伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/09/30

2017-09-30 07:20:05 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 100:1-2
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。 喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。」

今日の詩篇は礼拝への招きの言葉、招詞として、多くの教会で用いられています。私たちが神様に礼拝を捧げる源泉となるのが喜びです。決して義務感ではなく、主の御前に進み出ることができる恵みに喜びをもって、歌声をあげて、心からの礼拝を捧げて主に仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.1-2.ja1955

*****

詩篇 100:3
「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」

礼拝の心は神様を知ることから始まります。何を知るかというと、まず第一に主こそまことの神であられること、第二に私たちを造られたのは神様であること、第三に私たちは主のものとなり神の民の特権をいただいていること、そして最後に私たちは天の御国という牧場に養われている羊のような存在であることです。これらのことを知るとき、神様を礼拝せずにはおられない心が自ずとわき起こるでしょう。毎週の礼拝が豊かなものとなるために、神様とその御心を知る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.3.ja1955

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詩篇 100:4-5
「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。 主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。」

私たちが神様に感謝し、その御名をほめたたえる理由は、主は恵み深いお方であり、限りない慈しみを賜るお方であり、永遠に変わらない真実なお方であるからです。救いに至る門は狭くとも、いつも開かれています。喜びを携えて主の門に入り、礼拝堂で主の御名をほめたたえ、感謝と頌栄をもって真心からの礼拝を捧げさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.100.4-5.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/30

2017-09-30 06:48:25 | 今日の聖句
ピリピ人への手紙 2:13
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」

全知全能の神様といえど、救われたいと願わない者を救うことはできません。私たちに神様を求める思いを与え、御霊の働きかけに心を頑なにせず主に立ち帰る者に永遠のいのちを授けようと期待しておられます。この神様の御心に応えて、救いを切に願い求め実現に至る私たちでありますように。

http://bible.com/81/php.2.13.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/29

2017-09-29 07:35:22 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 99:1-2, 4
「主は王となられた。もろもろの民はおののけ。主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ。 主はシオンにおられて大いなる神、主はもろもろの民の上に高くいらせられる。

大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。」

まことの神、主こそが、私たちの王であられます。王とは、人の上に立つ者、その権威をもって民を守り、導き、公正に統治する者です。神の民である私たちは王の定めに従い、王に仕え、王のために生きる者です。聖なるケルビムを御座として、義と愛をもってこの世を統べ治められる主をわが王としてあがめ、仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.99.1-2,4.ja1955

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詩篇 99:3, 5, 9
「彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名をほめたたえるであろう。主は聖でいらせられる。

われらの神、主をあがめ、その足台のもとで拝みまつれ。主は聖でいらせられる。

われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。われらの神、主は聖でいらせられるからである。」

主なる神様の特質は聖なることです。聖とはこの世とは全く次元の異なる、超越したきよさ、正しさ、一点の翳りもない潔白さです。預言者イザヤが幻のうちに主の御座を見たとき、ケルビムが「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と3回繰り返して呼び駆け巡ったように、この詩篇でも神様が聖なることを3回も繰り返されているのは、三位一体なる神の顕現をほめたたえているものではないでしょうか。聖なる神様を心からあがめ、神の絶対的なきよさにひれ伏して拝する私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.99.3,5,9.ja1955

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詩篇 99:6-8
「その祭司の中にモーセとアロンとがあった。そのみ名を呼ぶ者の中にサムエルもあった。彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。 主は雲の柱のうちで彼らに語られた。彼らはそのあかしと、彼らに賜わった定めとを守った。 われらの神、主よ、あなたは彼らに答えられた。あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、悪を行う者には報復された。」

モーセとアロン、そしてサムエルは、神の民イスラエルの前に、いと聖なる神様と直接対話することを許され、神と人との仲裁者となった人々でした。モーセは神様から授けられた十戒を民に守り行うよう命じると共に、守り行えなかった民のために心を砕いて執り成し、神様の赦しを引き出しました。サムエルもまた主の御声がまれであった時代に神様から呼び出され、イスラエルの民の要望に応えてダビデ王国を確立する役目を担いました。先に救われた私たちもまた神様と世の人々との橋渡し役、神様の御心を人々に伝える使命を果たす者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.99.6-8.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/29

2017-09-29 06:35:27 | 今日の聖句
マタイによる福音書 11:28
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」

