レビ記 19:1-8
主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。 酬恩祭の犠牲を主にささげるときは、あなたがたが受け入れられるように、それをささげなければならない。 それは、ささげた日と、その翌日とに食べ、三日目まで残ったものは、それを火で焼かなければならない。 もし三日目に、少しでも食べるならば、それは忌むべきものとなって、あなたは受け入れられないであろう。 それを食べる者は、主の聖なる物を汚すので、そのとがを負わなければならない。その人は民のうちから断たれるであろう。」
この箇所は私たちの神に対する姿勢に関する戒めです。神に選ばれたイスラエルの民は、聖なる民としてこの世から携え挙げられた者の群です。聖なる神に選ばれたのですから、私たちもまた聖なる者となることが肝要です。どのようにして聖なることを示すか、造り主なる神を畏れ、産み育ててくれた両親を敬い、神の安息日を守り、空しい偶像に心寄せることなく、神に命じられた通りただ唯一の神にのみ仕えることです。そして何事も主に感謝を捧げ、主の命じられた通りに礼拝を捧げ、身をきよく保つことです。このようにしてくださるのは自分の意志によるものではなく、すべては神の憐れみ、神の選びによらなければ守り通すことはできません。聖なる神に近付くために自らも聖なる者とならんとする私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.1-8.ja1955
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レビ記 19:9-18
「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは盗んではならない。欺いてはならない。互に偽ってはならない。 わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたの隣人をしえたげてはならない。また、かすめてはならない。日雇人の賃銀を明くる朝まで、あなたのもとにとどめておいてはならない。 耳しいを、のろってはならない。目しいの前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。 民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。 あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」
神の愛と憐れみを受けて生きる者とされた私たちは、神に対する愛と忠誠を具体的に行動で示すために、隣人に対する憐れみの心を忘れてはなりません。また、義なる神に仕える者として、隣人に対して公義を行う者となることが求められています。そのための具体的な行動規範が、この箇所に記されています。すべては神の愛と義の内に生き、憐れみ深い神に倣う者となることが、私たちが神の民たるアイデンティティーです。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.9-18.ja1955
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レビ記 19:19-25
「あなたがたはわたしの定めを守らなければならない。あなたの家畜に異なった種をかけてはならない。あなたの畑に二種の種をまいてはならない。二種の糸の混ぜ織りの衣服を身につけてはならない。 だれでも、人と婚約のある女奴隷で、まだあがなわれず、自由を与えられていない者と寝て交わったならば、彼らふたりは罰を受ける。しかし、殺されることはない。彼女は自由の女ではないからである。 しかし、その男は愆祭を主に携えてこなければならない。すなわち、愆祭の雄羊を、会見の幕屋の入口に連れてこなければならない。 そして、祭司は彼の犯した罪のためにその愆祭の雄羊をもって、主の前に彼のために、あがないをするであろう。こうして彼の犯した罪はゆるされるであろう。 あなたがたが、かの地にはいって、もろもろのくだものの木を植えるときは、その実はまだ割礼をうけないものと、見なさなければならない。すなわち、それは三年の間あなたがたには、割礼のないものであって、食べてはならない。 四年目には、そのすべての実を聖なる物とし、それをさんびの供え物として主にささげなければならない。 しかし五年目には、あなたがたはその実を食べることができるであろう。こうするならば、それはあなたがたのために、多くの実を結ぶであろう。わたしはあなたがたの神、主である。」
神の民には神の定められた秩序を守ることが求められています。それが二種のものを掛け合わせてはならないとの戒めの理由です。また女奴隷に対する優越的な立場を利用した姦淫も罪として認めなければならないとの教えは、奴隷制度が当たり前であった当時の概念を根底から覆すほどの徹底した罪概念でした。更に、入植した地で得た果物に対する教えは、先住民の罪に汚れた地をきよめる期間を設け、罪の影響を断ち切るための戒めです。このように罪に対する徹底的な態度は、私たちもまた身に着けなければなりません。そして初物を神に捧げることは、神に対する感謝をもってスタートする信仰生活の原点です。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.19-25.ja1955
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レビ記 19:26-31
「あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。 あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。 死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。 あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
これらの戒めは昨日の通読箇所でも学びましたが、神の忌み嫌われる悪しき行いや風習を取り入れてはなりません。児湯等の戒めの根底にあるものは、私たちを造り、私たちを聖なる者として選んでくださったまことの神だけを信じ、忠実に仕えることを、きよい信仰生活を送ることによって具体的に示すことです。信仰は単なる概念に留まるものではなく、現実的なものですを
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.26-31.ja1955
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レビ記 19:32-37
「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。 あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの国から導き出したあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしのすべての定めと、わたしのすべてのおきてを守って、これを行わなければならない。わたしは主である』」。
まことの神を畏れる者は、礼節を重んじます。年長者、特に白髪の老人を敬うことは、当時は長寿は神の特別な祝福によりもたらされるものと考えられていましたから、神に愛された者、祝福を受けた者を敬うことによって、神を敬うことを具体的に行動で示すことです。また他国の寄留者を虐げてはならないとの教えは、イスラエルもまたエジプトの地で寄留者となり、奴隷とされて虐げられてきた歴史を思い起こして、神に滅ばされたエジプト人のようになってはならないとの戒めです。すべての人を偏りみない神に倣い、公正な裁き、公平かつ適正な判断基準を持って生きることもまた、神の義を具体的に示す生き方です。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.32-37.ja1955
