4月25日は、わたしの誕生日です。
しかし、それ以上に、わたしにとっての4月25日は、わたしの数百メートル先で、107人の方々が亡くなった日でもあります。
この2年、色々とありましたが、それでも、記憶の区切りともいうべき頭の中にあるしおりは、2005年の4月25日に挟まれています。
何か思い出す分岐点であり、記憶の節目です。
そういう意味では、まだ2年しか経っていません。
しかし、もう2年になろうともしているのに、依然として、JR西日本の新旧経営陣や体制には、未だに不信感しかありません。
まだ、2年という思いと、もう2年という二律背反した思いがあります。
わたしは、永遠とこのアンビバレンツの中に居るような気がしてなりません。
この事故は、わたしにとっては、永遠に「今回の事故」であり、それが見直されていないように思えるようになる日が来るのか、自分でも分かりません。
「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」
電車の扉が締まると、必ず流れる車内アナウンスです。
しかし、わたしは、何度もしたことがあります。
京都の学校に通っており、JR京都駅と、地下鉄を利用していました。
学校の帰りに、便にもよりますが、組み合わせによっては、この2つの乗り継ぎに、確か3分ほどの時間ができることができます。
このわずかな時間を利用して、全力で、地下2階(地下鉄は地下2階)から、地上1階にあるJRのホームまで走り、ぎりぎりで、JRの電車に飛び込むことをしょっちゅう、なんの罪悪感もなしに、行っていました。
わたしだけでなく、多くの人も、一緒に、JRのホームに向かって走りました。
時間に間に合わず、乗り継ぎに失敗しても、せいぜい、15分もまてば、次の電車がくるののにもかかわらず、です。
この駆け込みのために、運転士には、心的なストレスを与えていたでしょう。
ヒューマンエラーでいうところの、先攻条件にもなりうり、より重大な事故を起こしてしまう可能性だって、今の今まで、あったはずです。
2年前の、JR宝塚線脱線転覆事故は、確かに、JR側に多くの責任があります。
いえ、今でも、JRの対応に、甚だ、疑問を持っています。
はっきり言って、少なくとも新旧の経営陣は、今以上に、責任感とアカウンタビリティを持つべきです。
新聞報道によると、なぜか、旧経営陣のステイトメントを聴くために、遺族や負傷者の方が頭を下げているのが現状です。
それでも、JR西日本は、なんの回答もよこしてきません。
刑事裁判や民事裁判が行われない限り、彼らは公の舞台に出てくるつもりもないのでしょうか。
(ようやく、幹部ではありませんが、当時の戦車に乗っていた車掌が、4月23日にお参りという形で出てきましたが・・・この人をJR西日本が隠している感がずっとあり、なんで、よりにもよって、2日前に、手を合わせにくるのか、非常に疑問です)
それでは、あまりにも、ひどすぎます。
しかし、ここでは、駆け込み乗車の話に戻ります。
また、そこから、少し飛躍しますが、そもそも、公共交通機構とは、一体何なのだろうかと考えてしまいます。
京都では、かつて、路線電車を走らせていましたが、いまでは、その架線を全部取り外し、車のための公道となっています。
わたしは、環境学の端くれを学んでいたこともあり、その環境負荷の観点からも、疑問を持っていました。
今度こそ、話を戻します。
例に、駆け込み乗車を出しましたが、わたしたち自身も、JR西日本に対し、いままで、たいしたコミットを行ってきませんでした。
もっと言えば、公共性を考慮した場合、双方が歩み寄り、より良いものを目指していくのが、本来の姿ではないかと思えてなりません。
その上で、前回、平成19年に1月20日の土曜日に行われた、意見聴取会には、失望せざるを得ませんでした。
会社、利用客の双方があって、はじめて、成り立つものも多々あったはずです。
JR西日本は、それを、ことごとく否定しました。
公共性など、微塵も考えていないようでした。
(また、この聴取会でJR西日本副社長は事故調査委員会の指摘に反論のみを行い、事故の原因そのものに付いては、未だに不明との回答をしています。
それならば、何故、運転を再開できているのか、不思議でなりません)
わたしは、これまで、信楽高原鉄道の事故などがあっても、どこか他人事で、今回の事故があってはじめて、わたしが住んでいる市の方が、信楽高原鉄道の遺族会世話人代表だと知りました。