私たちがこの世に生きる限り、背負わなければならない重荷ばかりどんどん積み重なって、重圧に押しつぶされてしまいます。私たちの荷を共に負ってくださる主イエス様の御許に重荷を降ろし、身も心も休まる安息を得て、再び歩み出す力と希望をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/mat.11.28.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/28

2017-09-28 07:30:05 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 98:1-3
「新しき歌を主にむかってうたえ。主はくすしきみわざをなされたからである。その右の手と聖なる腕とは、おのれのために勝利を得られた。 主はその勝利を知らせ、その義をもろもろの国民の前にあらわされた。 主はそのいつくしみと、まこととをイスラエルの家にむかって覚えられた。地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。」

今日の詩篇の1節にある「くすしきみわざ」とは、人には到底できない、自然界をも超越した、まさに神業という意味の言葉が使われているそうです。私たちは実は神様の素晴らしい御業を見ているのです。私たちがこの世にいのちを与えられていること、この地に生まれ、数々の恵みのうちに生かされている人間の存在そのものが、まさに奇跡なのです。この奇跡に気付かされた私たちは、神様に向かって新しい歌、心からの讃美を捧げる者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.98.1-3.ja1955

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詩篇 98:4-8
「全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。 琴をもって主をほめうたえ。琴と歌の声をもってほめうたえ。 ラッパと角笛の音をもって王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。 海とその中に満ちるもの、世界とそのうちに住む者とは鳴りどよめけ。 大水はその手を打ち、もろもろの山は共に主のみ前に喜び歌え。」

この箇所には主に向かって喜びの歌、讃美を捧げる姿が、さまざまな比喩によって語られています。私たち人間だけでなく、全地、海の中の生き物、すべての動物立ち、山さえも、主に喜び歌えとあります。私たちが大自然の素晴らしい景観を見るときに感動を覚えるのは、実は自然界全体が神様をほめたたえている姿を垣間見させていただいているのではないでしょうか。私たちも大自然に負けないよう、様々な楽器を駆使して、巧みな音楽をもって神様に讃美を捧げる者とならせていただいたいと願います。

http://bible.com/81/psa.98.4-8.ja1955

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詩篇 98:9
「主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。」

神様がその存在をこの地に顕される目的は、この地のすべての人々を義と公平をもって裁くためです。私たちの住むこの世は罪に満ちた、実に不条理な世界ですが、公義をもって世を裁かれる主が確かに来られるとの希望を抱いて、この世の罪と悪に交わることなく、すべてを耐え忍び、むしろ喜びと感謝の讃美を捧げつつ待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.98.9.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/28

2017-09-28 06:35:24 | 今日の聖句
箴言 29:25
「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」

人の目や評価を気にするあまり、その場しのぎの場当たり的な生き方に陥りやすいものです。永遠に変わることのない真理であられる主に信頼し、揺るがぬ人生の指針に根ざした平安の日々を送らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.29.25.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/27

2017-09-27 07:27:39 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 97:1
「主は王となられた。地は楽しみ、海に沿った多くの国々は喜べ。」

今日の詩篇のテーマは喜びです。この喜びは単なる快楽的な、刹那的な楽しさではなく、心の底から湧き上がる、永遠に続く希望に満ちた喜びです。その喜びの理由、根拠となるのは、歴史の始めから終わりまで永遠に変わらない神様が王として君臨する世界が成就するからです。主を中心とした、神様の御支配が隅々にまで及ぶ御国の到来を確信して、この世のものとは全く次元の異なる永遠の喜びに満たされる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.97.1.ja1955

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詩篇 97:2-6
「雲と暗やみとはそのまわりにあり、義と正とはそのみくらの基である。 火はそのみ前に行き、そのまわりのあだを焼きつくす。 主のいなずまは世界を照し、地は見ておののく。 もろもろの山は主のみ前に、全地の主のみ前に、ろうのように溶けた。もろもろの天はその義をあらわし、よろずの民はその栄光を見た。」

ここには神様が支配される世界の様子が記されています。それは栄光と威厳を身にまとわれた主がおられる場所、正義を基本とした統治がなされ、悪を焼き尽くす火が先立ち、稲妻のような閃光が世界を照らして、この世を支配するあらゆる権威は主の威厳の前に溶けて跡形もなくなります。神の義が天のように覆う御国で、主を信じる人々は神様の栄光を見ることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/psa.97.2-6.ja1955

