伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2018/08/24

2018-08-24 06:35:34 | 今日の聖句
箴言 序 19:21 新共同訳

「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」

私たちがあれこれと心に思い計ることは多々ありますが、そのすべてが実現するわけではありません。この世を統べ治められる主の御旨に適うものだけが現実のものとなることを悟り、私たち一人一人の人生に神様が用意しておられるご計画に聞き従う私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.19.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/23

2018-08-23 07:45:03 | 一日一章・聖書通読日記
ミカ書 2:1-5

その床の上で不義を計り、悪を行う者はわざわいである。彼らはその手に力あるゆえ、夜が明けるとこれを行う。 彼らは田畑をむさぼってこれを奪い、家をむさぼってこれを取る。彼らは人をしえたげてその家を奪い、人をしえたげてその嗣業を奪う。 それゆえ、主はこう言われる、見よ、わたしはこのやからにむかって災を下そうと計る。あなたがたはその首をこれから、はずすことはできない。また、まっすぐに立って歩くことはできない。これは災の時だからである。 その日、人々は歌を作ってあなたがたをののしり、悲しみの歌をもって嘆き悲しみ、「われわれはことごとく滅ぼされる、わが民の分は人に与えられる。どうしてこれはわたしから離れるのであろう。われわれの田畑はわれわれを捕えた者の間に分け与えられる」と言う。 それゆえ、主の会衆のうちにはくじによって測りなわを張る者はひとりもなくなる。

人が悪事を働くとき、用意周到に計画します。ユダの有力者たちは私腹を肥やすために、権力を笠に着て貧しい人々から家屋や田畑、嗣業の地までもかすめ奪いました。しかしこれは神様の祝福の原則に反することです。本来、イスラエルが所領としていた土地はすべて神様のもので、神様から部族ごと、家系ごとに永遠の嗣業として授けられていたもので、たとい人の手に渡ってもヨベルの年にはすべて元の持ち主に返さなければならないものでした。しかし貪欲の罪に駆られたユダの権力者たちは、これらをすべて自分の所有とするために策略を練ったのです。それゆえ神様は、かすめ奪った地は他国の民のものとなり、自分のものとはならなくなると裁きの預言を下したのです。貪欲に心を奪われ、主の掟に逆らうことは、今、手の中にある祝福さえも奪われる結果となります。

http://bible.com/81/mic.2.1-5.ja1955

*****

ミカ書 2:6-11

彼らは言う、「あなたがたは説教してはならない。そのような事について説教してはならない。そうすればわれわれは恥をこうむることがない」と。 ヤコブの家よ、そんなことは言えるのだろうか。主は気短な方であろうか。これらは主のみわざなのであろうか。わが言葉は正しく歩む者に、益とならないのであろうか。 ところが、あなたがたは立ってわが民の敵となり、いくさのことを知らずに、安らかに過ぎゆく者から、平和な者から、上着をはぎ取り、 わが民の女たちをその楽しい家から追い出し、その子どもから、わが栄えをとこしえに奪う。 立って去れ、これはあなたがたの休み場所ではない。これは汚れのゆえに滅びる。その滅びは悲惨な滅びだ。 もし人が風に歩み、偽りを言い、「わたしはぶどう酒と濃き酒とについて、あなたに説教しよう」と言うならば、その人はこの民の説教者となるであろう。

ミカの預言を聞いたユダの人々は、そんな不吉な説教をするなと激しく抵抗しました。しかしミカは、神様の預言は正しい者には益とならないだろうかと反論します。それでもユダの人々はミカの預言に聞く耳を持たず、偽預言書にぶどう酒などの報酬を払って、自分にとって都合の良い甘言を語ることを要望しました。まことの神の御言葉に真摯に耳を傾けようとせず、相変わらず貧しい人々から搾取を続けていたユダの人々に向かって、ミカは、この地から立ち去れ、お前たちの安息の地ではないと、厳しく叱責しました。今の時代も、人々は自分にとって都合の良い教え、心地よい癒しの言葉を求め、表面的な幸せと一時的な安息を得ることに躍起になっています。しかし私たちがまことの神、主の警告の御言葉に耳を傾け、罪を悔い改めて義の道に歩まない限り、永遠の平安は得ることはできません。

http://bible.com/81/mic.2.6-11.ja1955

*****

ミカ書 2:12-13

ヤコブよ、わたしは必ずあなたをことごとく集め、イスラエルの残れる者を集める。わたしはこれをおりの羊のように、牧場の中の群れのように共におく。これは人の多きによって騒がしくなる。 打ち破る者は彼らに先だって登りゆき、彼らは門を打ち破り、これをとおって外に出て行く。彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる。

