伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/08/18

2018-08-18 19:30:17 | 一日一章・聖書通読日記
ヨナ書 1:1-3

主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。 しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。

ヨナ書は小預言書の中でもストーリー性に富み、子ども讃美歌や聖書絵本にも必ずと言っていいほど出てくる実に単純明快な物語ですが、その内容を深く読み解くと福音書の要素が凝縮されている非常に示唆に満ちた、表面的な理解だけで通り過ごすには勿体ない書物です。ヨナは列王記下14章にその名前が記されていることから、エリシャと同じ時代に活躍した預言者の一人と考えられています。主はヨナにアッスリヤの首都ニネベに行くようにと命じましたが、ヨナは東ではなく西のヨッパに下り、当時は世界の西の最果てと思われていたタルシシに向かう船に乗船しました。すなわちヨナは、神様の御言葉を人々に伝える預言者でありながら、神様のご命令に背き、正反対の道を進んだのです。ヨナの心の内にあった思いは、「下り」「主の前を離れて」という言葉に如実に表されています。ヨッパに着いたらちょうどタルシシに行く船があったと、まさに渡りに船のような状況でしたが、それが必ずしも神様の御心に適うこととは限らず、むしろ災いの始まりだったのです。表面的な事象だけに目を留めて深く御心を求めようとせず、何でもかんでも結果オーライで済ませるような行き当たりばったりの人生を、私たちは決して選択してはなりません。

http://bible.com/81/jon.1.1-3.ja1955

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ヨナ書 1:4-6

時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。 それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。 そこで船長は来て、彼に言った、「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい。神があるいは、われわれを顧みて、助けてくださるだろう」。

主の目を避けてタルシシに逃れようとしたヨナが乗った船は、地中海を航行中に激しい嵐に遭い、水夫たちは各々の信じる神々に祈願すると共に、沈没を避けるために積み荷を捨て始めました。そんな中でヨナだけは船底でぐっすり眠っていたのは、ちょうどガリラヤ湖で嵐に遭った弟子たちがイエス様を起こした場面を想起させます。おそらくヨナは、この嵐の起きた理由を知っていたのです。世の人々は苦しいときの神頼みで、いのちを救うためには藁をもすがる思いで偶像の神々に呼ばわりますが、まことの神様の摂理を知る者は、嵐の中でもうろたえる必要はありません。

http://bible.com/81/jon.1.4-6.ja1955

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ヨナ書 1:7-10

やがて人々は互に言った、「この災がわれわれに臨んだのは、だれのせいか知るために、さあ、くじを引いてみよう」。そして彼らが、くじを引いたところ、くじはヨナに当った。 そこで人々はヨナに言った、「この災がだれのせいで、われわれに臨んだのか、われわれに告げなさい。あなたの職業は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。あなたはどこの民か」。 ヨナは彼らに言った、「わたしはヘブルびとです。わたしは海と陸とをお造りになった天の神、主を恐れる者です」。 そこで人々ははなはだしく恐れて、彼に言った、「あなたはなんたる事をしてくれたのか」。人々は彼がさきに彼らに告げた事によって、彼が主の前を離れて、のがれようとしていた事を知っていたからである。

積み荷を捨てても、神々に祈っても嵐は収まらず、途方に暮れた人々は、嵐の起きた理由は乗船者たちの中にあると勘付き、くじを引いて原因追究することにしました。するとくじはヨナに当たり、人々がヨナが天地万物を造られたヘブル人の神を恐れる者であると聞くと、「あなたは何たる事をしたのか」とヨナを問い詰めました。図らずもヨナの不服従が、乗船者全員のいのちに関わる事態になるとは、当初は夢にも思ってみなかっかことでしょう。私たちが主に聞き従わなかったがために、その小さな罪が大きな悪影響を及ぼして、関係のない人々のいのちさえも脅かす事態にさえなる得ることを、私たちはしかと心に留めなければなりません。

http://bible.com/81/jon.1.7-10.ja1955

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ヨナ書 1:11-16

人々は彼に言った、「われわれのために海が静まるには、あなたをどうしたらよかろうか」。それは海がますます荒れてきたからである。 ヨナは彼らに言った、「わたしを取って海に投げ入れなさい。そうしたら海は、あなたがたのために静まるでしょう。わたしにはよくわかっています。この激しい暴風があなたがたに臨んだのは、わたしのせいです」。 しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった。それは海が彼らに逆らって、いよいよ荒れたからである。そこで人々は主に呼ばわって言った、「主よ、どうぞ、この人の生命のために、われわれを滅ぼさないでください。また罪なき血を、われわれに帰しないでください。主よ、これはみ心に従って、なされた事だからです」。 そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。

嵐を鎮めるためにどうしたらよいかと尋ねた人々に、ヨナは主の目を避けて逃れようとした自分に全責任があること、また自分を海に投げ込めば神様の怒りがやんで嵐は静まると答えました。ヨナは既に、自ら犯した過ちの責任の取り方を心得ていたのです。人々はさすがにこの嵐の海にヨナを投げ込むことを躊躇し、何とか自力で嵐からの脱出を試みましたがその努力も空しく、万策尽きてついにヨナを海に投げ込むと、たちまちのうちに嵐はやんで大凪になりました。この顛末の一部始終を体験して、乗船者たちは大自然をも統べ治められるまことの神を畏れ、主に立ち帰って礼拝しました。ヨナの背信行為は確かに災いを引き起こしましたが、神様はヨナの失敗をも、ご自身のまことの神であることを多くの人に証する機会として用いられました。万事を益と為してくださる主の御名をあがめつつも、望むらくは最初から主に聞き従う選択を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.1.11-16.ja1955

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ヨナ書 1:17

主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。

この一節は、新共同訳聖書では2章に組み入れられていますが、これまでの物語の顛末からヨナに起きた変化を繋ぐ重要な一節で、この短い一節に非常に多くの恵みが詰まっています。まず1つ目は、自ら犯した過ちを償うために海に投げ込まれたヨナを嵐の海から守るために、神様は大きな魚を備えてくださったという守りの恵みです。過ちを隠し通してシラを切ることなく、自分の責任だと素直に認めたヨナの反省と改心を、神様は受け入れてくださったのです。2つ目は「ヨナが魚の腹の中にいた」という表現は、原文では母の胎内にいた、という意味を持つ言葉が使われているそうです。不従順だったヨナを再創造して生まれ変わらせるプロセスのために、神様は魚の腹を用意されたのです。3つ目は、新約聖書でイエス様が引用されたように、3日3晩というのは主イエス・キリストの死と復活を暗示する預言的行動の一つです。ヨナは罪深い古い自分に死に、罪赦され新しいいのちに生きる者の予表として、魚の腹の中で過ごすときが必要だったのです。聖書の御言葉は、読めば読むほど多くの恵みが何層にも重なっていることに気付かされます。御言葉を味わい深く噛みしめる恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/jon.1.17.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/18

2018-08-18 07:15:16 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 8:26

「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」

私たちの心の内に住まう聖霊なる神は、私たちの思いを誰よりもよくご存じであられる助け主であられます。祈ることもできないほどの悲しみや苦難のとき、言葉にならない私たちの思いを代弁して、御霊自ら執り成して祈ってくださいますから感謝いたします。

http://bible.com/1819/rom.8.26.新共同訳
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