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詩篇 97:7-9
「すべて刻んだ像を拝む者、むなしい偶像をもってみずから誇る者ははずかしめをうける。もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。 主よ、あなたのさばきのゆえに、シオンは聞いて喜び、ユダの娘たちは楽しむ。 主よ、あなたは全地の上にいまして、いと高く、もろもろの神にまさって大いにあがめられます。」

聖書の神様こそ、あらゆる神々と称される者の上に立つまことの神です。なぜならそれらの神々は人の手によって造られた偶像、人の想像の範囲内でしか働くことのできない、人の下に立つ者に過ぎないからです。それらの虚しい神々に、人を救う力などあるのでしょうか。天地万物を創造された主、人を造りいのちを与えられた主こそ、私たちがあがめ、信じ仕えるべきまことの神であられます。

http://bible.com/81/psa.97.7-9.ja1955

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詩篇 97:10-12
「主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、これを悪しき者の手から助け出される。 光は正しい人のために現れ、喜びは心の正しい者のためにあらわれる。 正しき人よ、主によって喜べ、その聖なるみ名に感謝せよ。」

主なる神様の本質は義と愛です。ですから義を愛し悪を憎む者を、主は誰よりも愛され、そのいのちを守り、悪の手から救い出されます。私たちの喜びは、主に愛されている事実から始まります。ですから私たちは主によって喜び、その御名に感謝して主をほめたたえるのです。主に愛され、義に生きる喜びの光に満たされて歩む私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.97.10-12.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/27

2017-09-27 06:35:18 | 今日の聖句
コリント人への第二の手紙 3:17
「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」

人の罪を宣告する律法の働きよりも、人を義と認める御霊の働きの方がはるかに素晴らしい恵みです。御霊なる主を信じ受け入れ、罪の縄目より解放されて真の自由を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/2co.3.17.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/26

2017-09-26 07:30:15 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 96:1-3
「新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかってうたえ。 主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。日ごとにその救を宣べ伝えよ。 もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。」

私たちが讃美を捧げる目的は、第一には神様をほめたたえるためですが、第二の目的は主の栄光を世に示して福音を宣べ伝えるためです。自己満足や自己憐憫のための讃美に陥ることなく、まだ主を知らぬ世人のために、讃美を通して神様の素晴らしさを広く伝える私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.96.1-3.ja1955

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詩篇 96:4-6
「主は大いなる神であって、いともほめたたうべきもの、もろもろの神にまさって恐るべき者である。 もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主はもろもろの天を造られた。 誉と、威厳とはそのみ前にあり、力と、うるわしさとはその聖所にある。」

私たちが主に向かって讃美を捧げる理由は、天地万物を創造された主だけが唯一無二の大いなる神、栄誉と威厳と力と麗しさをすべて備えた、真に畏れ敬うべきお方であるからです。人の手の作り出した虚しい神々に仕える愚かさに世の人々が気付き、私たちを造り守られるまことの神様に立ち帰ることのできるように、主の証人としての責務を果たす私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.96.4-6.ja1955

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詩篇 96:7-9, 11-12
「もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。 そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えてその大庭にきたれ。 聖なる装いをして主を拝め、全地よ、そのみ前におののけ。

天は喜び、地は楽しみ、海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、 田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。そのとき、林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌うであろう。」

美しい大自然や野に咲く名もなき小さな花々は、誰も見ていなくてもどうしてこれほどまでに美しく装っているのでしょうか。それはすべての被造物に目を留められる神様に栄光を帰するためではないでしょうか。神のかたちに造られた私たちはなおさら、自ら率先して主の御名を讃美し、神様に栄光を帰するために力を尽くさずにはおられません。神様が授けてくださった賜物のすべてを用いて、全身全霊を込めて主の御名をほめたたえ、神様の素晴らしさを世に証してその栄光を世に顕す私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.96.7-9,11-12.ja1955

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詩篇 96:10, 13
『もろもろの国民の中に言え、「主は王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。

主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。』

神様が私たちに約束してくださったことは、全地の王となられた主は必ずこの地を裁くために来られるということです。私たちにとって再臨は決して想像の世界のものではなく、確かに起こるべき現実的なものと受け止めて待ち望まなければなりません。主の再臨が成就するとき、この世の罪と悪しき者は裁かれ、主の御言葉に聞き従って耐え続けた義人たちは高く引き上げられます。この再臨の希望に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.96.10,13.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/26