ミカの預言は罪を悔い改めようとしない貪欲なユダの人々から離れ、主の御言葉に忠実に聞き従う「残れる者」に向けられます。12節の「おりの羊」という言葉は「ボツラの羊」とも訳される言葉で、罪の世にあっても正しい道を歩み、世の終わりの裁きを免れる場所にいる人々を指します。この羊を導く王とは、良い羊飼いであられるイエス様です。「わたしは門である」と語られたイエス様の教えのように、偽りの平安を語る偽預言者の声に聞き従わず、良い羊飼いの声を聞き分ける者となり、主イエスの十字架という狭き門を通って、永遠の平安と祝福の御国に入れていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/mic.2.12-13.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/23

2018-08-23 06:35:07 | 今日の聖句
ゼファニヤ書 3:17 新共同訳

「お前の主なる神はお前のただ中におられ
 勇士であって勝利を与えられる。
 主はお前のゆえに喜び楽しみ
 愛によってお前を新たにし
 お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

万軍の主なる神様が私たちのただ中にいてくださることこそが、私たちの勝利の力となり、喜びの源泉となります。主の御臨在を何よりも求め、感謝と喜びの歌を主の御前に捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/1819/zep.3.17.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/22

2018-08-22 07:35:01 | 一日一章・聖書通読日記
ミカ書 1:1-5

ユダの王ヨタム、アハズおよびヒゼキヤの世に、モレシテびとミカが、サマリヤとエルサレムについて示された主の言葉。 あなたがたすべての民よ、聞け。地とその中に満てる者よ、耳を傾けよ。主なる神はあなたがたにむかって証言し、主はその聖なる宮から証言される。 見よ、主はそのご座所から出てこられ、下ってきて地の高い所を踏まれる。 山は彼の下に溶け、谷は裂け、火の前のろうのごとく、坂に流れる水のようだ。 これはみなヤコブのとがのゆえ、イスラエルの家の罪のゆえである。ヤコブのとがとは何か、サマリヤではないか。ユダの家の罪とは何か、エルサレムではないか。

今日からミカ書の通読に入ります。ミカ書はイエス様を拝みに来た東の博士たちの降誕劇などで、メシヤの生まれる場所を特定した預言が引用された書物として有名です。ミカは紀元前8世紀、ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活躍した預言者で、ちょうどイザヤと年代が重なります。イザヤは王族の出身で、ユダとエルサレムについて預言した預言書でしたが、ミカはエルサレムの30キロほど南西にあるモレシェテの出身で、サマリヤとエルサレム、すなわち北イスラエル王国と南ユダ王国の首都について預言しました。その内容は、どちらも神殿で偶像礼拝を行っている罪のために裁かれるというものです。まことの神、主を礼拝すべき場所で、人の手によって造られた偶像を礼拝するとは、神様に対する背信行為の最たるものです。

http://bible.com/81/mic.1.1-5.ja1955

*****

ミカ書 1:6-9

このゆえにわたしはサマリヤを野の石塚となし、ぶどうを植える所となし、またその石を谷に投げ落し、その基をあらわにする。 その彫像はみな砕かれ、その獲た価はみな火で焼かれる。わたしはその偶像をことごとくこわす。これは遊女の価から集めたのだから、遊女の価に帰る。 わたしはこれがために嘆き悲しみ、はだしと裸で歩きまわり、山犬のように嘆き、だちょうのように悲しみ鳴く。 サマリヤの傷はいやすことのできないもので、ユダまでひろがり、わが民の門、エルサレムまで及んでいる。

サマリヤは紀元前722年、ユダのアハズ王の治世にアッスリヤによって滅ぼされ、勢いづいたアッスリヤは次にエルサレムを陥落させようとユダに攻め込みます。ミカはそのことを預言したのです。両者を分けたのは、サマリヤは偶像礼拝をやめなかったのに対し、エルサレムはヒゼキヤ王の時代に偶像礼拝をやめたことです。そしてヒゼキヤ王の必死の祈りに神様は答えて、エルサレムを包囲していた18万5千のアッスリヤの大軍は一夜のうちに全滅し、ユダは滅亡を免れることができました。同じ罪を犯しても、悔い改めて主に立ち返るか、悔い改めずに罪を放置するかで、その結末は大きく変わってきます。私たちは歴史から賢く学ばなければなりません。