脅す訳ではありませんが、現状を鑑みると、いつ、あなたが乗っている電車(JRに限らず)が同じような事故を起こすとも限らないのではないかと思います。
先ほど述べたように、JR西日本側は、この事故の原因を未だに不明としているのです。
もっといってしまえば、あまりにも、過信しているブラックボックスがこの世には多すぎる気がしてなりません。
すべてのブラックボックスを疑っていると、それこそ、生活できないとも思いますが、あまりに、安全と安心いうことを、わたしは無意識のうちで、軽視しすぎていました。
当たり前のことが、当たり前だとは、決して、限りません。
何の疑いも無く、利用しているものが、安全や安心に立脚している保証は、どこにも無いのです。
乗り逃した15分という時間は、はたして、それに、足るものだったのかと、今でも、苦悩してしまいます。
更に議論を広げていくと、わたしたちの本当の豊かさって、何なのでしょうか。
15分の節約が、豊かさなでしょうか。
わたしには、わかりません。
(わたしの先攻していた学問にかなり影響を受けている文章で、申し訳ありません)
以下、感情論です。
ふと、思うことがあります。
新旧経営陣、特に、引責辞任したはずのJR西日本の役員3人(坂田正行氏と徳岡研三氏と橋本光人氏)は、グループ内の子会社の社長などに天下りしていますが、彼らは、いま、何を思って生きているのでしょうか?
毎日、安眠できているのでしょうか?
それとも、家族の為に生きていないとどうしようも無い状況なのでしょうか。
わたしには、とても不思議でなりません。
わたしが同じ立場なら、とっくに、首を吊って、死んでいると思います。
(決して、死んで詫びろなどどいっているつもりはありません。彼らが死んでも、わたしの2年間や、負傷した方々の心と身体的な傷、亡くなった方々は帰ってきません)
わたしは、この事故が原因で、PTSDと軽鬱を発症し、今に至っています。
今月(2007年4月)の後半2週間くらいは、起きられている時間は6時間にも満たないくらいで、あとは、ずっと、臥せっています。
(この文章は、かなり無理をして書いていますので、取り留めの無いものとなっていると思います。
すみません)
この2年間、何度も、死のうと思い、リストカットなどの未遂も何度かやりました。
今でも、この事故で亡くなった方に、「何で、お前が生きているのか」と、問いつめられています。
他にも、何度もJR西日本の線路に飛び込んで死のうと思ったこともあります。
(さすがに、これは、罪も無い多くの方に迷惑がかかるので、やりませんが・・・)
他にも、新旧役員の自宅前で、できるものなら、自殺してやろうかとも思ったことは少なくありません。
報道を見ていると、「希望」を見つけた方もいるようですが、どうか、わたしたちのような人間が未だに居ることを、忘れないでください。
しかし、それ以上に、わたしにとっての4月25日は、わたしの数百メートル先で、107人の方々が亡くなった日でもあります。
この2年、色々とありましたが、それでも、記憶の区切りともいうべき頭の中にあるしおりは、2005年の4月25日に挟まれています。
何か思い出す分岐点であり、記憶の節目です。
そういう意味では、まだ2年しか経っていません。
しかし、もう2年になろうともしているのに、依然として、JR西日本の新旧経営陣や体制には、未だに不信感しかありません。
まだ、2年という思いと、もう2年という二律背反した思いがあります。
わたしは、永遠とこのアンビバレンツの中に居るような気がしてなりません。
この事故は、わたしにとっては、永遠に「今回の事故」であり、それが見直されていないように思えるようになる日が来るのか、自分でも分かりません。
「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」
電車の扉が締まると、必ず流れる車内アナウンスです。
しかし、わたしは、何度もしたことがあります。
京都の学校に通っており、JR京都駅と、地下鉄を利用していました。
学校の帰りに、便にもよりますが、組み合わせによっては、この2つの乗り継ぎに、確か3分ほどの時間ができることができます。
