ぜんとりょ~えん♪

JR宝塚線脱線転覆事故にあった人の日記

ケータイを壊しました。

2007年05月10日 | ...and all that jazz
5月の頭に、ぽっちゃんっと、携帯電話を水没させました。
結果、液晶画面はバックライト共に死んだどころか、主電源も入いりません。
しかし、カメラの電源は入るのが不思議(使えないけど)
わたしは、必要最低限しかケータイを使用しない人間なので、いっそのこと、解約しようかとも考え中です。
ひとまず、ケータイの方にご連絡をいただいても、ご返信致しかねますので、御用のある方は、hotmailか、mixiあたりに、メッセージをお願いします。
すみません。

あと、ずっとこのブログを閲覧していた方には申し訳ないのですが、どちらかというとmixi主体になってきました。
改めて、もうしわけありません。

攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society

2007年01月21日 | ...and all that jazz
ようやく、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX Solid State Society」を観ました。
原作から、引用されたネタを小気味よく、うまく料理していました。
以下、ネタバレありです・・・たぶん^^;



面白かったのですが、少々、盛り上がりに欠けた感があります。
ただ単に、わたしが期待しすぎていたため、このように思ったのかもしれません。
「2nd GIG」では、難民問題を取り上げ、今作では、少子化問題などを取り上げている点は、非常に面白かったですし、組織としての9課という、根本を見つめ直したことも興味深かったです。

結局、傀儡回しの正体は、コシキが最後に解説してくれてはいますが、少佐の同位体(がベースとなっている)という解釈でいいのでしょうか。
「STAND ALONE COMPLEX」シリーズでは、少佐が人形使いと融合していないので、単純に、原作の「攻殻機動隊2」に登場した素子の同位体とは位置づけは違うはずですが、代わりに、並列化(?)を繰り返した挙げ句に、何らかのかたちで発生した「もの(?)」が傀儡回しである考えて良いのかな。
タチコマも、ゴーストが芽生えているのかは定かではありませんが、少なくとも並列化の果てに、「個」を得ていますし、クゼの革命のように、自分たちをネットにあげて(アップロードして)も、個を特定し続け、更に再びボディにまで戻っています。
そして、コシキは、ソリッドステイトシステム強化のため、様々な人物をパージしてきて、9課をも排除する目的で、少佐と有線したと言っていましたが、結局、あれは何を意味したのでしょうか。
ソリッドステイトシステムは、トグサが、子供たちは親元に帰された旨を発言していることから、今回の一件で、崩壊していると考えてよいはずです。
9課もパージどころか、少佐自体が健在です。
有線することで、傀儡回しは、少佐のデコイを得ることはできましたが、はたしてそれに意味があるのか、リモート義体を手に入れること自体は、雑作もないことのはずです。
しかも、傀儡回しは立ち去る際に、「これで、ソリッドステイトが完成する」と言い残しています。
どうも、そのあたりが良く理解できません。
(ここが、この物語の本質であるはずなので、ここが分からないというのは、感想を述べる上で致命的なのですが、あえて、感想を書いています)
複合体が並列化を行い、あたかも個というべき存在(?)が生まれ(個にして全、全にして個?)、新たな社会を形成し関わっていくということを、本当の意味でソリッドステイトとしているのかな。
そうすると、ある意味、スタンド・アローン・コンプレクッスの更なる発展した現象として、ソリッドステイトはあるのかもしれません。
なんだか、訳が分からなくなってきました。
そもそも、原作の「攻殻機動隊2」自体、意味が理解できていません・・・

重箱の隅をつつくようでなんですが、トグサが自殺(しようと)するシーンも、気になりました。
足を止めることができたのは、傀儡回しが、トグサに選択をさせる(自殺するか、自分の娘の電脳化にサインするか)時間を与えるために設けたように思ったのですが、何も自分の頭を打たなくても、足を撃てば、あの場合は、済んでいたのではと思ってしまいます。
傀儡回しが与えた選択自体が、自分の頭を撃つか、サインをするかという動作しか無かったのかもしれませんが・・・

あと、聖庶民センターへの9課の突入の根拠は、ハッカーとして侵入した少佐を、犯罪者として、9課が追うというかたちを取ることで、書類上の問題をクリアしているという判断でいいのでしょうか。
でも、それでも、強制捜査への理由としては弱いような・・・

今作にて、ネットを彷徨っていた少佐が、9課に帰ってきました。
「イノセンス」が公開された際、プロデューサーの鈴木敏夫が「素子は再びボディに戻るべき」という発言をしていましたが、それをなんとなく思い出してしまいました。
わたしは、当時、それを聞いたときには、「鈴木敏夫は何を言っているんだ」と思いましたが、このような経緯で、少佐が帰ってくると、何となく、鈴木敏夫の発言も腑に落ちるものがあります。
(もちろん、原作と映画版とSACシリーズが、それぞれパラレルワールドになっているというのは十分理解しています)

とりあえず、マイクロマシンを利用したテロあたりから、ソリッドステイトシステムへの物語のつながりをいまいち、まだ強く分かっていないので、もう一度、観てきます。
「もういいや」と思わせず、何度も観させる力がある作品でした。
やっぱり、攻殻機動隊は、良いですね。

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す(その3)

2006年11月11日 | ...and all that jazz
教訓。
非常に基本的な事ですが、バックアップはこまめに取りましょう。
やはり、消失データ復旧ソフトウェアを使って、ある程度データを取り戻せたとしても、破損してるファイルが数多くありました。
再生できなかったり、途中で演奏が切れてしまうオーディオデータや、開いても何も表示しないRAWファイルなどなど・・・
また、スキャンや復旧自体もかなりの時間を要しました。
更にこれから、外付けHDDとMacBookの両方のHDDを初期化して、MacBookの方にはその後、OSをインストール。
ここまできて、ようやく、復旧できたファイルの整理・・・
いつまでかかる事やら。
復旧したデータをためておくために、ストレージが必要だったので、もう一台、外付けHDDを購入したのですが、これからは、外付けHDD二台それぞれに定期的に同じ内容を記録していく習慣を付けようと思います。

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す(その2)

2006年11月07日 | ...and all that jazz
DataRescue2の体験版で、外付けHDDをスキャンしたところ、100GBほど復旧できるようなので、さっそく、amazonで製品版を購入しました。
体験版では、CDからブートできないようなので、起動ディスクごとデータが飛んでいるMacBookの方は、どれくらい復元できるか結局のところ、分からずじまい。
しかし、復旧しても、ファイルが破損していたりしないかどうか、不安です。

誤ってMacBookと外付けHDDのデータを消す

2006年11月07日 | ...and all that jazz
MacBook内蔵の起動ディスクともなっているHDD(60GB)と、外付けHDD(160GB)のデータを誤って、両方とも全て消去してしまいました。
とりあえず、飛んでいった重要なものは、まず、iTunesのデータで、15000曲以上にのぼります。
CDレンタルショップなどを活用して、ここまで溜め込んでいました。
2006年6月16日以降に撮られたデジカメの写真データの消失も、とてもつらいものです。
中でも、海に突き出た公園で、父親が夕日を浴びながら釣りをしている様子を、遠目に写したものは大変に印象深いです。
決して、作品として優れていた訳ではありませんが、その写真は、父の姿を写した最後の写真となってしまっていたからでした。
ほぼシルエットなのですが、それでも、父と良くわかる写真で、引き伸ばして現像したいと思っていましたが、それも適わなくなりました。
そんな、淕之介も含めて家族の日々の記録が、一瞬にして無くなってしまいました。
何とも言えない、むなしさというか、さびしさというか・・・
(自業自得でありながらも)この結果に対して、なにかに、罵倒の言葉を投げかけるような元気も、これっぽちも出てきません。

いま、友達が紹介してくれた復旧ソフトの体験版を使って、外付けHDDのスキャンを行っています。
外付けHDDは、本来は、MacBookに付けていましたが、取り外し、PowerBookG4に繋ぎ直しました。
かなり、スキャンに時間がかかるようなので、とりあえずは、ここで筆お置き、朝まで、この復旧プログラムを走らせていようと思います。
どの程度、復旧できそうかなどということは、追って、書いていきます。