http://bible.com/81/mic.1.6-9.ja1955

*****

ミカ書 1:10-16

ガテに告げるな、泣き叫ぶな。ベテレアフラで、ちりの中にころがれ。 サピルに住む者よ、裸になり、恥をこうむって進み行け。ザアナンに住む者は出てこない。ベテエゼルの嘆きはあなたがたからその跡を断つ。 マロテに住む者は気づかわしそうに幸を待つ。災が主から出て、エルサレムの門に臨んだからである。 ラキシに住む者よ、戦車に早馬をつなげ。ラキシはシオンの娘にとって罪の初めであった。イスラエルのとがが、あなたがたのうちに見られたからである。 それゆえ、あなたはモレセテ・ガテに別れの贈り物を与える。アクジブの家々はイスラエルの王たちにとって、人を欺くものとなる。 マレシャに住む者よ、わたしはまた侵略者をあなたの所に連れて行く。イスラエルの栄光はアドラムに去るであろう。 あなたの喜ぶ子らのために、あなたの髪をそり落せ。そのそった所をはげたかのように大きくせよ。彼らは捕えられてあなたを離れるからである。

この箇所に出てくる町の名前は、エルサレムが包囲される前にアッスリヤ軍によって陥落した町々です。その中にミカの出身地であるモレシェテがあり、またエルサレムを守る軍事拠点であった要塞都市ラキシュがあります。サマリヤを滅ぼしたアッスリヤは、エルサレムを攻め落とす前に西側から回り込み、周囲から徐々に占領してエルサレムを孤立無援の状態に追い込みました。結果的にはエルサレムはアッスリヤには滅ぼされませんでしたが、滅亡寸前にまで追い込んだことは事実です。だからこそ前回学んだヨナは、アッスリヤの首都ニネベに宣教に行くことを不服としたのです。そしてこの預言は後のバビロンによって成就し、エルサレムの人々は捕囚として異教の地に連行されました。神様の御言葉は一つとして地に落ちることはないといわれるように、私たちは聖書の御言葉は多くの時代を経ても必ず実現するものと、襟を正して受け止めなければなりません。

http://bible.com/81/mic.1.10-16.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/22

2018-08-22 06:35:22 | 今日の聖句
詩編 91:2 新共同訳

主に申し上げよ
「わたしの避けどころ、砦
 わたしの神、依り頼む方」と。

天地万物を統べ治められるまことの神、主に向かって、「わが避け所、砦、わが神、拠り所」と呼ぶことができるとは、なんとさいわいなことでしょうか。いかなる試練も人生の嵐にも、ただ主に寄り頼み、御翼の陰に匿い守られるさいわいを味わわせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.91.2.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/21

2018-08-21 07:40:08 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 4:1-4

ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。

ヨナがたった1日、神の御言葉を語ったことで、ニネベの王も人々も悔い改めて神の裁きを逃れることができましたが、ヨナはこの救いを不服とし、自ら死を求めるほどに激しく怒り、神様にまでその怒りの矛先を向けました。この「怒り」という言葉は、ヘブル語で最も激しい怒りを表現する単語が用いられているそうです。神様はヨナをなだめようとしますが、ヨナの怒りは収まりません。ヨナがここまで激しく怒った理由は、自分の考える正しさの基準と、神様の義の基準が異なっていたことによります。ヨナは最初に神様からニネベに行くように命じられたときから、愛と恵みに富む神様はニネベの人を憐れんで裁きを思い直されることを知っていたと言いました。しかしヨナは、神様は憐れみ深いお方であると知っていながら、その憐れみを受けられるのは神の民イスラエルのみで、偶像の神々を信奉し悪行三昧の異邦人には断じて向けられるべきではないと固く信じていました。ここに人間の義と愛の限界があります。そんなヨナに神様は「あなたの怒るのは、よいことであろうか」と問いかけられました。まことの信仰者は、自分の判断基準で人を裁き、怒りに心を支配されないように、すべての基準を神様の尺度に合わせ、神様の視点に立って言動を慎まなければなりません。

http://bible.com/81/jon.4.1-4.ja1955

*****

ヨナ書 4:5-9

そこでヨナは町から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。 時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。 ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。 やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。 しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。

ヨナはニネベの町がどうなるか、その顛末を見極めるために、町の東に一つの小屋を造って住みました。これは世の中の出来事をただ眺めるだけで、自分からは一切関わろうとはせず、評論家気取りであれこれ批判する、傍観者の態度です。そんなヨナのためにも、神様は暑さをしのぐために一本のとうごまの木を備えてくださいました。ヨナはこの神様の憐れみを喜んでいましたが、たった一匹の虫にかまれて翌朝には枯れてしまい、更に東からの激しい熱風と日照りによって、ヨナはまた死を望むほどに弱り果ててしまいました。神様は再びヨナに「あなたの怒るのはよくない」と声を掛けられましたが、ヨナは怒りのあまり狂い死にそうだと、感情を露わにして苦しみ悶えました。一時の感情に身を任せると、私たちはとんでもないことをいとも簡単に口走る、実に弱く愚かな者です。常に安定した心を保つには、感情に支配されない神の賜る平安で心を満たすことです。