2017-09-26 06:35:03 | 今日の聖句
箴言 16:9
「人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。」

私たちは様々な人生の計画を心に思い描きますが、理想と現実のギャップに失望し、夢破れて悲嘆に暮れる日々の実に多いものです。思い通りにならない人生に失望する前に、人の歩みを導かれる主にすべてを委ねることがさいわいな人生の秘訣であることを学ばせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.16.9.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/25

2017-09-25 07:25:17 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 95:1-3
「さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。 われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。 主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。」

今日の詩篇は私たちが礼拝を捧げる前に読まれる招詞としてよく用いられる箇所ですが、礼拝の心得が記されています。まず第一に、なぜ私たちが礼拝を捧げるのか、その理由は聖書の神様がすべての神々と称されるものや、地上のあらゆる権威よりもはるかに偉大なまことの神であられるからです。その神様の御前に自ら進み出て感謝を捧げ、喜びの心をもって讃美を捧げて礼拝することが、私たち人間の為すべきことです。同時に礼拝は決して私たち人間の側の都合で決まるものではないことも戒めています。

http://bible.com/81/psa.95.1-3.ja1955

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詩篇 95:6-7
「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。 主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」

礼拝で為される大切な要素は、神様との交わり、対話です。私たち人間の側からは、偉大な王であられる神様に向かって畏敬の念と服従する心を表すことです。そして神様の側から私たちに向かう礼拝の要素は、主の語られる御声を聞くことです。服従は聞くことから始まります。神様の御前にひれ伏しひざまずいて心から主をあがめ、主の御言葉に聞き従う、まことの礼拝を捧げる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.95.6-7.ja1955

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詩篇 95:8-11
『あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。 あの時、あなたがたの先祖たちはわたしのわざを見たにもかかわらず、わたしを試み、わたしをためした。 わたしは四十年の間、その代をきらって言った、「彼らは心の誤っている民であって、わたしの道を知らない」と。 それゆえ、わたしは憤って、彼らはわが安息に入ることができないと誓った。』

神様が私たちに求めておられることは、心を頑なにしてはならないということです。メリバあるいはマッサの水の出来事は、出エジプトの始めの頃に起きたイスラエルの民たちの反逆です。彼らは紅海を渡る大奇跡を目の当たり経験しながら、荒野に入り飲む水がなくなると、神様は荒野で自分たちを殺そうとしているのだと言ってつぶやきました。それゆえ神様は心を頑なにしてつぶやいた世代の人々を約束の地に入れず、イスラエルの民が神様に対する絶対的な信頼と服従の心を身に付けるまで40年の間、荒野を放浪させました。私たちもまた試練のときに、神様が本当におられるなら何故こんな苦しみに遭わなければならないのかと言って、神様に向かってつぶやくことはないでしょうか。そのような私たちに神様は、心を頑なにしてはならない、と戒められます。順調なときも逆境のときも心を頑なにすることなく、変わらない心で神様に従い続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.95.8-11.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/25

2017-09-25 06:35:11 | 今日の聖句
箴言 16:6
「いつくしみとまことによって、とがはあがなわれる、主を恐れることによって、人は悪を免れる。」

覆水盆に返らずとの諺の如く、私たちがどれほど努力しても、犯した罪をなかったことにすることはできません。罪咎を赦すことのできるお方は、いと聖なるお方である神様だけです。主を畏れ敬い、主の慈しみとまことが現されたキリストの十字架によって罪を購われるさいわいに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.16.6.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/24

2017-09-24 07:12:57 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 94:3-7
『主よ、悪しき者はいつまで、悪しき者はいつまで勝ち誇るでしょうか。 彼らは高慢な言葉を吐き散らし、すべて不義を行う者はみずから高ぶります。 主よ、彼らはあなたの民を打ち砕き、あなたの嗣業を苦しめます。 彼らはやもめと旅びとのいのちをうばい、みなしごを殺します。 彼らは言います、「主は見ない、ヤコブの神は悟らない」と。』

