ぜんとりょ~えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

首輪を作りました

2006年05月12日 | 淕之介日記
金曜日(12日)は、「もののけ姫」を横目で見ながら、淕之介の首輪を作りました。
実は、リベンジです。
1週間ほど前にも、ほぼ、同じものを作りました。

事の起こりは、あるところで、西陣織の首輪とリードを販売していることを知り、是非とも、それを淕之介に付けてあげたいと思ったのがはじまりです。
しかし、この西陣織の首輪とリードを作っているメーカーが、現在、縫製工場の都合で注文を受けることができないことが分かり、そのときは、渋々諦めました。
しかし、母が古布の端切れを集めていたので、それを使って、自分で作ってみようと、ふと思いたちました。
まずは、沢山ある絹の端切れの中から、どれが淕之介に似合うか考えて選びます。
今回は、蛸唐草という模様にしました。
裁縫などをするのは、高校の家庭科の授業以来で、いろいろと戸惑いながらも、少しずつ作業を進めていきました。
だいたい、首輪の太さが2cm位になるように幅を考え、それに加えて、首輪が綻んでいってはいけないので、布の両端を内側に織り込むための余白も取り、チャコペンで線引きします。
その線に従って、裁断。
アイロンを織り込むところにあて、型を付けていきます。
ほぼ、同じ要領で、それより幅が少し狭い当て布も作りました。
使ったのは、黒地の絽です。
そして、ふたつを合わせ、目立つ色(このときは白)で、仮縫いをし、はちまき状の紐を作りました。
このときは、これで終わり、後日、裁縫店に行き、サルカンなどを購入しましました。
一緒にリボンも購入し、仮縫いをしていましたが一旦ほどいて、中にリボンを通し、補強しました。
ここから、ミシンの登場です。
両端を縫っていきます。
しかし、肝心の部品である、ミシンの「押さえ」を紛失してしまっていて、とりあえず縫おうとしてみましたが、まっすぐ縫えません。
それでも、とりあえず、がんばってやってみたのですが、出来はひどく、到底、納得できるものではありませんでした。
また、かなり、手間取る羽目になりました。

そんなこんなで、話しは、12日の金曜日に戻ります。
ミシンの押さえを母がメーカーから取り寄せてくれていて、それが、この日に届きました。
今回は、2度目ということもあり、前回よりは、スムーズに下準備を行うことができました。
面倒くさかったのと、実際に、肌に当たる部分が少ないので、当て布はしませんでした。
そのかわりに、強度を増すために、前回よりも太めに折り返しの部分をとりました。
さて、問題は、またもミシンです。
どうも、何回か調子を変えて縫ってみても、糸のせいか、下糸と上糸の調子がいまいち合いません。
まぁ、とりあえず縫えているので、これでも良いかと作業を進めると、縫っている途中で、糸がミシンの中で団子になって絡まってしまい、ミシンが止まってしまいます。
このおかげで、何度も、糸を解く羽目になりました。
最後には、いくらやっても、こうなってしまうので、仕方なく、縦縫いは、2回に分けることになりました。
また、このミシンは、スイッチが足踏みではないので、どうも、そのあたりも、使いづらかったです。
そんなこんなで、とりあえず、「もののけ姫」が終わる頃には、完成しました。
やはり、まだ、納得はできませんが、前回よりは、よいものができたと思います。

これだけでも、なんやかんやで、かなり手間取っただけに、リードを作るのは、当分先になりそうです。

写真は、首輪に使った布のあまりと、首輪2本。
一番下にある首輪が、後に作った方です。
はじめに作ったものは、両側を縫っているのに対して、こちらは、当て布をしなかったことにより、片側しか縫わないで済みました。

藤の花

2006年05月11日 | ...and all that jazz
桜が散りきった4月20日ごろから、まるで、交代するかように、庭にある藤のつぼみがほころびはじめて来ました。
この季節になると、毎年のように決まって、ミツバチやクマバチたちが、蜜と花粉を集めに来訪します。
藤は、五月の初頭頃に見頃を迎え、今(11日)では、ほぼしぼんでしまい、その花の根元には、小さな実を付けています。
季節の変わり目を感じるひとときでした。