http://bible.com/81/jon.4.5-9.ja1955

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ヨナ書 4:10-11

主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

この御言葉こそがヨナ書の最も中心的な主題であり結論です。天地万物を造り、神のかたちに人を造られ、いのちの息を吹き入れて生きる者としてくださった神様は、その御手の業である人間と被造物が罪の故に滅びに向かうのを惜しまれ、何とかして救い出したいと願っておられます。その神様の御心をヨナに理解させるために、神様は一本のとうごまを用いられたのです。私たちの周りにも、神様の憐れみの証拠や痕跡が、探せばいくらでも見つかるはずです。自分の主義主張や一方的な思い込み、怒り、妬み、憎しみなどのマイナスの感情に凝り固まって神様の恵みが見えなくなることのないよう、「数えてみよ主の恵み」との讃美歌のように数え切れない主の恵みに目を留め、憐れみ深い主に倣う者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.4.10-11.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/21

2018-08-21 06:35:17 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 10:35 新共同訳

「だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。」

困難や迫害をもものともせず義なる神の御心を行う者だけが、天の御国を受ける確信を抱くことができます。この確信を自ら手放すことなく、しっかりと握りしめて主に従い通す私たちでありますように。

http://bible.com/1819/heb.10.35.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/20

2018-08-20 07:25:19 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 3:1-3

時に主の言葉は再びヨナに臨んで言った、 「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。 そこでヨナは主の言葉に従い、立って、ニネベに行った。ニネベは非常に大きな町であって、これを行きめぐるには、三日を要するほどであった。

魚の腹から出たヨナに神様は再び臨まれ、1章の冒頭と全く同じ言葉で、アッスリヤの首都ニネベに行き、主の命じられた通り御言葉を伝えよとのご命令を受けました。今度こそヨナは主の言葉に聞き従い、ニネベに行きました。たとい私たちは失敗しても、主の下に立ち帰るならば、神様は再びやり直すチャンスを与えてくださいます。

http://bible.com/81/jon.3.1-3.ja1955

*****

ヨナ書 3:4-9

ヨナはその町にはいり、初め一日路を行きめぐって呼ばわり、「四十日を経たらニネベは滅びる」と言った。 そこでニネベの人々は神を信じ、断食をふれ、大きい者から小さい者まで荒布を着た。 このうわさがニネベの王に達すると、彼はその王座から立ち上がり、朝服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座した。 また王とその大臣の布告をもって、ニネベ中にふれさせて言った、「人も獣も牛も羊もみな、何をも味わってはならない。物を食い、水を飲んではならない。 人も獣も荒布をまとい、ひたすら神に呼ばわり、おのおのその悪い道およびその手にある強暴を離れよ。 あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」。

ニネベに到着したヨナは、直ちに主の御言葉を伝え始めます。その言葉とは、40日後にニネベは滅びるという、神様の裁きの予告でした。しかし同時に、40日という猶予期間を置いたことで、神様はニネベの人々に悔い改めのチャンスを与えられたのです。ニネベはメソポタミヤ中部にある非常に大きな町で、すべて行き巡るには3日を要するところ、最初の1日目の宣教でニネベの人々は神を信じて断食をし、荒布をまとって悔い改めました。その噂が王の耳に届くと、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中に座して悔い改めて、全国民と家畜に至るまで断食をし、悪い道と強暴を離れよとの勅令を発布しました。この「強暴」という言葉は原語では「ハマス」と言い、現在の中東で活動しているテロリストの名前と同じ言葉です。アッスリヤの人々は非常に凶暴で、ハマスと同様、目を覆うほどの残虐な行為を働いていました。そのような罪深い人々も、神様の御言葉が正しく届くならば、たった一日にして大リバイバルが起こるのです。私たちは諦めず、相手を選ばず、宣教することの大切さを学ばせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/jon.3.4-9.ja1955

*****

ヨナ書 3:10

神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。

ニネベの人々が主の言葉を聞いて直ちに悔い改め、悪の道を離れた様子をご覧になった神様は、彼らを滅すために下そうとされた災いを思い直され、ニネベの街を滅ぼすことを取りやめなさいました。たとい私たちは無知の故に神様に背き御心に反することを行っていたとしても、御言葉を聞いて心から悔い改めるならば、憐れみ深い主はそのいのちを救うために、裁きと永遠の滅びを思い返してくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/81/jon.3.10.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/20

2018-08-20 06:35:31 | 今日の聖句
詩編 23:1-3 新共同訳

【賛歌。ダビデの詩。】
「主は羊飼い、
 わたしには何も欠けることがない。
 主はわたしを青草の原に休ませ
 憩いの水のほとりに伴い
 魂を生き返らせてくださる。
 主は御名にふさわしく
 わたしを正しい道に導かれる。」

