ぜんとりょ~えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

「ゲド戦記」(映画)の感想

2006年09月18日 | 映画のカンソウ。
先日、と言ってもだいぶと以前だが、近くの映画館で「ゲド戦記」を観てきた。
まず、ロードショー開始から半月ほどにも関わらず、客の入りが不思議なくらい少ない。
キャパシティが50席の映画館で、上映5分前くらいまで、わたしと母しか劇場にはいなかった。
これでは、館主の影山さんも頭を抱えているのではなかろうかと、映画の内容とは関係のないところで、まず不安になってしまった。
そして、映画の方はと言うと、客の入りが納得できるほどに、面白くない。
この作品の世界が放つ雰囲気は好きだ。
おそらく、この空気感は、原作からの息吹であろう。
粗いとも言われている画も、一部のカットとカットのつなぎを除いては、気になるところはあまりならなかった。
物心がついた頃から見ていた宮崎駿調の絵のおかげもあるのかもしれないが、「イノセンス」のような、確かに映像美はすごいが、長時間観ていると疲れるというようなものに、どうしても完全に適応しきれないところがあるわたしにとっては、このような画は、なんだか親しみが持てる。
色調の方は、フィルムだったので、制作者の意図したものが正確に再現されていたかどうかは分からないが、好ましく思えた。
テーマ自体も、いま、わたしが抱えている問題に合致したもが多くあり、考える価値が十分にあるものだと思う。
大賢人と謳われるほどのゲドともあろう人物が、アレンが共に、農耕を一緒になって行うなうという一連のシークエンスは印象的であった。
世界が変になって行くという現象が次々と起こっている、そのアンチテーゼの一部として描かれているのだろう。
わたしは、人間という種が、自然と環境を改変せざるをえない生物であるとしたら(そう開きなおざる終えなくなったときに)、人間は、いかに生態系のエンジニアとしてこの世界に存在できるのか、そして、いずれは、人間も大いなる循環に帰って逝き、また別の存在としてあり続けているという、炭素循環のような自然のうねりに身を任せることによって、いかに自然や環境と己とが関わり合いを持てば良いのかというようなことを、一時ではあるが、大賢人が送る農的な暮らしを通して考えさせられた。
また、アレンの「影」こそが、この作品の一番のテーマとして据えられている。
描写としてはともかく、影は、単なる死と言った恐怖や畏怖から生まれ出た単純なものではないように感じた。
わたしは、この影の存在に対して、共感できる部分があった。
結局は、影も自分の一部な訳だが、それのみに食らわれてしまった存在がクモなのだろう。
わたしは、正確には違うのかもしれないが、離人症のような経験をしたことがある。
今ここにいるだけの自分と、空虚に漂っている自分が存在し、視点や気持ちは、その実態が伴わない方に完全に持って行かれている。
物体としてのみ存在している自分を、また別の空虚な自分が追って見ているのである。
この二つの存在を持っているわたしは、アレンと重複させながら物語を観ていた。
わたしの場合は、だんだんと、この二つの存在の溝が埋まってきたようで、それなりに両者を折衝し内包できるようになって来たようである。
だからこそ、影は、単にアレンに迫る存在から、テルーに自分の本当の名前を教えることができる存在へと、どこかで成り変わって行ったのではないだろうかと強引に納得してしまった。
ただし、そのような影の変化は、全く描かれていなかったので、これは全て妄想にすぎない。
しかし、なんとなく似ている気がした。
このように、なんだかんだと言いつつも、繰り返すようだが、この映画は、何故か、不思議なくらい、ちっとも面白くない。

映画やドラマに対して、「風呂敷を広げるだけ広げておいて、そのまま(風呂敷を)結ばずに終わってしまう」というような表現を評に用いられることがあるが、この「ゲド戦記」の場合、その比喩を借りるならば、「風呂敷をいざ広げてみようとしたところ、風呂敷だと思っていたものがハンドタオルのサイズしかなかった」というようなものであった。
ハンドタオルで、この映画のテーマを包もうにも、テーマ自体が大きすぎるために、包みきれない。
また、端からはみ出た取りこぼしも多々ある。
考えてみると、この例えは、「もののけ姫」にも、「千と千尋の神隠し」にも、「ハウルの動く城」にも、当てはまりそうではあるが、この映画の場合は、つまるところ、物語の裾野を広げられずに終わってしまい、その狭い面積に、重く大きなテーマが鎮座し、一点に掛かる重圧が大きくなっている。
これでは、物語の正確な消化も出来ない。

