テサロニケ人への第一の手紙 4:1-2
最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。 わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。
私たちの人生において掲げる目標は、いかにして神を喜んでいただけるかを常に追求し続けることです。愛する人のためにその人に喜んでもらいたいと願いまたその通りに行動するように、父なる神を心から愛して主イエスから学んだみ言葉を守り行い、神に喜んでいただけることを何よりの喜びとするならば、私たちの人生は最も素晴らしいものとなります。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.1-2.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:3-8
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。 神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
いと高く聖なる神の御心は、私たちが神に倣い、きよい者となることです。神の御心を知りながら神を知らない人々のように罪の世を愛し、世俗的な生活から離れず、情欲に身を任せて放縦を貪るならば、神の厳しい裁きを免れることはできません。私たちは汚れたことをするためにいのちを授かったのではありません。神を信じたと言いながら、神を信じる前の生活態度と何一つ変わらないならば、そのような口先だけの信仰の者を神が義と認めてくださるでしょうか。聖なる者とならんとして、この世の誘惑を退け、神の御名に恥じないきよい信仰生活を送る者こそ、聖なる神の民たるに相応しい者、神に喜ばれる者です。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.3-8.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:9-12
兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、 また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。 そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。
福音の喜びに満たされ、神の御心に適う信仰生活を送り続けていたテサロニケ教会の人々は、兄弟愛においても申し分なく、数々の愛の献金などを通してマケドニア全土の教会を支援して、互いに愛し合うことを実践していました。そんな彼らに対しパウロは、愛の業にますます励むようにと勧めました。私たちもまた彼らに倣って日々心掛けることは、自ら勤勉に働き、自立した、落ち着いた生活を送ることです。口先だけで愛する人は、往々にしてキリスト者に相応しい日々の生活態度が身についていません。キリストの聖なる御名を汚すことのないよう、自ら品位を保つことを日々心掛け、また実践する私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.9-12.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:13-18
兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。
申し分ない信仰生活を送っていたテサロニケ教会の人々の心配事は、主の再臨の日が来る前に召された人々はどのようになってしまうのかということでした。主イエスの再臨は今すぐにでも来ると考えていた当時のキリスト者にとって、再臨の日の前に死を迎えた人は罪人と同様に滅びてしまうのではないかと恐れていました。そのような心配をしていた人々に対し、パウロはいわゆる空中携挙の奥義を教えました。すなわち主の再臨の日には、まずキリストに在って先に召された者がよみがえり、次いで地上に存命している者が携え上げられ、空中で主と出会い、共に天の御国に入れられるという教えです。ですから私たちはこの地上での死を恐れる必要はありません。私たちは正しい聖書理解に基づき、この世に生きることに不安を感じることなく、罪の赦しと永遠のいのちの希望をしっかりと抱いて、この世においてキリスト者に相応しい落ち着いた信仰生活を送る者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.13-18.ja1955
最後に、兄弟たちよ。わたしたちは主イエスにあってあなたがたに願いかつ勧める。あなたがたが、どのように歩いて神を喜ばすべきかをわたしたちから学んだように、また、いま歩いているとおりに、ますます歩き続けなさい。 わたしたちがどういう教を主イエスによって与えたか、あなたがたはよく知っている。
私たちの人生において掲げる目標は、いかにして神を喜んでいただけるかを常に追求し続けることです。愛する人のためにその人に喜んでもらいたいと願いまたその通りに行動するように、父なる神を心から愛して主イエスから学んだみ言葉を守り行い、神に喜んでいただけることを何よりの喜びとするならば、私たちの人生は最も素晴らしいものとなります。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.1-2.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:3-8
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。すなわち、不品行を慎み、 各自、気をつけて自分のからだを清く尊く保ち、 神を知らない異邦人のように情欲をほしいままにせず、 また、このようなことで兄弟を踏みつけたり、だましたりしてはならない。前にもあなたがたにきびしく警告しておいたように、主はこれらすべてのことについて、報いをなさるからである。 神がわたしたちを召されたのは、汚れたことをするためではなく、清くなるためである。 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
いと高く聖なる神の御心は、私たちが神に倣い、きよい者となることです。神の御心を知りながら神を知らない人々のように罪の世を愛し、世俗的な生活から離れず、情欲に身を任せて放縦を貪るならば、神の厳しい裁きを免れることはできません。私たちは汚れたことをするためにいのちを授かったのではありません。神を信じたと言いながら、神を信じる前の生活態度と何一つ変わらないならば、そのような口先だけの信仰の者を神が義と認めてくださるでしょうか。聖なる者とならんとして、この世の誘惑を退け、神の御名に恥じないきよい信仰生活を送る者こそ、聖なる神の民たるに相応しい者、神に喜ばれる者です。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.3-8.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:9-12
兄弟愛については、今さら書きおくる必要はない。あなたがたは、互に愛し合うように神に直接教えられており、 また、事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行しているのだから。しかし、兄弟たちよ。あなたがたに勧める。ますます、そうしてほしい。 そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。 そうすれば、外部の人々に対して品位を保ち、まただれの世話にもならずに、生活できるであろう。
福音の喜びに満たされ、神の御心に適う信仰生活を送り続けていたテサロニケ教会の人々は、兄弟愛においても申し分なく、数々の愛の献金などを通してマケドニア全土の教会を支援して、互いに愛し合うことを実践していました。そんな彼らに対しパウロは、愛の業にますます励むようにと勧めました。私たちもまた彼らに倣って日々心掛けることは、自ら勤勉に働き、自立した、落ち着いた生活を送ることです。口先だけで愛する人は、往々にしてキリスト者に相応しい日々の生活態度が身についていません。キリストの聖なる御名を汚すことのないよう、自ら品位を保つことを日々心掛け、また実践する私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.9-12.ja1955
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テサロニケ人への第一の手紙 4:13-18
兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。
申し分ない信仰生活を送っていたテサロニケ教会の人々の心配事は、主の再臨の日が来る前に召された人々はどのようになってしまうのかということでした。主イエスの再臨は今すぐにでも来ると考えていた当時のキリスト者にとって、再臨の日の前に死を迎えた人は罪人と同様に滅びてしまうのではないかと恐れていました。そのような心配をしていた人々に対し、パウロはいわゆる空中携挙の奥義を教えました。すなわち主の再臨の日には、まずキリストに在って先に召された者がよみがえり、次いで地上に存命している者が携え上げられ、空中で主と出会い、共に天の御国に入れられるという教えです。ですから私たちはこの地上での死を恐れる必要はありません。私たちは正しい聖書理解に基づき、この世に生きることに不安を感じることなく、罪の赦しと永遠のいのちの希望をしっかりと抱いて、この世においてキリスト者に相応しい落ち着いた信仰生活を送る者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/1th.4.13-18.ja1955