良き羊飼いであられる主イエス様は、私たちを麗しい天の御国へと誘い、いのちの水の川のほとりに導いて魂を生き返らせてくださいます。主イエス様の御声に聞き従い、どこまでも付き従って、永遠の義の道へと導いていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.23.1-3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/19

2018-08-19 06:50:19 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 2:1-3

ヨナは魚の腹の中からその神、主に祈って、 言った、「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。 あなたはわたしを淵の中、海のまん中に投げ入れられた。大水はわたしをめぐり、あなたの波と大波は皆、わたしの上を越えて行った。」

大きな魚に飲み込まれたヨナは、その腹の中で自らの過ちを悔い改め、主の御前に遜って祈りました。神様のご命令に背いてニネベとは正反対のタルシシに逃れようとしたために嵐に遭い、死を覚悟して海に投げ込まれたところ、主はヨナの呼ばわる声に答え、陰府にたとえられた大きな魚の腹の中でもヨナの声を聞いてくださるとの確信を得るに至りました。これはヨナが、神様に聞き従わなかった罪深い自分に死んだことを告白する祈りであり、大水が越えていったとは洗礼の雛形ともなる預言的行動とも取ることができます。古い罪の自分に死ぬ体験を、ヨナは嵐の海の中で、魚の腹の中で、自らの身をもって経験したのです。

http://bible.com/81/jon.2.1-3.ja1955

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ヨナ書 2:4-6

「わたしは言った、『わたしはあなたの前から追われてしまった、どうして再びあなたの聖なる宮を望みえようか』。 水がわたしをめぐって魂にまでおよび、淵はわたしを取り囲み、海草は山の根元でわたしの頭にまといついた。 わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。」

魚の腹の中でヨナが主に向かって発した言葉は、具体的にはこの『』内の箇所しか記されていません。この箇所を新解約聖書では『私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。』と訳しています。こちらの方がヨナの悔い改めた心が分かる翻訳です。嵐の海の中に投げ込まれたヨナが大きな魚に飲み込まれる前、海藻がヨナの体に絡み付き、海底にまで沈んでまさに地獄に入る一歩手前まで体験したヨナが、魚に飲み込まれたことによって奇跡的に救われた感謝を捧げるためにもう一度主の宮に上り、神様を礼拝したいとの思いが与えられました。私たちが救いの感謝を捧げることこそ、神様の喜ばれる礼拝です。

http://bible.com/81/jon.2.4-6.ja1955

*****

ヨナ書 2:7-10

「わが魂がわたしのうちに弱っているとき、わたしは主をおぼえ、わたしの祈はあなたに至り、あなたの聖なる宮に達した。 むなしい偶像に心を寄せる者は、そのまことの忠節を捨てる。 しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。 主は魚にお命じになったので、魚はヨナを陸に吐き出した。

ヨナ書2章の中には悔い改めという直接的な言葉はありませんが、神様のご命令に逆らって逃げたヨナが「わたしの誓いを果たす」と告白したことに、ヨナの改心が表されています。その悔い改めの告白は神様に届き、主は魚に命じてヨナを陸に吐き出しました。この魚はヨナに悔い改めの場を提供したばかりか、嵐の海の中からヨナを安全に陸地まで運ぶ役目をも担ったのです。ここに神様の用意周到なご配慮と、主の守りの素晴らしさを思わずにはいられません。

http://bible.com/81/jon.2.7-10.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/19

2018-08-19 06:00:11 | 今日の聖句
ミカ書 6:8 新共同訳

「人よ、何が善であり
 主が何をお前に求めておられるかは
 お前に告げられている。
 正義を行い、慈しみを愛し
 へりくだって神と共に歩むこと、
 これである。」

神様が私たちに求められていること、それは主の御前に遜り、御言葉を守って正義を行い、慈しみの心をもって隣人を愛し、神と共に歩むことです。聖書に記された神様の御言葉から主の御心が何であるかを知り、聞くだけで行わない人ではなく、神の義と愛を身をもって実践する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/mic.6.8.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/18

2018-08-18 19:30:17 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 1:1-3

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。 しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。

