伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/07/31

2018-07-31 07:45:15 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 10:1-4

イスラエルは実を結ぶ茂ったぶどうの木である。その実を多く結ぶにしたがって、祭壇を増し、その地の豊かなるにしたがって、柱の像を麗しくした。 彼らの心は偽りである。今、彼らはその罪を負わなければならない。主はその祭壇をこわし、その柱の像を砕かれる。 今、彼らは言う、「われわれは主を恐れないので、われわれには王がない。王はわれわれのために何をなしえようか」と。 彼らはむなしき言葉をいだし、偽りの誓いをもって契約を結ぶ。それゆえ、さばきは畑のうねの毒草のように現れる。

ホセアの時代、北イスラエル王国は空前の経済的発展を遂げました。しかし彼らは、それはバアルがもたらした豊かさ、自分たちの力で勝ち取った成果だと勘違いし、祝福をもたらすまことの神を否定し、むしろ自分たちの願望を叶えてくれる(と期待する)偶像を建てては金銀で飾りたてました。また本来、王は人を導くリーダーとして神様が立てた権威でしたが、彼らは自分たちが好き勝手に選んだ王を立ててはクーデターの連続で、ヤラベアム2世の後の政権は長続きしませんでした。それでも彼らは、自分たちには王は不必要だと開き直り、王を介して神の権威の下に服従することを拒みました。絶好調の時には有頂天になり、風向きが変わるとき自ら反省することなく、何でも自分の思い通りにならないと周囲のせいにして逆ギレする構図は、今も昔も変わらない人の罪によるものです。まことの神を畏れ真理を追い求める私たちは、決してそのような愚かな真似をしてはなりません。

http://bible.com/81/hos.10.1-4.ja1955

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ホセア書 10:5-8

サマリヤの住民は、ベテアベンの子牛のためにおののき、その民はこれがために嘆き、その偶像に仕える祭司たちは、その栄光のうせたるがために泣き悲しむ。 その子牛はアッスリヤに携えられ、礼物として大王にささげられ、エフライムは恥をうけ、イスラエルはおのれの偶像を恥じる。 サマリヤの王は、水のおもての木切れのように滅ぼされる。 イスラエルの罪であるアベンの高き所も滅び、いばらとあざみがその祭壇の上にはえ茂る。その時彼らは山に向かって、「われわれをおおえ」と言い、丘に向かって「われわれの上に倒れよ」と言う。

ベテアベンとは、元は「神の家」という意味を持つベテルを指し、かつてイスラエル12部族の父祖ヤコブが、まことの神と出会った場所を記念した聖なる地でした。にもかかわらず北イスラエル王国初代の王ヤラベアム1世は、その場所とダンに金の子牛を置き、偶像礼拝を推奨しました。そのためベテルは「アベン」すなわち偶像の家となり、人々に祝福ではなく災いをもたらす場となりました。人の手によって造られた金の子牛はアッシリヤに持ち去られ、繁栄した国は没落して滅ぼされ、いつかは消え去る過去の栄光を思い出しては嘆き悲しむようになりました。己が力に頼み、まことの神を畏れない者の最期は、虚しい結末が待ち受けています。

http://bible.com/81/hos.10.5-8.ja1955

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ホセア書 10:9-11

イスラエルよ、あなたはギベアの日からこのかた罪を犯した。彼らはその所に立っていた。戦いはギベアにおる彼らに及ばないであろうか。 わたしは来てよこしまな民を攻め、これを懲らしめる。彼らがその二つの罪のために懲らしめられるとき、もろもろの民は集まって彼らを攻める。 エフライムはならされた若い雌牛であって、穀物を踏むことを好む。わたしはその麗しい首を惜しんだ。しかし、わたしはエフライムにくびきをかける。ユダは耕し、ヤコブは自分のために、まぐわをひかねばならない。

ギベアの日とは、罪を犯したベニヤミン族が仲間をかばうために、罪を取り除こうとする他のイスラエル11部族と戦った日のことを指します。自らの罪を認めず、その罪を取り除いてきよめられることを拒み、むしろ罪に同調して神の義と真っ向から対立する姿は、人の罪の末恐ろしさを物語っています。神様は、再三罪を指摘されても悔い改めて主に立ち帰ることを拒み続けた北イスラエル王国を「よこしまな民」として攻め、懲らしめると断罪されました。それでも神様は、イスラエルを滅ぼし尽くすことはなさらず「その麗しい首を惜しんだ」と、ユダの統治によって生き延びさせようとしました。それはやがてダビデの子として生まれたキリストの「わたしのくびきは負いやすく」という御言葉につながるのです。人の罪はいかに深くとも、悔い改めて主に立ち帰る者は、キリストのくびきを負うことにより永遠のいのちを受けることができますから感謝いたします。

http://bible.com/81/hos.10.9-11.ja1955

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ホセア書 10:12-15

あなたがたは自分のために正義をまき、いつくしみの実を刈り取り、あなたがたの新田を耕せ。今は主を求むべき時である。主は来て救いを雨のように、あなたがたに降りそそがれる。 あなたがたは悪を耕し、不義を刈りおさめ、偽りの実を食べた。これはあなたがたが自分の戦車を頼み、勇士の多いことを頼んだためである。 それゆえ、あなたがたの民の中にいくさの騒ぎが起り、シャルマンが戦いの日にベテ・アルベルを打ち破ったように、あなたがたの城はことごとく打ち破られる。母らはその子らと共に打ち砕かれた。 イスラエルの家よ、あなたがたの大いなる悪のゆえに、このように、あなたがたにも行われ、イスラエルの王は、あらしの中に全く滅ぼされる。

