伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2020/08/31

2020-08-31 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 9:1-10

ヨブは答えて言った、 「まことにわたしは、その事のそのとおりであることを知っている。しかし人はどうして神の前に正しくありえようか。 よし彼と争おうとしても、千に一つも答えることができない。 彼は心賢く、力強くあられる。だれが彼にむかい、おのれをかたくなにして、栄えた者があるか。 彼は、山を移されるが、山は知らない。彼は怒りをもって、これらをくつがえされる。 彼が、地を震い動かしてその所を離れさせられると、その柱はゆらぐ。 彼が日に命じられると、日は出ない。彼はまた星を閉じこめられる。 彼はただひとり天を張り、海の波を踏まれた。 彼は北斗、オリオン、プレアデスおよび南の密室を造られた。 彼が大いなる事をされることは測りがたく、不思議な事をされることは数知れない。」

神は正しい者を栄えさせ、罪ある者に災いを来たらせるとのビルダデの主張に、ヨブもまた、その見解はその通りだと自分も認識していると答えました。その上で、人はどうして神の御前に正しくありえようかと答えて、人とは罪ある存在に過ぎないのだと語りました。また、神は人には想像だにしない大いなることを行われるお方であると語り、人には不思議に思えることを平然となさる神の偉大さと奥深さをほめたたえました。ビルダデの神観は人から伝え聞いた知恵の受け売りの一般論に過ぎなかったのに対し、ヨブの神観の方がはるかに真理を悟っています。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.1-10.ja1955

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ヨブ記 9:11-20

「見よ、彼がわたしのかたわらを通られても、わたしは彼を見ない。彼は進み行かれるが、わたしは彼を認めない。 見よ、彼が奪い去られるのに、だれが彼をはばむことができるか。だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と言うことができるか。 神はその怒りをやめられない。ラハブを助ける者どもは彼のもとにかがんだ。 どうしてわたしは彼に答え、言葉を選んで、彼と議論することができよう。 たといわたしは正しくても答えることができない。わたしを責められる者にあわれみを請わなければならない。 たといわたしが呼ばわり、彼がわたしに答えられても、わたしの声に耳を傾けられたとは信じない。 彼は大風をもってわたしを撃ち砕き、ゆえなく、わたしに多くの傷を負わせ、 わたしに息をつかせず、苦い物をもってわたしを満たされる。 力の争いであるならば、彼を見よ、さばきの事であるならば、だれが彼を呼び出すことができよう。 たといわたしは正しくても、わたしの口はわたしを罪ある者とする。たといわたしは罪がなくても、彼はわたしを曲った者とする。」

神は私たち人間の目には見えないお方であり、人の想像をはるかに超えた偉大な業を行われる故、人には神に対して、どうしてそんなことをなさるのですか?と意見することなど到底できないのだとヨブは語っています。たとい自分には罪を行った自覚がなくとも、災いを受けるべき理由がなくとも、神に向かってつぶやく愚かな者とならず、神がなさったことをそのまま受け入れることこそ、私たち人間の本分です。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.11-20.ja1955

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ヨブ記 9:21-28

「わたしは罪がない、しかしわたしは自分を知らない。わたしは自分の命をいとう。 皆同一である。それゆえ、わたしは言う、『彼は罪のない者と、悪しき者とを共に滅ぼされるのだ』と。 災がにわかに人を殺すような事があると、彼は罪のない者の苦難をあざ笑われる。 世は悪人の手に渡されてある。彼はその裁判人の顔をおおわれる。もし彼でなければ、これはだれのしわざか。 わたしの日は飛脚よりも速く、飛び去って幸を見ない。 これは走ること葦舟のごとく、えじきに襲いかかる、わしのようだ。 たといわたしは『わが嘆きを忘れ、憂い顔をかえて元気よくなろう』と言っても、 わたしはわがもろもろの苦しみを恐れる。あなたがわたしを罪なき者とされないことをわたしは知っているからだ。」

ヨブ自身は、自分が罪を犯した身に覚えは一切ないと断言できましたが、神が自分に災いをもたらされたということは、何かしら罪があったのだと断言されても仕方なく、罪を犯していないのに罪人と一緒に滅ぼされるのは、神と人との仲裁人がいないからだと嘆き悲しみました。徹底して罪から遠ざかる人生を歩んできたヨブにとって、罪人と一緒に、あるいはそれ以上の災いを身に負わされている状況は、なかなか受け入れられない現実だったことでしょう。そのため、もはや神は自分を罪なき者と認めてくださらない以上、この世に生きてゆく価値がないと、厭世的な思いを抱いたのであろうと推察します。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.21-28.ja1955

