”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話・・・ゴルフ編(07-12)

2007年08月25日 21時39分45秒 | 趣味
8月25日(土)晴
今日も暑かったですね。この暑い中僕はゴルフで犬山カンツリーに行ってきました。そして汗だくになりながら僕の自己ベストを更新。もちろん目標の100切り達成です。今年は3回100を切ることを目標に、師匠の”たっくん”に教わり、練習場もこの半年週3回以上通い、週刊パーゴルフを読みながらいろいろな打ち方を試してきました。ところが4月下旬に第1回の100切りを達成して以来、切れそうで切れない壁となっていたのが嘘のようにあっさり達成し、しかも僕の自己ベストの95でした。ゴルフのうまい方にとってはたいしたことないことでしょうが自分にとっては信じられないような格別の意味があります。
昨年春に骨折して半年近くゴルフもできず、秋に再開した時は肩が痛くて思うように振れず、もともと付き合い程度にしかやっていなかった自分にとっては止めてもよかったのですが、もう一度初心に戻り基本からやり直してみることを決意したのです。ところがなかなか教わったようにうまくできず、それでも真剣に教えてくれる師匠の”たっくん”にも申し訳ない状態でした。でもやっと自分の理想に近いゴルフが前半も後半もできました。前半46、後半49は僕にとっては信じられないような進化でした。
ちょっと振り返ってみると、前半スタート3ホールはトリ、ダボ、ボギーといつものパターンでしたが4ホール目のショートでニアピンのパーでリズムに乗り、次のロングホールでドラコンをとり、3オンしたあとの7mぐらいのパットを一発で沈めバーディー、6ホール目はダボでしたが続くあがり3ホールはすべてボギーでまわりトータル46でした。反省点は3パットが3ホールあったのとドライバーで1回左に引っ掛けたミスショットがあったぐらいでした。
後半は100切りを意識して、ビールは飲まずに食事も軽めのものにし臨みました。暑い中ではありましたが最初の2ホールはロング、ミドルをパー、パーと好発進。ところが3ホール目からバンカーにつかまりだしてピンチの連続でした。3ホール目はなんとか一発で出して3パットはしたもののダボでまとめたのですが、4ホール目のショートでは一発で出なくて2発目で出すだけ結局4オン2パットのトリ、5ホール目のミドルは縦に2つ並んだバンカーの手前に第2打を入れ3打目は並んだ次のバンカーに入れ4オン2パットのダボと苦しい展開と暑さで半グロッキー状態でした。次のショートの前に茶店で一服、ここで流れを変えることができました。6ホール目のショートはニアピンにはならなかったものの1オン、3パットでボギーにはなってしまいましたがまぁまぁ。7ホール目のロングはミスなく3オン2パットのパーでなんとかベストスコアが見えてきました。そう言う計算のあとは大概、落とし穴があるものなのですが8ホール目のドライバーが今日初めての痛恨のOB、結局あがってみれば最悪の+4の8です。最終ホールはボギーをとらなければ40台は無理と言う切羽詰ったところで、しかも440Yの一番長いミドルでした。ところがドライバーもバフィーもナイスショットで2オンにはちょっと足りませんでしたが楽勝の3オン、パーパットは5cmほど外してしまいましたがボギーでなんとか49で収めました。
終ってみればバーディー1、パー4、ボギー6、ダボ4、トリ2、+4が1でトータル+23で95です。
疲れたけど気分のよいコンペでした。いっしょにラウンドしていただいたT社のOさん、M協会のKさんありがとうございました。そしていつも熱心にアドバイスをしてくれる師匠の”たっくん”ありがとう。まだ目標達成はしていないけど、今迄の努力が報われそうな予感がした1日でした。
ここまでたわいもない話に付き合っていただいた読者のみなさんありがとうございます。
僕はゴルフが下手だけど、いろんな方にアドバイスをもらいながら週に3回以上は練習場に通い自分が打ちやすいスイングを見つけようと努力してます。多分目標達成まで続けることになると思います。
仕事もヨットも何でも同じだと思いますが、自分は具体的な目標を持って日々努力を重ね常に自分の進化をチェックして軌道修正ができれば必ず希望はかなうものだと信じています。そして生きている以上、常に人生の目標を創りながら自分のできる精一杯の努力をしていくことがよりよい人生を作るものだと思います。
自分の決めた目標に向けて日々努力する姿は、一時的には理解してもらいにくいものですが、最後にはきっと花が咲くにちがいありません。そして世の中で一番”かっこいい”生き方だと最近思うようになりました。目先の容姿端麗じゃなくて、人がそれぞれの希望や目標に向かって努力し続ける”かっこよさ”を世の中の多くの人たちが理解するようになったらこの国は阿部さんの言う美しい国ニッポンにずっと近づくような気もするのですがどうでしょうか?
まぁ自分も偉そうなことは言えませんが、自分が目指すものに向けて報われないかもしれないけど、泥水の中を精一杯努力して行きたいと思います。
読んでいただいた皆さんももし同感であれば、最後まで頑張り抜いてください。きっといいことあるはずです。
HPも更新しました。http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/
それではまた
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しんさんのよもやま話