人は自ら蒔いた種をやがて刈り取らなければなりません。不義を蒔けば裁きを、義を蒔けば豊かな平安の実を刈り取るようになります。今は主を求めるとき、頑なな心を耕して神様の恵みの雨を十分に吸収するときです。この今というときに義の種を蒔かないと、たちまちの内に種まきの季節は過ぎ、雑草が生えてきて心を覆い尽くし、良い実ではなく偽りの実を収穫するときが望みます。自らの軍事力と偶像に寄り頼み、悔い改めの機会を逃した北イスラエル王国は、アッシリヤによって城はことごとく撃ち破られ、母親が子どもと共に八つ裂きにされて殺されるという、実に惨たらしい結末を迎えることになりました。罪のもたらす結果は死であるという戒めを、私たちは軽く受け止めてはなりません。

http://bible.com/81/hos.10.12-15.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/31

2018-07-31 06:35:26 | 今日の聖句
エフェソの信徒への手紙 3:20-21 新共同訳‬‬

「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

奇跡は決して偶然ではなく、天地万物を造り意のままに統べ治められる神様だからこそ成し得る、人間の想像をはるかに超えた素晴らしい御業です。主イエス・キリストの御名と、教会に授けられた聖なる権威により、御心に適う奇しい御業を成就し、すべての栄光をまことの神に帰する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/eph.3.20-21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/30

2018-07-30 07:45:01 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 9:1-5

イスラエルよ、もろもろの民のように喜びおどるな。あなたは淫行をなして、あなたの神を離れ、すべての穀物の打ち場で受ける淫行の価を愛した。 打ち場と酒ぶねとは彼らを養わない。また新しい酒もむなしくなる。 彼らは主の地に住むことなく、エフライムはエジプトに帰り、アッスリヤで汚れた物を食べる。 彼らは主に向かって酒を注がず、また犠牲をもって主を喜ばせず、彼らのパンは喪におる者のパンのようで、すべてこれを食べる者は汚される。彼らのパンはただ自分の飢えを満たすためで、主の家に、はいることはできない。 あなたがたは祝の日と、主の祭の日に、何をしようとするのか。

祭は本来、神様に感謝を捧げるために行うものです。しかし時と共にその本来の意味を忘れ、祭を行うこと自体が第一の目的となってしまいます。今の日本の祭も多くは、人が集まらないからといって祭の日を休日に変更したり、御輿の担ぎ手がいないといってあちらこちらから担ぎ手を募集してやりくりしています。まさに手段の目的化です。ホセアの時代のイスラエルも、主の祭と言いながら偶像礼拝の要素を取り入れた混合宗教と化していました。自分たちの好きなように神様を祭って、さも自分たちは信仰深いつもりになっていました。このような礼拝を、神様が喜ばれるはずがありません。私たちの捧げるべき礼拝は、礼拝すべき相手が誰であるかをきちんと知り、心から主を愛し、感謝を捧げる、まことの礼拝者でありたいと願います。

http://bible.com/81/hos.9.1-5.ja1955

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ホセア書 9:6-9

見よ、彼らはアッスリヤへ行く。エジプトは彼らを集め、メンピスは彼らを葬る。あざみは彼らの銀の宝物を所有し、いばらは彼らの天幕にはびこる。 刑罰の日は来た。報いの日は来た。イスラエルはこれを知る。預言者は愚かな者、霊に感じた人は狂った者だ。これはあなたがたの不義が多く、恨みが大きいためである。 預言者はわが神の民エフライムの見張人である。しかし預言者のすべての道には鳥をとる者のわながあり、恨みはその神の家にある。 彼らはギベアの日のように、深くおのれを腐らせた。主はその不義を覚え、その罪を罰せられる。

7節にあるように、イスラエルの人々は自分たちの罪を指摘し耳の痛い言葉を語り掛けた預言者を「愚か者」「霊に感じた人は狂った人だ」と、神様の御言葉を取り次ぐ預言者を狂信者扱いしました。そして自分たちに対して当たり障りのない、自分の考えに沿った言葉を語る人々を歓迎しました。罪深い者、自惚れの強い人ほど、自分の考えに対立する者を排除し、自分に迎合する人々ばかりを周りに置いて、自分が正しいと主張します。果たしてこれは神様に対する正しい態度でしょうか? 果たしてどちらが盲信者でしょうか? 答えは自明のことです。そのような偽り者は目の前に置かれた罠に気付かず、自分の心をどんどん腐らせてゆきます。罪を指摘し過ちを正す言葉に耳を傾けない者は、もはや救いようがありません。私たちは自ら滅びの道を選択しないよう、御言葉に聞き従う素直な心を決して失ってはなりません。

http://bible.com/81/hos.9.6-9.ja1955

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ホセア書 9:10-13

わたしはイスラエルを荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖たちを、いちじくの木の初めに結んだ初なりのように見た。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、身をバアルにゆだね、彼らが愛した物と同じように憎むべき者となった。 エフライムの栄光は、鳥のようにとび去る。すなわち産むことも、はらむことも、みごもることもなくなる。 たとい彼らが子を育てても、わたしはその子を奪って、残る者のないようにする。わたしが彼らを離れるとき、彼らはわざわいだ。 わたしが見たように、エフライムの子らはえじきに定められた。エフライムはその子らを、人を殺す者に渡さなければならない。