また、この映画は非常に説教臭い。
キャッチコピーは「見えぬものこそ」というものだったが、「見えないので」、取って付けたように、最後に、言葉で説明している。
台詞や画といった直接的な方法を用いて表現せずとも、観客にテーマを受け止めさせ、かつ咀嚼させる作品を作るということは、非常に難しいことだろうが、それをやってのけてこそ、名作になりうるのだろう。
第一、その説明自体も、説明になっておらず、伏線もまったく消化されていない。
一部、内容も意味不明である。

しかし、けちょんけちょんに言いつつも、この映画には良いところもある。
それは、原作を殺していないことだ。
あの原作を、このような映画に仕立てたこと自体が「原作を殺す」ことだと仰られる方も多々いらっしゃるだろうが、わたしは、本当に原作を殺すという意味は、原作への興味をなくならせることだと思う。
原作を実に底が浅いように見せてしまうことが、一番とまでは言わないまでも、愚作の条件のひとつではないだろうか。
わたしにとって、それを如実に感じさせたのは、映画「ハリー・ポッター」シリーズだった。
映画の公開が始まる以前に、原作を手に取ってはみたものの、訳がヘタクソで途中で投げてしまったので、原作が本当に駄作だったかどうかは分からない。
しかし、映画を観た限りでは、原作の底の浅さをひどく露呈したかのような錯覚を起こした。
その点で、この映画の「ゲド戦記」は、そこまで「ひどく」はなかった。
原作は、いかに壮大なものなのだろうかと、想像を膨らまさせてくれる。
この映画には、そのように思える要素が沢山詰まっていた。
だからこそ、その反転した「影」ともいうべき「ひどさ」が、特に目立つことになってしまったのではないだろうか。

映画「踊る大捜査線」の感想と2003年度映画ベスト10

2005年10月23日 | 映画のカンソウ。
[ネタばれ注意!]
この文章には、「踊る大捜査線 THE MOVIE」と「踊る大走査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」、「天国と地獄」、「羊たちの沈黙」のネタばれが含まれている可能性があります。
あらかじめ、それをご了承の上で、もしよろしければ、お読みいただけますよう、お願い申し上げます。

昨日、地上波で「踊る大走査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」(タイトルが長いので、以下「OD2」と省略します)が放送されました。
今回の放送は、劇場公開版でも、「BAYSIDE SHAKEDOWN2」でもなく、また違う編集バージョンのようでしたね。
Macのフォルダを漁っていると、以前、「OD2」を劇場で観たときに書いた感想のテキストファイルが残っていたので、拙いものですがブログに載せてみようかと思います。
(ブログに載せるにあたり、一部改変しました。)

[以下、劇場で鑑賞したときの感想]
今作は、縦軸を「踊る大走査線」がシリーズを通して貫いているテーマである権力対現場とそれを取り巻く人間模様だとすると、横軸としてあるべき「事件」が非常に弱く感じました。
正直に言うと、権力である沖田仁美(真矢みき)の使い方も、いまいち、消化不良だったように思います。
小ネタを上手く配置して、緩急をつけるのも「踊る大走査線」の持ち味ですが、やはり、小ネタは小ネタしかなく、その枝葉の部分だけで、テレビ枠ではともかく、映画を観せきるのは正直なところ、きつい部分があります。
このような中で、話を進められても、結果として残るものは少なく、1000万人という観客が観るべき映画の質はない、というのがわたしの率直な感想です。

告白しますと、わたしは、前作も好きではありません。
「脚本を広げるだけ広げておいて、これか」というように感じました。
黒沢明とジョナサン・デミへの侮辱であるとまで言う気は、まったくありませんけが。
今作もやはり、その感があります。
ただでさえ、宣伝などでも映画を膨らませておいて、実際の脚本は、積め込み過ぎで、根幹がなっていないと思いました。
別に、野村芳太郎への侮辱などと言うも気はありません。
第一、わたしは「砂の器」観てないし(駄目やん)。
この脚本で行くなら、もうちょっと内容を削って、シャープにしたものを、もう少しテンポを上げて、テレビの単発枠で放送するくらいがよかったかな、というのが個人的な感想です。

それで、踊る大走査線1作目と2作目トータル評価をしてみると、「7月7日、晴れ」は未見ですが、本広克行監督は好きなんで、まぁ、良し。
次回作を是非ともがんばって欲しいです(かなり個人的やなぁ)
脚本家の君塚良一は・・・どうなんでしょう。
そうでなければ、「踊る大走査線」自体がもう限界に来ているのかもしれません。
君塚良一のインタヴュー記事を読んでも、かなり、大変だったようですし。

・・・少々、辛口に書き過ぎたかな。
[以上、劇場で鑑賞したときの感想、終わり]

皆さん、ご存知のように、「踊る大捜査線」が「OD2」で打ち止めではないかという、わたしの予想は外れました。
今年、スピン・オフ企画でしたが、「交渉人 真下正義」と「容疑者 室井慎次」が相次いで公開されました。
しかし、正規のシリーズではないので、半分とは言いませんが4分の1くらいは当たったのかもしれません。
これは、「OD2」の撮影現場で、青島俊作の織田裕二と、室井慎次の柳葉敏郎が、実質、喧嘩をし、これ以降、この2名を登場させる作品を作ることが出来なかったことと、和久平八郎役のいかりや長介が亡くなったことに端を発した可能性もあります。
しかし、決して自分の予想を正当化する訳ではありませんが、「OD2」の企画段階で出来たプロット「潜水艦事件」を映画化し、もう一作品撮ら無い限り、やはり、従来シリーズでの「踊る大捜査線」は、限界だったのではないかという思いは、「OD2」を観る限り、わたしの中では消えません。
わたしは、「交渉人 真下正義」と「容疑者 室井慎次」の、この2作品は観ようと思っていたのですが、非常に残念ながら、PTSDで外出できなかったため、鑑賞することは出来ませんでした。
特に、「恋人はスナイパー」を見逃していたこともあり、わたしにとっては、本広監督に対して、君塚良一が「容疑者 室井慎次」で、どのようにメガホンをとったのか、非常に気になるところです。
スピン・オフとはいえ、この2作品を観ていないで、「踊る大捜査線」シリーズについて感想を述べるなと思われるかもしれませんが、あえて、それを恐れず(本当は、恐れているのですが・・・)書かせて頂きました。

さて、従来のシリーズの「踊る大捜査線」の映画について話を戻させて頂ければ、1作目は、黒澤明監督作品「天国と地獄」とジョナサン・デミ監督作品「羊たちの沈黙」の盗作ではないかと思ってしまいました。
もっと他の映画のエッセンスも混ざっているとは思いますが、わたしが不勉強なせいで、この2作品ぐらいしか元ネタが分かりませんでした。
しかし、少なくとも根幹には、この2作品が関わっているでしょう。
なにせ、青島俊作が劇中で「天国と地獄だ!」とまで言う台詞もあるくらいです。
これを、トリビュートと言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、あそこまで、あからさまに観せられてしまうと、こちらとしては唖然としてしまいます。
2作目については、上で書いた通りですが、ドラマで真下正義(ユースケ・サンタマリア)が凶弾に倒れ、映画1作目はラストで青島俊作が刺され、「OD2」では恩田すみれ(深津絵里)が撃たれると言う、負傷3連発は、どうにかならなかったのでしょうか。
いい加減、「OD2」では、またかと思ってしまい、興ざめしてしまったのが正直なところです。
結局、「OD2」の感想を一言で言ってしまえば、沖田仁美の台詞「SITは何をやってるの!」を借りて、「脚本家は何をやってるの!」です。

「Life~遭難編~」のMonさんをはじめ、君塚良一のファンの皆様には、駄文でけなしてしまって申し訳ありませんでした。
感想が批評に、どうやったら昇華できるのか、まだまだ、わたしには分からないので、このような文章になってしまいました。
お許しください。

実は、地上波で、この「OD2」を放送している時間帯、わたしは、NHK衛星第2で「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」を観ていました。
非常に良い作品で、お勧めします。
全て観た訳ではありませんが、寅さんシリーズの中で、2番目に好きな作品となりました。
1番は、やはり一作目です。
温かく笑えて、ホロリとさせてくれます。
また、倍賞千恵子が、信じられないくらい、本当に、とてもかわいいんですよ!

