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ぜんとりょ~えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

JR宝塚線脱線事故について[はじめに/事故当日を振り返る]

2005年06月19日 | JR宝塚線脱線事故について
1.はじめに
JR史上、最大の被害を呈した、宝塚線(福知山線)尼崎~塚口間での列車事故から55日がたち、不通となっていた、宝塚~尼崎間も復旧しました。
わたしは、通学のためにこの路線を利用するのですが、事故当日の4月25日、事故車両の4両目に乗り合わせていました。
不幸中の幸いにも、首の捻挫程度で済み、いまでは、完治しています。
この事故は、本当は忘れ去りたいことなのですが、さすがに、あまりに起こったことが大きすぎ、そう簡単に記憶から消し去ることもできません。
また、警察の事情聴取、NHKからの取材に応じたりと、事故から、今日まで色々とあり、一応、この場を借りて、今まで起きたこと、思ったことをまとめさせて頂くというのと、これを読んで頂くことで、少しでも、この事故のことが風化されなければ、この事故のことを改めて考えて頂ける機会になればと思い稚拙ながらも書かせて頂きます。


2.事故当日を振り返る
 わたしは、京都の学校へ行くために、日常的に、この路線の8時46分か9時3分発の宝塚発同志社前行きの電車を利用していました。
4月25日の事故当日は、9時3分発の電車に乗り事故に遭いました。
わたしは、4両目に乗り込み、この車両の一番前の右側の扉付近に立っていました。
宝塚駅では、まず、改札を通って、この電車が出発する2番ホームに行くために、1番ホームと2番ホームをつなぐ橋を渡っていかなければならないのですが、その橋から2番ホームに降りるときに、降り口が右手と左手の2カ所あり、右手に降りるとこの電車の進行方向2両目に、左手に降りると4両目の扉があるところに出ます。
わたしは、習慣的に、左側の階段を下りて電車に乗っており、このときも、なんの疑問も持たず、一番手近な扉から電車に乗り込みました。
もし、あのとき、階段を右手に降りて、2両目に乗っていたら、死んでいたか、一命を取り留めたとしても重傷はまぬがれなかったと思います。
宝塚駅を出発した頃は、座席は満席でしたが、立っている人はまばらといった感じでした。
しかし、途中の停車駅である中山駅、川西駅と停車していくごとに乗客は増していき、オーバーランをした伊丹駅を出発した頃には、満員とまではいかないまでも、満員に近い状態になっていました。
わたしは、事故直前まで、友人にメールを打っており、伊丹駅を出発後、いつもよりも速い速度で運転しているようだったということには気がつきませんでした。
そして、メールを打ち終わり、送信するのはなんだかためらわれたので、そのまま、携帯電話をズボンのポケットに終い、一息ついた直後に、電車の進行方向斜め前方に、肩をつまんで引っ張られたような力を感じ、後ろから倒れ込んでしまいました。
それは、今まで感じたことのあるような、電車が加速したときに感じる慣性の法則による力や、ジェットコースターに乗っているときに感じたようなものとは、全然、違ったもののように思えました。
このときは、まるで、撮影した映像をコマ落しで再生したかのように、鮮明に記憶に残っています。
そして、倒れ込んだ直後に、2回ほど、強い衝撃が来たと記憶しています。
当然のことながら、何が起こったのかは、このときはさっぱりわかりませんでした。
気がついたときには、女性の悲鳴や「非常ドアを開けろ!」といった声が耳に届き、顔を上げると、近くに、光のもやが見えました。
その光のもやが、車両と車両をつなぐ電車の連結部分で、ぼやけているのは、砂煙が上がっているからだというのには、外に出るまで気がつきませんでした。
まず、前の車両がなくなっているということが考えられないことでしたので、この光景が非常に不思議でした。
わたしの近くにいた人たちは、動ける人から、とりあえず、その連結部分から外に出ました。
わたしは、何人かの下敷きにはなっていましたが、連結部分の近くにいたので、この車両に乗っていた中では比較的早めに外に出れたと思います。
そのとき、振り返って車内の様子を確かめる余裕はありませんでした。
連結部分から、地面までは、かなり高さがありましたが、近くの工場からか、作業着を来た方々が来て下さっていて、その人たちに助けられながら、地面におりました。
そして、外から電車の様子を見たのですが、正直、一瞬、訳が分かりませんでした。
少なくとも、わたしが乗っていた車両は、車体が大きく脱線し、線路に沿ってしかれていた道路のフェンスを突き破り、ちょっとだけ道に乗り出していました。
そして、前にあったであろうはずの1両が、何故か、わたしが乗っていた車両の奥に単独であり(このときは、もちろん、車両が180度回転していたなどと分かるはずもありませんでした)、もう1両が、さらにその奥にヘンなカタチで存在していました。
自分が乗っていた車両と、もう2両がとりあえず見えたので、しばらくの間は、ずっと、自分は3両目に乗っていたものとばかり思っていましたが、後になって、マンションの駐車場になっている1階に1両目は完全に突っ込んでおり、見ることが出来なかったということを知ったときには、月並みな表現ですが、再び背筋が凍る思いがしました。
とりあえず、家に連絡しなくてはと思い、電話をかけようとしましたが、携帯電話を持つ手が本当に震えて、自分の無事を伝えるのに、少々手間取りました。
わたしは、あまり覚えていないのですが、電話にでた母が言うのには、わたしは、その電話で、兎に角無事だからという台詞を、何回も言っていたそうです。
外では、他の車両から出られたのか、割と多くの方がもう既にいて、救急車を呼べと叫び声が繰り返され、中には立っていられない女性もいらっしゃいました。
そんな中で、わたしは、ただただ、呆然と、それを眺めることしかできませんでした・・・
しばらくして、救急車と警察があらわれ、気がつけば、テレビ局のものだったのでしょうか、ヘリコプターも来ていました。
何人かの倒れたけが人が運ばれていくのを呆然と見送っていた中、わたしは、その警察官に邪魔だからという理由で、いわゆる"keep out"というテープの外に追い出され、仕方なく、最寄り駅の尼崎駅に向かわざるをえなくなりました。
ですから、重傷者を見たり、救助に加わったりというようなことは出来ませんでした。
仕方ないとはいえ、やはり、なんだか、良心の呵責というか、いまでも無力感を感じずにはいられません。
尼崎駅は、ごった返していましたが、とりあえず、わたしが着いた頃には既に、尼崎から大阪方面にいく電車は復旧しており、わたしはそれに乗り、大阪まで出て、阪急に乗り換えて、自宅まで帰りました。

