因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

現代劇作家シリーズ⑧「ハムレットマシーンフェスティバル」より風蝕異人街&劇団7度

2018-04-17 | 舞台

*公式サイトはこちら 4月4日(水)~22日(日)@日暮里/d-倉庫
 連携企画のOM-2、第1クールのサイマル演劇団&隣屋に続き、第3クールの2劇団による上演を観劇した。登場するのは、
劇団風蝕異人街(こしばきこう演出 1)と劇団7(伊藤全記演出 1,2,3,4,5)である。

 前者はハムレットとオフィーリアはもちろん、コロスに加え、埼玉大学ダンス部の有志も登場し、ステージをところ狭しと激しく踊る。台詞よりも舞踏、ダンスというにはアクロバット的なアクションが緩むところなく繰り広げられる。出演者が白足袋を履いていることもあり、能の所作風の動きも多い。力強く繰り返される足踏みの音は次第に呪文めき、鮮やかなグリーンのドレスを着た女優たちの胸元に汗の染みが広がって、演者の熱量が伝わる。途中からTバックだけのほぼ全裸を晒すハムレット役の男優は、贅肉など欠片もない見事なからだつきだ。同じくハムレットを演じ、本作の振付演出を担う三木美智代の動きも素晴らしい。ダンスパフォーマンス風の『ハムレットマシーン』(以下『HM』)と言えばよいだろうか。

 当日リーフレット掲載のこしばきこうの「演出ノート」によれば、本作が作者のハイナー・ミューラーが吐き出したことばの連なりであること、ミューラー自身の光と影としてコロスを、権力として亡霊を登場させたこと、言葉の力より身体の空間描写に力点を置いたとのこと。この「身体の空間描写」という捉え方。なるほどと合点がゆく舞台であった。

  風蝕異人街が「動」ならば、7度は「静」である。舞台中央にパラソルとデッキチェア。傍らの小さなテーブルにはフラワーロックと飲み物の入ったボトルなどが置かれ、リゾート地の風景と思わせる。まだ客電が落ちていないうちから、花嫁のごとく仰々しいまでに白いドレスを纏った女性(山口真由)が小さくつぶやきながら登場、やがてトレーニングウエア姿のもう一人の女性(中山茉莉)がやってくる。ふたりが会話することはない。山口の白いドレス姿からは、昨年冬のこの舞台が否応なく想起される。オフィーリアでもありハムレットでもある。

 対照的な『HM』を一度に鑑賞できたのだが、いずれも表現の強度や繰り返しの度合いがこちらの感覚に対して強すぎたり長すぎたり、リフレインから生まれる劇的感興を味わうというより、「この様相がいつまで続くのか」という不安や疲労を持たざるを得なかった。自分の体力・知力及ばず、残念である。

 これで3月末から5本の『HM』を観劇したことになり、このような体験は人生においてもう二度とないのではないかと思われる。それほど敷居が高く、縁遠いと思い込んでいた作品であった。今回もじゅうぶんに理解できたとは到底言えないのだが、不思議なことに『HM』のテクスト(という言い方は自分にとって馴染まないものであるが)に対して抵抗が薄れ、詳細な注釈とともに繰り返し読んでいるのである。理解が進むというより、自分なりの『HM』への距離の取り方を試行錯誤している段階であり、甚だ心許ない歩みではあるのだが、もしこれから先、『HM』に出会うことができるなら、もっと言葉を聴きたい。

 従来のドラマ形式を解体し、上演困難な作品の一つと言われているが、それは逆に「これが正しい『HM』の上演だ」というお手本も決まりもないということではないか。難解な作品であるという呪縛から解放されたのち、俳優からどんな声が聞こえてくるのか、自分はそれに耳を澄ませ、もっと『HM』に触れたいと思うのである。

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