また、「OD2」の公開後、「砂の器」のデジタル・リマスター版を地元の映画館で放映していたのですが、これも、PTSDのため、観ることが出来ませんでした。
非常に残念です。

ちなみに、この「OD2」が公開された年(2002年度のお正月映画から2003年度11月末の公開までの映画)の、わたしのベスト10と、ワースト5は、以下の通りです。
この年度の作品は、たった30本ほどしか鑑賞できていないので、非常に粗のあるベスト10になってしまっています。
ベスト1.シティ・オブ・ゴッド
ベスト2.ボーリング・フォー・コロンバイン
ベスト3.シカゴ
ベスト4.東京ゴッドファーザーズ
ベスト5.WATARIDORI
ベスト6.マトリックス・リローデット
ベスト7.アイデンティティー
ベスト8.レッド・ドラゴン
ベスト9.キル・ビル vol.1
ベスト10.美しい夏 キリシマ
ワースト1.バトル・ロワイアル2
ワースト2.マトリックス レボリューションズ
ワースト3.ハリー・ポッターと秘密の部屋
ワースト4.あずみ
ワースト5.踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!
*劇場では公開されていませんが、選考作品に「ロード・オブ・ザ・リング 2つの塔 スペシャル・エクテンディッド・エディション」を加えるならば、ベスト3にしていました。

「ナショナル・トレジャー」の感想

2005年04月08日 | 映画のカンソウ。
ディズニー社とアイズナー会長の銃撃戦(第76回アカデミー賞ビル・クリスタルの台詞より一部改変)がどうなったのか、非常に気になる今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
先日、アメリカで大ヒットを飛ばし、日本でも3週続けて現在も全国週末興行成績ベスト1に輝いている「ナショナル・トレジャー」を観てきました。
この作品は、ディズニー本体が製作、プロデューサーをジェリー・ブラッカイマーがつとめたこともあり、個人的には、どうも食指が動かなかったのですが、ニコラス・ケイジのファンである友人がとても面白かったというので、話のタネに、ふらっと、何の期待もせず、劇場に足を運びました。
そういえば、日本では新庄剛志が宣伝プロデューサーを担当しており、予告の最後にとってつけた映像で登場していたのですが、これは、どうかと思うのですが・・・
少なくとも、わたしは、観る気がおきないのに拍車がかかりました(笑)
さて、肝心のストーリーは、言ってしまえば、さまざまな謎を解きあかし、敵と見方に別れて、宝をさがし出すという、いたってシンプルなものです。
しかし、この謎解きが非常にスピーディーで、フリーメイソン云々という胡散臭い(笑)ヒントから謎が解けたと思ったら、また、新たなヒントが与えられ、めまぐるしくストーリーは進んでいきます。
ここに、ある種の快感を覚えられる方もいるでしょう。
そして、この手の映画の王道は一切はずしておらず、非常に観やすいのですが、どうしても、その範疇から飛び出ることはできず、意外な展開というものはありません。
気軽に、ちょっと、ハラハラドキドキしたいというときに、本作は向いているのかもしれません。
また、この作品は、前述のとおり、ディズニーの本体が製作しているため、家族そろって安心してご覧になれるかと思います。
大ヒットのおかげで、なんでも、続編の製作も決定しているそうです。
まぁ、わたしは、まず、観にいかないと思いますが(笑)
そうそう、主役のニコラス・ケイジは、考古学マニア(?)という設定で、実際に劇中でマニアと言われるのですが、「考古学じゃないけど、この人は確かにマニアだよなぁ(笑)」と、ひっそりと映画館で笑っていました。

「ソウ」の感想

2004年11月04日 | 映画のカンソウ。
■ソウ[SAW] (鑑賞日:2004/10/30)
サンダンス映画祭で非常に話題となった(らしい)作品です。
また、全米公開に関して、広く一般公開するために、急遽、公開延期を決め、再編集により表現の緩和を行
い、日本では、東京国際ファンタスティック映画祭において、どちらのヴァージョンがかかることになるのか、ちょっとしたゴタゴタがあったりと、公開に関しても、ひと話題ありました。
結果的には、東京国際ファンタスティック映画祭では、サンダンス、カンヌ両映画祭で公開されたオリジナル・ヴァージョンで上映され、一般公開では、アメリカと同じく再編集ヴァージョンの上映となったようです。