2007年08月20日 08時09分01秒 | Weblog
8月20日(月)多分晴
15日の午後からの夏休みも今日が最後となってしまいました。今年は炎天下の中、ヨットで釣りに行き、二日連続でゴルフと夏の日差しを堪能しましたよ。昨日家でゆっくりしたけどまだ疲れがとれません。やはり年齢を考えた休暇にしないといけないけど、いきがかりでそうなってしまいました。でも自分もまだまだ体力はあるものと少し感心してます。
16日はヨットで佐久島周辺に行きました。結局Ya氏と二人だけになり、アジはダメでキスを10匹ほどで汗だらけで帰ってきました。17日のゴルフBBQには提供できるほどの成果はなく疲れただけでした。
17日からは美濃白川でゴルフと言うことで朝6時に起き、魚市場で前日の釣果の穴埋めをと思い立ち寄ったのですが市場は休みで、手ぶらでゴルフ場へ。2時間近くかけて飛騨川を登り美濃白川に行きました。川を見ながらのドライブは涼しく感じるものなのですね。でもゴルフ場に着いてからはまたもや暑さとの戦いです。最初はまだしも8、9番ホールでフラフラ、11、8とたたき結局ハーフ60と最悪となってしまいました。後半少し慣れてなんとか52でまわりましたが、トータル112とライオンでした。その晩はゴルフ場のロッジでBBQ。飛騨牛のロース、カルビにホルモン、うまかったですよ。特にホルモンは最高でした。飲んで食って騒いで久しぶりに楽しい一時でした。山の上のロッジからの空は満天の星、北斗七星、北極星、カシオペア、天の川、久しぶりにこんなに星があることを実感しました。流れ星もいくつか。風は涼しいし、山も”いいな”と思います。僕はここ数年、海中心の活動をしているのでたまには山に行きたいなと思いました。
翌18日も早朝からゴルフ。三日目の炎天下です。どうしても集中力がなくなる時があって、前半またもや59と出遅れ、後半少し持ち直して51でしたが、トータル110とやっぱりライオンでした。
とにかく三日間楽しく遊べたことがなによりの収穫でした。初対面のみんなとも楽しく話せてよかったです。年をとってくると自分の仲間内でしか遊ばなくなる傾向が強いけど、いつも新しい出会いは大切にしたいものです。友達の友達はみな友達とはよく言ったものですね。僕にはいつも新しい出会いを演出してくれる仲間がいることに感謝しなくてはとつくづく思いました。
今日は最後の休みです。ゆっくり温泉にでも浸かって元気を取り戻します。
それからホームページも少し追加したいと思います。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(126)

2007年08月15日 22時42分53秒 | ビジネス

8月15日(水)晴
相変わらず暑い日が続きます。明日から休みに入ります。明日はヨットと魚釣り、あさってから一泊二日のゴルフと3日連続太陽の下で遊びまくります。でも家内は僕の年齢を考えたら、やりすぎだと一応心配してくれています。実は僕も心配してます。まさかこんなに暑い日ばかりとは思っていなかったので。とりあえずマイペースで夏休みを頑張ります。
と言うことで前回のビジネス編の続きの「中庸」の解釈をしていきます。

孔子の説く「道」は人間が生まれながらにして持っている偏りのない心で行うことにより達することができるのであるが、人間の持つ喜怒哀楽や欲望によりなかなか実現しがたいものです。
この「中庸」の道に達するためには三つの徳が必要であることを前回書きました。いわゆる三達徳のことです。「智」「仁」「勇」のことでした。
今日はそのあとからです。

