伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/08/11

2018-08-11 08:50:11 | 一日一章・聖書通読日記
アモス書 4:1-3

「バシャンの雌牛どもよ、この言葉を聞け。あなたがたはサマリヤの山におり、弱い者をしえたげ、貧しい者を圧迫し、またその主人に向かって、『持ってきて、わたしたちに飲ませよ』と言う。 主なる神はご自分の聖なることによって誓われた、見よ、あなたがたの上にこのような時が来る。その時、人々はあなたがたをつり針にかけ、あなたがたの残りの者を魚つり針にかけて引いて行く。 あなたがたはおのおのまっすぐに石がきの破れた所を出て、ハルモンに追いやられる」と主は言われる。

バシャンの雌牛とは豊かな牧場で放牧されて肥え太った雌牛の麗しい姿にたとえて、空前のバブル経済の最中で着飾り饗宴と贅沢三昧の日々を謳歌していた北イスラエル王国の貴婦人たちを指したものです。しかし彼女たちの豪勢な暮らし向きを支えていたのは、自ら労苦して働いた勤労の実によるものではなく、社会的弱者から搾取した不当な利益によるものでした。更に、自らの生活を支える主人に対しても、あれもこれも持ってこいと高飛車に振る舞う姿は、到底許されざるものでした。それゆえ主は、自らの分をわきまえず驕り高ぶった人々に対して、釣り針をかけて引き上げられる魚のように、やがて遠くの寒村に追いやられると預言されました。私たちが身に付けるべきものは高価な宝飾品や見目麗しい着物などではなく、自分の身の丈に合った地道な生活と人を愛し思いやる美しい心です。

http://bible.com/81/amo.4.1-3.ja1955

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アモス書 4:4-5

「あなたがたはベテルへ行って罪を犯し、ギルガルへ行って、とがを増し加えよ。朝ごとに、あなたがたの犠牲を携えて行け、三日ごとに、あなたがたの十分の一を携えて行け。 種を入れたパンの感謝祭をささげ、心よりの供え物をふれ示せ。イスラエルの人々よ、あなたがたはこのようにするのを好んでいる」と主なる神は言われる。

北イスラエル王国の人々も、礼拝は欠かさずに行っていました。しかし礼拝する対象とその方法が間違っていたのです。これは初代の王ヤラベアム1世が、民の心が神殿のあるエルサレムに向かうことを阻止するために勝手に考え出した新興宗教に過ぎなもので、いつの間にかそれがまことの神を礼拝しているのだと信じて疑わなくなってしまったのです。神様はこれを「ヤラベアムの罪」と呼んで、速やかにまことの神に立ち帰るようにと最後まで働きかけ続けました。しかし北イスラエル王国の人々は、自分の思い通りになる偶像の神々を、自分にとって都合のよい方法で、礼拝した気分に浸って満足していました。自己満足の信仰ほど厄介なものはありません。

http://bible.com/81/amo.4.4-5.ja1955

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アモス書 4:6-11

「わたしはまた、あなたがたのすべての町であなたがたの歯を清くし、あなたがたのすべての所でパンを乏しくした。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。 「わたしはまた、刈入れまでなお三月あるのに雨をとどめて、あなたがたの上にくださず、この町には雨を降らし、かの町には雨を降らさず、この畑は雨をえ、かの畑は雨をえないで枯れた。 そこで二つ三つの町が一つの町によろめいて行って、水を飲んでも、飽くことができなかった。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。 「わたしは立ち枯れと腐り穂とをもってあなたがたを撃ち、あなたがたの園と、ぶどう畑とを荒した。いちじくの木とオリブの木とは、いなごが食った。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。「わたしはエジプトにしたようにあなたがたのうちに疫病を送り、つるぎをもってあなたがたの若者を殺し、あなたがたの馬を奪い去り、あなたがたの宿営の臭気を上らせて、あなたがたの鼻をつかせた。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。 「わたしはあなたがたのうちの町を神がソドムとゴモラを滅ぼされた時のように滅ぼしたので、あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。

偶像礼拝に気付かない北イスラエル王国の人々に対し、神様は飢饉や干ばつ、病害虫による被害、疫病や戦争、ついには天変地異による滅びなど、ありとあらゆる手段を用いて、偶像から離れ、まことの神に立ち帰るようにと警告を送り続けられました。にもかかわらず北イスラエル王国の人々は、「それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と何度も繰り返されているように、自らの罪を認めず、悔い改めて主に立ち帰ることをしませんでした。私たち人間は、思い込みからなかなか離れられず、変わることのできない者です。ここに罪の根深さと深刻さがあります。

http://bible.com/81/amo.4.6-11‬.ja1955

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アモス書 4:12-13

「それゆえイスラエルよ、わたしはこのようにあなたに行う。わたしはこれを行うゆえ、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」。 見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う。

再三の警告にもかかわらず主に立ち帰ろうとしなかった北イスラエル王国の人々に対し、神様はアモスの預言を通して、「あなたの神に会う備えをせよ」と告げられました。これはいわば神様からの最後通告です。多くの人は、自らの人生の最後の日のことを考えようとしません。むしろあれこれ理由を付けて現実逃避しています。しかし、いのちある者は必ず死を迎えるという事実は、誰一人として逃れることのできない現実問題です。人はなぜ主と会うことから逃げるのでしょうか? それは心の奥底に、無意識のうちに、このままではいけない、今のままで神に会うことはできないという後ろめたさがあるからです。それでも主は、すべての人に「あなたの神に会う備えをせよ」と告げられます。ではどうしたらよいのでしょうか? 答は簡単です。罪を悔い改め、主に立ち帰るだけでよいのです。この世の多くの人々は、たったこれだけのことができずに、今の自分を捨てることができずに、いつまでも現実逃避しているのです。私たちがなかなか手放せないもの、それは自我です。自己中心です。神様から逃げる心です。それが罪です。私たちが手放せないものは、永遠のいのちと比べて冷静に考えるならば、実に取るに足らないものです。それらの罪の根本原因を捨て去り、直ちに主に立ち帰る賢い選択を行うことができますように。

http://bible.com/81/amo.4.12-13.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/11

2018-08-11 06:40:19 | 今日の聖句
箴言 序 17:17 新共同訳

「どのようなときにも、友を愛すれば
 苦難のときの兄弟が生まれる。」

「遠くの親戚より近くの他人」との諺のように、愛してやまない友を持つならばいざというときに血縁関係よりも信頼できる絆が生まれます。常日頃から身近な人々と愛をもって接し、互いに助け合い励ましあう麗しい関係を築く私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.17.17.新共同訳
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