気がつくと老朽化したバスルーム。
足は鎖でつながれ、動ける範囲はほんの少し。
対角線上には、同じように足かせをはめられた男。
そして、中央には、一体の自殺死体・・・
隠されたヒントを手にしながら、二人はこのゲームから抜け出すことが出来るのか、というシュチュエーションが、映画が始まって早々、わたし達の前にいきなり提示されます。
この非常に面白く、インパクトのある世界は、わたしを一気に作品の世界に引き込んでいきました。
このバスルームは老朽化しているので黒ずんでいるところなども多々ありますが、床から壁まで白く、空間的には広いはずなのに、この白さが与える圧迫感は、観ているこちらも心理的に追い詰めていきます。
しかし、ストーリーは、この秀逸なバスルームという舞台では、直接的に展開されることは多くはありません。
観客は、何がどうなっているのか分からないという不安感を、このゲームの参加者である二人と共有しつつ、バスルームの「外」での展開を観ることになります。
このあたりが、折角、このようなシュチュエーションを用意したにもかかわらず、あまり設定が生きてこないような気がして、少々心残りです。
また、その中に、刑事のエピソードがあるのですが、このエピソードも作品に、いい意味で仰々しさを与えていくのですが、いかんせん、その終わらせ方が非常に中途半端なような気がしました。
そして、ストーリーの後半から肝心のオチにかけてですが、はじめに示された舞台があまりにも刺激的だったため、どうしても、大味になっていくのが、余計に目立ってしまうように感じてしまいました。

「ソウ」オフィシャルサイト
http://www.sawmovie.jp/



~以下ネタバレです!~

観終わって、家に帰ってから、思ったことがあります。
バスルームにふたりを監禁したのは、病院の雑用係でしたが、その雑用係も、別のゲーム――自分の体内に進行の遅い毒を盛られ、解毒剤を手に入れるためには、このふたりをゲームに掛けなければならない、というもの――に参加させられていました。
真犯人は、バスルームの中央で倒れており、直接には、雑用係を監視しているわけでもなく、あれだけの時間があり、あれだけ身動きしても大丈夫だったのであれば、はじめから、警察に駆け込み、専門家のいる病院等に連れて行ってもらえばいいのではないかと思ったのですが・・・わたしの思い違いかなぁ。

「アイ,ロボット」の感想

2004年10月12日 | 映画のカンソウ。
■アイ,ロボット[i,ROBOT] (鑑賞日:2004/10/11)
実を言うと、この作品はあまり観に行く気がしていなかったのですが、近くのシネコンがオープン2周年記念で、1000円で観れるということで観てきました。
あまり期待もしておらず、1000円ということもあってか、なかなか楽しく観れた作品でした。
ひとりの科学者の死から始まり、この死をめぐり物語が展開されていくのですが、サスペンスとしては消化不良というか、サスペンス性とも言うべき要素は、展開から少々置き去りにされた感があります。
また、アイザック・アシモフが提唱した、ロボット3原則がキーワードとなっており、再三にわたり登場しますが、このキーワードの迂回も実に短絡的で、結末は、いわゆる「よくあるもの」でした。
少々、ストーリーに触れてしまいますが、もうひとつ、"ghost"というコトバが出てきたのには、思わずニヤリとさせられてしまいました。
たしか、「魂ようなもの」と説明されたり、"ghost in the machine"というように使われていたように記憶しています。
これは、「Ghost in the shell(攻殻機動隊)」から来ていると思うのですが、この作品は、決して、イノセンスのような作品ではありません。
まして、そもそもゴーストとは何か、はたして人と機械を隔てるゴーストというモノは、決して機械にも目覚めないものなのだろうか、そのとき、人と機械の違いとは何であるのかといったような哲学的とも思えるようなものでもありません。
純粋なる娯楽作品ですが、わたしは、ついつい、そのようなこともポツリポツリと思い浮かべながら、観てしまいました(笑)
結果的に、この作品にとってのゴーストとは、物語に深みを与えているように錯覚させたり、エンターテイメントのために、問答無用で細かいところを一気に端折れる都合のいい隠れ蓑として使われているようにも思えなくもないのですが、それはそれで、作品としてうまくいっているのではないでしょうか。
そもそも、そのようなことを考える映画でもありませんし。
観終わったら、この作品そのものよりも、攻殻機動隊に思いを馳せていました(笑)
しかし、なんやかんやと言いながらも、B級作品としては、なかなか面白かったです。
前述のように、ストーリーや世界観には、特に目新しさも感じず、少し物足りなさも感じましたが、SFアクション・エンターテイメントとしては、スピード感もあり、まずまず成功しているのではないでしょうか。
<この文章は、定型文として、色々な映画に使えそうですね(笑)>