このわずかな時間を利用して、全力で、地下2階(地下鉄は地下2階)から、地上1階にあるJRのホームまで走り、ぎりぎりで、JRの電車に飛び込むことをしょっちゅう、なんの罪悪感もなしに、行っていました。
わたしだけでなく、多くの人も、一緒に、JRのホームに向かって走りました。
時間に間に合わず、乗り継ぎに失敗しても、せいぜい、15分もまてば、次の電車がくるののにもかかわらず、です。
この駆け込みのために、運転士には、心的なストレスを与えていたでしょう。
ヒューマンエラーでいうところの、先攻条件にもなりうり、より重大な事故を起こしてしまう可能性だって、今の今まで、あったはずです。
2年前の、JR宝塚線脱線転覆事故は、確かに、JR側に多くの責任があります。
いえ、今でも、JRの対応に、甚だ、疑問を持っています。
はっきり言って、少なくとも新旧の経営陣は、今以上に、責任感とアカウンタビリティを持つべきです。
新聞報道によると、なぜか、旧経営陣のステイトメントを聴くために、遺族や負傷者の方が頭を下げているのが現状です。
それでも、JR西日本は、なんの回答もよこしてきません。
刑事裁判や民事裁判が行われない限り、彼らは公の舞台に出てくるつもりもないのでしょうか。
(ようやく、幹部ではありませんが、当時の戦車に乗っていた車掌が、4月23日にお参りという形で出てきましたが・・・この人をJR西日本が隠している感がずっとあり、なんで、よりにもよって、2日前に、手を合わせにくるのか、非常に疑問です)
それでは、あまりにも、ひどすぎます。
しかし、ここでは、駆け込み乗車の話に戻ります。
また、そこから、少し飛躍しますが、そもそも、公共交通機構とは、一体何なのだろうかと考えてしまいます。
京都では、かつて、路線電車を走らせていましたが、いまでは、その架線を全部取り外し、車のための公道となっています。
わたしは、環境学の端くれを学んでいたこともあり、その環境負荷の観点からも、疑問を持っていました。
今度こそ、話を戻します。
例に、駆け込み乗車を出しましたが、わたしたち自身も、JR西日本に対し、いままで、たいしたコミットを行ってきませんでした。
もっと言えば、公共性を考慮した場合、双方が歩み寄り、より良いものを目指していくのが、本来の姿ではないかと思えてなりません。
その上で、前回、平成19年に1月20日の土曜日に行われた、意見聴取会には、失望せざるを得ませんでした。
会社、利用客の双方があって、はじめて、成り立つものも多々あったはずです。
JR西日本は、それを、ことごとく否定しました。
公共性など、微塵も考えていないようでした。
(また、この聴取会でJR西日本副社長は事故調査委員会の指摘に反論のみを行い、事故の原因そのものに付いては、未だに不明との回答をしています。
それならば、何故、運転を再開できているのか、不思議でなりません)
わたしは、これまで、信楽高原鉄道の事故などがあっても、どこか他人事で、今回の事故があってはじめて、わたしが住んでいる市の方が、信楽高原鉄道の遺族会世話人代表だと知りました。
脅す訳ではありませんが、現状を鑑みると、いつ、あなたが乗っている電車(JRに限らず)が同じような事故を起こすとも限らないのではないかと思います。
先ほど述べたように、JR西日本側は、この事故の原因を未だに不明としているのです。
もっといってしまえば、あまりにも、過信しているブラックボックスがこの世には多すぎる気がしてなりません。
すべてのブラックボックスを疑っていると、それこそ、生活できないとも思いますが、あまりに、安全と安心いうことを、わたしは無意識のうちで、軽視しすぎていました。
当たり前のことが、当たり前だとは、決して、限りません。
何の疑いも無く、利用しているものが、安全や安心に立脚している保証は、どこにも無いのです。
乗り逃した15分という時間は、はたして、それに、足るものだったのかと、今でも、苦悩してしまいます。
更に議論を広げていくと、わたしたちの本当の豊かさって、何なのでしょうか。
15分の節約が、豊かさなでしょうか。
わたしには、わかりません。
(わたしの先攻していた学問にかなり影響を受けている文章で、申し訳ありません)
以下、感情論です。
ふと、思うことがあります。
新旧経営陣、特に、引責辞任したはずのJR西日本の役員3人(坂田正行氏と徳岡研三氏と橋本光人氏)は、グループ内の子会社の社長などに天下りしていますが、彼らは、いま、何を思って生きているのでしょうか?