道は天性に従うものであるからして、常に人から遠いところにあるものではない。己の真心を尽くし(これを忠と言う)思いやり深く行う(これを恕と言う)により道から離れることはない。
君子の道は四つある。第一に我が子にかくあってほしいと思う心を持って我が父に仕えなさい。第二は我が臣にかくあってほしいと望む心を持って我が君に仕えなさい。第三は我が弟にかくあってほしいと思う心で我が兄に仕えなさい。第四に我が朋友にかくあってほしいと望む心を持って自分から先に実行しなさい。
君子たる者、日常なすべき徳を実行し、言うべきことを謹みて言う努力をしていれば、言い過ぎることもなく、自分の行いは平素の言動にかない、篤実でないわけがないのである。
君子の道はその位を本来の持前として、それに適した行為をし、天命の至るを待ちそれ以外は求めないことである。上位にある時は下の者を凌ぎ辱めることがないようにし、下位にある時は上にすがって出世を求めることもなく、ただ我が身を正しくして他人に求めることがなければ自然と人を恨むことはないものである。
道の効用は広いものである。たとえば舜の徳は聖人であり、尊さは天子でありその富は四海に及び子孫は長くその禄位を得ている。すなわち「大徳あるものは必ずその位置を得、必ず禄利を得、必ず名誉を得、必ず寿命を得るものである。」
周の文王や武王も先祖を敬い、礼節を重んじたので永くそ位置を得たのである。
天下古今を問わずよるべき「道」は五、この達道を行うゆえんのもの三、そしてこれを行うゆえんの根本となるのは一つ「誠」である。
すなわち「智」「仁」「勇」の三達徳を持って「道」に達するために行うことは五つある。一つ君臣、二つ父子、三つ夫婦、四つ昆弟、五つ朋友の交わり。これを五達道と言う。
三達徳を持って五達道を行うのは種々の手段があるがその根本はただ一つである。もし誠がなければ徳も真の徳とは言えず、従って道を行うことはできない。

今日は此処までです。やっと「中庸」の核心である「誠」がでてきました。すべてが誠の心を持って徳を施すことが儒教の出発点です。そして智・仁・勇を兼ね備えて五つの道すなわち君臣、父子、夫婦、昆弟、朋友の交わりを行うことが君子としてあるべき姿だと言っているのだと思います。あとは九経について解釈すればほぼ中庸の言わんとしていることは完了です。
次回はヨット・ゴルフ三昧のあとまとめを含めて最後にしたいと思います。
それにしてもうすっぺらな本なのに重たい本でした。意味を理解しようと何回も下書きして書いてますがまだまだ自分は未熟者であることを思い知らされてます。
未熟な解釈を読んでいただきありがとうございます。
これからもさらに修己していきます。
今から休みモードに入ります。

 

 

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しんさんのよもやま話

2007年08月12日 21時22分39秒 | Weblog
8月12日(日)晴
毎日暑い日が続きます。とてもヨットもゴルフもできるような状態ではありません。この土日はまったく行動的活動ゼロでした。
家で録画だけしてあったドラマをみたり、漫画を読んだりとPに涼みに行く毎日でした。
ドラマは「さくら署の女たち」をまとめて3本。僕は高島礼子やとよた真帆や真野あずさが好きなので録画しておくよう頼んでいたものです。ここらへんが僕が材木屋と呼ばれるところかもしれません。木(気)が多いってことですかね。
漫画はいろいろ読んでますよ。「ゴルゴ13」は106巻目になりました。国際情勢を背景に裏側からハードボイルドに描くところがいいですよね。文庫で147までいくそうです。最近は月に1冊なので完読まではまだ3年以上かかるということですかね。
もう一つ好きな漫画が「海皇紀」です。もう32巻まできました。こちらは3ヶ月に1冊なのでまだまだです。海の一族の影船と言う帆船が僕のお気に入りなのですが、特に主人公のファン・ガンマ・ビゼンが乗る影8番艦は最高にかっこいいですよ。大阪市が所有する「あこがれ」と言うトップスル・スクーナーの帆船がモデルと言われています。特に切り上がり性能が抜群の帆船です。これに対し日本丸(日本を代表する帆船)はバーク型帆船と呼ばれ、セールを上げた時の美しさでは最高です。横帆中心の船なので切り上がり性能は落ちますがアビームからクォーターリーでのスピードはすごいです。帆船での戦いには船の用語がいっぱい出てくるので知らない人にはチンプンカンプンかもしれませんが、物語としてもおもしろいと思います。
今凝っているのは滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の漫画版です。江戸時代の儒教思想を取り入れ鎌倉・室町末期の戦乱の世を舞台に選んだからこそできる怨霊・妖怪も登場して結構楽しめる小説ですよ。日本人にもすばらしい発想の持ち主がいたのかと思うとなかなかです。
今日は取り留めのない話をしました。
次はちゃんと「中庸」解釈をつづけますよ。
ではまた。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(125)

2007年08月08日 23時48分39秒 | ビジネス

8月8日(水)晴
ちょっと飲んできたので遅くなってしまったけど、一応書こうとと思ったことはメモしてあるので、この前の続きの「中庸」について解釈してみたいと思います。

