読者より :
神棚に神鏡はまだ置いていません。
これからきちんと客観的に自己を顧みれるよう、小さい物を買おうかと思っています。神鏡について意識としては自己を顧みるため、または内在神と一体であることを確認するためという事でよろしいのですよね。
返答 :
神社や神棚に鏡が祭られる由来は、記紀神話に登場する
八咫鏡(ヤタノカガミ)に、理由の一つがあります。
天照太御神の子孫が現実界へ降りて来る時、太神は子孫
に鏡を持たせました。 そして、
「この鏡を私自身、天照太御神だと思って大事にして
欲しい」と、伝えたと神話は記します。
この霊的解釈には、とても深いものを感じます。
鏡には、誰でも映ることが出来ます。ただし、鏡の前に
向かって立った人だけが映る事が出来ます。鏡の前に
立とうとしない人間は、映ら無いのです。
天照太御神が伝えた、「鏡を自分自身だと思って欲しい」
とは、「鏡の前に立ち映る人間は、天照太御神、自身である」
と宣言したのです。
つまり、天照太御神は、人類の内在神として万人に宿ってお
り、人間の心が神に向かっている間は、鏡に姿が映るが
ごとく具体的に、人間に神性が現れているのです。
ただ、その事に私達は気が付け無いだけです。
太古の昔、人類の肉体の始祖となる猿人がいました。
そして、ある時、猿人の肉体に太神の心が転写されて、人間
が誕生しています。
神の心の転写=内在神が宿るから、人類に成れたのです。
もし、神の心=内在神が宿らなかったら、いまだに猿人の
ままだったのです。
その時の模様を、記紀神話は、鏡の委譲の比喩で伝えて
いるのです。
神棚には、鏡という物体を設置することが大事ではありま
せん。 自分自身に天照太御神が宿っている事を、参拝する
度に思い直すことが大事なのです。 鏡は、その目印となる
象徴を意味するだけです。
今日は、七夕です。
かなり以前の読者コメントへの返答が、今日の日に降りて来た
事は、私には興味深く感じます。
今日を境に天照太御神が、皆さんの心の奥から現れ易く成
るのかも知れません。
生かして頂いて ありがとう御座位ます
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