「アイ,ロボット」オフィシャルサイト
http://www.foxjapan.com/movies/irobot/

「ディープ・ブルー(吹替版)」の感想

2004年09月28日 | 映画のカンソウ。
■ディープ・ブルー[DEEP BLUE] (鑑賞日:2004/09/26)
「ディープ・ブルー」といっても、賢くて、でかいサメが人を襲う映画ではありません。
まぁ、いちおう、でかいサメ(ジンベイザメ)は出てきますけど(笑)
この作品は、製作に7年をかけたという、海洋ドキュメンタリーです。
ロケ地は200ヶ所にのぼり、撮影したフィルムの総時間は7000時間という壮大なものです。
イルカなども登場するので、もしかしたら、癒しを求めてご覧になろうかという方も、いらっしゃるかもしれませんが、本作は決して、そのような作品ではありません。
それ以前に、自然や自然動物に、そのようなこと「だけ」を求めること自体、間違っているように思います。
ドキュメンタリーですから、当然、自然の厳しさも多々、盛り込まれています(また、同時に自然の優しさというのもあるとは思いますが)
シャチが、コクジラを捕食するシーンがあるのですが、これは特に残酷です。
狩りの方法は、群れで、コクジラの親子を4時間追いまわし、疲れさせ、子供を親から引き離したところで、シャチが体でコクジラの子供を上から押さえつけ、窒息させて殺します。
その後、上アゴと舌を食べるのです。
しかし、シャチの視点から見れば、生きるためにご飯を食べなければならないわけで、狩りが成功したことは、喜ぶべきことです。
ついつい、わたしは、コクジラの視点で、かわいそうだなと思って観てしまうのですが、この作品は、そのようなシーンでも淡々と観せることで、やはり、自然においては、そのような感情は、人間の勝手で傲慢な思い込みではないのかと、改めて思い知らされます。
また、トレーラーでも観ることが出来るシーンなのですが、クジラが小魚(たぶんカタクチイワシだと思うのですが)を捕食するために、大きな口をあけて、水面に向かって、すごい勢いで上昇する映像を水中から見上げて撮っている映像は、実に迫力があり、ほんの数秒ですが、少なくともトレーラーだけでもチェックする価値があると思います。
そして、わたしの大好きなペンギンも登場します。
エンペラーペンギン(*1)のオスが、ブリザードが吹き荒れる冬の南極で、約3ヶ月間、絶食して卵を温め続ける(*2)シーンでは、ペンギンの可愛さと、彼らが生きている自然環境のギャップを観て頂いて、多くの方が持っているであろう、可愛くてユニークなだけのペンギン像が少しでも変わってくれることを、ひとりのペンギンファンとして強く望みます。
他にも、多くの生き物が登場しますし、また、海の美しさも存分に堪能できます。
音楽を演奏しているのは、ベルリン・フィルハーモニーで、聴いていて心地よく、ときには効果的にシーンを盛り上げてくれます。
ただ、登場する生き物に、名前が表示されないのが、少し難点かなと思いました。
この作品を観て、興味を持った生き物を、家に帰った後で、より詳しく調べるということがしにくいのです。
これは、制作側が、観客に海洋世界により深く入っていってもらえるよう、なるべく、画面上の情報を排除した結果なのかもしれませんが、やはり、生き物の名前は表示して欲しかったです。