If I were a bell

2006年10月07日 | ...and all that jazz
近所の大手チェーンの本屋さんは、ジャズのスタンダードナンバーがよくかかっていて、なかなかに心地よいところです。
しかし、テーマを口ずさむ事は出来ても、どうしても、曲名が思い出せない。
この前も、家に帰ってから、ふと、「ああ、あれは、Milesの"If I were a bell"だった!」なんてことが、しばしば。
T-SQUAREの"YEAREND SPECIAL~COUNTDOWN LIVE"に行くことになったのですが、こんな調子では、セットリストがまったく分かりそうにありません。
ただでさえ、伊東たけしがフロントにいた頃(今では、また帰ってきましたが)の曲は、ほとんど知らないので、更に困ったな。

さて、そんなこんなで、先月で淕之介が家族になってから半年が経ったり、だましだまし使っていたブラウン管のテレビが、16年目にして事切れ、その日のうちに新しく買う羽目になったり、わたしが自動車教習所に通うことになったりと、なんやかんやと、徒然なるままに一日一日過ごしています。
テレビは、SHARPの液晶テレビになったのですが、すごくきれいで、ちょっとびっくりしています。
地上デジタル放送なんて、今まで興味の欠片もなかったのですが、これを観てしまうと、デジタル推進派になってしまいそうです。
また、テレビのくせに、LANポートや、Firewireの4ピン(?)まで装備しており、「こんなもん、何に使うんや」と思ったり。
以外に便利なのがデータ放送で、天気予報を見たいときにすぐにでも見ることができ、淕之介のお散歩に役立っています。
ただ、電源を入れてから試聴できるようになるまで、時間がかかりすぎるのが難点で、チャンネルを変えるのにも、タイムラグがあり、ザッピングにはちょっと適していません。

話しはまた変わりますが、ペンタックスのRAWファイル(*.PEF)を、iPhotoがサポートしていないのは、いじめでしょうか・・・キヤノンやニコンには、きちんと対応しているのに。
先日、iPhotoのヴァージョンアップがあって、ようやくペンタックスもサポートされるようになったかもしれないと、淡い期待もしたのですが、見事に肩すかしを食らいました。
K100Dに付属のソフトは、GUIがWindowっぽいばかりか、UB化されていないし、何故かバグってるし・・・

関西クローズアップ「どうする新幹線新駅~嘉田滋賀県知事に聞く~」

2006年09月09日 | ...and all that jazz
NHKの関西ローカル局制作番組「関西クローズアップ」を観た。
今回のテーマが、「どうする新幹線新駅~嘉田滋賀県知事に聞く~」だったからだ。
この番組は、新幹線新駅問題の簡単なおさらいが出来たことは良かったが、肝心の嘉田由紀子知事に対するインタヴュー自体は、非常に面白みに欠けるものであった。
たぶん、この番組のディレクターやインタヴュアーは、嘉田さんの著書を一冊も読んでいないのではないかと思えてくる。
そもそも、環境社会学という学問自体が、一般的に、どのような理解のされ方をされているのかも気になるが・・・
また、嘉田さんの返答自体も、苦しいものがあるように思えた。
そればかりか、知事という立場上、今まで研究者だからこそ言えたことが、今では言いづらく、言葉を選んで話している感さえあった。
具体策も出てこない。
インタヴューの内容は、結局のところ、ほぼ経済性の話題に終始する。
確かに、わたしたちはお金があるからこそ生活していける訳だが、経済性の追求だけが、幸福につながるのだろうかと非常に疑問だ。
例は「入会地」でも何でも良いが、とりあえず、「地域性」や「共生」という概念などが完全に欠けている。
今更、バブル時代でもあるまいし、このような単一的な視点は、どうなのだろうか。
(わたしの視点自体が単一的であるので、この批判は、的を得ていないかもしれない)
そして、嘉田さん自身の政治理念や、活動のバックボーンは、この番組では、あまり関係ないらしい。
嘉田さんの問題意識がどこから出て来ているのか、今まで何に価値を置いて活動をしてきていたのかということを、もっと掘り下げてから、インタヴュアーは質問をしてほしかった。
当然ながら、新幹線新駅問題と同じくらい重要であると思われる、丹生ダムを筆頭とする一連のダム問題は、一切、話題に出てこない。
テーマが散漫してしまうことも問題だが、それでも、一事象だけで、地域を「切り取る」ことは、怖いところがある気がする。
特に、滋賀県は、生命につながる「水」に深く関する地域だけに、その思いは強い。
もちろん、このわたしの文章は、区画整備が始まってしまっている土地の所有者のような直接の利害関係を持つ方々に対して、何の配慮もなされていない。
最後になってしまったが、その折り合いと説得も重要である。
これも、金銭的な解決策だけでは、決して語れないだろう。
土地ころがしじゃあ、あるまいし。
もうすでに区画整備が始まった土地は、人間が暮らすという大前提のもと、「地域性」にそった土地の再利用の検討が求められていかなければならない。
と、滋賀県民でもない嘉田支持者が、ネットの隅っこで、"ASAHI KURONAMA OZ MEETS JAZZ"を聴きながら書いてみた。
ちょうど、わたしが大好きな、"Bill Evans Trio"の"Waltz For Debby"が流れて来たので、ここで筆を止めることにする。

眠れないときに考えること、などなど。

2006年09月07日 | ...and all that jazz
 なんの脈略もなく、いま、飲んでるお薬の紹介を紹介する。
 お風呂の前に、抗アレルギー物質1錠。このお薬自体は、眠くなる副作用を持つ。(わたしは、2歳頃から、アトピー性皮膚炎を発症している)
 寝る前に、パキシル10mgを1錠。そして、眠剤は、マイスリー5mgを2錠。これでも、眠れなかったら、頓服として出して頂いただいているサイレース1mgを半錠。それでも駄目なら、残りのもう半錠を飲んでいます。
 このほかにも、安定剤として、リーゼ5mgや、レキソタン5mgなどを2錠以上、常時、携帯しています。
 わたしの飲んでいる抗鬱剤の量自体は、重篤な鬱病の方からしたか、微々たるもので、飲んでいるのか、飲んでいないのかも分からないくらいの量が、わたしにとっては、とても大事なもので、お薬への依存を減らしていく一環で、これを更に半分に減らしてみた約1ヶ月というのは、とても揺り戻しがきつかったです。ひどいときには、また、もとのように、一日中、臥せった状態で、何か話せば「死にたい」としか言わなかった次期に戻るのではないかというような恐怖さえ覚えました。
 とりあえず、眠剤を、これだけ飲んでも、今晩は眠れません。
 若干、夜更かしをしているライフスタイルを何故か無意識的に取っているせいもあるのかもしれませんが、父が亡くなってから、接種する眠剤の量は明らかに増えた。今晩は、雨は降ってはいないが、遠くから、地響きのような雷だろうと思われる音が聞こえてきます。気持ち悪い。いや、気持ち悪いというよりも、なにか、不吉なことが起こる前兆のようにもとらえてしまいます。そのせいでしょうか。
 しかし、兎に角、今夜は、どうやって寝ようか・・・
 寝れないのはつらいことです。いろんなことを思い起こします。本質的なことから、下らないことまで、多種多様に。
 それこそ、夢想なところでは下記のような物です。
 環境学的に、わたし達のあり方を探るということは、どのようなことであり、また、それに付随するものをどのようなかたちで持つことなのだろうか。
 それに、「持続可能な発展」という甘い言葉を受け入れてしまってよいのだろうか。電気店のチラシを見ると、「省エネ」という文字が踊る。「エコ・エフィシェンシー」、つまり、経済性というインセンティブ(誘因)が、わたしたちを手招きをしているのであるが、それは結局、「エコ環境主義」が手練手管で、わたしたちを取り込んでしまうことだ。社会の一部として、そして、生態系の一部として生きるべき、わたしたちが、結局のところ、このままでは、どうあるべきなのかといった議論にまでは到達できない。エコ環境主義は、あきらかに、「西」型の開発主義の延長線上にあるものだ。西型の環境開発が頓挫しているのは、第三世界を見ずとも明らかだ思う。つまり、効率を礼参しても未来は開けるのだろうかという疑問である。このエコ・エフィシェンシーは確かに重要であるとは認識しているものの、結局、いまのままでとは、根本的に何も変わらない。「持続可能な社会」の構築には手が届かないだろう。だらといって、わたしたちは、手にした果実を容易には手放せない。わたしも含めて。なんて言ったって、わたし自身、こうやって、Macに向かっている訳だから。そんなこんなで、歴史的にも記念すべきリオで開催された「地球サミット」の希望は、かき消されてしまっている。そして、そのような事象を抱えるわたしたちに、ブルントラント会議で示された「世代間の公平」を守れるのであろうか。それどころか、日本国内でさえも、格差の広がりが問題となっている。「(世界の)地域間の公平」さえも実現できていない人類に、公平な未来はあるのだろうか。世界の多くの人々が、はじめから、「未来を盗まれて」いる。
 その答えにはならないが、今は無理でも、わたしは、誰でも政策にもっと積極的にコミットできるというような社会の構築をひとつの課題としてあげたい。