神様はイスラエルを野生の葡萄、初生りのイチジクのように、自然のままで最も尊いものと見なし、手を入れて更に良いものとされようとされました。しかしイスラエルは神様の愛を拒み、土着の偶像に過ぎないバアルを五穀豊穣の神として信奉し、目先の利益に飛びつきました。それゆえ神様は北イスラエル王国を敵国の手に渡し、残る子孫もないほどに散り散りにされると宣告しました。まさにこと言葉の通り、北イスラエル10部族は「失われたユダヤ部族」となって、世界中に離散の民となってしまいました(実際にはそのうちの信仰深い人々はユダに亡命したので、イスラエル12民族のアイデンティティーは保たれています)。イエス様が初生りのイチジクに期待したのに、葉が茂るだけで実のなかった木を枯らしてしまった記事にもあるように、神様の格別な恩寵を受けている私たちは、主の恵みに感じて相応しい実を結ぶことが重要です。


http://bible.com/81/hos.9.10-13.ja1955

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ホセア書 9:14-17

主よ、彼らに与えてください。あなたは何を与えられますか。流産の胎と、かわいた乳ぶさを彼らに与えてください。 彼らのすべての悪はギルガルにある。わたしはかしこで彼らを憎んだ。彼らのおこないの悪しきがゆえに、彼らをわが家から追いだし、重ねて愛することをしない。その君たちはみな、反逆者である。 エフライムは撃たれ、その根は枯れて、実を結ばない。たとい彼らが子を産んでも、わたしはそのいつくしむ子らを殺す。 彼らは聞き従わないので、わが神はこれを捨てられる。彼らはもろもろの国民のうちに、さすらい人となる。

神様に愛された民でありながら、神様の御言葉に耳を傾けず、むしろ自分たちに都合の良い偶像の神々を追い求めてそれらに聞き従った北イスラエル王国の人々を、神様はその家から追い出し、これ以上愛することはしないと言われました。まさに親から勘当された子のように、イスラエルは国を追われ、世界中に離散してしまいました。イスラエルほど流浪の民、放浪の民となった民族はいません。にもかかわらず今なお民族として保たれているのは、神様の特別な憐れみとしか言いようがありません。私たちは神様の愛を決して軽く受け止めてはなりません。

http://bible.com/81/hos.9.14-17.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/30

2018-07-30 06:35:30 | 今日の聖句
マルコによる福音書 11:24 新共同訳‬‬

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」

私たちの必要すべてをご存じであられる神様は、私たちのためにならないもの以外は祈り求めるならば何でも与えてくださる、実に気前の良いお方です。祈らば既に得たりと信じる先取りの信仰をもって、何事にも確信を得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/mrk.11.24.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/29

2018-07-29 06:30:18 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 8:1-4

ラッパをあなたの口にあてよ、はげたかは主の家に臨む。彼らがわたしの契約を破り、わたしの律法を犯したからだ。 彼らはわたしに向かって叫ぶ、「わが神よ、われわれイスラエルはあなたを知る」と。 イスラエルは善はしりぞけた。敵はこれを追うであろう。 彼らは王を立てた、しかし、わたしによって立てたのではない。彼らは君を立てた、しかし、わたしはこれを知らない。彼らは銀と金をもって、自分たちの滅びのために偶像を造った。

ここで言うラッバとは戦争を始めるにあたり戦士を召集する布告を指し、ハゲタカとは敵の襲来を意味します。なぜ敵が戦争を仕掛けてくるのか、それは北イスラエル王国が偶像礼拝の罪から離れず、主の契約と律法を軽んじたためです。いざ戦いの時になって「わが神よ」と呼び求めても、神の義を退け、神様から任命されたのではない王を自分勝手に立て、金や銀で造られた偶像の神々に頼った者に、神様の救いの御手は伸ばされるはずがありません。神様の裁きは突然訪れます。そのときになって「主よ、主よ」とにわかに呼び求めても、時すでに遅しです。

http://bible.com/81/hos.8.1-4.ja1955

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ホセア書 8:5-7

サマリヤよ、わたしはあなたの子牛を忌みきらう。わたしの怒りは彼らに向かって燃える。彼らはいつになればイスラエルで罪なき者となるであろうか。 これは工人の作ったもので、神ではない。サマリヤの子牛は砕けて粉となる。 彼らは風をまいて、つむじ風を刈り取る。立っている穀物は穂を持たず、また実らない。たとい実っても、他国人がこれを食い尽す。

サマリヤの子牛とは、北イスラエル王国初代の王ヤラベアムがベテルとダンに安置した偶像で、これは出エジプトの際に人々の要請に応じてアロンが造った、エジプトで拝まれていた神々の一つです。金は豊かさ、子牛は五穀豊穣を象徴するもので、この世での束の間の繁栄を追い求める心の現れです。神様は、これらは人の手によって造られたもので、決して神ではないと断言されました。形あるものはいつか必ず消えてゆくように、金の子牛は粉々に砕かれ、イスラエルの人々のライフスタイルは風を蒔いてつむじ風を刈り取るような実体のない空虚な生き方で、たとい実がなっても他国人に侵略されて自分たちの取り分はなくなってしまいます。まことの神様を求めず、この世の豊かさを追い求める者には、手元に残るものは何一つありません。

http://bible.com/81/hos.8.5-7.ja1955

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ホセア書 8:8-11

イスラエルはのまれた。彼らは諸国民の間にあって、すでに無用な器のようになった。 彼らはひとりさまよう野のろばのように、アッスリヤにのぼって行った。エフライムは物を贈って恋人を得た。 たとい彼らが国々に物を贈って同盟者を得ても、わたしはまもなく彼らを集める。彼らはしばらくにして、王や君たちに油をそそぐことをやめる。 エフライムは多くの祭壇を造って罪を犯したゆえ、これは彼には罪を犯すための祭壇となった。