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ヨブ記 9:29-35

「わたしは罪ある者とされている。どうして、いたずらに労する必要があるか。 たといわたしは雪で身を洗い、灰汁で手を清めても、 あなたはわたしを、みぞの中に投げ込まれるので、わたしの着物も、わたしをいとうようになる。 神はわたしのように人ではないゆえ、わたしは彼に答えることができない。われわれは共にさばきに臨むことができない。 われわれの間には、われわれふたりの上に手を置くべき仲裁者がない。 どうか彼がそのつえをわたしから取り離し、その怒りをもって、わたしを恐れさせられないように。 そうすれば、わたしは語って、彼を恐れることはない。わたしはみずからそのような者ではないからだ。」

神が自分を罪なき者と認めてくださらないと嘆いたヨブは、神と人とを執り成す仲裁者がいないことを嘆きました。これが旧約聖書時代の神学の限界です。しかし私たちには、神と人との間に立って執り成してくださる、主イエスが常に共にいてくださいますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/job.9.29-35.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/31

2020-08-31 05:30:00 | 今日の聖句
箴言 序 3:7 新共同訳

自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。

己を知恵ある者と思い上がる者は、心に驕り高ぶり自ら神に成り代わろうとする不敬の輩です。主を畏れることこそ知恵のはじめと心得、真理の御言葉に聞き従い罪と悪から遠ざかるまことの知者となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.3.7.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/30

2020-08-30 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 8:1-7

時にシュヒびとビルダデが答えて言った、 「いつまであなたは、そのような事を言うのか。あなたの口の言葉は荒い風ではないか。 神は公義を曲げられるであろうか。全能者は正義を曲げられるであろうか。 あなたの子たちが彼に罪を犯したので、彼らをそのとがの手に渡されたのだ。 あなたがもし神に求め、全能者に祈るならば、 あなたがもし清く、正しくあるならば、彼は必ずあなたのために立って、あなたの正しいすみかを栄えさせられる。 あなたの初めは小さくあっても、あなたの終りは非常に大きくなるであろう。」

エリパズの主張に反論したヨブに対し、ビルダデが声を上げました。ビルダデの主張こそ、正しい人は栄え、悪しき者は懲らしめられるという、まさに因果応報の考え方です。神は正しい人を栄えさせるはずであるから、ヨブの子たちが死んでしまったのは神に対して何かしらの罪を犯したからだと断定しています。そしてヨブに対しても、あなたが神に祈り、正しく生きているならば、神があなたのために働かれて、その結末を大いに祝福されるであろうと説いています。しかしこの世の生涯における日々の生活が祝福されているかどうかがその人の義を判断する基準となるならば、人の悩みはありません。

https://www.bible.com/bible/81/job.8.1-7.ja1955

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ヨブ記 8:8-18

「先の代の人に問うてみよ、先祖たちの尋ねきわめた事を学べ。 われわれはただ、きのうからあった者で、何も知らない、われわれの世にある日は、影のようなものである。 彼らはあなたに教え、あなたに語り、その悟りから言葉を出さないであろうか。 紙草は泥のない所に生長することができようか。葦は水のない所におい茂ることができようか。 これはなお青くて、まだ刈られないのに、すべての草に先だって枯れる。 すべて神を忘れる者の道はこのとおりだ。神を信じない者の望みは滅びる。 その頼むところは断たれ、その寄るところは、くもの巣のようだ。 その家によりかかろうとすれば、家は立たず、それにすがろうとしても、それは耐えない。 彼は日の前に青々と茂り、その若枝を園にはびこらせ、 その根を石塚にからませ、岩の間に生きていても、 もしその所から取り除かれれば、その所は彼を拒んで言うであろう、『わたしはあなたを見たことがない』と。」

ビルダデの考え方は彼独自のものではなく、当時の先人たちが考え出した人の義の基準でした。確かに罪の結果は滅びですが、災いに遭ったからといって、必ずしもその人が罪を犯した証拠となるわけではありません。ビルダデの主張は必ずしも間違いではありませんが、正しい者であっても苦難に遭うことがあるという視点が、ピルダデの言葉には欠如しています。愛のない正義の典型的な例です。私たちは、自分の考えに基づく義を振りかざすようなことをしてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/job.8.8-18.ja1955

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ヨブ記 8:19-22

見よ、これこそ彼の道の喜びである、そしてほかの者が地から生じるであろう。 見よ、神は全き人を捨てられない。また悪を行う者の手を支持されない。 彼は笑いをもってあなたの口を満たし、喜びの声をもってあなたのくちびるを満たされる。 あなたを憎む者は恥を着せられ、悪しき者の天幕はなくなる」。

自分が教えられてきた義の基準を披露したビルダデは、突然の苦難に遭ったヨブを、神の御心に適わない者として断罪しています。そしてヨブの代わりに出てくる義人が栄えるであろうと告げました。神は正しい者の味方、悪を行う者を支持しないと結論づけ、神を憎む者は恥を被り、天幕を失うと語りました。これはヨブの苦難を悪の故であると間接的に非難する言葉です。人の考える義の基準はどれほど不完全で、人の悲しみに寄り添わないものであるかがよくわかります。

https://www.bible.com/bible/81/job.8.19-22.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/30

2020-08-30 06:05:00 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙一 12:25-27 新共同訳‬‬

それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

私たちの体調が悪いとき、身体の一部に疾患や傷を負ったとき、体全体が痛みを共有するように、キリストの体なる教会もまた痛みを共に分かち合い支え合うものであるべきです。喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ、愛によって堅く結び合わされ、一致団結して神の御心をこの世に現す私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1co.12.25-27.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/29

2020-08-29 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 7:1-6

「地上の人には、激しい労務があるではないか。またその日は雇人の日のようではないか。 奴隷が夕暮を慕うように、雇人がその賃銀を望むように、 わたしは、むなしい月を持たせられ、悩みの夜を与えられる。 わたしは寝るときに言う、『いつ起きるだろうか』と。しかし夜は長く、暁までころびまわる。 わたしの肉はうじと土くれとをまとい、わたしの皮は固まっては、またくずれる。 わたしの日は機のひよりも速く、望みをもたずに消え去る。」

ヨブの苦しみは、寝ようとしても痒さの故に熟睡することのできない長い夜を過ごし、かさぶたができてもまたすぐに別の箇所の皮膚が崩れてゆくという、終わりの見えない苦しみでした。過酷な重労働を強いられる日雇い人夫でさえ、夕方には辛い仕事も終わり賃金が支払われるというのに、自分はいつまで待たなければならないのですか?と神に訴えています。私たちの人生においても、いつまで苦しみが続くのかわからない不安で押しつぶされそうな夜を過ごすことがあるでしょう。しかし神は必ず苦難を乗り越えた後の祝福を用意しておられますから、私たちは希望を見失ってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/job.7.1-6.ja1955

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ヨブ記 7:7-16

「記憶せよ、わたしの命は息にすぎないことを。わたしの目は再び幸を見ることがない。 わたしを見る者の目は、かさねてわたしを見ることがなく、あなたがわたしに目を向けられても、わたしはいない。 雲が消えて、なくなるように、陰府に下る者は上がって来ることがない。 彼は再びその家に帰らず、彼の所も、もはや彼を認めない。 それゆえ、わたしはわが口をおさえず、わたしの霊のもだえによって語り、わたしの魂の苦しさによって嘆く。 わたしは海であるのか、龍であるのか、あなたはわたしの上に見張りを置かれる。 『わたしの床はわたしを慰め、わたしの寝床はわが嘆きを軽くする』とわたしが言うとき、 あなたは夢をもってわたしを驚かし、幻をもってわたしを恐れさせられる。 それゆえ、わたしは息の止まることを願い、わが骨よりもむしろ死を選ぶ。 わたしは命をいとう。わたしは長く生きることを望まない。わたしに構わないでください。わたしの日は息にすぎないのだから。」

ヨブは自分のいのちは神の息によるものだと知っていました。しかし次々と災いに襲われたヨブは、神に向かい、これ以上自分の人生に関わらないでください、長寿など望みませんから、もういのちの息を引き取ってくださいと、神に嘆願しました。果てしのない苦難の故に死を望んだヨブの気持ちはわからなくもありません。しかし神は私たちの人生に積極的に関わろうとしてくださっていることを決して忘れないでください。

https://www.bible.com/bible/81/job.7.7-16.ja1955

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ヨブ記 7:17-21

「人は何者なので、あなたはこれを大きなものとし、これにみ心をとめ、 朝ごとに、これを尋ね、絶え間なく、これを試みられるのか。 いつまで、あなたはわたしに目を離さず、つばをのむまも、わたしを捨てておかれないのか。 人を監視される者よ、わたしが罪を犯したとて、あなたに何をなしえようか。なにゆえ、わたしをあなたの的とし、わたしをあなたの重荷とされるのか。 なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、わたしの不義を除かれないのか。わたしはいま土の中に横たわる。あなたがわたしを尋ねられても、わたしはいないでしょう」。

冒頭の「人は何者なので…」との言葉は詩篇にもありますが、ここでは全くの正反対の意味としてヨブは語っています。富も、財産も、愛する子どもたちさえもすべてを失い、己の身さえも癒えがたい病に冒され、こんな自分をいつまでじっと監視し続けているのですか?と、神に訴えています。神に召し出された者の人生は、必ずしも理想的なものではありません。沈黙という小説のように、どれほど祈っても、どれほど叫んでも、神は一切、答えてくださらないと感じる沈黙のときがあります。しかし私たちは知り置かなければなりません。神は決して私たちの心の叫びに答えてくださらないのではなく、遠目に眺めているだけの傍観者を決め込んでいるわけでもなく、神の時が満ちるのを黙って待っておられるのです。沈黙のとき、それは私たちが神を信頼し続けることができるか、すべてを神に委ねることができるか、私たちの信仰が試されます。

https://www.bible.com/bible/81/job.7.17-21.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/29

