*谷崎潤一郎原作 伊藤全記構成・演出(1,2,3,4)板橋ビューネ2017サイトはこちら
古今東西さまざまな戯曲を、独自の切り口で斬新な舞台に構築する劇団7度の伊藤全記が、今度は谷崎潤一郎作品を取り上げた。谷崎は生涯に24篇の戯曲を残したが、中でもこの『お國と五平』は上演回数が多い作品とのこと。「潤一郎ラビリンスXVI 戯曲傑作集」(中公文庫)に収録あり、歌舞伎の上演記録を調べるには、歌舞伎 on the webの「歌舞伎公演データベース」が大変便利で、最近では2009年の八月納涼歌舞伎で上演されている。
徳川時代、夕暮れの那須野ケ原。登場人物は、亡き夫の仇討ちの旅をするお國と従者の五平、今は虚無僧となった仇の友之丞の3人である。赤穂浪士の『忠臣蔵』は仇討ちの成功譚として有名であり、さまざまに劇化されているが、本来仇討ちというものは非常に成功率が低く、それは事が起こって相手が姿をくらました場合、探し当てるのに遺族が大変な労苦を強いられることや、返り討ちにあう可能性が高い故とのこと。これは7度観劇の数日後、国立劇場で十五代目片岡仁左衛門主演の通し狂言『霊験亀山鉾』に足を運んだ際、改めて実感したことである。
増して『お國と五平』は、仇討ちに男女の愛憎が絡んでいっそう厄介な話になっており、主君への忠義を全うするための仇討ちとは異なる様相を呈する。
開場したサブテレニアンには、(たしか)バッハの「ゴルドベルク変奏曲」が静かに流れている。舞台中央には平台がひとつ、その左寄りに小さな台があり、小さなしゃれこうべがひとつ、ピアノ線のようなもので吊り下げられている。観劇前のさまざまな想像を拒否するほど、シンプルで鋭い、ただならぬ空気がある。
と、そこに流れてきたのは植木等の「スーダラ節」である。ただし植木の歌がベタに流れるのではなく、メロディをあまりうるさくなく聞かせるバージョンだ。現れたのは裃をつけたひとりの女(山口真由)だ。このしゃれこうべは仇討ちで死んだ自分、つまり友之丞が舞台の軸となって、物語を語って聞かせるという趣向である。山口は堂々とした立ち姿で、あたかも女弁士のごとく余裕すら感じさせて、この愛憎劇を語り聞かせる。おお、そうきたか、7度の伊藤全記。
この日は終演後にトークショーがあり、俳優・演出家の金世一と伊藤が対談を行った。そこで、7度の『お國と五平』は2016年利賀演劇人コンクールで初演され、韓国公演が予定されていたが叶わず、今回の板橋ビューネ2017に新演出で再演の運びになったことを聞いた。金世一は韓国で演劇活動をしていたが、2003年から早稲田大学大学院、東京大学で歌舞伎などの日本演劇を学んでおり、日本の戯曲の韓国語上演にあたって、戯曲の翻訳も手掛けているとのこと。このトークショーは急遽決まったものらしかったが、戯曲の翻訳と、字幕の制作がまったく同じ作業ではないことや、自分の母語ではない作品を上演することについてなど、興味深い話が多く聞けた。
今回の『お國と五平』は時代劇であり、日本人作家が日本語で書いてはいても、現代の感覚からすれば遠い異国の物語かもしれず、作品を咀嚼し、舞台に乗せるまでには試行錯誤があるだろう。伊藤によれば、上演にあたって、知り合いの小説家に友之丞の台詞を現代語にしてもらったところ、非常に嫌な男の台詞になったそうである。
人妻に横恋慕し、未練たっぷり。逃げ回りながら彼女とそのお伴を付け回す情けない仇と、妻のほうも決して清廉潔白ではなく、夫の部下と情を交わし合うばかりか、当の仇に身を任せた過去があり、3人とも立派なことは言えない。うっかりすると非常に陳腐な痴情のもつれに陥る話なのである。
利賀での初演は、原作とは異なる結末であったが、新演出では物語の流れは変えなかったとのこと。お國と五平のこしらえ(衣裳、動き含めて)は相当に形式化されており、山口演じる「女・友之丞」が軸となって物語を牽引する。
終幕、仇討ちを果たしたお國と五平は正式に夫婦となり、つましい膳に向き合う。しかしあまり幸せそうに見えず、無味乾燥な日々を送る現代の若夫婦を投影しているようでもある。友之丞は美空ひばりの「剣ひとすじ」をバックに物語を締めくくり、ほんとうの勝者はどちらなのか、いよいよわからなくなるのであった。
これから『お國と五平』の上演があれば、歌舞伎でも新派でもぜひ足を運びたい。そのときこの日の7度の舞台のイメージは、「正当な」上演の観劇に際しては、もしかすると、ある意味で妨げになる可能性もある。しかしその妨げすら楽しめることができるのではないか。7度の舞台は観客を原作や既存の舞台の固定イメージから、観客を解き放ち、ニュートラルにする効用があるのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます