伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/09/30

2019-09-30 08:00:24 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 19:1-8

主はモーセに言われた、 「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたの神、主なるわたしは、聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。 あなたがたは、おのおのその母とその父とをおそれなければならない。またわたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 むなしい神々に心を寄せてはならない。また自分のために神々を鋳て造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。 酬恩祭の犠牲を主にささげるときは、あなたがたが受け入れられるように、それをささげなければならない。 それは、ささげた日と、その翌日とに食べ、三日目まで残ったものは、それを火で焼かなければならない。 もし三日目に、少しでも食べるならば、それは忌むべきものとなって、あなたは受け入れられないであろう。 それを食べる者は、主の聖なる物を汚すので、そのとがを負わなければならない。その人は民のうちから断たれるであろう。」

この箇所は私たちの神に対する姿勢に関する戒めです。神に選ばれたイスラエルの民は、聖なる民としてこの世から携え挙げられた者の群です。聖なる神に選ばれたのですから、私たちもまた聖なる者となることが肝要です。どのようにして聖なることを示すか、造り主なる神を畏れ、産み育ててくれた両親を敬い、神の安息日を守り、空しい偶像に心寄せることなく、神に命じられた通りただ唯一の神にのみ仕えることです。そして何事も主に感謝を捧げ、主の命じられた通りに礼拝を捧げ、身をきよく保つことです。このようにしてくださるのは自分の意志によるものではなく、すべては神の憐れみ、神の選びによらなければ守り通すことはできません。聖なる神に近付くために自らも聖なる者とならんとする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/lev.19.1-8.ja1955

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レビ記 19:9-18

「あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは盗んではならない。欺いてはならない。互に偽ってはならない。 わたしの名により偽り誓って、あなたがたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたの隣人をしえたげてはならない。また、かすめてはならない。日雇人の賃銀を明くる朝まで、あなたのもとにとどめておいてはならない。 耳しいを、のろってはならない。目しいの前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。 民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。 あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。 あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。」

神の愛と憐れみを受けて生きる者とされた私たちは、神に対する愛と忠誠を具体的に行動で示すために、隣人に対する憐れみの心を忘れてはなりません。また、義なる神に仕える者として、隣人に対して公義を行う者となることが求められています。そのための具体的な行動規範が、この箇所に記されています。すべては神の愛と義の内に生き、憐れみ深い神に倣う者となることが、私たちが神の民たるアイデンティティーです。

https://www.bible.com/bible/81/lev.19.9-18.ja1955

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レビ記 19:19-25

「あなたがたはわたしの定めを守らなければならない。あなたの家畜に異なった種をかけてはならない。あなたの畑に二種の種をまいてはならない。二種の糸の混ぜ織りの衣服を身につけてはならない。 だれでも、人と婚約のある女奴隷で、まだあがなわれず、自由を与えられていない者と寝て交わったならば、彼らふたりは罰を受ける。しかし、殺されることはない。彼女は自由の女ではないからである。 しかし、その男は愆祭を主に携えてこなければならない。すなわち、愆祭の雄羊を、会見の幕屋の入口に連れてこなければならない。 そして、祭司は彼の犯した罪のためにその愆祭の雄羊をもって、主の前に彼のために、あがないをするであろう。こうして彼の犯した罪はゆるされるであろう。 あなたがたが、かの地にはいって、もろもろのくだものの木を植えるときは、その実はまだ割礼をうけないものと、見なさなければならない。すなわち、それは三年の間あなたがたには、割礼のないものであって、食べてはならない。 四年目には、そのすべての実を聖なる物とし、それをさんびの供え物として主にささげなければならない。 しかし五年目には、あなたがたはその実を食べることができるであろう。こうするならば、それはあなたがたのために、多くの実を結ぶであろう。わたしはあなたがたの神、主である。」

神の民には神の定められた秩序を守ることが求められています。それが二種のものを掛け合わせてはならないとの戒めの理由です。また女奴隷に対する優越的な立場を利用した姦淫も罪として認めなければならないとの教えは、奴隷制度が当たり前であった当時の概念を根底から覆すほどの徹底した罪概念でした。更に、入植した地で得た果物に対する教えは、先住民の罪に汚れた地をきよめる期間を設け、罪の影響を断ち切るための戒めです。このように罪に対する徹底的な態度は、私たちもまた身に着けなければなりません。そして初物を神に捧げることは、神に対する感謝をもってスタートする信仰生活の原点です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.19.19-25.ja1955

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レビ記 19:26-31

「あなたがたは何をも血のままで食べてはならない。また占いをしてはならない。魔法を行ってはならない。 あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。 死人のために身を傷つけてはならない。また身に入墨をしてはならない。わたしは主である。 あなたの娘に遊女のわざをさせて、これを汚してはならない。これはみだらな事が国に行われ、悪事が地に満ちないためである。 あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。 あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」

これらの戒めは昨日の通読箇所でも学びましたが、神の忌み嫌われる悪しき行いや風習を取り入れてはなりません。児湯等の戒めの根底にあるものは、私たちを造り、私たちを聖なる者として選んでくださったまことの神だけを信じ、忠実に仕えることを、きよい信仰生活を送ることによって具体的に示すことです。信仰は単なる概念に留まるものではなく、現実的なものですを

https://www.bible.com/bible/81/lev.19.26-31.ja1955

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レビ記 19:32-37

「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 もし他国人があなたがたの国に寄留して共にいるならば、これをしえたげてはならない。 あなたがたと共にいる寄留の他国人を、あなたがたと同じ国に生れた者のようにし、あなた自身のようにこれを愛さなければならない。あなたがたもかつてエジプトの国で他国人であったからである。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたは、さばきにおいても、物差しにおいても、はかりにおいても、ますにおいても、不正を行ってはならない。 あなたがたは正しいてんびん、正しいおもり石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの国から導き出したあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしのすべての定めと、わたしのすべてのおきてを守って、これを行わなければならない。わたしは主である』」。

まことの神を畏れる者は、礼節を重んじます。年長者、特に白髪の老人を敬うことは、当時は長寿は神の特別な祝福によりもたらされるものと考えられていましたから、神に愛された者、祝福を受けた者を敬うことによって、神を敬うことを具体的に行動で示すことです。また他国の寄留者を虐げてはならないとの教えは、イスラエルもまたエジプトの地で寄留者となり、奴隷とされて虐げられてきた歴史を思い起こして、神に滅ばされたエジプト人のようになってはならないとの戒めです。すべての人を偏りみない神に倣い、公正な裁き、公平かつ適正な判断基準を持って生きることもまた、神の義を具体的に示す生き方です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.19.32-37.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/30

2019-09-30 05:35:12 | 今日の聖句
ペトロの手紙二 1:3 新共同訳

主イエスは、御自分の持つ神の力によって、命と信心とにかかわるすべてのものを、わたしたちに与えてくださいました。それは、わたしたちを御自身の栄光と力ある業とで召し出してくださった方を認識させることによるのです。

この世のいのちも、永遠のいのちも、更に目には見えない神の存在を認める信仰さえも、すべて主イエスの持つ神の力によって授かったものです。取るに足らない私たちを選び、主の栄光を表す者として召し出してくださった神を示すためにこの世に来られた主イエスに心から感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/1819/2pe.1.3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/29