2020-08-29 05:00:30 | 今日の聖句
マタイによる福音書 6:3 新共同訳

施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。

古くから右手は善、左手は邪という考え方があります。人に施すという善行を、邪悪な心に渡してはならないとの戒めと捉え、純粋な心で、人目に付かぬように行ってはじめて、隠れた所を見ておられる主の報いを受けることができます。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.6.3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/28

2020-08-28 18:05:20 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 6:1-7

ヨブは答えて言った、 「どうかわたしの憤りが正しく量られ、同時にわたしの災も、はかりにかけられるように。 そうすれば、これは海の砂よりも重いに相違ない。それゆえ、わたしの言葉が軽率であったのだ。 全能者の矢が、わたしのうちにあり、わたしの霊はその毒を飲み、神の恐るべき軍勢が、わたしを襲い攻めている。 野ろばは、青草のあるのに鳴くであろうか。牛は飼葉の上でうなるであろうか。 味のない物は塩がなくて食べられようか。すべりひゆのしるは味があろうか。 わたしの食欲はこれに触れることを拒む。これは、わたしのきらう食物のようだ。」

人が災いに遭うのは罪を犯したためであるというエリパズの主張に対し、ヨブは自分の発した憤りが大きかったのは、自分が受けた災いが海の砂よりも重いからであると答えました。つまり、神がヨブにもたらした災いが余りにも大きかったために、つい愚痴をこぼしてしまったと答えることによって、エリパズが罪ありとしたヨブの発言を、罪から来たものではないと弁明しているのです。ヨブに罪があるから災いがもたらされたのだというエリパズの主張に対し、ヨブはこれらの災いが神から来たものであると正しく認識していたのです。

https://www.bible.com/bible/81/job.6.1-7.ja1955

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ヨブ記 6:8-13

「どうかわたしの求めるものが獲られるように。どうか神がわたしの望むものをくださるように。 どうか神がわたしを打ち滅ぼすことをよしとし、み手を伸べてわたしを断たれるように。 そうすれば、わたしはなお慰めを得、激しい苦しみの中にあっても喜ぶであろう。わたしは聖なる者の言葉を否んだことがないからだ。 わたしにどんな力があって、なお待たねばならないのか。わたしにどんな終りがあるので、なお耐え忍ばねばならないのか。 わたしの力は石の力のようであるのか。わたしの肉は青銅のようであるのか。 まことに、わたしのうちに助けはなく、救われる望みは、わたしから追いやられた。」

ヨブを罪ありとするエリパズに対して自らの身の潔白を主張したところで、ヨブは神から来るものはよいものも悪いものも拒まずに受けてきたと語り、これほどの災いをいつまで耐えなければならないのかと嘆きました。生まれた日を呪い、死を望んでも死にきれないと言った前言を撤回し、自分はこれ以上、神から来る苦難を耐え切れない、そんなに自分は力強い者ではないと、己の弱さを認めました。私たちは神の御前に弱い存在であることを素直に認め、神の憐れみにすがるしかないのです。

https://www.bible.com/bible/81/job.6.8-13.ja1955

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ヨブ記 6:14-23

「その友に対するいつくしみをさし控える者は、全能者を恐れることをすてる。 わが兄弟たちは谷川のように、過ぎ去る出水のように欺く。 これは氷のために黒くなり、そのうちに雪が隠れる。 これは暖かになると消え去り、暑くなるとその所からなくなる。 隊商はその道を転じ、むなしい所へ行って滅びる。 テマの隊商はこれを望み、シバの旅びとはこれを慕う。 彼らはこれにたよったために失望し、そこに来てみて、あわてる。 あなたがたは今わたしにはこのような者となった。あなたがたはわたしの災難を見て恐れた。 わたしは言ったことがあるか、『わたしに与えよ』と、あるいは『あなたがたの財産のうちからわたしのために、まいないを贈れ』と、 あるいは『あだの手からわたしを救い出せ』と、あるいは『しえたげる者の手からわたしをあがなえ』と。」

自分の身に降りかかった災難を見て言葉を失った3人の友人たちから、ヨブ自身に罪があるのではと攻撃されて、ヨブは反論し、自分は彼らに財産を求めたことも、救いを求めたこともないのに一方的に非難され、友に対する憐れみを捨てた者は神をも恐れず、友を簡単に切り捨てるのだと答えました。苦しいときの友こそ本当の友だと言われるように、泣く者と共に泣き、苦労を共に担い分かち合う真の友となることができますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.6.14-23.ja1955

