ぜんとりょ〜えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

3年

2008年04月25日 | JR宝塚線脱線事故について
さかしらに。
わずかな不運を見せびらかすな
(Bパート 631カット)
わたしは、この言葉が頭にこびりついて離れない。
この台詞は宮崎監督作品「もののけ姫」にて、タタラ場で、エボシ御前がサンとの一騎打ちを止めに入ったアシタカに発した言葉である。
彼女は、タタリも憎しみも嫌悪もたっぷり味わってきた。
少なくともわたしは、いち被害者の立場として、書きたくないのに、書かねばならないという背反した感情に苛まれながらこれまでいろいろと書いてきた。
今回も、それである。
世界中を見渡せば、もっと、大変な方々はたくさんいらっしゃる。
もちろん、同じ被害者の中にも。
その中で、わたしのような人間は、結局は、エボシ御前の言うものなものでしかあらず、こうして生きているのが、なんだか、辛く、申し訳なく感じるときが未だにある。

つらいか
そこから飛び降りれば簡単にケリがつくぞ
(Cパート 952~953カット)
モロの台詞である。
揶揄されている。
わたしは、PTSDと軽鬱を発症し、何度も形骸を断じようと考えた。
そのときに、この台詞が頭をよぎる。
ひとつ書き添えるなら、わたしの死は目的ではなく手段であるとうことだ。
ただ、愛犬がいるうちは、わたしは、生きなければならないというジレンマに陥っている。
端からしたら大変ご迷惑だろうが、時々、犬を愛しているが故に、世界がその存在ごと、自然と消えてなくなってしまえば良いのにとさえ思うこともある。

事故から、わたしが明確にPTSDと軽鬱を発症するまで、しばらく時間があった。
医師によると、それは自然なことなのだと言う。
JR西日本の社員は、この間、開口一番に、示談を持ちかけてきた。
わたしは、そのとき唖然としたのを、いまでも覚えている。
結局は、事故そのものの本質には、何も答えを出してくれず、早期の幕引きをしたいのではないかと疑ってしまうほどだった。

更に、どうでもいいが、社長がかわったあたりから、JR西日本はかなり高圧的になってきた。
これは、他の被害者の方もおっしゃっていることだ。
わたしのところでは、「医者を変えろ」だのまで口出ししてくる。
また、その担当医に対しても、自らの社会的責任さえ棚において、「薬価が高い」、「本当に、(わたしは)PTSDなのか」というようなことまで問いただしたそうだ。
さすがに、これには、医師は激しく怒ってくれた。
3年経ったが、JR西日本はいったい何を考えているのだろうか。
一番苦しみ、また憤っているのは、誰なのだろうか・・・

4月25日は、わたしの誕生日でもある。
しかし、わたしの年齢は3年前から変わらず止まっている・・・
今のわたしには、この日、黙祷しかできない。
それ自体も、何になるのかと自問自答する。
無力だ。
そして空虚だ。

結局、JR宝塚線脱線転覆事故(JR福知山線脱線転覆事故)とは何だったのか。
それは、確か、当事者であるJR西日本自身でさえ、いまだに原因不明だったはずだ。
なにせ、航空・鉄道事故調査委員会のレポートを無下に突き返したくらいである。
そんな訳の分からないブラックボックスに、みなさんは普段乗っている。
そう思うと、わたしは、絶望の縁にたたざるを得ない。
三菱ふそうのリコール隠し問題で起こった事故に対する裁判では、地裁レベルでも判決が出るまでに6年もかかった。
少なくとも、わたしは、最終的な刑事判決が出るまで、JR西日本に対して、まともに対応できないだろう。
いや、刑事判決が出ても、わたしの中では決して終わらない。
JR西日本の対応を見ていると、そんなことさえ、考えていてくれていないんだろうなと頭をよぎる・・・

もともと、土地を買収し、線路を引くときから、このカーブは物理学的に無理があることは容易に分かっていたはずだと指摘する専門家も存在し、昨年だったか、立命館大学でその講演会も開かれた。
今回、JR西日本がアセスメントを取り入れたりしたのは悪くはないだろう。
ただ、第三者がきちんと監査する類いものではないようだ。
わたしが、一番望むことは、安心して利用できる公共交通機関になってほしいだけだ。
安心と安全は、違うものであり、公共性もJR西日本はどのように考えているのか常々、疑問である。
(わたしは、環境アセスメントを少し齧ったから、このように思うのかもしれない)

わたしが、このようにJR西日本に安易な批判を浴びせるのは、立場上も含め極めて簡単だ。
しかし、それだけではなく、更に一歩進み、公共交通機関という性格を考え、日頃から普通のサービスを受けている方も含めて、JR西日本に対して何らかのコミットを行い、互いに安心して利用できるものを作り上げ、また、互いがお互いを尊重し、高め合って行くことこそ、理想の姿なように思う。
そして、それを実現するためにはどうすれば良いかということであるが、それは、なかなか頭が痛いところである。
ただ、切符を買って、電車に乗るだけで、後は知らないという態度は、公共性の概念から、それで良いのだろうかという疑問は生まれてくる。

書かなければいけないはずなのに、筆が進まない。
自分のことばかり書いてしまい、大変散文的になってしまっている。
考え方や基本的な思想も一年前とほぼ変わっていないばかりか、更新自体が、一年単位になってしまっている。
申し訳ない。
わたしの普段の日記等は、mixiの方に移行しています。
もしよろしければ、下記アドレスにお訪ね下さい。
http://mixi.jp/show_profile.pl?id=7657077
ジャンル:
その他
キーワード
公共交通機関 エボシ御前 立命館大学 環境アセスメント 福知山線脱線転覆事故 社会的責任 もののけ姫 航空・鉄道事故調査委員会
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« ケータイを壊しま... | トップ | 禍々しい感情 »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL

あわせて読む