2019-09-29 22:52:30 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 18:1-5

主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。 わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。 あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守らなければならない。もし人が、これを行うならば、これによって生きるであろう。わたしは主である。」

神はモーセを通じて、神の民イスラエルに属する人々に、エジプトやカナン地方の国々の習慣を真似てはならないと戒められました。なぜならイスラエルは聖なる神の祭司たる民族として、神の定められた掟を守り行うことにより、神の義を世に表して生きる者となることが求められていたからです。私たちはいと聖なる神に属する者であるという高い自己認識を持ち、神の民としてのアイデンティティーを保ち、この世の悪しき風習に感化されることなく、きよい生活を守らなければなりせん。

https://www.bible.com/bible/81/lev.18.1-5.ja1955

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レビ記 18:6-17

「あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。 あなたの母を犯してはならない。それはあなたの父をはずかしめることだからである。彼女はあなたの母であるから、これを犯してはならない。 あなたの父の妻を犯してはならない。それはあなたの父をはずかしめることだからである。 あなたの姉妹、すなわちあなたの父の娘にせよ、母の娘にせよ、家に生れたのと、よそに生れたのとを問わず、これを犯してはならない。 あなたのむすこの娘、あるいは、あなたの娘の娘を犯してはならない。それはあなた自身をはずかしめることだからである。 あなたの父の妻があなたの父によって産んだ娘は、あなたの姉妹であるから、これを犯してはならない。 あなたの父の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの父の肉親だからである。 またあなたの母の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの母の肉親だからである。 あなたの父の兄弟の妻を犯し、父の兄弟をはずかしめてはならない。彼女はあなたのおばだからである。 あなたの嫁を犯してはならない。彼女はあなたのむすこの妻であるから、これを犯してはならない。 あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることだからである。」

神がイスラエルに与えると約束されたカナン地方に住んでいた先住民たちが、いかに神に忌み嫌われる汚らわしい生活をしていたかについて、ここに記されています。彼らは性的な道徳に乱れきったふしだらな生活を送っており、近親相姦を当たり前のように行っていました。バプテスマのヨハネが殉教したのも、ヘロデ王が自分の兄弟の妻を自分の妻としたことを罪と指摘したことが原因でした。そのことからも、カナン地方には近親相姦を是認する風潮があったことがわかります。しかし神の民たる者は、結婚を神と人との愛の関係を象徴するものとして重んじなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.18.6-17.ja1955

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レビ記 18:17-23

「あなたは女とその娘とを一緒に犯してはならない。またその女のむすこの娘、またはその娘の娘を取って、これを犯してはならない。彼らはあなたの肉親であるから、これは悪事である。 あなたは妻のなお生きているうちにその姉妹を取って、同じく妻となし、これを犯してはならない。 あなたは月のさわりの不浄にある女に近づいて、これを犯してはならない。 隣の妻と交わり、彼女によって身を汚してはならない。 あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。」

近親相姦に続いて、神は不自然な性的関係を禁じられました。アブラハムの時代に天から降った火によって滅ぼされたソドムとゴモラの記事がありますが、神の使がロトの家を尋ねてきたとき、ソドムの民は神の使と性的な関係を持とうとして滅ぼされました。不倫は文化だ、などと公言する著名人もいましたが、不倫、重婚、同性愛、獣姦(他の動物との性行為)などといった性的な不道徳が、現代社会においてファッションのように美化され、当たり前のように、むしろ市民権を得つつあることは、まさに憂慮すべき事態です。神はそれらの不道徳を「道にはずれたことである」と断言されています。私たちは神の造り給うた尊い性を、おもちゃのように、単なる欲望のはけ口としてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.18.17-23.ja1955

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レビ記 18:24-30

「あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。 あなたがたの先にいたこの地の人々は、これらのもろもろの憎むべき事を行ったので、その地も汚れたからである。 これは、あなたがたがこの地を汚して、この地があなたがたの先にいた民を吐き出したように、あなたがたをも吐き出すことのないためである。 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。

神はイスラエルの民に、先に挙げられたようなカナンの先住民たちが行っていた性的な不道徳、不品行の数々を、決して真似てはならないと戒められました。もしイスラエルの民が、カナンの先住民たちのように欲望の赴くままに性の乱れを容認してしまっては、聖なる神に連なる聖なる民としてのアイデンティティーを保つことはできません。同時に、神がカナンの先住民たちをイスラエルの前から追い払うこととされたのは、彼らがこれらの性的な不道徳にどっぷりと浸かり、もはや赦される限度を超えてしまっていたからです。もしイスラエルが彼らの不道徳に倣ってしまったならば、もはやイスラエルは汚れた者と成り下がり、神に特別に愛される理由はなくなります。神の民としてのきよさを保つことなしに、神の特別な恩寵に与ることはできません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.18.24-30.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/29

2019-09-29 07:20:05 | 今日の聖句
マタイによる福音書 5:48 新共同訳

「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

義なる神を信じ仕える私たちは、完璧な者となることはできなくとも、罪の世に生きる人々のようにではなく、神に聞き従うことにおいて完全な者となることを神は求めておられます。自分の主義主張を貫く頑なな者となることなく、聖なる神の御言葉を行動規範とする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.5.48.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/28

2019-09-28 07:57:23 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 17:1-9

主はまたモーセに言われた、 「アロンとその子たち、およびイスラエルのすべての人々に言いなさい、『主が命じられることはこれである。すなわち イスラエルの家のだれでも、牛、羊あるいは、やぎを宿営の内でほふり、または宿営の外でほふり、 それを会見の幕屋の入口に携えてきて主の幕屋の前で、供え物として主にささげないならば、その人は血を流した者とみなされる。彼は血を流したゆえ、その民のうちから断たれるであろう。 これはイスラエルの人々に、彼らが野のおもてでほふるのを常としていた犠牲を主のもとにひいてこさせ、会見の幕屋の入口におる祭司のもとにきて、これを主にささげる酬恩祭の犠牲としてほふらせるためである。 祭司はその血を会見の幕屋の入口にある主の祭壇に注ぎかけ、またその脂肪を焼いて香ばしいかおりとし、主にささげなければならない。 彼らが慕って姦淫をおこなったみだらな神に、再び犠牲をささげてはならない。これは彼らが代々ながく守るべき定めである』。 あなたはまた彼らに言いなさい、『イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、燔祭あるいは犠牲をささげるのに、 これを会見の幕屋の入口に携えてきて、主にささげないならば、その人は、その民のうちから断たれるであろう。」

神様はイスラエルの民にいのちの尊さを教え、いのちを授けられた神に感謝を捧げることを学ばせるために、動物をほふるときは必ず会見の幕屋に携え、神の御前に捧げるべきことを徹底されました。もし神に感謝せずに動物をほふるならば神の民イスラエルから絶たれる、祝福の民から除外されるとさえ告げて、厳しく戒められました。同時にイスラエルの民に、他の神々にいけにえを捧げてはならないと、偶像礼拝を禁止されました。私たち人間は、他の動物たちのいのちをいただいて生きています。そのようにして私たちのいのちが保たれていることを深く認識し、いのちの尊厳、いのちの源である神への感謝、まことの神以外のものを神とする偶像礼拝の禁止を徹底する者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/lev.17.1-9.ja1955