 企業とわたしたちとの関係に話しを移そう。コスト削減のための節もあるが、それでも企業の努力やグリーン購入自体も、その行動自体は賞賛されるべきことだ。しかし、実際、わたしたちが生活しているベースライン、何度も言うようだが、そのものの根本は基本的に変わらない。例をあげるならば、太陽光発電も、あの半導体を作るために、いかに汚染物質を生んでいるのか。第一、物を消費すること自体が、運送と深く関わっており、大気汚染を幇助している。
 また話をちょっと変えよう。ユニークな例をまたも挙げるようだが、ある本で読んで妙に感心してしまったので覚えている限りで紹介したい。ミキサーを動かそうと思っても、ミキサーだけでは、ミキサーは動かない。インフラとミキサーを回すという文化と制度が整って、はじめて、ミキサーは本来の機能をする。そのような開発の普遍性に向かう第三世界を見ていると、普遍性の名の下に、多様性は無視されてしまう可能性があるような気もしないでもない。普遍性における、多様性の切り捨ては、京都議定書にも現れているのではないだろうか。日本の温室効果ガスの削減目標が1990年比の6%(2004年度比では14%)であることからも、削減の実現は到底できそうもないが、それでも、議定書が効力を持ったこと自体は非常に喜ばしい。しかし、それは、「ひとつの地球、宇宙船地球号」を意識的にしろ、無意識的にしろ想定してしまい、それが課す役割は、人間が「ひとつとなって」努力しなければならないということの実践かもしれない。これもそれ自体は大変に歓迎できる面も持つが、今度は、そのために、地域の多様性は取りこぼされうる可能性が出て来る。つまり、一般化された普遍性は、多くのものを取りこぼし、ひとつの価値観や制度を安易に押し付ける可能性がある。そればかりか、京都メカニズムのひとつである排出量取引は、わたしたちが生きている地域や環境を単なる市場にまで貶めてしまう可能性を秘める。グリーン開発メカニズムといったものも、その地域性を無視しかねない行動を推奨しうるかもしれない。
 人間は環境を改変せざるおえない生き物だという前提をした場合、それでも、自然界のエンジニアとして、炭素循環の一環としてあり続けるためには、わたしたちはいかに存するべきか。その答えが、里山に隠されているのではないだろうかと、わたしは最近思わなくもない。
 とかなんとか偉そうなことを考えつつも、やはり、お風呂場で、シャンプーを泡立てているときは、シャワーを切るといったようなことしか出来ない自分に、非常にジレンマを感じてしまう。しかも、そのお風呂は、ボタンひとつで6時間も湧いていると言う、24時間風呂に近い設計の物だ。ああ、わたしは、一体、どこへ行こうとしているのだろうか。このジレンマは永遠に解消されないのではないだろうかと思うと、大変に頭が痛く、環境ファシストにでもなってやろうかとさえ思えてくる・・・まぁ、これは冗談だが(笑)。
 憲法改正論で、環境権の明記を求める動きもある(もうすでに、環境権は現憲法の中で盛り込まれているという論もある)。しかし、やはり、最終的には、最高裁の判断によって、環境というものが判例の中で定義されてしまうのであろう。そう思うと、日本の狭い環境の捉え方が、むなしくさえなる。
 このような意味不明なことから、わたしは、あのような大事故(JR宝塚線脱線事故)にあって、生きのびたびたにもか関わらず、父はこのような事故で死んでしまった。生きているって何なんだろう、というような、中高生のようなことまでを改めて考えてしまいます。
 実に青臭い。
 お薬を飲んで、意識が朦朧としている状態で書いた文章なので、多分に誤字脱字、意味不明な文章的つながり、用語の間違い等々があるかもしれませんが、どうにか、お許しいただきたく存じます。
 とりあえず、筆を置き、また、ベットに戻ることとします。もう、空は白みはじめてしまいました。