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ヨブ記 6:24-30

「わたしに教えよ、そうすればわたしは黙るであろう。わたしの誤っている所をわたしに悟らせよ。 正しい言葉はいかに力のあるものか。しかしあなたがたの戒めは何を戒めるのか。 あなたがたは言葉を戒めうると思うのか。望みの絶えた者の語ることは風のようなものだ。 あなたがたは、みなしごのためにくじをひき、あなたがたの友をさえ売り買いするであろう。 今、どうぞわたしを見られよ、わたしはあなたがたの顔に向かって偽らない。 どうぞ、思いなおせ、まちがってはならない。さらに思いなおせ、わたしの義は、なおわたしのうちにある。 わたしの舌に不義があるか。わたしの口は災をわきまえることができぬであろうか。」

災いに遭う者には何らかの非があるのだと容赦ない言葉を浴びせかけられたヨブは、自分に過ちがあるならば指摘してみなさいと反論しました。実にヨブは神からも自慢の種となるほど、義に徹底した人だったからです。それなのに何か罪を犯したのではないかと痛くもない腹を探られて、ヨブの心痛は如何ばかりだったことでしょうか。自分の考える義の基準で人を裁くことは、相手を傷つけ、麗しい友情にも決定的な断絶を生んでしまいますから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/job.6.24-30.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/28

2020-08-28 05:35:35 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 8:28 新共同訳

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

神が私たちを召し出してくださったのは、壮大な救いのご計画に従い、万事を益とするために共に働く神の僕となることを望んでおられるからです。この神の御心を知った今、この世を罪から救うために主に忠実に仕える働き人となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.8.28.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/27

2020-08-27 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 5:1-7

「試みに呼んでみよ、だれかあなたに答える者があるか。どの聖者にあなたは頼もうとするのか。 確かに、憤りは愚かな者を殺し、ねたみはあさはかな者を死なせる。 わたしは愚かな者の根を張るのを見た、しかしわたしは、にわかにそのすみかをのろった。 その子らは安きを得ず、町の門でしえたげられても、これを救う者がない。 その収穫は飢えた人が食べ、いばらの中からさえ、これを奪う。また、かわいた者はその財産をあえぎ求める。 苦しみは、ちりから起るものでなく、悩みは土から生じるものでない。 人が生れて悩みを受けるのは、火の子が上に飛ぶにひとしい。」

エリパズはヨブに、人が苦しみに遭うのは土埃が舞うように理由もなく突然起こるのではなく、何らかの原因があるのだと語りました。不幸に憤り、自分の人生を呪う者は、子孫が途絶え、得た富も失うことになるというのがエリパズの主張です。エリパズの考えにも一理ありますが、苦難の中にいる人に正論を振りかざすことは、何の慰めにも励ましにもならず、かえって害になるだけです。

https://www.bible.com/bible/81/job.5.1-7.ja1955

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ヨブ記 5:8-16

「しかし、わたしであるならば、神に求め、神に、わたしの事をまかせる。 彼は大いなる事をされるかたで、測り知れない、その不思議なみわざは数えがたい。 彼は地に雨を降らせ、野に水を送られる。 彼は低い者を高くあげ、悲しむ者を引き上げて、安全にされる。 彼は悪賢い者の計りごとを敗られる。それで何事もその手になし遂げることはできない。 彼は賢い者を、彼ら自身の悪巧みによって捕え、曲った者の計りごとをくつがえされる。 彼らは昼も、やみに会い、真昼にも、夜のように手探りする。 彼は貧しい者を彼らの口のつるぎから救い、また強い者の手から救われる。 それゆえ乏しい者に望みがあり、不義はその口を閉じる。」

私ならば神に求め、神に委ねると語ったエリパズの言葉は間違ってはいません。しかし、自分は正しくて他の人は間違っているという主張は、神に成り代わって人を裁くことにつながります。また自己満足に陥りやすく、かえって高慢の罪を犯すことにもなりますから、注意が必要です。自分のことを神に委ねるのと同じく、他人に対しても自分の考えによらず神に委ねることが大切です。

https://www.bible.com/bible/81/job.5.8-16.ja1955

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ヨブ記 5:17-27

「見よ、神に戒められる人はさいわいだ。それゆえ全能者の懲らしめを軽んじてはならない。 彼は傷つけ、また包み、撃ち、またその手をもっていやされる。 彼はあなたを六つの悩みから救い、七つのうちでも、災はあなたに触れることがない。 ききんの時には、あなたをあがなって、死を免れさせ、いくさの時には、つるぎの力を免れさせられる。 あなたは舌をもってむち打たれる時にも、おおい隠され、滅びが来る時でも、恐れることはない。 あなたは滅びと、ききんとを笑い、地の獣をも恐れることはない。 あなたは野の石と契約を結び、野の獣はあなたと和らぐからである。 あなたは自分の天幕の安全なことを知り、自分の家畜のおりを見回っても、欠けた物がなく、 また、あなたの子孫の多くなり、そのすえが地の草のようになるのを知るであろう。 あなたは高齢に達して墓に入る、あたかも麦束をその季節になって打ち場に運びあげるようになるであろう。 見よ、われわれの尋ねきわめた所はこのとおりだ。あなたはこれを聞いて、みずから知るがよい」。