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レビ記 17:10-14

「イスラエルの家の者、またはあなたがたのうちに宿る寄留者のだれでも、血を食べるならば、わたしはその血を食べる人に敵して、わたしの顔を向け、これをその民のうちから断つであろう。 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。 このゆえに、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたのうち、だれも血を食べてはならない。またあなたがたのうちに宿る寄留者も血を食べてはならない。 イスラエルの人々のうち、またあなたがたのうちに宿る寄留者のうち、だれでも、食べてもよい獣あるいは鳥を狩り獲た者は、その血を注ぎ出し、土でこれをおおわなければならない。 すべて肉の命は、その血と一つだからである。それで、わたしはイスラエルの人々に言った。あなたがたは、どんな肉の血も食べてはならない。すべて肉の命はその血だからである。すべて血を食べる者は断たれるであろう。」

聖書の中では、血はいのちであるという考え方、それゆえに罪は血によってのみ購われるとい概念が根底にあります。ですから血を食べることはいのちを軽視することと共に、罪を解決する手段を失うこととなり、神の民から絶たれるという厳しい裁きを伴うものとのりました。私たちが生きるために他の動物のいのちによって養われ、私たちの罪が購われるために犠牲の動物の血によってのみ赦される道が開かれる。私たちのいのちは貴い犠牲の上に成り立っていることを深く認識し、すべてのいのちに感謝して生きる者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/lev.17.10-14.ja1955

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レビ記 17:15-16

「自然に死んだもの、または裂き殺されたものを食べる人は、国に生れた者であれ、寄留者であれ、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れているが、その後、清くなるであろう。 もし、洗わず、また身をすすがないならば、彼はその罪を負わなければならない』」。

私たちが食べるためにほふった動物ではなく、自然に死んだ、あるいは事故によって死んだ動物を食べる場合は、死体に触れたものとみなされて、その人は汚れたものとされました。ただし、罪祭を捧げてきよめの儀式を行うほどのものではなく、衣服を洗い、水で身をすすぐことによって罪ゆるされ、きよめられると定められました。いずれにせよいのちの尊厳を保つことに変わりありません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.17.15-16.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/28

2019-09-28 06:45:13 | 今日の聖句
ペトロの手紙一 1:24-25 新共同訳

こう言われているからです。
「人は皆、草のようで、
 その華やかさはすべて、草の花のようだ。
 草は枯れ、
 花は散る。
 しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。

私たち人間のいのちは、悠久の歴史の中でほんの一瞬の泡沫のような短い生涯に過ぎません。歴史の始まる以前からおられ、この世のすべてを造られた神の御言葉は永遠に変わることのない真理です。この神に望みを置き、キリストの福音を信じ受け入れて、神と共に永遠に生きる者とされる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/1pe.1.24-25.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/27

2019-09-27 08:00:11 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 16:1-4

アロンのふたりの子が、主の前に近づいて死んだ後、 主はモーセに言われた、「あなたの兄弟アロンに告げて、彼が時をわかたず、垂幕の内なる聖所に入り、箱の上なる贖罪所の前に行かぬようにさせなさい。彼が死を免れるためである。なぜなら、わたしは雲の中にあって贖罪所の上に現れるからである。 アロンが聖所に、はいるには、次のようにしなければならない。すなわち雄の子牛を罪祭のために取り、雄羊を燔祭のために取り、 聖なる亜麻布の服を着、亜麻布のももひきをその身にまとい、亜麻布の帯をしめ、亜麻布の帽子をかぶらなければならない。これらは聖なる衣服である。彼は水に身をすすいで、これを着なければならない。」

アロンの二人の息子、ナダブとアビフが主に定められているものとは異なる手順で異火を捧げて撃たれた後、神はアロンが主に撃たれることのないよう、神の御前に近付く手順を改めて示されました。時をわかたずとは、主が定められた日以外に至聖所に入ってはならないとの戒めで、これはヨム・キップールと呼ばれる大贖罪日に関する掟となります。大祭司は年に一度だけ、イスラエル全体の罪の購いのために至聖所に入り、罪の購いと救いの儀式を執り行います。そのときは大祭司の装束を身に着けるのではなく、他の祭司と同じ亜麻布の衣装を身に着けます。大祭司自身も罪を購われなければならないからです。生まれながらの罪人の中から選ばれた大祭司もまた、罪ある者として神の御前に近付かなければなりません。そして、神に定められた日に、定められた方法で神に近付くときのみ、主に撃たれて死ぬことのないように守られ、罪の赦しに与ることができます。

https://www.bible.com/bible/81/lev.16.1-4.ja1955

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レビ記 16:5-10

「またイスラエルの人々の会衆から雄やぎ二頭を罪祭のために取り、雄羊一頭を燔祭のために取らなければならない。 そしてアロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。 アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、 その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。 そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。 しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。」

大贖罪日には、イスラエル全会衆のために2頭の雄やぎと1頭の雄羊、そして大祭司一家の罪の購いのために雄羊1頭を用意します。このうちイスラエルの民のために用意された2頭のやぎは、くじにより1頭は罪祭として捧げられ、もう1頭は「アザセルのやぎ」として、イスラエルの罪をすべて担わせて荒野に追放されました。これが「スケープゴート」という言葉の語原です。主イエスもまた私たち全人類の罪を一人で担い、荒野の象徴された元となった陰府に降られ、私たちの身代わりとなって罪を裁かれました。イエスがスケープゴートとなってくださったからこそ、私たちは罪赦され、大胆に神の御前に近付くことができるようにされたのですから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/lev.16.5-10.ja1955

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レビ記 16:11-19

「すなわち、アロンは自分のための罪祭の雄牛をささげて、自分と自分の家族のために、あがないをしなければならない。彼は自分のための罪祭の雄牛をほふり、 主の前の祭壇から炭火を満たした香炉と、細かくひいた香ばしい薫香を両手いっぱい取って、これを垂幕の内に携え入り、 主の前で薫香をその火にくべ、薫香の雲に、あかしの箱の上なる贖罪所をおおわせなければならない。こうして、彼は死を免れるであろう。 彼はまたその雄牛の血を取り、指をもってこれを贖罪所の東の面に注ぎ、また指をもってその血を贖罪所の前に、七たび注がなければならない。 また民のための罪祭のやぎをほふり、その血を垂幕の内に携え入り、その血をかの雄牛の血のように、贖罪所の上と、贖罪所の前に注ぎ、 イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所のためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない。 彼が聖所であがないをするために、はいった時は、自分と自分の家族と、イスラエルの全会衆とのために、あがないをなし終えて出るまで、だれも会見の幕屋の内にいてはならない。 そして彼は主の前の祭壇のもとに出てきて、これがために、あがないをしなければならない、すなわち、かの雄牛の血と、やぎの血とを取って祭壇の四すみの角につけ、 また指をもって七たびその血をその上に注ぎ、イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。」

大祭司たるアロンは、自分自身のための罪祭を携えて、年に一度だけ至聖所に入ります。自身の罪のための捧げものと、香炉と両手いっぱいの薫香を携えて入ることによってのみ、大祭司は神の御臨在される至聖所に入っても主に撃たれることなく生き長らえることができました。そしてイスラエル全会衆のために、罪祭を捧げて罪を赦していただく儀式が終わるまでは、誰も会見の幕屋に入ることはできませんでした。神と大祭司の一対一の関係の中で、全イスラエルの罪の購いが完成します。これはやがて来るキリストの十字架による罪の購いの予表です。大祭司は犠牲の血を7度、祭壇に捧げましたが、これは人間のできる範囲での完全を意味するものです。キリストはご自身の全き血潮によって、罪の購いを完成されました。

https://www.bible.com/bible/81/lev.16.11-19.ja1955

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レビ記 16:20-28

「こうして聖所と会見の幕屋と祭壇とのために、あがないをなし終えたとき、かの生きているやぎを引いてこなければならない。 そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らなければならない。 こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地に行くであろう。すなわち、そのやぎを荒野に送らなければならない。 そして、アロンは会見の幕屋に入り、聖所に入る時に着た亜麻布の衣服を脱いで、そこに置き、 聖なる所で水に身をすすぎ、他の衣服を着、出てきて、自分の燔祭と民の燔祭とをささげて、自分のため、また民のために、あがないをしなければならない。 また罪祭の脂肪を祭壇の上で焼かなければならない。 かのやぎをアザゼルに送った者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。その後、宿営に入ることができる。 聖所で、あがないをするために、その血を携え入れられた罪祭の雄牛と、罪祭のやぎとは、宿営の外に携え出し、その皮と肉と汚物とは、火で焼き捨てなければならない。 これを焼く者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。その後、宿営に入ることができる。」

大祭司が至聖所で自分自身とイスラエル全会衆のための罪の購いを成し遂げた後、もう一頭の生きているやぎを引いてきて、その頭に両手を置き、イスラエルのすべての罪とがを告白した後、その罪をやぎに担わせて、荒野に追放します。その後アロンは再び会見の幕屋に入り、自分自身のためと、イスラエル全会衆のためにそれぞれ燔祭を捧げ、また罪祭の脂肪を火に捧げて、残りのものは宿営の外に持ち出して火で焼き捨てます。これはエルサレムの城壁の外にあるゴルゴダの丘でイエスが十字架に掛けられたことの予表です。神がモーセを通して大祭司アロンに命じられた大贖罪日の儀式は、すべてキリスト・イエスによる完全な購いに通じています。

https://www.bible.com/bible/81/lev.16.20-28.ja1955

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レビ記 16:29-34

「これはあなたがたが永久に守るべき定めである。すなわち、七月になって、その月の十日に、あなたがたは身を悩まし、何の仕事もしてはならない。この国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者も、そうしなければならない。 この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである。 これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。 油を注がれ、父に代って祭司の職に任じられる祭司は、亜麻布の衣服、すなわち、聖なる衣服を着て、あがないをしなければならない。 彼は至聖所のために、あがないをなし、また会見の幕屋のためと、祭壇のために、あがないをなし、また祭司たちのためと、民の全会衆のために、あがないをしなければならない。 これはあなたがたの永久に守るべき定めであって、イスラエルの人々のもろもろの罪のために、年に一度あがないをするものである」。彼は主がモーセに命じられたとおりにおこなった。

大祭司は年に一度、7月10日と定められた大贖罪日に、全イスラエルのために罪の購いの儀式を、永遠の定めとして毎年行わなければなりませんでした。しかしキリストはただ一度だけ、全人類のために、ご自身の全きからだをもって罪の購いの御業を完成してくださいました。私たちは心から罪を悔い改めてその罪を告白し、主イエスの十字架による購いを信じるだけで、すべての罪から赦され、きよめられますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/81/lev.16.29-34.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/27

2019-09-27 05:25:09 | 今日の聖句
ローマの信徒への手紙 8:6 新共同訳

肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。

人間の欲望から出る肉の思いは罪の結末である死に至るものですが、天の神からいただいたきよい御霊から授かる思いは永遠のいのちに与る神との平和です。罪汚れに満ちた肉の思いに支配されることのないよう、内に宿すキリストの霊に身も心も委ねる私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/rom.8.6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/26

2019-09-26 07:35:06 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記‬ ‭15:1-12

主はまた、モーセとアロンに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『だれでもその肉に流出があれば、その流出は汚れである。 その流出による汚れは次のとおりである。すなわち、その肉の流出が続いていても、あるいは、その肉の流出が止まっていても、共に汚れである。 流出ある者の寝た床はすべて汚れる。またその人のすわった物はすべて汚れるであろう。 その床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のすわった物の上にすわる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の肉に触れる者は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者のつばきが、清い者にかかったならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者の乗った鞍はすべて汚れる。 また彼の下になった物に触れる者は、すべて夕まで汚れるであろう。またそれらの物を運ぶ者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が、水で手を洗わずに人に触れるならば、その人は衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 流出ある者が触れた土の器は砕かなければならない。木の器はすべて水で洗わなければならない。」

「肉の流出」と訳されているものは性病を指すものです。性病は主に乱れた性関係を持つことによって伝染する病ですから、罪の結果であり、神の忌み嫌われる汚れとされるのは当然です。現代社会では性を神の定められた尊いものとして考えるのではなく、快楽や流行の一つとして扱い、不倫や婚前交渉を美化し、神の御心に適わない不自然な性関係を是認する乱れた風潮の中に私たちは生きています。神に喜ばれる者となるためにはなおさら、性関係についてきよさを保つ必要があります。性病はもちろんのこと、乱れた性関係は神の憎まれる罪汚れです。汚れに触れるものは汚れます。罪を放置することは死に至る病であり、汚れたままの状態でいる者は神のきよさに与ることは決してできません。私たちを取り巻く環境は、殊に性的なことに関する誤った情報や、快楽主義的、興味本位の思想は罪汚れに満ちていますから、自らの意志でシャットアウトしなければなりません。世間の風潮に惑わされることなく、乱れきった性を頭の中からも根絶し、きよさを保つ私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/lev.15.1-12‬.ja1955

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レビ記 15:13-15

「流出ある者の流出がやんで清くなるならば、清めのために七日を数え、その衣服を洗い、流れ水に身をすすがなければならない。そうして清くなるであろう。 八日目に、山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取って、会見の幕屋の入口に行き、主の前に出て、それを祭司に渡さなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその人のため、その流出のために主の前に、あがないをするであろう。」

罪から遠ざかり、性病が癒された者は、重い皮膚病の場合と同様、7日間のきよめの期間を過ごした後、流水で身をすすぎ、衣服を洗った後、会見の幕屋すなわち主の御前に進み出て、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてはじめて、きよい者と認められました。罪は購われなければ決してきよくなることはできません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.15.13-15.ja1955

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レビ記 15:16-24

「人がもし精を漏らすことがあれば、その全身を水にすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべて精のついた衣服および皮で作った物は水で洗わなければならない。これは夕まで汚れるであろう。 男がもし女と寝て精を漏らすことがあれば、彼らは共に水に身をすすがなければならない。彼らは夕まで汚れるであろう。 また女に流出があって、その身の流出がもし血であるならば、その女は七日のあいだ不浄である。すべてその女に触れる者は夕まで汚れるであろう。 その不浄の間に、その女の寝た物はすべて汚れる。またその女のすわった物も、すべて汚れるであろう。 すべてその女の床に触れる者は、その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 すべてその女のすわった物に触れる者は皆その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 またその女が床の上、またはすわる物の上におる時、それに触れるならば、その人は夕まで汚れるであろう。 男がもし、その女と寝て、その不浄を身にうけるならば、彼は七日のあいだ汚れるであろう。また彼の寝た床はすべて汚れるであろう。」

射精や生理など性に関する日常的なことにおいても、体内からの漏出については神の御前に汚れとみなされました。これは、生まれながらの罪人である私たちの内側から出るものは汚れているという、聖書的な考え方に基づくものです。同時にこの教えは性的な不道徳を戒め、性の尊さときよさを保つための神の知恵でもありました。罪汚れから遠ざかり、神の定められた正しい夫婦関係と性の概念を守ること、これが人間にとって何よりのさいわいであり、祝福の基となります。

https://www.bible.com/bible/81/lev.15.16-24‬.ja1955

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レビ記 15:25-33

「女にもし、その不浄の時のほかに、多くの日にわたって血の流出があるか、あるいはその不浄の時を越して流出があれば、その汚れの流出の日の間は、すべてその不浄の時と同じように、その女は汚れた者である。 その流出の日の間に、その女の寝た床は、すべてその女の不浄の時の床と同じようになる。すべてその女のすわった物は、不浄の汚れのように汚れるであろう。 すべてこれらの物に触れる人は汚れる。その衣服を洗い、水に身をすすがなければならない。彼は夕まで汚れるであろう。 しかし、その女の流出がやんで、清くなるならば、自分のために、なお七日を数えなければならない。そして後、清くなるであろう。 その女は八日目に山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を自分のために取り、それを会見の幕屋の入口におる祭司のもとに携えて行かなければならない。 祭司はその一つを罪祭とし、他の一つを燔祭としてささげなければならない。こうして祭司はその女のため、その汚れの流出のために主の前に、あがないをするであろう。 このようにしてあなたがたは、イスラエルの人々を汚れから離さなければならない。これは彼らのうちにあるわたしの幕屋を彼らが汚し、その汚れのために死ぬことのないためである』」。 これは流出ある者、精を漏らして汚れる者、 不浄をわずらう女、ならびに男あるいは女の流出ある者、および不浄の女と寝る者に関するおきてである。

この戒めは生理のときだけでなく長期にわたって血の流出が止まらない、女性特有の婦人病に関する掟です。主イエスの公生涯において、長血の女が主の御衣にでも触れれば癒されると信じて癒された記事がありますが、慢性的な血の流出を伴う病についても、汚れとみなされました。なぜなら血はいのちの象徴であり、血の流出が止まらないということはいのちを蝕む罪と考えられたからです。この場合においても、癒された後には性病の場合と同様、罪の購いの犠牲と燔祭を捧げてきよめられました。このように神は私たちに罪汚れから遠ざかる生涯を送ることを望んでおられ、またたとい罪を犯し汚れたとしても、きよめの期間と回復の道を備えてくださいました。

https://www.bible.com/bible/81/lev.15.25-33.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/26

2019-09-26 05:15:09 | 今日の聖句
ユダの手紙 1:20-21

しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。 神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。

神を信じていると言いながら、欲望の赴くまま放縦生活を送る者は、天の御国を受け継ぐことはできません。聖なる神の僕に相応しくきよい信仰生活を送り、御霊によって祈り、神の愛を身に着けて自らをきよく保ち、キリストの憐れみに希望を抱いて永遠のいのちへと導いていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jud.1.20-21.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/25

2019-09-25 07:57:35 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 14:1-9

主はまたモーセに言われた、 「重い皮膚病の患者が清い者とされる時のおきては次のとおりである。すなわち、その人を祭司のもとに連れて行き、 祭司は宿営の外に出て行って、その人を見、もし重い皮膚病の患部がいえているならば、 祭司は命じてその清められる者のために、生きている清い小鳥二羽と、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプとを取ってこさせ、 祭司はまた命じて、その小鳥の一羽を、流れ水を盛った土の器の上で殺させ、 そして生きている小鳥を、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプと共に取って、これをかの流れ水を盛った土の器の上で殺した小鳥の血に、その生きている小鳥と共に浸し、 これを重い皮膚病から清められる者に七たび注いで、その人を清い者とし、その生きている小鳥は野に放たなければならない。 清められる者はその衣服を洗い、毛をことごとくそり落し、水に身をすすいで清くなり、その後、宿営にはいることができる。ただし七日の間はその天幕の外にいなければならない。 そして七日目に毛をことごとくそらなければならい。頭の毛も、ひげも、まゆも、ことごとくそらなければならない。彼はその衣服を洗い、水に身をすすいで清くなるであろう。」

重い皮膚病は罪の結果と考えられていました。それ故、汚れた者として宿営の外、他の人々から隔絶された場所で生活することを強いられました。しかし病が治癒するのと同様に、罪にも回復の道が開かれています。重い皮膚病の症状が治まったら、祭司に身体を見せて、神の定められた基準に従って、診断してもらいます。私たちの罪も、自分の基準で「私の罪は赦された」と宣言することはできません。それは単なる自己満足、自己肯定に過ぎません。また他人も罪を赦すことはできません。罪を赦す権威を持っておられるお方は神ただお一人で、神と人とを仲立ちする祭司が、神の基準に従って、偏り見ることなく判断することによってはじめて、罪の赦しを宣言することができるのです。重い皮膚病のきよめの儀式には、きよい小鳥2羽と、香柏の木と、緋色の糸と、ヒソプと、水をもって執り行います。きよい小鳥とはキリスト、香柏の木は十字架、緋色の糸はキリストが流された血潮、ヒソプは罪を取り除くものの象徴です。私たちの罪を取り除く唯一の道は、キリストの十字架しかありません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.14.1-9.ja1955

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レビ記 14:10-20

「八日目にその人は雄の小羊の全きもの二頭と、一歳の雌の小羊の全きもの一頭とを取り、また麦粉十分の三エパに油を混ぜた素祭と、油一ログとを取らなければならない。 清めをなす祭司は、清められる人とこれらの物とを、会見の幕屋の入口で主の前に置き、 祭司は、かの雄の小羊一頭を取って、これを一ログの油と共に愆祭としてささげ、またこれを主の前に揺り動かして揺祭としなければならない。 この雄の小羊は罪祭および燔祭をほふる場所、すなわち聖なる所で、これをほふらなければならない。愆祭は罪祭と同じく、祭司に帰するものであって、いと聖なる物である。 そして祭司はその愆祭の血を取り、これを清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とにつけなければならない。 祭司はまた一ログの油を取って、これを自分の左の手のひらに注ぎ、 そして祭司は右の指を左の手のひらにある油に浸し、その指をもって、その油を七たび主の前に注がなければならない。 祭司は手のひらにある油の残りを、清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とに、さきにつけた愆祭の血の上につけなければならない。 そして祭司は手のひらになお残っている油を、清められる者の頭につけ、主の前で、その人のためにあがないをしなければならない。 また祭司は罪祭をささげて、汚れのゆえに、清められねばならぬ者のためにあがないをし、その後、燔祭のものをほふらなければならない。 そして祭司は燔祭と素祭とを祭壇の上にささげ、その人のために、あがないをしなければならない。こうしてその人は清くなるであろう。」

重い皮膚病から癒しを宣告された人は、7日間のきよめの期間が過ぎた後、神の祭壇に行き、捧げものをするように命じられました。雄の全き子羊2頭は罪のためのいけにえと燔祭のための捧げもの、雌の全き子羊一頭は感謝の捧げもの、油を添えた麦粉は祈りと讃美、油は御霊の注ぎを象徴します。これらの捧げものを神の御前に献上することにより、重い皮膚病からの癒し、すなわち罪の赦しを公にすることにより、その人は元の生活に戻り、神の民の一員として復帰することができました。私たちもまた罪赦された罪人として、神の御前に捧げものを携え、日々感謝をもって神に仕えることにより、神の家族、聖徒の交わりに加わらせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/lev.14.10-20.ja1955

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レビ記 14:21-32

「その人がもし貧しくて、それに手の届かない時は、自分のあがないのために揺り動かす愆祭として、雄の小羊一頭を取り、また素祭として油を混ぜた麦粉十分の一エパと、油一ログとを取り、 さらにその手の届く山ばと二羽、または家ばとのひな二羽を取らなければならない。その一つは罪祭のため、他の一つは燔祭のためである。 そして八日目に、その清めのために会見の幕屋の入口におる祭司のもと、主の前にこれを携えて行かなければならない。 祭司はその愆祭の雄の小羊と、一ログの油とを取り、これを主の前に揺り動かして揺祭としなければならない。 そして祭司は愆祭の雄の小羊をほふり、その愆祭の血を取って、これを清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とにつけなければならない。 また祭司はその油を自分の左の手のひらに注ぎ、 祭司はその右の指をもって、左の手のひらにある油を、七たび主の前に注がなければならない。 また祭司はその手のひらにある油を、清められる者の右の耳たぶと、右の手の親指と、右の足の親指とに、すなわち、愆祭の血をつけたところにつけなければならない。 また祭司は手のひらに残っている油を、清められる者の頭につけ、主の前で、その人のために、あがないをしなければならない。 その人はその手の届く山ばと一羽、または家ばとのひな一羽をささげなければならない。 すなわち、その手の届くものの一つを罪祭とし、他の一つを燔祭として素祭と共にささげなければならない。こうして祭司は清められる者のために、主の前にあがないをするであろう。 これは重い皮膚病の患者で、その清めに必要なものに、手の届かない者のためのおきてである」。

重い皮膚病から癒された人が、全き子羊3頭も用意することができないほど貧しかった場合は、鳩を捧げることによって代用することができました。しかしその人が貧しいからといって、神は重い皮膚病からの癒しを神の御前に公にする儀式を免除することはなさいませんでした。これは罪からの赦しを得たならば、一人として例外なく、すべての人が神の御前に感謝をもって礼拝すべきことを教えたものです。主イエスがなさった10人の重い皮膚病人の癒しで、感謝を捧げるために主イエスの元に戻ってきたのは、サマリヤ人たった一人でした。主イエスはその人に向かい、あなたの信仰があなたを救ったのだと、罪の赦しを宣告されました。私たちもまた経済的な理由や、時間がないなどと言い訳をして、神を礼拝することを怠ってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.14.21-32.ja1955

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レビ記 14:33-47

主はまたモーセとアロンに言われた、 「あなたがたに所有として与えるカナンの地に、あなたがたがはいる時、その所有の地において、家に悪性のかびが生じるならば、その家の持ち主はきて、祭司に告げ、『かびのようなものが、わたしの家にあります』と言わなければならない。 祭司は命じて、祭司がそのかびを見に行く前に、その家をあけさせ、その家にあるすべての物が汚されないようにし、その後、祭司は、はいってその家を見なければならない。 そのかびを見て、もしそのかびが家の壁にあって、青または赤のくぼみをもち、それが壁よりも低く見えるならば、 祭司はその家を出て、家の入口にいたり、七日の間その家を閉鎖しなければならない。 祭司は七日目に、またきてそれを見、そのかびがもし家の壁に広がっているならば、 祭司は命じて、そのかびの生じている石を取り出し、町の外の汚れた物を捨てる場所に捨てさせ、 またその家の内側のまわりを削らせ、その削ったしっくいを町の外の汚れた物を捨てる場所に捨てさせ、 ほかの石を取って、元の石のところに入れさせ、またほかのしっくいを取って、家を塗らせなければならない。 このように石を取り出し、家を削り、塗りかえた後に、そのかびがもし再び家に生じるならば、 祭司はまたきて見なければならない。かびがもし家に広がっているならば、これは家にある特に悪性のかびであって、これは汚れた物である。 その家は、こぼち、その石、その木、その家のしっくいは、ことごとく町の外の汚れた物を捨てる場所に運び出さなければならない。 その家が閉鎖されている日の間に、これにはいる者は夕まで汚れるであろう。 その家に寝る者はその衣服を洗わなければならない。その家で食する者も、その衣服を洗わなければならない。」

次いで神はモーセに、やがて約束の地に入った後、居住する家屋に生じた悪性のかびに対する対処法と、きよめの手順を命じられました。これは罪赦されて神の民の一員となり、喜びの信仰生活を送る中でも、その生活環境に再び罪を犯させる要因となるものが発生した場合に対する教えです。この場合もまた、神と人との仲裁者となる祭司に見せ、悪性のかびであるかを神の基準で判定してもらう必要がありました。これは私たちの日常生活の中に入り込む罪の要因を、自分の判断基準ではなく神の基準、御言葉の教えに基づいて、判断しなければならないことを意味します。また、隠れたところに潜む罪の要因も、あからさまにする必要があります。私たちの毎日の生活環境や習慣、ライフスタイルの中にも、テレビや雑誌、インターネットなどを通じて、様々な罪の要因が忍び込んできます。それら罪の要因となる汚れたもの、くだらない番組やみだらな情報などが入り込むことのないよう、世間一般の基準ではなく聖書の基準に照らして、私たちは常に細心の注意を払って取り除き続けなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.14.33-47.ja1955

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レビ記 14:48-57

「しかし、祭司がはいって見て、もし家を塗りかえた後に、そのかびが家に広がっていなければ、これはそのかびがおさまったのであるから、祭司はその家を清いものとしなければならない。 また彼はその家を清めるために、小鳥二羽と、香柏の木と、緋の糸と、ヒソプとを取り、 その小鳥の一羽を流れ水を盛った土の器の上で殺し、 香柏の木と、ヒソプと、緋の糸と、生きている小鳥とを取って、その殺した小鳥の血と流れ水に浸し、これを七たび家に注がなければならない。 こうして祭司は小鳥の血と流れ水と、生きている小鳥と、香柏の木と、ヒソプと、緋の糸とをもって家を清め、 その生きている小鳥は町の外の野に放して、その家のために、あがないをしなければならない。こうして、それは清くなるであろう」。 これは重い皮膚病のすべての患部、かいせん、 および衣服と家の悪性のかび、 ならびに腫と、吹出物と、光る所とに関するおきてであって、 いつそれが汚れているか、いつそれが清いかを教えるものである。これが重い皮膚病に関するおきてである。」

家屋や生活環境の中に発生した悪性のかび、罪汚れの要因を取り除いた後、完全に除去されたか、再発することがないかを祭司に確かめられてはじめて、その場所はきよいと認定され、きよめの儀式が執り行われました。この場合も重い皮膚病と同様、きよい鳥と諸々のきよめの捧げものをもって、その場所は購われました。私たちの信仰生活においても、罪汚れからきよめることのできるものは、主イエスの十字架の力のみです。

https://www.bible.com/bible/81/lev.14.48-57.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/25