この2年

2006年09月02日 | ...and all that jazz
 昼間は、さすがに暑いが、もう、すっかり、朝夕の風は涼しくなっている。不意に、季節の移ろいを感じる。時が、わたしたちの心情とは関係なく行き交うているのを感じると、どこか、物悲しくなってしまう。
 ここの2年間という歳月は、わたしにとっては一体なんだったのだろうか。

 まず、昨年2月に祖母を失った。
 父方の祖母で、晩年は、老人ホームのようなところで暮らしていた。
わたしの小さい頃は、わたしの父母が買った家で、祖母を引き取り、わたしと祖母は同じ屋根の下で生活していた。しかし、その後は、祖母は、田舎に帰り、そこからは、ろくに顔を合わせた事もなかった。それから、祖母は、わたしたちが住んでいる近所にある老人ホームに移った。そんなところにある老人ホームでも、わたしは祖母とささいな時間しか共有できなかった。
 こうなると、なんだか、祖母の死に対して、なんだかリアリティが抱けない。祖母とは血縁関係は近いのであるが、それでも、なんだか、晩年の物理的距離があった祖母に対しては、非常にドライな感情しか抱けなかった。
 我ながら、なんと、冷徹であることかと思わずにいられない。
 しかし、祖母の晩年を見ていると、人間という生き物は、いかにして生き、いかにして死しんで行くべきものなのかと考えずにはいられない。わたしのあまり好きな映画ではない「千と千尋の神隠し」のエンディングテーマ(このテーマ曲自体も又、あまり好きではないのだが)に、歌詞の一部で、「生きている不思議 死んでいく不思議」というフレーズがある。何故だか、この部分だけ妙に心に染み入ってしまい、今後も、ずっと、わたしの中で引きずっていくことになる。
 しかし、そもそも、人間という存在は、一体、何なのであろうか。

 約2ヶ月後、4月25日に、わたしが、JR宝塚脱線事故に遭った。
 そして、丁度、その2ヶ月後の6月25日にPTSDを発症し、少し遅れて軽鬱を併発した。
 日にち薬というものも、なかなか大変なものであった。「のんびり過ごしたら良い」、「何もしなくても良い」というようなお声は頂くには頂くのだが、正確には何も出来ないのであり、ただただ、臥せっているよいうような日々がワンシーズン以上続いた。「のんびりする」のも、苦痛であった。
 時間が経つにつれ、少しずつ動けるようになりはじめ、いまでは、振り子が振れるように、不安定が顔をのぞかせるときがあるくらいまで改善したが、やはり、社会復帰にはまだまだ遠く、身体も心も重い。
 このところの活動量が増すことができたのは、抗鬱剤の量を少し戻した(多くした)ことが、かなり大きかった。それまでは、順調に抗鬱剤を減らせていけていたのだが、ある一定の削減量にまで来ると、急に精神を崩したのだった。この時期に当たった、5月中頃から6月末ぐらいまでは、また、症状が一時期のひどい状態に戻るのではないかと、ものすごく不安があった。また、このときは、眠れない夜が多かった。眠れないと、いつもにもまして不安が顕在化してくる。漠然とした不安が、漠然とした不安を呼ぶ。さらに、それは、同時に、今後のわたしの身の振り方でもあった。こんな不安を、ベットの横まで来て、一緒に寝ながら、聴いてくれたのが、父であった。
 しかし、なんにしろ、今なお、自分のこと、事故のこと、とにかく分からないことだらけだ。

