伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/08/13

2018-08-13 06:50:14 | 一日一章・聖書通読日記
アモス書 6:1-3

「わざわいなるかな、安らかにシオンにいる者、また安心してサマリヤの山にいる者、諸国民のかしらのうちの著名な人々で、イスラエルの家がきて従う者よ。 カルネに渡って見よ。そこから大ハマテに行き、またペリシテびとのガテに下って見よ。彼らはこれらの国にまさっているか。彼らの土地はあなたがたの土地よりも大きいか。 あなたがたは災の日を遠ざけ、強暴の座を近づけている。」

シオンの山とは聖なる都エルサレム、サマリヤの山とは北イスラエル王国で偶像礼拝を捧げる高き所を指す言葉で、全イスラエルの民に向かってアモスは「わざわいなるかな」と預言します。何が災いなのか? それはシリヤの町カルネと大ハマテやペリシテの町ガテなど、繁栄を誇った他国がアッシリヤによって滅ぼされたことを見ながら、自分たちは決して滅ぼされることはないと根拠のない平安を唱えて自分たちを慰めていないか、という警告です。「人の振り見てわが振り直せ」という諺があります。他人の過ちや過去の歴史上の出来事から賢く学び、二の轍を踏まないように自らの行動を改めなさいという意味の諺です。ヤラベアム2世の時代の繁栄を誇っていた北イスラエル王国は、まさにこの諺がびったり当てはまる状況でした。世界一の借金大国でありながら繁栄している現在の日本も、イスラエルの犯した過ちを「他山の石」として賢く学び、心から悔い改めて主に立ち帰らなければ災いを免れることはできません。

http://bible.com/81/amo.6.1-3.ja1955

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アモス書 6:4-7

「わざわいなるかな、みずから象牙の寝台に伏し、長いすの上に身を伸ばし、群れのうちから小羊を取り、牛舎のうちから子牛を取って食べ、 琴の音に合わせて歌い騒ぎ、ダビデのように楽器を造り出し、 鉢をもって酒を飲み、いとも尊い油を身にぬり、ヨセフの破滅を悲しまない者たちよ。 それゆえ今、彼らは捕われて、捕われ人のまっ先に立って行く。そしてかの身を伸ばした者どもの騒ぎはやむであろう」。

象牙の寝台や優雅なソファーに身を横たえながら豪勢なごちそうに舌鼓を打ち、様々な楽器の生演奏に合わせて酒を飲みながらどんちゃん騒ぎをし、高価な香水や香油を塗って乱痴気パーティーを繰り広げていた北イスラエル王国の富裕層に対し、繁栄した者の破滅から目を背けて好き勝手なことを行っていても、やがてすべてを失い、敵の捕虜となって滅びの道を歩むことになると警告されました。これはバブル時代の日本でも繰り広げられていた光景です。その結果はどうなったか? いつまでも繁栄の時代は続いたでしょうかか? 答えはノーであることは、後のバブル崩壊やリーマンショックを経験した私たちには自明のことと思います。将来の不安を打ち消すために自分のやりたいことだけに没頭して現実逃避してばかりいるままでは、必ず身の破滅を招くことを、私たちはとくと知り置かなければなりません。

http://bible.com/81/amo.6.4-7.ja1955

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アモス書 6:8-11

主なる神はおのれによって誓われた、(万軍の神、主は言われる、)「わたしはヤコブの誇を忌みきらい、そのもろもろの宮殿を憎む。わたしはこの町とすべてその中にいる者を渡す」。 一つの家に十人の者が残っていても、彼らは死に、 そしてその親戚、すなわちこれを焼く者は、骨を家から運びだすために、これを取り上げ、またその家の奥にいる者に向かって、「まだあなたと共にいる者があるか」と言い、「ない」との答がある時、かの人はまた「声を出すな、主の名をとなえるな」と言うであろう。 見よ、主は命じて、大きな家を撃って、みじんとなし、小さな家を撃って、切れ切れとされる。

ヤコブの誇りとは、今の祝福された生活を賜った神様に感謝することなく、自分の功績として驕り高ぶったイスラエルの人々の状況を指します。そして「主の名をとなえるな」というのは、主の懲らしめを受けて滅びの時が来ても主に悔い改めることをせず、むしろ災いをもたらす諸悪の根元と見なして主に呼び求めない頑なな心です。そのような強情な民を、神様は大きな家に住んでいる富裕層から小さな家に住む庶民に至るまで、粉微塵に打ち砕くと宣告されます。本当に打ち砕かれなければならないのは、頑なな私たちの心です。

http://bible.com/81/amo.6.8-11.ja1955

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アモス書 6:12-14

馬は岩の上を走るだろうか。人は牛で海を耕すだろうか。ところがあなたがたは公道を毒に変じ、正義の実をにがよもぎに変じた。 あなたがたはロデバルを喜び、「われわれは自分の力でカルナイムを得たではないか」と言う。 それゆえ、万軍の神、主は言われる、「イスラエルの家よ、見よ、わたしは一つの国民を起して、あなたがたに敵対させる。彼らはハマテの入口からアラバの川まであなたがたを悩ます」。

ロデバルとカルナイムは共にヤラベアム2世の時代に北イスラエルの領地となった町の名前で、この2つの町の名を合わせることにより、己の力に頼ることはつまらないもの、という揶揄を含めた言葉だそうです。確かにヤラベアム2世は政治手腕に長けた偉大な人物であったかもしれませんが、国を栄えさせるのも滅ぼされるのもまことの神、主の御許しがなければ成し得ないことだということに気が付かなかったのが彼の最大の過ちでした。たとい領土はハマテの入口からアラバの川まで拡大しても、一つの国民すなわちアッシリヤ帝国によってすべて奪い去られることとなりました。己の力に酔いしれ、主に寄り頼まず、まことの神に栄光を帰しない者の行く末は、没落と屈辱の日々が待ち受けています。

http://bible.com/81/amo.6.12-14.ja1955
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【今日の聖句】 2018/08/13

2018-08-13 06:00:23 | 今日の聖句
詩編 27:1 新共同訳

【ダビデの詩。】
主はわたしの光、わたしの救い
わたしは誰を恐れよう。
主はわたしの命の砦
わたしは誰の前におののくことがあろう。

人は声の大きい者の脅し文句に弱く、常に不安との戦いに悩まされるものです。いのちを付け狙われる危機に直面してもまことの神に絶対的信頼を置いたダビデのように、悪しき者の勢力の前に怖じ気付くことなく、万軍の主に信頼して平安をいただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.27.1.新共同訳
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