当時、北イスラエル王国は隣国のダマスコと同盟を結んでアッシリヤの脅威に対抗しようとしましたが、すぐにダマスコは滅ぼされ、やがて自分たちもアッシリヤに飲み込まれてしまいました。野ロバとは頑なな心、自分の思いのままに生きようとする人々を指します。一人さまよう野ロバとは、同盟国を失って右往左往するイスラエルの姿を象徴しています。やがて彼らもアッスリヤに屈して、自分たちの国の王を選ぶことすらできなくなりました。これらはすべて、偶像の神々の祭壇を数多く築いて拝んだイスラエルの罪のもたらした結末です。

http://bible.com/81/hos.8.8-11.ja1955

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ホセア書 8:12-14

わたしは彼のために、あまたの律法を書きしるしたが、これはかえって怪しい物のように思われた。 彼らは犠牲を好み、肉をささげてこれを食べる。しかし主はこれを喜ばれない。今、彼らの不義を覚え、彼らの罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰る。 イスラエルは自分の造り主を忘れて、もろもろの宮殿を建てた。ユダは堅固な町々を多く増し加えた。しかしわたしは火をその町々に送って、もろもろの城を焼き滅ぼす。

神様はイスラエルの祝福のために数多くの律法の書を預言者を通して書き連ねてくださいましたが、イスラエルの人々にとってはこれらは怪しいもの、信じるに値しない厄介者とみなしました。彼らは犠牲を捧げることを好みましたが、その本心は自分たちが肉を食べたいがため、欲望を満たすために過ぎませんでした。信仰を伴わないそのような捧げものを、神様が喜ばれるはずがありません。それゆえ神様は彼らの不義を忘れることなく、罪に報いて罰しました。エジプトに帰るとは、自由を奪われ再び他国の奴隷になるということを意味します。それは北イスラエル王国のみならず、南ユダ王国に対する警告でもあります。これらの預言の言葉を無視して、北イスラエル王国は偶像の神々に寄り頼み、南ユダ王国は堅固な要塞都市を建てて戦力増強で対抗しようとしました。それらの人間的な努力も虚しく、神様は彼らの頼みとするものを焼き滅ぼして、北イスラエル王国はアッシリヤに、南ユダ王国はバビロンにそれぞれ捕囚となり、国は滅ぼされて自由のない奴隷の身となってしまいました。聖書の御言葉を知りながら従わない生き方は、わが身を滅ぼす生き方です。

http://bible.com/81/hos.8.12-14.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/29

2018-07-29 06:00:36 | 今日の聖句
詩編 121:1-2 新共同訳

【都に上る歌。】
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。

私たちの目の前にはるか高くそびえる山脈のような壁が立ち塞がったとしても、それらの山々も含め天地万物を造られた主が私たちを助けてくださるとは何たる恵みでしょうか。たとい絶望的な状況に追い込まれても、無から有を創造される神の助けに期待して、希望を生み出していただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/psa.121.1-2.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/28

2018-07-28 08:45:36 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 7:1-3

わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪しきわざとは現れる。彼らは偽りをおこない、内では盗びとが押し入り、外では山賊の群れが襲いきたる。 しかし、彼らはわたしが彼らのすべての悪を覚えていることを悟らない。今、そのわざは彼らを囲んで、わたしの顔の前にある。 彼らはその悪をもって王を喜ばせ、その偽りをもって君たちを喜ばせる。

いくら神様がイスラエルを癒そうとしても、彼らの不義と悪しき業が頭をもたげて阻止します。彼らは表面上は人をおだてて喜ばせても、その心の中では偽り、盗み、強奪する、心底腐れ果てた者でした。しかし彼らは、王の目はごまかせても、すべてを見ておられる神様の存在に気が付かない、実に哀れな者たちです。私たちの周りにも、裏では陰口を叩きながら、権力者に取り入って胡麻を擦り、人を押し退けてのし上がろうとする者がいますが、私たちはそのような愚かな者になってはなりません。

http://bible.com/81/hos.7.1-3.ja1955

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ホセア書 7:4-7

彼らはみな姦淫を行う者で、パンを焼く者が熱くする炉のようだ。パンを焼く者は、ねり粉をこねてから、それがふくれるまで、しばらく、火をおこす事をしないだけだ。 われわれの王の日に、つかさたちは酒の熱によって病みわずらい、王はあざける者と共に手を伸べた。 彼らは陰謀をもってその心を炉のように燃やす。その怒りは夜通しくすぶり、朝になると炎のように燃える。 彼らは皆、炉のように熱くなって、そのさばきびとを焼き滅ぼす。そのもろもろの王は皆たおれる。彼らの中にはわたしを呼ぶ者がひとりもない。

北イスラエル王国は、10の王朝と19の王が入れ替わり立ち替わり起こった、実に政変の多い国でした。彼らは表向き王に忠誠を誓いながら裏で陰謀を図り、クーデターを起こしては国を乗っ取ることの繰り返しでした。彼らの行動パターンを、パン粉を捏ねている間かまどに火をくべて熱く熱し、パンを焼くときには火を止めて余熱で焼く様子にたとえて、用意周到に準備し、時が来れば蜂起して王を焼き滅ぼすと比喩しました。それらの根本にある原因はすべて、彼らが主を呼び求める正しい心を持たない、不誠実な人々であったからです。

http://bible.com/81/hos.7.4-7.ja1955

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ホセア書 7:8-12

エフライムはもろもろの民の中に入り混じる。エフライムは火にかけて、かえさない菓子である。 他国人らは彼の力を食い尽すが、彼はそれを知らない。しらがが混じってはえても、それを悟らない。 イスラエルの誇は自らに向かって証言している、彼らはこのもろもろの事があっても、なおその神、主に帰らず、また主を求めない。 エフライムは知恵のない愚かな、はとのようだ。彼らはエジプトに向かって呼び求め、またアッスリヤへ行く。 彼らが行くとき、わたしは彼らの上に網を張って、空の鳥のように引き落し、その悪しきおこないのゆえに、彼らを懲らしめる。