ヨナ書は小預言書の中でもストーリー性に富み、子ども讃美歌や聖書絵本にも必ずと言っていいほど出てくる実に単純明快な物語ですが、その内容を深く読み解くと福音書の要素が凝縮されている非常に示唆に満ちた、表面的な理解だけで通り過ごすには勿体ない書物です。ヨナは列王記下14章にその名前が記されていることから、エリシャと同じ時代に活躍した預言者の一人と考えられています。主はヨナにアッスリヤの首都ニネベに行くようにと命じましたが、ヨナは東ではなく西のヨッパに下り、当時は世界の西の最果てと思われていたタルシシに向かう船に乗船しました。すなわちヨナは、神様の御言葉を人々に伝える預言者でありながら、神様のご命令に背き、正反対の道を進んだのです。ヨナの心の内にあった思いは、「下り」「主の前を離れて」という言葉に如実に表されています。ヨッパに着いたらちょうどタルシシに行く船があったと、まさに渡りに船のような状況でしたが、それが必ずしも神様の御心に適うこととは限らず、むしろ災いの始まりだったのです。表面的な事象だけに目を留めて深く御心を求めようとせず、何でもかんでも結果オーライで済ませるような行き当たりばったりの人生を、私たちは決して選択してはなりません。

http://bible.com/81/jon.1.1-3.ja1955

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ヨナ書 1:4-6

時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。 それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。 そこで船長は来て、彼に言った、「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい。神があるいは、われわれを顧みて、助けてくださるだろう」。

主の目を避けてタルシシに逃れようとしたヨナが乗った船は、地中海を航行中に激しい嵐に遭い、水夫たちは各々の信じる神々に祈願すると共に、沈没を避けるために積み荷を捨て始めました。そんな中でヨナだけは船底でぐっすり眠っていたのは、ちょうどガリラヤ湖で嵐に遭った弟子たちがイエス様を起こした場面を想起させます。おそらくヨナは、この嵐の起きた理由を知っていたのです。世の人々は苦しいときの神頼みで、いのちを救うためには藁をもすがる思いで偶像の神々に呼ばわりますが、まことの神様の摂理を知る者は、嵐の中でもうろたえる必要はありません。

http://bible.com/81/jon.1.4-6.ja1955

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ヨナ書 1:7-10

やがて人々は互に言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。 そこで人々はヨナに言った、「この災がだれのせいで、われわれに臨んだのか、われわれに告げなさい。あなたの職業は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。あなたはどこの民か」。 ヨナは彼らに言った、「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」。 そこで人々ははなはだしく恐れて、彼に言った、「あなたはなんたる事をしてくれたのか」。人々は彼がさきに彼らに告げた事によって、彼が主の前を離れて、のがれようとしていた事を知っていたからである。

積み荷を捨てても、神々に祈っても嵐は収まらず、途方に暮れた人々は、嵐の起きた理由は乗船者たちの中にあると勘付き、くじを引いて原因追究することにしました。するとくじはヨナに当たり、人々がヨナが天地万物を造られたヘブル人の神を恐れる者であると聞くと、「あなたは何たる事をしたのか」とヨナを問い詰めました。図らずもヨナの不服従が、乗船者全員のいのちに関わる事態になるとは、当初は夢にも思ってみなかっかことでしょう。私たちが主に聞き従わなかったがために、その小さな罪が大きな悪影響を及ぼして、関係のない人々のいのちさえも脅かす事態にさえなる得ることを、私たちはしかと心に留めなければなりません。

http://bible.com/81/jon.1.7-10.ja1955

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ヨナ書 1:11-16

人々は彼に言った、「われわれのために海が静まるには、あなたをどうしたらよかろうか」。それは海がますます荒れてきたからである。 ヨナは彼らに言った、「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたがたに臨んだのは、わたしのせいです」。 しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった。それは海が彼らに逆らって、いよいよ荒れたからである。そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。

嵐を鎮めるためにどうしたらよいかと尋ねた人々に、ヨナは主の目を避けて逃れようとした自分に全責任があること、また自分を海に投げ込めば神様の怒りがやんで嵐は静まると答えました。ヨナは既に、自ら犯した過ちの責任の取り方を心得ていたのです。人々はさすがにこの嵐の海にヨナを投げ込むことを躊躇し、何とか自力で嵐からの脱出を試みましたがその努力も空しく、万策尽きてついにヨナを海に投げ込むと、たちまちのうちに嵐はやんで大凪になりました。この顛末の一部始終を体験して、乗船者たちは大自然をも統べ治められるまことの神を畏れ、主に立ち帰って礼拝しました。ヨナの背信行為は確かに災いを引き起こしましたが、神様はヨナの失敗をも、ご自身のまことの神であることを多くの人に証する機会として用いられました。万事を益と為してくださる主の御名をあがめつつも、望むらくは最初から主に聞き従う選択を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.1.11-16.ja1955