 そして、先月、そんなわたしを心から支えてくれた父が死んだ。突然の事故だった。
 父はわたしを解してくれた。
 しかし、わたしは父を解してあげられなかった。
 未だに、父がいなくなったという事実は、理解は出来ても、心情的に分からない。信じられない。不可思議だ。無常と言わずになんと言おうか。一年前、あれほど、死にたいと言って、自殺までも試みたわたしが、こうして這々の体ででも生きているにも関わらず、父か突然いなくなるなんて、変だ。しかも、わたしを生かしてくれた父が、だ。理不尽の極みだ。
 わたしは、あんな大事故に巻き込まれながらも、運良く軽傷で済んだ。しかし、その横では、百何人の方が亡くなられている。単純に数ではなくて、その亡くなられた人にとっては、それがすべてであったはずだ。単純に、人数の問題ではない。
 中東問題も、世界で起きている様々な紛争でも、(決して軍事的な行動を伴わずとも)ある人が死ぬ。ある人とは誰か。その人は、また別の誰かにとっての、かけがえのない人かもしれない。
 それは、どういうことなのだろうか。
 レバノンから、遠くは慣れた日本でも思ってしまう。政治的、外交的な手段でもって立ち望んだとしても、実際は、ただただ、その自分にとって、または誰かにとってのかけがえのない人が死んでしまったことは変えられない。
 その事実だけは、イデオロギーを超える。
 わたしは、別に説教がしたい訳ではない。ましてや、憲法議論も蚊帳の外だ。
 ただただ、人が死ぬということは、わたしにとっては、理解は出来ても、心情的には分からない事である。距離的や心的距離が関係ないとは言わないが、やはり、人が死ぬとは、どういうことなのだろうと思うと、思考が停止してしまう。これは、わたしの精神年齢が幼いからかもしれない。
 いや、分かりたくないだけかもしれない。
 父が遺体となって家に帰って来たときに、泣いた。
 出棺のときも泣いた。
 遺影に向かって、ただただ、ひとりでしゃべっていたときも、最後には涙が出た。
 かなしいはずなのに、かなしくない。かなしくないのに、涙は出る。本当に、人が死ぬという事は理解していたとしても、心情的には分からない。しかし、涙は心情から流れている。
 実に、わたしは、矛盾した生き物だ。

 父が亡くなってから、もうすぐ1か月経つ。
 わたしは、ただただ、泣き言いたかっただけかもしれない。

 父が亡くなってから、睡眠薬の量が増えた。
 なかなか寝付けないのだ。普段はマイスリー1錠で、これでも眠れないときには、後からサイレースを半錠追加して服用している。しかし、今晩は(もう、明け方になってしまったが)、マイスリー2錠と軽い安定剤、サイレース1錠を順次服用していた。
 しかし、何故か寝付けない。
 結果として、こうして、Macに向かっていた。

2006年07月18日 | ...and all that jazz
梅雨なので当たり前かもしれませんが、悪い天気が続きます。
近くの池も普段より水かさを大幅に増しました。
そのため、暗渠を通って池につながる溝を遡上して、亀が姿を現しました。
外来動物の代表格の一種であるミシシッピアカミミガメ、俗称ミドリガメです。
わたしが小学生の頃は、このように雨が続くと、よく大きなイシガメや、小鮒たちがやって来ていました。
しかし、市をあげての下水システム整備の一環で、暗渠や貯水槽もいじったのかもしれませんが、ここ近年は全く見かけなくなっていました。
しばらくすると、ミドリガメは踵を返し、また池の方へ向かいました。