毎日、安眠できているのでしょうか?
それとも、家族の為に生きていないとどうしようも無い状況なのでしょうか。
わたしには、とても不思議でなりません。
わたしが同じ立場なら、とっくに、首を吊って、死んでいると思います。
(決して、死んで詫びろなどどいっているつもりはありません。彼らが死んでも、わたしの2年間や、負傷した方々の心と身体的な傷、亡くなった方々は帰ってきません)
わたしは、この事故が原因で、PTSDと軽鬱を発症し、今に至っています。
今月(2007年4月)の後半2週間くらいは、起きられている時間は6時間にも満たないくらいで、あとは、ずっと、臥せっています。
(この文章は、かなり無理をして書いていますので、取り留めの無いものとなっていると思います。
すみません)
この2年間、何度も、死のうと思い、リストカットなどの未遂も何度かやりました。
今でも、この事故で亡くなった方に、「何で、お前が生きているのか」と、問いつめられています。
他にも、何度もJR西日本の線路に飛び込んで死のうと思ったこともあります。
(さすがに、これは、罪も無い多くの方に迷惑がかかるので、やりませんが・・・)
他にも、新旧役員の自宅前で、できるものなら、自殺してやろうかとも思ったことは少なくありません。
報道を見ていると、「希望」を見つけた方もいるようですが、どうか、わたしたちのような人間が未だに居ることを、忘れないでください。











食事は、あまり食べられず、ほぼ、布団にこもりっきりでした。
しかし、それも、今では、少しずつですが、上向き加減になってきました。
(そもそも、一番しんどいときは、キーボードさえ触れることができません)
皆様には、ご心配をおかけしました。
すみません。
でも、振り子時計の振り子が、振れ幅は兎も角として、確実に戻ってくると思うので、また、調子の悪い日が巡ってくるのでしょう。
この調子が悪いときがいずれまたやって来るだろうという恐怖は常につきまといます。
そのときは、「ああ、また変なのがわめいているな」という程度で思っておいて下されば、良いかと存じます。
たぶん、愛犬がいてくれる限り、わたしは、死にませんので。
(お約束します)
それにしても、アクセス数がいつのまにか、いつもよりも伸びていて、ちょっと吃驚です。
できれば、踏切で待っているときに横を通過する電車のように、一過性のものではなく、また、閲覧に来て頂いて、何か反論でもよろしいのでレスポンスを下さるとうれしく思います。
以前のように、わたしが消化不良を起こしてしまうかもしれませんが・・・
あのときは、本当に、申し訳ありませんでした。
今から思えば、威力業務妨害を示唆の示唆というような内容の文書で、ちょっとラディカルだったかもしれませんが、これが、本音だったので、どうしようもありません。
お怪我をされた方のすこやかな幸せを本当に思います。
きっと、わたしめなどには想像もできないような悲しみ、怒り、虚無感など、計り知れぬ思いをお持ちのことと存じます。
それでも、わたしのような人間に、このような親切な言葉をかけてくださる。
がんばったら、多分、まだ、死にそうですが(そのようなビョーキなので)、それでも、そのお心遣いは、非常にありがたく思います。
わたしのような人間が、このようなことを言っても良いのかと思いますが、それでも、なくされたご親族に対して、ご冥福をお祈りさせてください。