神に戒められることはさいわいであるとのエリパズの言葉は間違っていません。そして神の与えた試練を乗り越えた先に大きな祝福があるとの言葉は真実です。しかし自分の意見を述べ立てたエリパズは、私の尋ね極めたところはこれだと、苦しみの中にいるヨブに言い放つだけで、そこに愛と憐れみの心はありません。今、ヨブに必要な言葉は励ましです。執り成しです。

https://www.bible.com/bible/81/job.5.17-27.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/27

2020-08-27 05:00:40 | 今日の聖句
哀歌 3:22-24 新共同訳

主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。
 主こそわたしの受ける分」
とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。

私たちの人生の中で、苦難の日々は輝く宝石のようなもの。数多の困難や試練があるからこそ、私たちは主の憐れみを知ることができますから感謝いたします。神の与え給う試練を通して、真実な神の愛の深さ広さを味わい知る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/lam.3.22-24.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/26

2020-08-26 19:30:00 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 4:1-6

その時、テマンびとエリパズが答えて言った、 「もし人があなたにむかって意見を述べるならば、あなたは腹を立てるでしょうか。しかしだれが黙っておれましょう。 見よ、あなたは多くの人を教えさとし、衰えた手を強くした。 あなたの言葉はつまずく者をたすけ起し、かよわいひざを強くした。 ところが今、この事があなたに臨むと、あなたは耐え得ない。この事があなたに触れると、あなたはおじ惑う。 あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか。あなたの道の全きことは、あなたの望みではないか。」

突然、ヨブの身に立て続けに起きた災いの故に、生まれた日を呪い、死にたいと願っても死ぬこともできない苦しみを訴えた言葉に、ヨブの3人の友人のうち年長者のエリパズが答えて自身の見解を述べました。エリパズは、かつてヨブは多くの人を教え諭す言葉を告げていたが、自身の身に苦しみが起こると泣き言を言うのかと、ヨブを非難しました。

https://www.bible.com/bible/81/job.4.1-6.ja1955

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ヨブ記 4:7-11

「考えてみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか。 わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている。 彼らは神のいぶきによって滅び、その怒りの息によって消えうせる。 ししのほえる声、たけきししの声はともにやみ、若きししのきばは折られ、 雄じしは獲物を得ずに滅び、雌じしの子は散らされる。」

エリパズの主張は、人が災いに遭うのは罪を犯した結果であるという、いわゆる因果応報の考え方でした。そしてエリパズは「私の見た所によれば」と、自分の考えに基づいて物事を判断しています。人は自分の目に正しいと思うことを他の人に対しても正しいと一般化し、常識という一言で片づけて自分の考えを人に押しつけてしまいがちですから、私たちも独善の押し売りには注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/job.4.7-11.ja1955

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ヨブ記 4:12-21

「さて、わたしに、言葉がひそかに臨んだ、わたしの耳はそのささやきを聞いた。 すなわち人の熟睡するころ、夜の幻によって思い乱れている時、 恐れがわたしに臨んだので、おののき、わたしの骨はことごとく震えた。 時に、霊があって、わたしの顔の前を過ぎたので、わたしの身の毛はよだった。 そのものは立ちどまったが、わたしはその姿を見わけることができなかった。一つのかたちが、わたしの目の前にあった。わたしは静かな声を聞いた、 『人は神の前に正しくありえようか。人はその造り主の前に清くありえようか。 見よ、彼はそのしもべをさえ頼みとせず、その天使をも誤れる者とみなされる。 まして、泥の家に住む者、ちりをその基とする者、しみのようにつぶされる者。 彼らは朝から夕までの間に打ち砕かれ、顧みる者もなく、永遠に滅びる。 もしその天幕の綱が彼らのうちに取り去られるなら、ついに悟ることもなく、死にうせるではないか』。」

エリパズの主張のうち、人は神の前にきよく正しくあり得るか?という言葉は、一見正しいように見えます。しかし前後の記述で、この問いかけが夜の幻か何らかの神秘体験によって神から語りかけられた啓示であるかのように語ることは、霊的体験の濫用に当たる危険性を帯びています。また、泥の家に住みしみのように潰される者というのは、先に突風で家が倒壊して死んでしまったヨブの子どもたちのことを指しているものと思われますが、あたかも彼らが無駄死にしたかのような無情な言葉は、ヨブの悲しみを顧みない情け容赦ないものの言い様です。自分の義を人に押しつける者は、愛をどこかに置き忘れてしまいがちですから、私たちも注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/job.4.12-21.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/26