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ヨナ書 1:17

主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。

この一節は、新共同訳聖書では2章に組み入れられていますが、これまでの物語の顛末からヨナに起きた変化を繋ぐ重要な一節で、この短い一節に非常に多くの恵みが詰まっています。まず1つ目は、自ら犯した過ちを償うために海に投げ込まれたヨナを嵐の海から守るために、神様は大きな魚を備えてくださったという守りの恵みです。過ちを隠し通してシラを切ることなく、自分の責任だと素直に認めたヨナの反省と改心を、神様は受け入れてくださったのです。2つ目は「ヨナが魚の腹の中にいた」という表現は、原文では母の胎内にいた、という意味を持つ言葉が使われているそうです。不従順だったヨナを再創造して生まれ変わらせるプロセスのために、神様は魚の腹を用意されたのです。3つ目は、新約聖書でイエス様が引用されたように、3日3晩というのは主イエス・キリストの死と復活を暗示する預言的行動の一つです。ヨナは罪深い古い自分に死に、罪赦され新しいいのちに生きる者の予表として、魚の腹の中で過ごすときが必要だったのです。聖書の御言葉は、読めば読むほど多くの恵みが何層にも重なっていることに気付かされます。御言葉を味わい深く噛みしめる恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.1.17.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/18

2018-08-18 07:15:16 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 8:26

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

私たちの心の内に住まう聖霊なる神は、私たちの思いを誰よりもよくご存じであられる助け主であられます。祈ることもできないほどの悲しみや苦難のとき、言葉にならない私たちの思いを代弁して、御霊自ら執り成して祈ってくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/1819/rom.8.26.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/08/17

2018-08-17 07:47:55 | 一日一章・聖書通読日記
オバデヤ書 1-4

オバデヤの幻。主なる神はエドムについてこう言われる、われわれは主から出たおとずれを聞いた。ひとりの使者が諸国民のうちにつかわされて言う、「立てよ、われわれは立ってエドムと戦おう」。 見よ、わたしはあなたを国々のうちで小さい者とする。あなたはひどく卑しめられる。 岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心のうちに言う、「だれがわたしを地に引き下らせる事ができるか」。 たといあなたは、わしのように高くあがり、星の間に巣を設けても、わたしはそこからあなたを引きおろすと主は言われる。

オバデヤ書は旧約聖書の中で最も短い書物です。その内容は、最後までイスラエルに対して敵対心を抱き、執拗に憎み続けたエドム人に対する裁きの預言書です。エドム人はイスラエル12部族の父祖ヤコブの兄エサウの子孫で、本来は最もイスラエルに近い親族でしたが、長子の特権を剥奪したヤコブに対する恨みから憎悪の感情を抱き、千年以上経ってもイスラエルに敵対する民族となってしまいました。しかしそれは元々、空腹を満たすためにたった一杯のスープと引き替えに自ら長子の特権をヤコブに譲り、神様の祝福を軽んじた自分の責任です。自らの失敗を棚に上げて、逆恨みして憎しみの感情をいつまでも引きずり続ける者を、神様は決して祝福されず、その悪しき心に報いて裁き、地の底へと引きずり降ろされます。私たちは決してエドム人のようになってはなりまん。

http://bible.com/81/oba.1.1-4.ja1955

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オバデヤ書 5-9

もし盗びとがあなたの所に来、強盗が夜きても、彼らは、ほしいだけ盗むではないか。ああ、あなたは全く滅ぼされてしまう。もしぶどうを集める者があなたの所に来たなら、彼らはなお余りの実を残さないであろうか。 ああ、エサウはかすめられ、その隠しておいた宝は探り出される。 あなたと契約を結んだ人々はみな、あなたを欺き、あなたを国境に追いやった。あなたと同盟を結んだ人々はあなたに勝った。あなたの信頼する友はあなたの下にわなを設けた、しかしその事を悟らない。 主は言われる、その日には、わたしはエドムから知者を滅ぼし、エサウの山から悟りを断ち除かないだろうか。 テマンよ、あなたの勇士は驚き恐れる。人はみな殺されてエサウの山から断ち除かれる。

神様は強盗の所業を引き合いに出して、エドムの犯した罪を指摘し、必ず報いることを預言されました。強盗が家に押し入ったならば、金目の物は欲しいだけ取りますが、すべて盗み出すわけではありません。葡萄の収穫も、主は貧しい人と種のためにすべては収穫せず残すようにと主は命じられました。しかしイスラエルの所領を盗んだエドム人に対しては、神様は根こそぎ奪うといわれます。エドム人と同盟関係にあった国々も、裁きの日にはあっさりと裏切ります。すべてはエドム人の逆恨みする心を発端とする身から出た錆です。