火にかけて返さない菓子とは、見た目は美味しそうでも中身は生焼けでとても食べられない価値のない食物にたとえて、周囲の有力な国々に取り入って貢ぎ物を送り、国の安泰を図ろうとした北イスラエル王国の滑稽な姿を象徴しています。アッシリヤに頼ったかと思えばエジプトに援軍を要請するような、風見鶏のように風向きに任せてコロコロ態度を変える者を、誰が真剣に守ってくれるでしょうか。まことの神に頼らず人に頼ろうとする者は、藁をも掴もうとする溺れかけた人と同じで、救いようがありません。

http://bible.com/81/hos.7.8-12.ja1955

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ホセア書 7:13-16

わざわいなるかな、彼らはわたしを離れて迷い出た。滅びは彼らに臨む。彼らがわたしに向かって罪を犯したからだ。わたしは彼らをあがなおうと思うが、彼らはわたしに逆らって偽りを言う。 彼らは真心をもってわたしを呼ばず、ただ床の上で悲しみ叫ぶ。彼らは穀物と酒のためには集まるが、わたしに逆らう。 わたしは彼らを教え、その腕を強くしたが、彼らはわたしに逆らって、悪しき事をはかる。 彼らはバアルに帰る。彼らはあざむく弓のようだ。彼らの君たちはその舌の高ぶりのために、つるぎに倒れる。これはエジプトの国で人々のあざけりとなる。

神様から多くの祝福をいただいているにも関わらず、神様に背を向け、手も足も出ない偶像に寄り頼み、浅はかな人の考えに従って悪事を働く北イスラエル王国は、もはや救いようがありません。目の前のごちそうと酒に集まって酔いしれ、五穀豊穣はバアルがもたらしたものと錯覚して偶像を信奉し、まことの祝福の基となっている神様には目を向けることのない彼らは、舌の高ぶった欺きの弓として敵国の剣に倒れると宣告されました。まことの祝福、まことの勝利をもたらすお方を忘れて迷い出た神の民イスラエルは、神様の救いから自らこぼれ落ちてゆく結末を迎える外ありません。彼らの行く末を知る私たちは、反面教師として賢く学ばなければなりません。

http://bible.com/81/hos.7.13-16.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/28

2018-07-28 07:00:06 | 今日の聖句
コリントの信徒への手紙二 5:21 新共同訳

「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。」

生まれながら罪の奴隷である私たちが義とされるために、何一つ罪と関係のない方が身代わりとなって、私たちの罪をすべて請け負ってくださいました。罪人が義なる神と和解し永遠のいのちに与ることのできる背景に、御子イエスの尊いいのちが代価として支払われた事実を認め深く感謝する私たちでありますように。

http://bible.com/1819/2co.5.21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/27

2018-07-27 07:25:11 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 6:1-3

「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。 主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる。 わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう。主はあしたの光のように必ず現れいで、冬の雨のように、わたしたちに臨み、春の雨のように地を潤される」。

この箇所は一見、素晴らしい信仰告白のように見えます。しかし「」で括られていること、そして4節以降の文脈を正しく読み解かないと、本来の意図しているところを誤って捉えてしまいます。この箇所は偶像礼拝を熱心に行っていた北イスラエル王国の人々が当時語っていた言葉で、一言で言うと「苦しいときの神頼み」です。神様の懲らしめを受けて「せつに主を知ることを求めよう」と口先だけで言うことは簡単ですが、心の中では神様を礼拝するポーズを取れば翌日には許されるだろうと、形式的な、安易な悔い改めにとどまってしまうならば、何の価値もありません。主に立ち帰るとは、それまでの神様に背を向けていた生活から180度方向転換して主の方向に向き直り、まことの神様の御言葉のみに聞き従う生活を実践に移すことです。

http://bible.com/81/hos.6.1-3.ja1955

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ホセア書 6:4-6

エフライムよ、わたしはあなたに何をしようか。ユダよ、わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの愛はあしたの雲のごとく、また、たちまち消える露のようなものである。 それゆえ、わたしは預言者たちによって彼らを切り倒し、わが口の言葉をもって彼らを殺した。わがさばきは現れ出る光のようだ。 わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ。

安易な悔い改めの言葉に自己満足していたエフライム(北イスラエル王国)とユダの人々に、神様は、あなたがたの愛はたちまち消える露のような、まさに「喉元過ぎれば熱さ忘れる」程度のものだと厳しく叱責されました。預言者たちを通して語られた神様の御言葉を、自分の都合の良いように勝手に解釈して安直に受け止める者は、神様の裁きを免れることはできません。主は形式的な礼拝、悔い改めを伴わない犠牲を決して喜ばれず、神様を慕い求めるまことの愛、御心を知ろうとする真摯な信仰こそ、神様の喜ばれることです。

http://bible.com/81/hos.6.4-6.ja1955

*****

ホセア書 6:7-11

ところが彼らはアダムで契約を破り、かしこでわたしにそむいた。 ギレアデは悪を行う者の町で、血の足跡で満たされている。 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは党を組み、シケムへ行く道で人を殺す。このように彼らは悪しき事を行う。 わたしはイスラエルの家に恐るべき事を見た。かしこでエフライムは淫行をなし、イスラエルは汚された。 ユダよ、あなたのためにも刈入れが定められている。わたしがわが民の繁栄を回復するとき、