2020-08-26 05:30:30 | 今日の聖句
エレミヤ書 31:25 新共同訳

わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。

バビロン捕囚となったイスラエルを回復されるとき、渇き切った魂を潤し希望を失った心に力を満たすとの預言を授かったエレミヤは喜びで満たされました。絶望と苦難の中に置かれた私たちの魂にも希望と勇気を満たしてくださる神に信頼し、いかなる試練をも耐え忍ぶ信仰を堅く保ち続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jer.31.25.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/25

2020-08-25 07:45:30 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 3:1-10

この後、ヨブは口を開いて、自分の生れた日をのろった。 すなわちヨブは言った、 「わたしの生れた日は滅びうせよ。『男の子が、胎にやどった』と言った夜もそのようになれ。 その日は暗くなるように。神が上からこれを顧みられないように。光がこれを照さないように。 やみと暗黒がこれを取りもどすように。雲が、その上にとどまるように。日を暗くする者が、これを脅かすように。 その夜は、暗やみが、これを捕えるように。年の日のうちに加わらないように。月の数にもはいらないように。 また、その夜は、はらむことのないように。喜びの声がそのうちに聞かれないように。 日をのろう者が、これをのろうように。レビヤタンを奮い起すに巧みな者が、これをのろうように。 その明けの星は暗くなるように。光を望んでも、得られないように。また、あけぼののまぶたを見ることのないように。 これは、わたしの母の胎の戸を閉じず、また悩みをわたしの目に隠さなかったからである。」

3人の友人たちがヨブを見舞いに来たものの、あまりの惨状に掛ける言葉も見つからず、沈黙のまま過ごした7日後、ついにヨブは口を開いて、自分の生まれた日を呪いました。本来、一人の人がこの世に生を受けた誕生日は喜びの日であるはずですが、苦難の人生の始まりの日と捉えるならば、呪いたくなる気持ちもわからなくはありません。ここでヨブは、自分の生まれた日を呪ったものの、神を呪ったものではありません。言葉においては神は呪っていませんが、人にいのちを与えるのは神であるとの聖書の神観に立つならば、間接的に神を呪ったことになりかねません。私たちが愚痴をこぼして神を呪うようことのないよう、言葉を慎む者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/job.3.1-10.ja1955

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ヨブ記 3:11-19

「なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。腹から出たとき息が絶えなかったのか。 なにゆえ、ひざが、わたしを受けたのか。なにゆえ、乳ぶさがあって、わたしはそれを吸ったのか。 そうしなかったならば、わたしは伏して休み、眠ったであろう。そうすればわたしは安んじており、 自分のために荒れ跡を築き直した地の王たち、参議たち、 あるいは、こがねを持ち、しろがねを家に満たした君たちと一緒にいたであろう。 なにゆえ、わたしは人知れずおりる胎児のごとく、光を見ないみどりごのようでなかったのか。 かしこでは悪人も、あばれることをやめ、うみ疲れた者も、休みを得、 捕われ人も共に安らかにおり、追い使う者の声を聞かない。 小さい者も大きい者もそこにおり、奴隷も、その主人から解き放される。」

ヨブは続けて、自分はどうして生まれてすぐに死ななかったのかと自問自答します。出産は一人のいのちが生まれる喜びの日ですが、同時に母子共に死と隣り合わせの、最大の危機でもあります。当時の医療技術では現代よりも死産の確率や幼児の死亡率も高かったことを考慮するならば、こよヨブの告白はより現実味をもって私たちに迫ってきます。しかしヨブだけでなく私たちもまた、死の絶望を実際この身をもって味わったことがありません。ヨブは光を見ずして死んだ嬰児が安らかであると言っていますが、実際にそうなのでしょうか。いのちの喜びは死の絶望とは比べものにならず、及びもつきません。ここに私たちの信仰が露わにされます。

https://www.bible.com/bible/81/job.3.11-19.ja1955

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ヨブ記 3:20-26

「なにゆえ、悩む者に光を賜い、心の苦しむ者に命を賜わったのか。 このような人は死を望んでも来ない、これを求めることは隠れた宝を掘るよりも、はなはだしい。 彼らは墓を見いだすとき、非常に喜び楽しむのだ。 なにゆえ、その道の隠された人に、神が、まがきをめぐらされた人に、光を賜わるのか。 わたしの嘆きはわが食物に代って来り、わたしのうめきは水のように流れ出る。 わたしの恐れるものが、わたしに臨み、わたしの恐れおののくものが、わが身に及ぶ。 わたしは安らかでなく、またおだやかでない。わたしは休みを得ない、ただ悩みのみが来る」。