これが、4月25日のわたしの行動です。
警察に追い払われたので、病院へは後日、自分で行くことになりました。
診察の結果は先ほども書いたように、不幸中の幸いにも、首の捻挫ですみました。
事故当時も「恐怖」というのももちろん感じましたが、日が経つにつれ、3、4日後からが特に、ひどかったです。
1ヶ月ほど、その影響もあり、テレビ報道も、新聞も見ることが出来ませんでした。
今でも、思い出したくもないです。
また、遺族の方や、重傷者の方には、なんだか、このようなことを書いてしまって、申し訳ないような気持ちもありますが、これから、わたしが感じたことなどを記していくのに伴い、何かになればというのと、記録として残しておくために、一通り書かせて頂きました。

・・・不適切な表現があったら申し訳ないです。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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当事者の思い (ひとり)
2005-06-24 10:03:54
ブログ読ませて戴きました(今日までの記事)。

実際、何とコメントして良いのか迷っています。不適切な表現が有りましたらご容赦下さい。

事故に遭遇された方が、復旧された福知山線に乗車したくないお気持ちは良く分かります。

もしも私が遭遇していれば乗車しないと思います。

精神的ダメージは、そう簡単に拭えるものでは有りません。

何日か前の新聞にも事故に遭遇されて大阪の病院に通院されている方の事が書かれていました。

その方もJRに乗る気持ちになれず、JRを利用するより1時間余計に時間を掛けて私鉄を利用されているそうです。

私は、運送関係に従事していますが、人身事故を起こした乗務員の中にはトラックに乗れない者がおります。

トラックのハンドルを握った瞬間に事故の事が鮮明に浮かぶそうです。

フラッシュバックというんですかね。基本的に死亡事故以外の乗務員は、有る程度の期間を置いて復帰させるのですが・・・

やはり精神的なダメージは大きいようですね。私達も運輸業に携わる者として安全管理の徹底に努力しております。

体調や運行記録計のチェック、各人に応じた運行計画や指示。事故事例を参考にした安全会議の開催など。

運行管理者として一番心掛けているのは、乗務員に無理をさせない、プレッシャーを与えないことです。

JR西日本が今後は他社の見本となる企業に生まれ変わる事を願っております。

長々とまとまりのない文面になりました。申し訳御座いません。
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Unknown (遼@管理人)
2005-10-26 17:15:45
コメントありがとうございます。

わたしの体調のこともあり、お返事を返すのに、4ヶ月もたってしまいました。

すみません。

運輸業を営われていらっしゃるそうですね。

これは、わたしの意見ではなく、両親の意見なのですが、乗務員を含め社員が大切にされてはじめて、利用者も大切にできるのではないか、ということがあります。

親が労働組合の関係者であったこともあり、このような意見が出たのだと思います。

文面を拝見させて頂く限り、ひとりさんの会社は、社員の方に対しても、いろいろな配慮をされていらっしゃるようで、その点においては安心させて頂きました。

大変なことが多いでしょうが、陰ながら、応援させて頂きます。

簡素で申し訳ありませんが、これにて、失礼いたします。
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