ギレアデとシケムは、ヨシュアがイスラエルの嗣業の地を配分したときに「のがれの町」に指定された場所です。これは意図せずに人を殺めてしまった場合、報復されないようにかくまう町として定められていました。にもかかわらず、逃れようとする人を途中の道で殺すとは、言語道断の無慈悲な振る舞いです。イスラエルの人々がいかに愛が冷え、神を畏れることなく自分勝手な生き方をしていたかがわかります。神様の定められた憐れみの律法に逆らい、自分が幸せになれるならば人を切り捨ててもよいと平気で考えていた北イスラエルの人々を引き合いに出して、神様はユダの人々に対しても「刈り入れが定められている」と警告されました。私たちは北イスラエル王国の「ヤラベアムの道」すなわち自己満足な上っ面だけの信仰ごっこから脱却し、まことの神、主を心から畏れ、御言葉の奥義を正しく知り、聖書が本来意図している神様の御心に聞き従う者であるべきです。

http://bible.com/81/hos.6.7-11.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/27

2018-07-27 06:35:05 | 今日の聖句
テサロニケの信徒への手紙二 3:3 新共同訳‬‬

「しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。」

この世に生きる限り、私たちは思わぬ所から悪意を抱く者の攻撃に晒されることがあります。しかし真実なお方である主はすべてをご存じで、弱り果てた私たちの心を強め、悪しき者から守ってくださいますから感謝いたします。いわれのない言葉の応報に心沈むときも、主に在って力を得る私たちでありますように。

http://bible.com/1819/2th.3.3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/26

2018-07-26 07:35:19 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 5:1-3

祭司たちよ、これを聞け、イスラエルの家よ、心をとめよ、王の家よ、耳を傾けよ、さばきはあなたがたに臨む。あなたがたはミヅパにわなを設け、タボルの上に網を張ったからだ。 彼らはシッテムの穴を深くしたが、わたしは彼らをことごとく懲らしめる。 わたしはエフライムを知っている。イスラエルはわたしに隠れることがない。エフライムよ、あなたは今淫行をなし、イスラエルは汚された。

信仰は聞くことから始まります。神様は祭司たち、長老(イスラエルの家)、王家に対して、聞け、心を留めよ、耳を傾けよと、真理の御言葉に聞くことを命じます。高い地位に就く者、指導者階層こそ、更に上なる存在、主に真摯に聞き従う姿勢を持たなければなりません。自己主張や言い訳から入る者は、決して自らを正し、高めることはできません。なぜ主がそのような言葉を語り掛けたのか、それは彼らが真理に聞く耳を持たなかったからです。ミヅパ、タボル、シッテムは偶像礼拝が盛んに行われた場所です。それらは自らを罪の深みに陥れる罠となり、網となり、落とし穴となりました。それゆえ主は偶像礼拝から離れられないイスラエルの民を、愛を以て懲らしめられるのです。

http://bible.com/81/hos.5.1-3.ja1955

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ホセア書 5:4-7

彼らのおこないは彼らを神に帰らせない。それは淫行の霊が彼らのうちにあって、主を知ることができないからだ。 イスラエルの誇はその顔に向かって証言している。エフライムはその不義によってつまずき、ユダもまた彼らと共につまずく。 彼らは羊の群れ、牛の群れを携えて行って、主を求めても、主に会うことはない。主は彼らから離れ去られた。 彼らは主にむかって貞操を守らず、ほかの者の子を産んだ。新月は彼らをその田畑と共に滅ぼす。

新月とは新月の祭を指しますが、本来は神様に捧げるべき新月の礼拝が、もはや偶像礼拝の温床となっていました。たとい彼らが多くの犠牲を捧げて主を求めても、神様は彼らと会うことはなく、主は彼らから離れ去ったと言われたのです。この宣告は偶像礼拝から立ち帰らなかった北イスラエル王国のみならず、南ユダ王国に対する警告として語られました。私たちの心が主から離れ、形式的な礼拝に陥っていたならば、貞操を守らず淫行を行う者と等しく、主に喜ばれることはできません。私たちは常に心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、精神を尽くして主なる神様を愛する純潔を守り続けなければなりません。

http://bible.com/81/hos.5.4-7.ja1955

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ホセア書 5:8-12

ギベアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテアベンで呼ばわり叫べ。ベニヤミンよ、おののけ。 エフライムは刑罰の日に荒れすたれる。わたしはイスラエルの部族のうちに、必ず起るべき事を知らせる。 ユダの君たちは境を移す者のようになった。わたしはわが怒りを水のように彼らの上に注ぐ。 エフライムは甘んじて、むなしいものに従って歩んだゆえ、さばきを受けて、しえたげられ、打ちひしがれる。 それゆえ、わたしはエフライムには、しみのように、ユダの家には腐れのようになる。

ギベア、ラマ、ベテアベンは、ユダとベニヤミンの地境にあります。これはユダの国がイスラエルの領土に影響を強めようとしている姿です。エフライムに代表される北イスラエル王国の人々は、むなしい者すなわち偶像に従って歩んだため、神様の裁きに遭い、他国から蹂躙されて国力が衰えるという預言です。これらの預言はすべて、北イスラエル王国に最大の繁栄をもたらしたヤラベアム2世の時代に語られた御言葉であることに注意しなければなりません。今は繁栄を誇っていても、神様に感謝することなく、慢心して心に驕り高ぶり、主に栄光を帰さない者は、後の日に必ず懲らしめを受けて没落し、染みとなって腐れ果ててしまいます。繁栄のときこそ私たちは心に驕り高ぶりがないかチェックし、常日頃から主の御前に遜り栄光を帰する謙虚な信仰を備えなければなりません。

http://bible.com/81/hos.5.8-12.ja1955

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ホセア書 5:13-15

エフライムはおのれの病を見、ユダはおのれの傷を見たとき、エフライムはアッスリヤに行き、大王に人をつかわした。しかし彼はあなたがたをいやすことができない。また、あなたがたの傷をなおすことができない。 わたしはエフライムに対しては、ししのようになり、ユダの家に対しては若きししのようになる。わたしは、わたしこそ、かき裂いて去り、かすめて行くが、だれも救う者はない。 わたしは彼らがその罪を認めて、わが顔をたずね求めるまで、わたしの所に帰っていよう。彼らは悩みによって、わたしを尋ね求めて言う、

