致を引き合いに出して「法律ができてから手を上げたのでは遅い」と強調した。
http://mainichi.jp/select/news/20131020mog00m020004000c.html

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先住民に“占拠”されたブラジル国会議事堂、「W杯」「五輪」大丈夫か?

2013-10-21 | アイヌ民族関連
…先住民を激怒させた前時代的な“超格差政策”
MSN産経ニュース 2013.10.20 12:00[大阪から世界を読む]
 サッカーの2014年ワールドカップ(W杯)開催まで1年を切ったブラジルで、さまざまな問題が噴出している。6月のサッカー・コンフェデレーションズ杯開催中には汚職や物価高騰などに反発する数万人規模のデモが起き、10月にも先生の待遇改善をめぐる激しいデモが繰り広げられた。さらに、ブラジル国会前には、手に槍(やり)や弓を持った先住民たちが陣取った…。急成長を遂げるブラジルだが、いずれも貧富の格差の拡大に対する不満が噴出した格好だ。(大谷卓)
 AP通信やロイター通信などによると、ブラジルの首都ブラジリアで10月1日、アマゾン川流域の先住民たちが抗議活動を行った。場所はブラジル議会前。男性も女性も伝統衣装に身を包み、顔にはペイント。手には槍や弓、斧(おの)を携えていた。そして、こう訴えた。
 「わたしたちをないがしろにする法律について話し合いたい。大豆栽培農家や大農場経営者がわれわれの土地を奪っている」
 フランス通信(AFP)によると、ブラジル政府は今年6月、アマゾンの森林消失面積は8年前に比べ約84%減少したと発表した。一方で、地元メディアは7月、12年8月~13年6月におけるアマゾンの森林伐採総面積は1838平方キロメートルで、前年同期(907平方キロメートル)と比べ、ほぼ倍増したという非政府組織(NGO)の調査結果を伝えている。
 アマゾンでの森林破壊の主な原因としては、火災のほか、農地拡大や牧場拡大、不法な森林伐採などが挙げられており、先住民たちはそれらに怒り、実力行使へと打って出たのだ。
 人口2億人のブラジルは世界有数の農業生産国だが、耕作地の半分近くを、わずか1%程度とされる大農場経営者が所有しているとされる。しかも農地は拡大傾向にある。中国向けの大豆やトウモロコシなどの輸出が増えているためだ。
逃げ出したくなる社会
 実はアマゾンの先住民たちはここ数年、同じような抗議活動を行っている。
 フランス通信(AFP)によると、一昨年には、ブラジル北部パラ州のアマゾン川支流の河川に建設予定だった総工費110億ドル(約1兆1千億円)にのぼる巨大な発電ダム建設に抗議する活動をサンパウロで行った。ダムができれば熱帯雨林500平方キロメートルが水没するとみられている。
 広大な未開発の土地は、一握りの人には魅力的に映るが、大部分の人は先住民のように搾取される側の人間だ。先住民の居住面積は国土の約1割を占める。先住民たちの怒りの原因は、こうしたいびつな社会のありようでもある。
 ブラジルほどではないかもしれないが、日本でも社会の格差は日増しに拡大している。
 厚生労働省は10月2日、7月に生活保護を受けた世帯が全国で前月比5213世帯増の158万8521世帯に上り、過去最多を更新したと発表した。受給者数は5824人増の215万8946人。とくに大阪は貧困率が高いとされ、生活保護をめぐっては不正受給も続いている。
 テリー・ギリアム監督による1985年公開のSF映画「未来世紀ブラジル」は、情報統制がなされた「20世紀のどこかの国」を舞台に、統制された人間社会の狂気と、そこから逃げだそうとする人間の本能を描いた。
 映画の舞台はブラジルではないし、もちろん日本でもない。状況は全く異なるが、「逃げ出したい」と思えてしまう社会の歪(ゆが)みには共通するものがある気がする。
 ブラジルでは1年後のW杯に続き、3年後にはリオデジャネイロで夏季五輪が開かれる。そのとき、社会は少しでも歪みを是正できているだろうか。それは、7年後に東京で夏季五輪を迎える日本にも言えることだ。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131020/waf13102012000008-n1.htm

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アイヌ研究者の胸像寄贈 博物館にポーランド政府

2013-10-21 | アイヌ民族関連
MSN産経ニュース-2013.10.19 16:51
 北海道白老町のアイヌ民族博物館に19日、サハリンで先住民族を研究したポーランド人文化人類学者ブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918)の胸像がポーランド政府から寄贈された。
 ポーランド大使館によると、ピウスツキは現在のリトアニア生まれの貴族。1887年、ロシア皇帝の暗殺未遂に加担した疑いで逮捕され、サハリンに流刑となった。サハリンの先住民族、樺太アイヌやニヴフなどを研究し、調査のため白老町にも約1カ月間滞在したという。アイヌ語の肉声を録音するなど貴重な資料を収集し、研究の多くは日本語に翻訳されている。除幕式には孫の木村和保さん(58)=横浜市=も出席し、「かつて研究で訪れた白老町に像が立てられ、祖父も喜んでいると思います」と話した。
http://F.msn.com/life/news/131019/trd13101916520011-n1.htm

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