http://bible.com/81/oba.1.5-9.ja1955

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オバデヤ書 10-14

あなたはその兄弟ヤコブに暴虐を行ったので、恥はあなたをおおい、あなたは永遠に断たれる。 あなたが離れて立っていた日、すなわち異邦人がその財宝を持ち去り、外国人がその門におし入り、エルサレムをくじ引きにした日、あなたも彼らのひとりのようであった。 しかしあなたは自分の兄弟の日、すなわちその災の日をながめていてはならなかった。あなたはユダの人々の滅びの日に、これを喜んではならず、その悩みの日に誇ってはならなかった。 あなたはわが民の災の日に、その門にはいってはならず、その災の日にその苦しみをながめてはならなかった。またその災の日に、その財宝に手をかけてはならなかった。 あなたは分れ道に立って、そののがれる者を切ってはならなかった。あなたは悩みの日にその残った者を敵にわたしてはならなかった。

エドム人はイスラエルを憎むあまり、バビロンによってエルサレムが陥落したことを喜び祝い、専科を逃れて落ち延びたユダの人々を捕らえてバビロンに引き渡し、火事場泥棒のように町々に残された財産をかすめ奪い、捕囚の後に住人のなくなった領地に押し入って自分の領土としてしまいました。このエドム人の振る舞いを主は激しく怒られ、永遠に断ち滅ぼされるべき民としめ認定されてしまいました。この箇所にあるように、いくらエドム人がイスラエルを憎んでも、このような非道な行為を働いてはならなかったのです。憎しみのあまり人に対して悪を働く者は、永遠の裁きを免れることはできません。私たちはエドム人のようにではなく、喜ぶ者と共に喜び悲しむ者と共に悲しむ者となるべきです。

http://bible.com/81/oba.1.10-14.ja1955

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オバデヤ書 15-18

主の日が万国の民に臨むのは近い。あなたがしたようにあなたもされる。あなたの報いはあなたのこうべに帰する。 あなたがたがわが聖なる山で飲んだように、周囲のもろもろの民も飲む。すなわち彼らは飲んでよろめき、かつてなかったようになる。 しかしシオンの山には、のがれる者がいて、聖なる所となる。またヤコブの家はその領地を獲る。 ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。彼らはその中に燃えて、これを焼く。エサウの家には残る者がないようになると主は言われた。

人は必ず自分の蒔いた種を自ら刈り取らなければなりません。悪に蒔く者は厳しい裁きの実を刈り取り、善に蒔く者は豊かな祝福の実を刈り取ります。イスラエルの滅亡を喜んだエドム人は、自ら滅亡を招く結果となりました。今やエドム人の領地は他国人のものとなり、エドムという民族はペルシャ時代に強制的にユダヤ民族の中に取り込まれ、ギリシャ時代にはイマドヤ人としてユダヤ社会の中に残りましたが、マサダの戦いを最後にローマ帝国によってその子孫は完全に途絶えてしまいました。神様の裁きは徹底しています。私たちはエドム人のように人の不幸を喜んで、自ら神の裁きを招くような愚か者となってはなりません。

http://bible.com/81/oba.1.15-18.ja1955

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オバデヤ書 19-21

ネゲブの人々はエサウの山を獲、セフェラの人々はペリシテびとを獲る。また彼らはエフライムの地、およびサマリヤの地を獲、ベニヤミンはギレアデを獲る。 ハラにいるイスラエルの人々の捕われ人は、フェニキヤをザレパテまで取り、セパラデにいるエルサレムの捕われ人は、ネゲブの町々を獲る。 こうして救う者はシオンの山に上って、エサウの山を治める。そして王国は主のものとなる。

オバデヤ書ではエドム人の滅亡と共に、イスラエルの復興が預言されています。イスラエルを呪ったエドム人は呪われ、エドムによって呪われたイスラエルが祝福の回復に与るとは何たる皮肉でしょうか。しかしこれが聖書の原則です。人の祝福を妬み、恨み、憎み続ける、悪しき感情に心を支配された者は、神様の祝福に与ることができないばかりか、徹底的な滅びを招くこととなります。そして最後の一節、「そして王国は主のものとなる」ことこそ、神様がオバデヤ書で最も伝えたかった真理です。この世はすべて神様のもの、全世界は主のご支配の内にあることを、私たちは決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/oba.1.19-21.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/17

2018-08-17 06:35:04 | 今日の聖句
箴言 序 18:22 新共同訳

「妻を得るものは恵みを得る。
 主に喜び迎えられる。」

結婚はその人の人生を大きく左右しますから、良き伴侶を見つけることは人生を決定づける大事業です。離婚前提で人生のパートナーを選ぶのではなく、一生添い遂げる覚悟で良き伴侶と巡り会うことを主に祈り求め、キリストの愛にたとえられる結婚の奥義をこの世で実体験させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.18.22.新共同訳
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