主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。 酬恩祭の犠牲を主にささげるときは、あなたがたが受け入れられるように、それをささげなければならない。 それは、ささげた日と、その翌日とに食べ、三日目まで残ったものは、それを火で焼かなければならない。 もし三日目に、少しでも食べるならば、それは忌むべきものとなって、あなたは受け入れられないであろう。 それを食べる者は、主の聖なる物を汚すので、そのとがを負わなければならない。その人は民のうちから断たれるであろう。」
この箇所は私たちの神に対する姿勢に関する戒めです。神に選ばれたイスラエルの民は、聖なる民としてこの世から携え挙げられた者の群です。聖なる神に選ばれたのですから、私たちもまた聖なる者となることが肝要です。どのようにして聖なることを示すか、造り主なる神を畏れ、産み育ててくれた両親を敬い、神の安息日を守り、空しい偶像に心寄せることなく、神に命じられた通りただ唯一の神にのみ仕えることです。そして何事も主に感謝を捧げ、主の命じられた通りに礼拝を捧げ、身をきよく保つことです。このようにしてくださるのは自分の意志によるものではなく、すべては神の憐れみ、神の選びによらなければ守り通すことはできません。聖なる神に近付くために自らも聖なる者とならんとする私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.1-8.ja1955
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レビ記 19:9-18
「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは盗んではならない。欺いてはならない。互に偽ってはならない。 わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたの隣人をしえたげてはならない。また、かすめてはならない。日雇人の賃銀を明くる朝まで、あなたのもとにとどめておいてはならない。 耳しいを、のろってはならない。目しいの前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。 民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。 あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」
神の愛と憐れみを受けて生きる者とされた私たちは、神に対する愛と忠誠を具体的に行動で示すために、隣人に対する憐れみの心を忘れてはなりません。また、義なる神に仕える者として、隣人に対して公義を行う者となることが求められています。そのための具体的な行動規範が、この箇所に記されています。すべては神の愛と義の内に生き、憐れみ深い神に倣う者となることが、私たちが神の民たるアイデンティティーです。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.9-18.ja1955
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レビ記 19:19-25
「あなたがたはわたしの定めを守らなければならない。あなたの家畜に異なった種をかけてはならない。あなたの畑に二種の種をまいてはならない。二種の糸の混ぜ織りの衣服を身につけてはならない。 だれでも、人と婚約のある女奴隷で、まだあがなわれず、自由を与えられていない者と寝て交わったならば、彼らふたりは罰を受ける。しかし、殺されることはない。彼女は自由の女ではないからである。 しかし、その男は愆祭を主に携えてこなければならない。すなわち、愆祭の雄羊を、会見の幕屋の入口に連れてこなければならない。 そして、祭司は彼の犯した罪のためにその愆祭の雄羊をもって、主の前に彼のために、あがないをするであろう。こうして彼の犯した罪はゆるされるであろう。 あなたがたが、かの地にはいって、もろもろのくだものの木を植えるときは、その実はまだ割礼をうけないものと、見なさなければならない。すなわち、それは三年の間あなたがたには、割礼のないものであって、食べてはならない。 四年目には、そのすべての実を聖なる物とし、それをさんびの供え物として主にささげなければならない。 しかし五年目には、あなたがたはその実を食べることができるであろう。こうするならば、それはあなたがたのために、多くの実を結ぶであろう。わたしはあなたがたの神、主である。」
神の民には神の定められた秩序を守ることが求められています。それが二種のものを掛け合わせてはならないとの戒めの理由です。また女奴隷に対する優越的な立場を利用した姦淫も罪として認めなければならないとの教えは、奴隷制度が当たり前であった当時の概念を根底から覆すほどの徹底した罪概念でした。更に、入植した地で得た果物に対する教えは、先住民の罪に汚れた地をきよめる期間を設け、罪の影響を断ち切るための戒めです。このように罪に対する徹底的な態度は、私たちもまた身に着けなければなりません。そして初物を神に捧げることは、神に対する感謝をもってスタートする信仰生活の原点です。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.19-25.ja1955
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レビ記 19:26-31
「あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。 あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。 死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。 あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
これらの戒めは昨日の通読箇所でも学びましたが、神の忌み嫌われる悪しき行いや風習を取り入れてはなりません。児湯等の戒めの根底にあるものは、私たちを造り、私たちを聖なる者として選んでくださったまことの神だけを信じ、忠実に仕えることを、きよい信仰生活を送ることによって具体的に示すことです。信仰は単なる概念に留まるものではなく、現実的なものですを
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.26-31.ja1955
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レビ記 19:32-37
「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。 あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの国から導き出したあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしのすべての定めと、わたしのすべてのおきてを守って、これを行わなければならない。わたしは主である』」。
まことの神を畏れる者は、礼節を重んじます。年長者、特に白髪の老人を敬うことは、当時は長寿は神の特別な祝福によりもたらされるものと考えられていましたから、神に愛された者、祝福を受けた者を敬うことによって、神を敬うことを具体的に行動で示すことです。また他国の寄留者を虐げてはならないとの教えは、イスラエルもまたエジプトの地で寄留者となり、奴隷とされて虐げられてきた歴史を思い起こして、神に滅ばされたエジプト人のようになってはならないとの戒めです。すべての人を偏りみない神に倣い、公正な裁き、公平かつ適正な判断基準を持って生きることもまた、神の義を具体的に示す生き方です。
https://www.bible.com/bible/81/lev.19.32-37.ja1955