北イスラエル王国も、南ユダ王国も、共にアッスリヤに貢ぎ物を送り、強大な国家に寄り頼むことによって、国の安泰を図りました。しかしそれらの和平政策もアッスリヤに通用することなく、かえって自らを滅ぼす罠となりました。まことの神、主に寄り頼むことを忘れ、自らの知恵やこの世の権力に頼ろうとする者を、主は救うことはできません。しかし主は、自らの罪を認めて主の御前に遜るようになる日を切に望んでおられます。私たちの取るべき態度は、まことの神に背を向けていた罪を悔い改めて主の下に立ち帰ることです。

http://bible.com/81/hos.5.13-15.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/26

2018-07-26 06:35:02 | 今日の聖句
箴言 序 16:24 新共同訳

「親切な言葉は蜜の滴り。
 魂に甘く、骨を癒す。」

真に人の心に響く言葉とは、厳しい非難でも歯の浮くような甘言でもなく、思いやりと慈愛に満ちた、親切な言葉です。私たちの口から出る言葉が、人の心を潤し、骨身に染み入り、魂に活力を与えるような、慈愛と知恵を身に付けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/pro.16.24.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/25

2018-07-25 07:40:03 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 4:1-5

イスラエルの人々よ、主の言葉を聞け。主はこの地に住む者と争われる。この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。 ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている。 それゆえ、この地は嘆き、これに住む者はみな、野の獣も空の鳥も共に衰え、海の魚さえも絶えはてる。 しかし、だれも争ってはならない、責めてはならない。祭司よ。わたしの争うのは、あなたと争うのだ。 あなたは昼つまずき、預言者もまたあなたと共に夜つまずく。わたしはあなたの母を滅ぼす。

全知全能の神様と争うとは、実に無謀なことです。しかし北イスラエル王国の民は自ら神を捨て、主の忌み嫌われる偶像礼拝を率先して行い、真実は失せ、愛は消え去り、神様が祝福された地を呪いと偽り、殺人、盗み、姦淫など、ありとあらゆる罪で汚してしまいました。それ故神様はこの国を裁き、その地に住む者を絶え果てさせると宣告されました。本来は神様と人との間を取り持つはずの祭司も、預言者も、神様の怒りに触れて争いの対象となります。なぜなら彼らは神様の定めに従って任命された者ではなく、人間が勝手にあてがった者だからです。本来は愛情を注いでいのちを育む母も、欲望の赴くまま姦淫と不品行にまみれたふしだらな生活の故に滅ぼされてしまいます。神様に背を向けて生きる者の行く末は、実に哀れなものです。

http://bible.com/81/hos.4.1-5.ja1955

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ホセア書 4:6-9

わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない。あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、わたしもまたあなたの子らを忘れる。 彼らは大きくなるにしたがって、ますますわたしに罪を犯したゆえ、わたしは彼らの栄えを恥に変える。 彼らはわが民の罪を食いものにし、その罪を犯すことをせつに願っている。 それゆえ祭司も民と同じようになる。わたしはそのわざのために彼らを罰し、そのおこないのために彼らに報いる。

知識がない民とは主の教えを守り行わない民、知識を捨てた者とは神様の御言葉を捨てた者、それ故、主を捨てた者は主からも捨てられる運命に定められます。神様の御言葉を知らずに成長した子どもは、ますます神様から遠く離れ、平然と罪を犯すようになってゆくがため、神様もまたそのような者を知らないと突き放されます。国民の霊的指導者となるべき祭司たちが、私利私欲に走り、自分たちの報酬を増やすために人々が罪を犯すことを願うようになったら、誰が歯止めをかけられるでしょうか。霊的な負のスパイラルに陥った民は、罪から抜け出すこともできないまま、神様の裁きが下されるのを待つのみです。そのようにならないために、私たちは主の真理の御言葉を高く掲げて、世の光、地の塩として神の義を証してゆかなければなりません。

http://bible.com/81/hos.4.6-9.ja1955

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ホセア書 4:10-14

彼らは食べても飽くことなく、淫行をなしてもその数を増すことがない。彼らは主を捨てて、淫行を愛したからである。 酒と新しい酒とは思慮を奪う。 わが民は木に向かって事を尋ねる。またそのつえは彼らに事を示す。これは淫行の霊が彼らを迷わしたからである。彼らはその神を捨てて淫行をなした。 彼らは山々の頂で犠牲をささげ、丘の上、かしの木、柳の木、テレビンの木の下で供え物をささげる。これはその木陰がここちよいためである。それゆえ、あなたがたの娘は淫行をなし、あなたがたの嫁は姦淫を行う。 わたしはあなたがたの娘が淫行をしても罰しない。またあなたがたの嫁が姦淫を行っても罰しない。男たちみずから遊女と共に離れ去り、宮の遊女と共に犠牲をささげているからである。悟りのない民は滅びる。

