老子の言葉 第二十四章
(独自の超訳)
つま先で立つ者は長い時間は立てず、大股で歩く者は遠くまでは歩けません。
自己弁護する者は他人から認めてはもらえませんし、
自画自賛する者は他人から評価されることがありません。
自慢する人間ほど本当は功績を持ってはおらず、どこに居ても長続きはしません。
これらの人間の不要な行為を真理(道)の視点から表現しますと、
「余計な食べ物」「行き過ぎた行為」だと言います。
このような行為をどんな者でも嫌悪しますから、良心(道)を持って生活する人間にはそのような人は一人もいません。
原文
「跂者不立、跨者不行。自見者不明、自是者不彰。自伐者無功、自矜者不長。
其於道也、曰餘食贅行。物或惡之。故有道者不處。」
(感想)
要するに、「無理をしても長続きしない」ということです。
長い視点では、マイペースが一番に効率が良く物事を達成することができます。
無理をして進学校に入学出来たのは良いが、中に入って見れば付いては行けず、ノイローゼになり退学してしまう。
もし、上から2番目の高校に余裕で入学していれば、どんな人生だったのでしょうか?好きな運動に励んで勉強し、大学にも進んだかも知れません。
同級生(他人や親)を意識して高校を選んだのでしょうか?自分の意志は有ったのでしょうか?
無理をして大金持ちで美男の男性と結婚する。
結婚後は絶えず旦那の浮気を心配し、旦那の家族からの厳しい視線にもさらされる。
果たして、これが幸福なのでしょうか?30年後の奥さんは、どんな顔をしているのでしょうか。
「お金持ち=幸福」というのは、社会・他者を見て“思い込んだ”のでしょうか?
このようなことは、世の中には色んな面で存在します。
人生は100m競走ではなく、マラソンです。
100m競走の成績(コノ世的な短い栄華)が良くても、30km以降(人生の後半)にリタイアしていてはゴール出来ないのです。
しかし多くの人間は、100m競走の速さで走る他人を見て焦ります。自分の遅さを見て心配しています。
結果的には、マイペースの人間が一番遠方までたどり着くものなのです。
老子の原文では、
(1) 自分が目立とうとする者は、誰からも注目されない。
(2) 自分の意見を押し付ける様な者は、他人から認められない。
(3) 自分の功績を自慢する様な者は他人から称えられないし、この様な者は長続きしない。
(4) 人間は、お腹一杯食べた後に、さらに食べたいとは思わないものだ。
だから「余計な食べ物、行き過ぎた行為」のような事をせずに、マイペースで自分の道を行きなさい。
と、老子は言っています。
ただ、マイペースの注意点は、自分にとって少しでも嫌なこと辛いことがありますと、自分のマイペースでは無いから止めてしまうと言うのはダメなのです。これでは自分が成長しませんし、生活も良く成りません。
老子が、他人にアピールするような「他人を意識した生活」をせずに、自分を見詰めて生きなさいと言っているように響いて来ます。
つま先で歩くのも、大股で歩くのも、他人を意識しているから行う無理な姿勢です。
他人を意識していなければ、人は自然な姿勢で歩くものなのです。
人間は、他人への挑戦では無く、自分へのチャレンジをして行くことが短い人生において大切です。
そして、自分が歩いた跡が道となり、その道が続く方向(流れ・未来)が自分自身を最善の幸福へと導きます。
その道を歩き切れば、自分にとっての王道と成ります。
この章は、老子が最も嫌いなタイプの人間の説明でもあります。
原文では、このようなタイプの人間のことを老子は、人間ではなくて「物」のレベルだと嫌悪しているのを感じます。
二千五百年も前の社会も、現代と同じような自慢・スタンドプレー・他人との競争に染まっていたようです。
自分自身を見詰める生活をしていれば、上記のような行為をしません。
今日も、「他人を見ずに」自分自身を見詰めて歩いて行きましょう。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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日々の学びを有り難うございます。
このお忙しい中、質問は差し控えたいと思っていましたが、ヒントを戴ければ嬉しいです。
以前前立腺がんでお伺いしたご近所の友人のご主人ですが、今回ホルモン療法や抗がん剤が効果しなくなり、新薬の治験を勧められています。
先祖供養神祭り氏神参拝には縁がなく、春うこん 亜麻仁サプリ、蒸留水を規定より少なめに摂って、あらゆる民間療法も試しています。
実践が無いので、相談されたものの
リーマンさんへの質問は控えるべきかと思いましたが、新薬の治験、という事なのでもし教えていただけるなら嬉しく存じます。
(1)カ◯ジタ◯セルを治験してみる。
(2)やめた方が良い。
(3)自己判断で。
(4)医師に従う。
どうぞよろしくお願いいたします。
何が何でも、黒い感情のままでも、怒りながらでも、とにかく黒い感情に覆いかぶせるように「生かして頂いてありがとうございます」で頭でつぶやきます。
絶対に自分を変えます。
生かして頂いてありがとうございます。
今日の記事に強い既視感があります。
というか前にアップされたような気がするのですが、今日が初めてですか?
自分の頭がおかしくなったのではないかと不安です。
↑を書きましたあと、念のため検索してみたら、2012-08-22 10:58:39 の記事に同じものがありました。
あーびっくりした。重複掲載はどんな意味があるのかな。
私自身にするべきことがあるとして、全く心当たりがないしこれから何年かかってもわからないです。私はみんなに愛情があったけど、結局、私に愛情を持った人はいないのだと思います。先祖に感謝を貯める、するべきことを探すという抽象的な事以外で何かあれば、教えてください。私が愛しても、誰からも愛されないのは何故ですか?引き合ったことがまずないです。
私の自然な流れは誰とも物とも引き合うことなくひとりでいます。神様からの課題は、家族が課題の人には家族がいるのだろうし、私の課題はひとりで生きることですか?
回答を読むと引き合わない縁を変える私にできる具体的な改善方法はないのですね。どちらがこれからの心境に良いですか?
A.誰とも引き合わない人は自分に落ち度があると考えるよりも相手が悪いと考えて相手に干渉せずに、自分を愛することが大事。
B.誰とも引き合わない魂もいるから深く考えずにひとりを楽しむよう心がける。
B.とのことですが、先祖への感謝をすると「何が」大丈夫なのかわかりません。
質問は何故「自分の愛情力」を高める必要があるのですか?私に愛情はあったけど、みんなが私を捨てたのだから、私に愛情力はあるのだと思うし、私の愛情力に問題はないです。愛情はもう他人には向けず、他人も自分に愛情をもつ人はないと考えて、ひとりで自分を見つめることが私に残された道です。
具体的な問題点も具体的な改善方法もなく、何故愛情力と反対の理由不明なコメントを書いたのかわかりません。他人は見ないことがいちばん私には良いと今回質問して納得しました。
さて、今日の記事は、2012-08-22に今日と同じ老子の言葉第二十四章についてのリーマンさんの考察がアップされています。表題も同じものです。
この記事を再度掲載されたのは、それだけ大切な内容だと思われたからなのでしょうか?これまで同じ内容が再掲されたことはなかったので、まさかリーマンさんが8月の記事をお忘れになってしまうはずもないし・・・。少し戸惑っております。