昔も今も、この世の繁栄を満喫する心の高ぶった者たちは神様の存在を否定し、あるいは神様の権威を無に等しいとおとしめて勝ち誇ります。悪しき者が栄え、正直者が馬鹿を見る不条理がまかり通る現実に、まことの神を信じる心の正しい者は心を痛めて主に訴えます。抗うことのできない現状はすべて主に委ねて、神様の時を待つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.94.3-7.ja1955

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詩篇 94:12-15
「主よ、あなたによって懲らされる人、あなたのおきてを教えられる人はさいわいです。 あなたはその人を災の日からのがれさせ、悪しき者のために穴が掘られるまでその人に平安を与えられます。 主はその民を捨てず、その嗣業を見捨てられないからです。 さばきは正義に帰り、すべて心の正しい者はそれに従うでしょう。」

神様に敵対して勝ち誇る悪しき者たちを裁いてくださいと訴える中で、主の懲らしめを受ける人、主のおきてを教えられる人はさいわいですと信仰告白しています。なぜなら御言葉に聞き従い主の民とされた者は、やがて来たる再臨の日には裁きを逃れることができるからです。たといこの世では苦しめられていてもなお神様を信じる心の直き者を、神様は決して見捨てることなどなさいません。この信仰に固く立ち、この世の苦しみを耐え忍ぶ力をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.94.12-15.ja1955

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詩篇 94:17-19
『もしも主がわたしを助けられなかったならば、わが魂はとくに音なき所に住んだであろう。 しかし「わたしの足がすべる」と思ったとき、主よ、あなたのいつくしみはわたしをささえられました。 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。』

私たちは主の支えなしに生きることなどできない存在です。主の助けがなければ自分はとっくに死んだ者に等しかったでしょうと、この事実を素直に認めることのできる聡き者は、足下をすくわれそうなときにも私たちを支え、絶体絶命の危機から救い出される主の慈しみを受けるさいわいに与ることができます。たといこの世の生涯は思い煩いに満ちるとも、主をわが慰めとして希望の光を見出し、魂の喜びを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.94.17-19.ja1955
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【今日の聖句】 2017/09/24

2017-09-24 06:20:30 | 今日の聖句
詩篇 4:8
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」

何でもスピードが求められる現代、毎日が忙しく、ほっと一息つく間もなく、ただ慌ただしく時が過ぎ去ってしまいがちです。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」とおっしゃる主イエス様の御許に集い、まことの平安を得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.4.8.ja1955
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【COGHCC聖書通読】 2017/09/23

2017-09-23 08:00:14 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 93:1-2
「主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。 あなたの位はいにしえより堅く立ち、あなたはとこしえよりいらせられます。」

私たちの信じる神様は、天地を統べ治められるまことの王なるお方です。王には王に相応しい威厳と権威と力が衣をまとうように備わっています。神様が永遠の王として在位される神の国は固く立ち、動かされることがありません。私たちはこの威光に満ちた力強い神様を王とする神の国の国民とされた者です。私たちの信仰生活が神様に支配されたもの、何事も神様の価値基準で物事を判断するようになり、栄光の神の国の国民に相応しい者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.93.1-2.ja1955

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詩篇 93:3-4
「主よ、大水は声をあげました。大水はその声をあげました。大水はそのとどろく声をあげます。 主は高き所にいらせられて、その勢いは多くの水のとどろきにまさり、海の大波にまさって盛んです。」

大水にはすべてを押し流す、洗い流す、埋め尽くす力があります。怒濤のように押し寄せる神様のきよめの大水が私たちの罪をすべて洗い流して跡形もなくなるように、そして主の恵みの大水が私たちを飲み尽くしてあふれるばかりの愛の内に生かされる者とならせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/psa.93.3-4.ja1955

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詩篇 93:5
「あなたのあかしはいとも確かです。主よ、聖なることはとこしえまでもあなたの家にふさわしいのです。」

神様のご性質は絶対的に聖なるお方であることです。このきよさは、神様に備えられた王としての風格であり、神の国を支配する力であり、そのご支配が永遠に及ぶ確かさであり、すべてを超越する崇高さであり、実にまことの王であられる神様に相応しい品性の証明です。神の国の民とされた私たちもまた、いと聖なる神様のきよさに与ることができるとは、なんと素晴らしい特権でしょうか。日々きよめを求め、神の国の民に相応しい者とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.93.5.ja1955
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