主を捨てて偶像礼拝を盛んに行い、淫行と不品行にふけった民は、もはや救いようがありません。なぜなら淫行の霊が彼らの思考回路を停止させ、まともな判断ができないようになってしまっているからです。それはあたかも強い酒に酔った状態と同じです。中枢神経が麻痺したら理性が働くはずもなく、欲望の赴くままにいかなる愚行も平然と行います。妻と娘らがどれほど姦淫を行っても、夫も父も誰も責める者はありません。なぜならその淫行の相手をしているのは自分たちだからです。これは昔話ではなく、今でも世界中のお祭り騒ぎで現実に起こっている事実です。たとえばリオのカーニバルの後には、父親が誰だかわからない私生児がたくさん産まれるそうです。国を挙げて乱痴気騒ぎを行った結果、望まれない子どもが産まれ、ストリートチルドレンやスラム街を作り出し、犯罪と貧困の温床となります。悟りのない民は滅びるとの結論は、実に厳粛なものです。

http://bible.com/81/hos.4.10-14.ja1955

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ホセア書 4:15-19

イスラエルよ、あなたは淫行をなしても、ユダに罪を犯させてはならない。ギルガルへ行ってはならない。ベテアベンにのぼってはならない。また「主は生きておられる」と言って誓ってはならない。 イスラエルは強情な雌牛のように強情である。今、主は小羊を広い野に放つようにして、彼らを養うことができようか。 エフライムは偶像に結びつらなった。そのなすにまかせよ。 彼らは酒宴のとりことなり、淫行にふけっている。彼らはその光栄よりも恥を愛する。 風はその翼に彼らを包んだ。彼らはその祭壇のゆえに恥を受ける。

神様から遠く離れ、偶像礼拝と淫行を盛んに行う北イスラエル王国の人々に、神様は、南ユダ王国にこの悪影響を及ぼすなと警告します。エフライムとは北イスラエル王国を代表する主要部族です。偶像に強く結びついた北イスラエル王国の人々は、もはや冷静な判断ができず、光栄よりも恥、すなわち天の御国で受ける永遠のいのちよりも、束の間に過ぎない現世の快楽と繁栄を慕い求め、ヤラベアム2世の時代のバブル経済に浮かれて、刹那的な生き方を送ることに何の疑問も持たなくなってしまいました。まことの神、主から離れた生き方は、恥を恥とも思わない、実に虚しい生涯です。

http://bible.com/81/hos.4.15-19.ja1955
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【今日の聖句】 2018/07/25

2018-07-25 06:35:27 | 今日の聖句
コヘレトの言葉 7:9 新共同訳

「気短に怒るな。怒りは愚者の胸に宿るもの。」

「短気は損気」との諺にもあるように、気をせき立てて怒る者はとんだしっぺ返しを喰らうこととなります。一時の感情に身を任せて癇癪を起こし、取り返しのつかない過ちを犯すことのないように、常日頃から大らかな心を養い、物事の本質を見極める大局観を得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/1819/ecc.7.9.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2018/07/24

2018-07-24 07:18:37 | 一日一章・聖書通読日記
ホセア書 3:1-2

主はわたしに言われた、「あなたは再び行って、イスラエルの人々が他の神々に転じて、干ぶどうの菓子を愛するにもかかわらず、主がこれを愛せられるように、姦夫に愛せられる女、姦淫を行う女を愛せよ」と。 そこでわたしは銀十五シケルと大麦一ホメル半とをもって彼女を買い取った。

干しぶどうの菓子とはカナン地方土着の女神アシェラに捧げる供え物のことで、北イスラエル王国の人々がまことの神、主を忘れ、熱心に偶像礼拝を行っていたことがわかります。にもかかわらず神様は、イスラエルの人々を愛してやみませんでした。この主の悲痛な愛と全く同様に、自ら姦淫を行って離れていった妻ゴメルを愛せよと、神様は預言者ホセアに命じられました。普通の人であれば問答無用で離縁されて当然の状況にもかかわらず、ホセアは自ら身を持ち崩して奴隷となってしまった妻ゴメルを、本来支払う必要のない代価である銀15シケルと大麦1ホメル半を支払って買い取りました。これはキリストの十字架による購いの予表です。神様は罪の奴隷となってしまった私たちを、御子イエス・キリストのいのちという尊い代価を支払って、愛される資格もない私たちをサタンから買い戻してくださったのです。この大いなる愛を受けた私たちの為すべきことは、心から悔い改めて主に立ち返り、二度と罪の奴隷に戻ってはならないということです。

http://bible.com/81/hos.3.1-2.ja1955

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ホセア書 3:3-5

わたしは彼女に言った、「あなたは長くわたしの所にとどまって、淫行をなさず、また他の人のものとなってはならない。わたしもまた、あなたにそうしよう」と。 イスラエルの子らは多くの日の間、王なく、君なく、犠牲なく、柱なく、エポデおよびテラピムもなく過ごす。 そしてその後イスラエルの子らは帰って来て、その神、主と、その王ダビデとをたずね求め、終りの日におののいて、主とその恵みに向かって来る。

代価を支払って妻ゴメルを買い戻したホセアは彼女に、再び夫の元を離れて姦淫を行ってはならないと告げると共に、わたしもまたあなたにそうしようと、優しく声を掛けました。それは壊れてしまった夫婦関係を回復するために、お互いに相手に仕え合う努力を重ねることが必要なプロセスです。姦淫の現場を取り押さえられた女性に対して、イエス様が「わたしもあなたを罰しない。今後は二度と罪を犯さないように」と優しく声を掛けられたように、神様は一方的に悪いはずの私たち人間に対して、決して罵倒することなく、優しく声を掛けてくださいました。それは私たちと、神様との関係、またお互い人間同士の関係にも通じることです。自分の主張が正しいと言って相手の非をあげつらい非難することでは、円満な人間関係が築かれるはずがありません。ですから私たちは、互いに許し合い、認め合い、仕え合う最大限の努力を払って相互の信頼を回復するように、神と人とに対して良好な関係を築き、この世に平和をもたらして、神の恵みに与らせていただく者でありたいと願います。

http://bible.com/81/hos.3.3-5.ja1955
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