この世には人の意志ではどうにもならないことが存在します。その中の一つが人のいのちです。私たちは自分の意志で生まれてきたのではなく、この世の生涯を終える日を自分で決めることもできません(自殺は神が授けられたいのちに対する冒涜として聖書の価値観では何よりも重い罪に当たります)。ここでヨブは、どうして自分はいのちを授かったのか、死を望んでも自分の思い通りにはならないと、この世に生きる者とされたことを呪っています。自分の思い通りにならない人生を歩むとき、私たちは何故かと思い悩み、心に安らぎはなく、恐れおののきます。しかし神は私たちにいたずらにいのちを与えられたのではありません。神の御心を求めず、自分の心の中で堂々巡りに陥るとき、私たちは生きることに対する不平不満が生まれ、そして不安に押しつぶされてしまいますから、注意が必要です。

https://www.bible.com/bible/81/job.3.20-26.ja1955
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【今日の聖句】 2020/08/25

2020-08-25 05:00:05 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙一 16:13-14 新共同訳‬‬

目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。 何事も愛をもって行いなさい。

罪の支配するこの世において、聖なる神の僕として生きるためには、常に心の目を見開き、信仰に立脚して勇敢に生きることが肝要です。更に、ただ強くたくましく生きるのみならず、愛に基づく言動を心掛け、神の愛をこの世に実践しまた証する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1co.16.13-14.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2020/08/24

2020-08-24 17:45:15 | 一日一章・聖書通読日記
ヨブ記 2:1-6

ある日、また神の子たちが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。 主はサタンに言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。 主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。 サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。 しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。 主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。

場面は再び霊的な世界に戻ります。再びサタンが神の前にやってくると、神はヨブほど全き義人はいないと誉め、サタンが理由もなくヨブに与えた試練を乗り越えて信仰を堅く保ったと自慢しました。するとサタンは、自分自身の身にいのちを脅かす危険が及べば神を呪うでしょうと、再び神を挑発しました。すると神はヨブをサタンの手に陥らせ、ただいのちだけは奪ってはならないとサタンの挑戦を受けました。ここで「皮には皮をもってします」という箇所は非常に難解ですが、ある翻訳では「背に腹は代えられない」と訳しているそうです。すなわち、にっちもさっちもいかない苦境に陥ったならば、信仰深そうに見えるヨブも化けの皮をはがして本性を出す、という意味です。人には本心を隠して表面上を取り繕う傾向があります。私たちの信仰が人目を気にする見せかけだけのものか、心の底から神に聞き従う真実なものかどうか、この人の信仰の真価が問われます。

https://www.bible.com/bible/81/job.2.1-6.ja1955

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ヨブ記 2:7-10

サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。 ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。 時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。 しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。

ヨブのいのちさえ守ればその身に危害を加えても良いとの許可を神から得たサタンは、さっそくヨブの全身に悪性の腫れ物を患わせて肉体的な激しい苦痛に遭わせました。この悪性の腫れ物は、南ユダ王国の善王ヒゼキヤ王が瀕死の病に陥ったときの症状と同じです。ヨブの全身を覆う悪性の腫れ物から生じる痒みのために、灰の中に座って陶器の破片で身体をかきむしって耐えるしかない状況に、ついにヨブの妻も「神を呪って死になさい」と言い放ってヨブを見捨てました。しかしヨブは妻の暴言に対しても、神から祝福を受けるように災いをも受けるべきではないかと、言葉をもって神の御前に罪を犯すことはしませんでした。最も信頼の置ける妻から見捨てられても神に罪を犯すことをしなかったヨブの信仰に私たちも倣う者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/job.2.7-10.ja1955

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ヨブ記 2:11-13

時に、ヨブの三人の友がこのすべての災のヨブに臨んだのを聞いて、めいめい自分の所から尋ねて来た。すなわちテマンびとエリパズ、シュヒびとビルダデ、ナアマびとゾパルである。彼らはヨブをいたわり、慰めようとして、たがいに約束してきたのである。 彼らは目をあげて遠方から見たが、彼のヨブであることを認めがたいほどであったので、声をあげて泣き、めいめい自分の上着を裂き、天に向かって、ちりをうちあげ、自分たちの頭の上にまき散らした。 こうして七日七夜、彼と共に地に座していて、ひと言も彼に話しかける者がなかった。彼の苦しみの非常に大きいのを見たからである。

すべての財産を失い、愛する子どもたちに先立たれ、更に自分自身の肉体も病に冒され、信頼していた妻からも見捨てられたヨブの苦境を知った3人の友人たちが、ヨブを慰めるためにお見舞いに駆けつけました。しかし見る影もなくなったヨブの惨状を目の当たりにした3人は、掛ける言葉さえ失い、自分たちの上着を裂き、天に塵をまき散らして悲しみを表現し、7日7晩、ただ呆然と見守るしかないほどでした。私たちも苦境に立たされた人を見るときに、何と言って慰めたらよいのかわからないことがあります。しかし掛ける言葉が見つからなくても、ただ側にいて共に悲しみを身に負い共感することが、何よりの慰めとなることがあります。悲しむ者と共に悲しむ、心の通い合う隣人となる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/job.2.11-13.ja1955
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