*1
劇中のナレーションでは、「コウテイペンギン」と呼んでいましたが、ここでは、青柳昌宏氏と上田一生氏が、訳書「ペンギンになった不思議な鳥(1988)」で用いた、新称のペンギン和名である、「エンペラーペンギン」を用いました。
*2
実際にオスが卵を温めている抱卵期間は64日間です。オスが繁殖地に到着して、メスが産卵後、海に戻り、再び繁殖地に戻って、育雛を交代するまでにかかる期間が115日です。そして、今度はヒナをメスにまかせて、オスが採食に行くのですが、これまでの間、オスは絶食しています。
この作品を観て、もし、ペンギンにご興味を持たれた方は、下記のアドレスにある書籍をご参考にされたらと思います。
http://www.jttk.zaq.ne.jp/zentoryoen/penguins/osusume.htm(自サイト内リンク)


「ディープ・ブルー」オフィシャルサイト
http://www.deep-blue.jp/
(オフィシャルサイトにある壁紙は、是非ダウンロードしましょう♪)

「父と暮らせば」の感想

2004年09月23日 | 映画のカンソウ。
夏休みに観た映画の感想その3です。

■父と暮らせば(鑑賞日 2004/08/31)
わたしが、かなりの心を揺さぶられた作品です。
この作品は、井上ひさしが原作を書き、舞台で上演されていたものを、黒木和雄監督が映画化したもので、舞台的な演出の中に、うまく映画的演出を取り入れて作品に仕上げたという印象でした。
今作は、「美しい夏キリシマ」といった作品と同様、「生き残ってしまった悲しみ」を描いています。
原爆で親友と父親を失い、自分ひとりだけが生き残ってしまったことに負い目を感じ、「自分は幸せになってはいけない」と思い、自分にそれを言い聞かせながら生きている女性のもとに、父親が幽霊として現れ、娘が幸せになれるように、その閉じてしまった心を開かせようとする、という物語です。
この「生き残ってしまった悲しみ」というのは、監督自身が経験したことのある実体験でもあるのですが、それが、今作もフィルムからにじみ出ていているように思いました。
登場人物も非常に少なく、前述したように、お話自体は、いたってシンプルで淡々と進んでいくのですが、井上ひさしらしい(?)ユーモアにあふれており、そのユーモアとお話のギャップ、そして、お話が非常にシンプルな分だけ、訴えかけてくるものは非常に大きく、戦争の残酷さ、生きているということ、そして、現在のわたしたちが自身が置かれている状況を、強く教え考えさせられました。
主演は宮沢りえ、その父親役は原田芳雄が演じているのですが、ふたりとも演技は、とてもすばらしかったです。
特に、父親を演じた原田芳雄は、ちょっと可笑しなキャラクターなのですが、その「くすり」とさせるユーモアの中にも、娘を思う父親の気持ち、また、ときには、背負っている悲哀を感じさせ、よりお話に深みを与えているばかりか、決して明るくないお話の中で娘を救い出すという役同様に、この作品そのものを、単なる戦争映画という括りにとどまらないものにしたと思っています。
そして、そんな父親に、宛てられた最後の宮沢りえの台詞は、本当に心に染み入りました。

監督が言うには、大手製作会社では、原爆や戦争映画の企画は実現しないのだそうです。
実に残念に思います。

この映画を観て、わたしが言いたいことは、ただただ、観てください。
これにつきます。


「父と暮らせば」オフィシャルサイト
http://www.pal-ep.com/chichitokuraseba/chichitokuraseba\top.htm

「スウィングガールズ」の感想

2004年09月20日 | 映画のカンソウ。
ストックがあるうちは、楽でいいですね。
という訳で、夏休みに観た映画の感想その2。

■スウィングガールズ(鑑賞日 2004/09/13,16)
「なんかいぐね?いぐね?」
この手の映画は、観ていると次の展開なんかは、たいがい分かってしまうんですが、それでも、もう、観ていて、楽しくて楽しくてしかたがない!
わたしは、封切り1週間のうちに、2回観ました(笑
監督というものは、サービス業だと言い切り、ここまで観客を楽しませてくれる矢口史靖監督はすばらしい!
「ウォーターボーイズ」の2番煎じと言われるかもしれませんが、やはり、完成度は上がっています。
主役の鈴木友子役の上野樹里さんをはじめ、キャラクターは山形弁を盛大に話し、大変魅力にあふれています。
わたしは、個人的に、トロンボーンをプレイしていた、関口香織役の本仮屋ユイカさんが大好きになりました(誰も聞いちゃいねぇか・・・)
"SWING GIRLS & A BOY"が実際、劇中でプレイする曲は、すべて吹き替え無しで、本人たちキャストが、プレイしているのですが、(わたしは、ピアノをちょっとくらいしか弾けないので他の楽器のことは良く分からないのですが)4ヶ月の練習で、ココまで上手だとは、びっくり。
そして、本当に嬉々としてプレイしている姿に、とても胸を打たれました。
ジャズの難しいことはよくわかりませんけど、やっぱり、音楽は楽しまなくっちゃ!
出てくる曲も、おなじみのナンバーが多く(?)、一度は聴いたことがあるものばかりで、耳あたりも非常によく、気持ちよくて、気がつけば劇場の椅子に座ってリズムを刻んでいました(笑
あえて、ひとつ言わせていただければ、是非とも、竹中直人に、最後の"Sing,sing,sing"は、ステージで指揮棒を振って欲しかったですね~。
何はともあれ、劇場を出た頃には、気持ちは「スウィングすっぞ~!」ってな感じに(笑
これは、もう、「ジャズやるべ~♪」

蛇足。
そうそう、この「スウィングガールズ」の制作は、アルタミラピクチャーズなのですが・・・周防監督って、今、何してるんでしょうか^^;
そういえば、来年は、「Shall We ダンス?」のハリウッド版が公開されるんでしたっけ。

「SWING GIRLS」オフィシャルサイト
http://www.swinggirls.jp/index.html

「華氏911」の感想

2004年09月19日 | 映画のカンソウ。
今日から、ブログ開始。
ゆっくりでも、継続していけたらいいなぁ、と思っています。
テスト代わりに、夏休みに観た映画の中から、「華氏911」の感想を。

■華氏911(鑑賞日 2004/08/31)
配給で糞会社ディズニーと散々揉め、新会社を設立することで、ようやく、アメリカ本国で公開に漕ぎ着けたのがニュースになったり、カンヌ映画祭にて、最高賞であるパルムドールを獲得するなど、日本でも公開前から、話題沸騰の「華氏911」です。
「純粋に、映画として面白いからパルムドールを与えた」と、カンヌ映画祭の審査委員長であるクエンティン・タランティーノは言っていますが、わたしの感想は、正直なところ、映画的評価をするならば、前作の「ボーリング・フォー・コロンバイン」の方が優れていると思います。
今作は、前作で見られた、“マイケル・ムーアらしさ”というものが、まったくないわけではありませんが減退しています。
この“マイケル・ムーアらしさ”というのは、彼独特の皮肉的なユーモアであったり、彼の突撃アポ無しインタビューであったりと、ドキュメンタリー映画に持ち出すには、非常に難しい要素なのですが、これが問題の的を得ているばかりか、観ていて小気味よく、観客に、笑いながらも考えさせるという事をさせ、前作をエンターテイメントとしても、鑑賞に堪えうるものに昇華させている源といっても過言ではないものです。
また、前作は、結果的に、銃問題を窓口に、アメリカ社会の暗部にまで光をあてた秀作でしたが、今作は、始終、一面的なブッシュ批判に陥ってしまっているのが残念なところです。
田中字氏のWEBサイトに掲載されていることですが、この映画は、ブッシュ自身については、鋭く迫っていますが、9・11からイラク戦争にかけてのブッシュ政権の動きを作ったネオコンなどについては、まったく言及されていません。つまり、現在のアメリカを見るには、不完全な内容です。
前作が非常に優れているため、どうしても期待が大きくなってしまい、このような辛口な感想になってしまいましたが、この作品が決して、観るに値しないものかというと、そんなことはありません。
日本は、イラクに自衛隊を派兵しています。
そんな国の人間だからこそ、是非とも、多くの人に観てもらいたい作品です。


「華氏911」オフィシャルサイト
http://www.herald.co.jp/official/kashi911/index.shtml

参考:
田中字の国際ニュース解説
http://www.tanakanews.com/