2019-09-25 05:25:21 | 今日の聖句
ヨハネの手紙二 1:6 新共同訳

愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。

愛なる神の命じられた掟に聞き従うことこそ、愛を実践することになります。天の父なる神の御言葉、聖書の教えを守り行い、愛に基づいて日々を歩ませていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/2jn.1.6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/24

2019-09-24 08:00:26 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 13:1-8

「主はまたモーセとアロンに言われた、 「人がその身の皮に腫、あるいは吹出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮に重い皮膚病の患部のようになるならば、その人を祭司アロンまたは、祭司なるアロンの子たちのひとりのもとに、連れて行かなければならない。 祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それは重い皮膚病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。 もしまたその身の皮の光る所が白くて、皮よりも深く見えず、また毛も白く変っていないならば、祭司はその患者を七日のあいだ留め置かなければならない。 七日目に祭司はこれを見て、もし患部の様子に変りがなく、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はその人をさらに七日のあいだ留め置かなければならない。 七日目に祭司は再びその人を見て、患部がもし薄らぎ、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はこれを清い者としなければならない。これは吹出物である。その人は衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。 しかし、その人が祭司に見せて清い者とされた後に、その吹出物が皮に広くひろがるならば、再び祭司にその身を見せなければならない。 祭司はこれを見て、その吹出物が皮に広がっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病である。」

「重い皮膚病」あるいは「悪性のかび」と記された箇所は、口語訳聖書の原文では「らい病」と表記されていましたが、らい予防法の廃止に伴い、最新の改訂で翻訳し直された箇所のため、適宜読み替えを行っています。ハンセン氏病に関する正しい理解を深めると共に、差別的な言葉を使わないようにすることも大切なことです。この箇所では、聖書では汚れたものとして扱われてきた重い皮膚病あるいは悪性のかびの判定と癒し、きよめについて記されています。祭司はこれらの病に感染した、あるいは感染のおそれがある人を、汚れた者か、きよめられた者であるかを判定する資格を与えられました。自分も同じ病に感染するかもしれないリスクを、神にきよめられた祭司が請け負ったのです。神はイスラエルの民を聖別し、きよい民とされました。それは私たちクリスチャンも同じです。神は私たちの中に罪の要素が入り込むことのないよう、あらかじめ予防線を張ってくださいました、

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.1-8.ja1955

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レビ記 13:9-17

「もし人に重い皮膚病の患部があるならば、その人を祭司のもとに連れて行かなければならない。 祭司がこれを見て、その皮に白い腫があり、その毛も白く変り、かつその腫に生きた生肉が見えるならば、 これは慢性の皮膚病がその身の皮にあるのであるから、祭司はその人を汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、これを留め置くに及ばない。 もし重い皮膚病が広く皮に出て、その重い皮膚病が、その患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、 祭司はこれを見、もし重い皮膚病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。 祭司はその生肉を見て、その人を汚れた者としなければならない。生肉は汚れたものであって、それは重い皮膚病である。 もしまたその生肉が再び白く変るならば、その人は祭司のもとに行かなければならない。 祭司はその人を見て、もしその患部が白く変っておれば、祭司はその患者を清い者としなければならない。その人は清い者である。」

重い皮膚病に罹患した人は、祭司の元に出向いて、その病がまだ人に感染する状態か、癒されたのか、判定してもらわなければなりませんでした。それは単なる病の癒しというレベルではなく、聖なる民イスラエル全体が神の忌み嫌われる汚れた状態に陥ことのないようにとの配慮であり、癒しときよめの過程と判定基準を明記したものです。祭司は神と人との間に立って判定を行う責務があり、人は祭司の下に進み出て汚れた者かどうかを判定していただく責務がありました。自分の汚れた部分を人に見せることは勇気が必要ですが、そのまま放置してはなりません。それは罪も同様、自分勝手な考えに基づいて自己判断するのではなく、自ら神の前に進み出て告白しなければ、罪の赦しはあり得ません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.9-17.ja1955

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レビ記 13:18-28

「また身の皮に腫物があったが、直って、 その腫物の場所に白い腫、または赤みをおびた白い光る所があれば、これを祭司に見せなければならない。 祭司はこれを見て、もし皮よりも低く見え、その毛が白く変っていれば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは腫物に起った重い皮膚病の患部だからである。 しかし、祭司がこれを見て、もしその所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置かなければならない。 そしてもし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは患部だからである。 しかし、その光る所がもしその所にとどまって広がらなければ、それは腫物の跡である。祭司はその人を清い者としなければならない。 また身の皮にやけどがあって、そのやけどの生きた肉がもし赤みをおびた白、または、ただ白くて光る所となるならば、 祭司はこれを見なければならない。そしてもし、その光る所にある毛が白く変って、そこが皮よりも深く見えるならば、これはやけどに生じた重い皮膚病である。祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病の患部だからである。 けれども祭司がこれを見て、その光る所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司は彼を見なければならない。もし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病の患部だからである。 もしその光る所が、その所にとどまって、皮に広がらずに、かえって薄らいでいるならば、これはやけどの腫である。祭司はその人を清い者としなければならない。これはやけどの跡だからである。」

腫れ物にさわることは痛みを伴います。自らの罪を認めることにも心の痛みを伴います。しかし痛みを避けては、癒しはありませんし、かえって痛みが増え広がり、更に悪化するだけです。いのちの危険を伴うような重大な疾病こそ、早期発見、早期治療が最も有効な治療法であるように、罪という死に至る病を、腫れ物をさわるようにオブラートに包んだまま触れぬようにしたり隠し通すことなく、痛みを覚悟して神の御前に持ち出すことが、更に重い罪を犯すことを防ぎ、周囲に悪影響を及ぼさない最善の対策です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.18-28.ja1955

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レビ記 13:29-44

「男あるいは女がもし、頭またはあごに患部が生じたならば、 祭司はその患部を見なければならない。もしそれが皮よりも深く見え、またそこに黄色の細い毛があるならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それはかいせんであって、頭またはあごの重い皮膚病だからである。 また祭司がそのかいせんの患部を見て、もしそれが皮よりも深く見えず、またそこに黒い毛がないならば、祭司はそのかいせんの患者を七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司はその患部を見なければならない。そのかいせんがもし広がらず、またそこに黄色の毛がなく、そのかいせんが皮よりも深く見えないならば、 その人は身をそらなければならない。ただし、そのかいせんをそってはならない。祭司はそのかいせんのある者をさらに七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司はそのかいせんを見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がらず、またそれが皮よりも深く見えないならば、祭司はその人を清い者としなければならない。その人はまたその衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。 しかし、もし彼が清い者とされた後に、そのかいせんが、皮に広くひろがるならば、 祭司はその人を見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がっているならば、祭司は黄色の毛を捜すまでもなく、その人は汚れた者である。 しかし、もしそのかいせんの様子に変りなく、そこに黒い毛が生じているならば、そのかいせんは直ったので、その人は清い。祭司はその人を清い者としなければならない。 また男あるいは女がもし、その身の皮に光る所、すなわち白い光る所があるならば、 祭司はこれを見なければならない。もしその身の皮の光る所が、鈍い白であるならば、これはただ白せんがその皮に生じたのであって、その人は清い。 人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い。 もしその額の毛が抜け落ちても、それが額のはげならば清い。 けれども、もしそのはげ頭または、はげ額に赤みをおびた白い患部があるならば、それはそのはげ頭または、はげ額に重い皮膚病が発したのである。 祭司はこれを見なければならない。もしそのはげ頭または、はげ額の患部の腫が白く赤みをおびて、身の皮に重い皮膚病があらわれているならば、 その人は重い皮膚病の患者であって、汚れた者である。祭司はその人を確かに汚れた者としなければならない。患部が頭にあるからである。」

ここでは普段は髪の毛や髭に隠された部分に生じた重い皮膚病について言及されています。祭司に患部を見せる際、髪の毛や髭を剃るようにと命じられました。中近東の人々にとって髪の毛や髭を剃ることは、自発的に誓願を立てるときの他は恥とする文化があります。恥ずかしい思いをしてでも隠された重い皮膚病の患部を見せなければなりません。心の奥底に潜んだ、誰にも知られたくない罪も、神の御前にはすべて明け渡さなければ、癒しも赦しもきよめもありません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.29-44.ja1955

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レビ記 13:45-46

「患部のある重い皮膚病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。 その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。」

重い皮膚病に冒された患者は、衣服を裂き、患部を現して、人前に出るときには自分は汚れた者だと叫びながら進まなければなりませんでした。また宿営から出て、隔離された状態を保つ必要がありました。罪の影響力は甚大です。自分のみならず人にも罪を犯させてしまうことのないように、罪から完全隔離された状態を保つことが、罪きよめられた者の責務です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.45-46.ja1955

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レビ記 13:47-59

「また衣服に悪性のかびが生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、 あるいは亜麻または羊毛の縦糸であれ、横糸であれ、あるいは皮であれ、皮で作ったどのような物であれ、 もしその衣服あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮で作ったどのような物であれ、そのかびが青みをおびているか、あるいは赤みをおびているならば、これは悪性のかびの繁殖によるものであり、これを祭司に見せなければならない。 祭司はそのかびを見て、そのかびのある物を七日のあいだ留め置き、 七日目にかびを見て、もしその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮、またどのように用いられている皮であれ、かびが広がっているならば、それは特に悪性のかびであって、汚れた物である。 彼はそのかびのある衣服、あるいは羊毛、または亜麻の縦糸、または横糸、あるいはすべて皮で作った物を焼かなければならない。これは特に悪性のかびであるから、その物を火で焼かなければならない。 しかし、祭司がこれを見て、もしかびがその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に広がっていないならば、 祭司は命じて、そのかびのある物を洗わせ、さらに七日の間これを留め置かなければならない。 そしてそのかびを洗った後、祭司はそれを見て、もしかびの色が変らなければ、そのかびが広がらなくても、それは汚れた物である。それが表にあっても裏にあっても腐れであるから、それを火で焼かなければならない。 しかし、祭司がこれを見て、それを洗った後に、そのかびが薄らいだならば、その衣服、あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸から、それを切り取らなければならない。 しかし、なおその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物にそれが現れれば、それは再発したのである。そのかびのある物を火で焼かなければならない。 また洗った衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物から、かびが消え去るならば、再びそれを洗わなければならない。そうすれば清くなるであろう」。 これは羊毛または亜麻の衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に生じる悪性のかびについて、それを清い物とし、または汚れた物とするためのおきてである。

家屋や衣服に発生した悪性のかびのように、私たちの生活環境も罪を犯させる要因となり得ます。罪を犯さない最大の予防策は、罪に近付かないこと、罪を犯させる原因を取り除くことです。神を信じて罪を告白し、主イエスの十字架により赦され、御霊によってきよめられても、いつまでも罪深い生活を離れられなければ、再び罪を犯してしまいます。悪しき感情や汚れた思いを引き起こす要因をすべて取り除き、生活環境や生活態度を全く刷新することこそ、再び罪を犯すことを避け、神に喜ばれるきよい信仰生活を送る最大の秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.47-59.ja1955
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【今日の聖句】 2019/09/24

2019-09-24 05:00:26 | 今日の聖句
マタイによる福音書 7:17-20 新共同訳

「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。 良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。 このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」

実りの秋、葉は繁っていても実を豊かに結んでいるか、結んでいたとしても良い実が熟しているか、見栄えは良くても渋柿のように食用に適さない実を結んでいないか、その木の真価が問われます。私たちもまたその人生を振り返ったとき、神と人とに有益な実を結ぶ者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.7.17-20.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/09/23

2019-09-23 09:10:09 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 12:1-5

主はまたモーセに言われた、 「イスラエルの人々に言いなさい、『女がもし身ごもって男の子を産めば、七日のあいだ汚れる。すなわち、月のさわりの日かずほど汚れるであろう。 八日目にはその子の前の皮に割礼を施さなければならない。 その女はなお、血の清めに三十三日を経なければならない。その清めの日の満ちるまでは、聖なる物に触れてはならない。また聖なる所にはいってはならない。 もし女の子を産めば、二週間、月のさわりと同じように汚れる。その女はなお、血の清めに六十六日を経なければならない。」

聖書の概念では人から出るものは汚れたものであるという考え方があります。特にいのちの源である血が流れ出ることは身の汚れとしてきよめられる必要がありました。そのため新しいいのちの誕生という尊い営みも、出血を伴うものとしてきよめの期間が設けられましたが、同時に、働かざる者食うべからずの時代に、産まれた子が男性の場合は40日間、女性の場合は80日間、休むことができたのは出産直後の母親に休息を与え、母子共々いのちを守る期間ともなりました。更に男子の場合は8日目に割礼を受け、神の民イスラエルの契約に連なる者として聖別されました。きよめの期間を設け、聖なる者として罪から分かたれることは、神の民として大切なアイデンティティーです。

https://www.bible.com/bible/81/lev.12.1-5.ja1955

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レビ記 12:6-8

「男の子または女の子についての清めの日が満ちるとき、女は燔祭のために一歳の小羊、罪祭のために家ばとのひな、あるいは山ばとを、会見の幕屋の入口の、祭司のもとに、携えてこなければならない。 祭司はこれを主の前にささげて、その女のために、あがないをしなければならない。こうして女はその出血の汚れが清まるであろう。これは男の子または女の子を産んだ女のためのおきてである。 もしその女が小羊に手の届かないときは、山ばと二羽か、家ばとのひな二羽かを取って、一つを燔祭、一つを罪祭とし、祭司はその女のために、あがないをしなければならない。こうして女は清まるであろう』」。

出産に伴う汚れからのきよめの期間が満ちたとき、全き献身を表す燔祭と、罪からのきよめを表す罪祭を捧げるように、主はモーセを通してイスラエルの民に命じられました。経済的な理由で燔祭として捧げるべき一歳の全き子羊に手が届かなくても、山鳩か、家鳩の雛をもって、きよめの購いをしなければなりませんでした。出産に伴うきよめの期間に関する戒めを守り行ったという記録は、聖書の中では主イエスの誕生のときしか記されていません。主イエスは貧しい家庭に生まれながらも、モーセの律法を完全に守り行う、ダビデの家系の父と母の手によって育てられました。この主イエスが私たちの罪を購う神の全き子羊となってくださったことに、心からの感謝を捧げたいと思います。

https://www.bible.com/bible/81/lev.12.6-8.ja1955
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