写真は、藤の花にやってくるクマバチ。
5月4日撮影。
オリジナルサイズ(約600万画素)より、約30%に縮小しています。

二階

2006年05月10日 | 淕之介日記
この前の日曜日くらいから、淕之介が、二階に上がってこられるようになりました。
ちょっと目を離した隙に、淕之介が居なくなったと思ったら、素知らぬ顔で、二階の廊下に居たりします。
更に、わたしの部屋のドアが開いていたりすると、わたしのベッドの上で横なっていたりすることもあるのですが、怒るどころか、わたしには、とても、微笑ましく思えてしまいます。
火曜日(9日)も、丁度、そのような感じで、ベッドにしかれた布団の上で、丸くなっていました。
どうやら、ちょっと、オネムのご様子で、瞼を重そうにしています。
躾や衛生上、本来はいけないことなのでしょうが、ついつい、つられて、わたしも横になってうとうとしてしまいました。
なんとも言えない至福の時間でした。
本当に、生き物が居るという環境は、すばらしいものです。
もう、淕之介が居ない生活などは、考えられません。
ただ、彼がどう思っているかは分かりませんが・・・

淕之介は、二階に上がるのは良いのですが、自分では降りてこられません。
降りるときは、わたしたちが抱きかかえて一階に連れて行きます。
子犬の成長は本当に早いもので、体重を測ってみると、6キロを超えていました。
重いはずです。

写真は、二階にいる淕之介。
10日撮影。
この廊下の左手奥が、わたしの部屋で、その途中にある洗面台の足下に、水飲み皿を用意しました。
先月の下旬に子犬の毛がほぼ抜け替わったようで、顔も、ちょっとシャープになりました。

謝辞

2006年05月09日 | JR宝塚線脱線事故について
まずは、このような記事を出すだけでも、かなりの時間を開けてしまい、申し訳ありませんでした。
普段の閲覧者数からは考えられないような、実に多くの方々に、ご足労を頂き、誠にありがとうございます。
また、特設ページを作成して頂いた、Yahoo!Japanトピック編集の方にも、心からお礼を申し上げます。
少々、抜き出してみますと、4月23日から29日までの1週間で、合計44410件、うち同一IPでの閲覧が12364件もありました。
閲覧をして頂けたことにより、異論や反論を抱いたり、とにかく何でもかまわないので、何かしらの「きっかけ」を掴んで頂く役割を、当ブログができたのなら幸いです。
しかし、読むに値せず、ただ時間の無駄とだけ思われていなければ良いのですが・・・

わたしのことを少々書かせて頂きますと、4月25日を迎えるにあたって、もっと気の落ち込みが来たり、イライラが収まらなかったり、以前のような軽鬱状態に戻ってしまったり、フラッシュバックを起こすのではないかといった、様々な不安がありましたが、おかげさまで、そのようなことは、あまりなく、睡眠薬を飲んでも眠れないなどの生活サイクルの狂いが起きたり、26日と27日の二日間、精神的にも身体的にも身体が重く、体をほとんど動かなくなる程度で済みました。
ドクターから、事故の記憶をコントロールできるように整理するということをするのは、それを行っても、生活のリズムが狂わないようになるまで、待つべきだという指示を頂いたので、また、当ブログは愛犬日記となります。
誠に申し訳ありませんが、ご了承のほど、お願い致します。

各々の記事にコメントを付けて下さった方に対するレスポンスを差し置いて、先に、このような形で、ご返事とでも言いますか、とにかくお礼の記事を書かせて頂くことについて、若干、心苦しくも思うのですが、どうか、御勘弁ください。
寄せて頂いたコメントについては、またその都度、適宜、その記事に更にわたしのレスポンスをさせて頂きたく思っております。
ごめんなさい。

短いながらも、失礼致します。
睡眠薬を飲んでいる状態で書いたので、頭が回っておらず、変な表現や文章になっており、読むに耐えないものになってしまっているかもしれません。
申し訳ありません。