前回は首章を解釈しましたが、復習すると以下のような話でした。

天から授かった生まれながら人が持っている正しい心に従って行うのが「道」であり、道を修得するために、「教え」がある。喜怒哀楽の感情が起こる前の、いずれにも偏らない精神状態(「中」)で、節度のある正しい行いができること(「和」)を以って、万物が存在することができる。

と言うようなことでした。この後の二章~十二章は「道」に至るために、最初に備えるべき三つの徳を説いています。いわゆる三達徳のことです。「知」・「仁」・「勇」のことです。
ここは僕の意訳だけで行きます。

「道」は本来、人間が生まれながらにして具備しているものであるが、なかなか行われないのは人が欲望におぼれやすく、それを忌み嫌うことがないからである。正しい心に従って行うことは、知者や賢者にとっては当たり前すぎて物足りなく感じるし、愚者や不肖者は知識がないので「道」を行う方法を知らないからである。それ故道はなかなか行われないのである。

舜(中国古代の名君)は偉大な知者である。しかも自分の知識を振り回すことなく、人に質問して聞くことができ、その真意を察することができる。意見の中に悪があれば、それを隠して表に出さぬようにし、善があればほめたてて、わかるようにする。意見が両極端にあれば中庸にかなうものを用いて治めた。これが舜の知者たる所以である。しかるに多くの人は知があると言っても、本当に知があるならばよく中庸を択んで、固く守り自分のものにしなければならないけどそうではないのである。

顔回(孔子の弟子)と言う人物は、ことの善悪・可不及をよくわきまえ、中庸をつかんでいる。もし一善を得れば、これを大切に捧げ持ち失うことのないようする人である。いわゆる仁の人である。
識見のある人は天下国家をも治めることができる。また廉潔な人は爵禄をも辞退することができる。勇気ある人は白刃を踏むことをも恐れない。これらの一つ一つは難しいと言ってもできないことはないけれども、中庸を得るにはこれらを併せ持ち、人徳の極地に至り、私欲の念をなくさなければならない。

子路(孔子の弟子)が「強」について問いただしたことがあった。孔子は強には三種類あることを言った。一つは「南方の強」 気質が柔弱な南方の人は忍耐の力に勝り、我慢の「強」である。もう一つは「北方の強」 血気さかんな北方の人は勇敢さに勝り、力の「強」である。そして最後の強は「汝が行うべき強」である。すなわち人と相和すれども流れて節を失うことがない、真の「強」である。中立していずれにも偏らず、富貴であっても酒色に溺れることなく、苦境にあっても正しい節度を守り続けられるのが本当の強である。これは勇の心がないとできないのである。

以上述べた「知」・「仁」・「勇」の三つの徳を備えることが「中庸」に達する条件である。

ここまでです。なかなか中庸に至る道も我々俗人には遠い道です。自分はこの年になっても未だ未熟者ですから偉そうなことは言えませんが、昨今の政治家?諸氏には君子の道を十分勉強してほしいものです。江戸時代の武士は厳しく鍛えられた人たちが政治の中枢にいたことを考えるとわが国の現在の政治指導者達の精神レベルの低さは歴史の中では異常と言うしかありません。我々民間人よりも節度を知らず、我々民間人より富貴のくせに私欲が強いように思えてならないのですがいったいどうしたものかと思います。
国民を代表する君子であるべき存在がそうでないとしたら、我々一般人それ以下なのかもしれないですね。自分もなかなか悟りが開けないので人を云々する資格はないですね。
それではおやすみなさい。

 

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しんさんのよもやま話・・・ヨット編(07-12)

2007年08月05日 18時26分30秒 | 趣味
8月5日(日)晴
本当に夏本番になりました。今日は10時すぎにハーバーに着くと駐車場がほとんど空いてないくらい人が出ていたようです。僕は整備デーなので相棒のY君と二人だけで普段できない仕事を一杯やってきました。まずビルジを汲み出し汗びっしょりになり、次に船内の整理で空き瓶やらゴミを出して、先週から止まっていた船内据付の時計を動くようにしして、置いてあった生ぬるいお茶で一服。それからメインセールをはずして水洗いに悪戦苦闘。今日は停泊場所のスターン方向の風なので洗ったあとセールをあげて乾かすことができないので桟橋とヨットの間に広げロープで3点を固定して乾かすことにしました。セールを乾かしている間に、船体に付いたフジツボをボートフックで擦り落し、そのあとはデッキの水洗いです。デッキブラシとカーシャンプーで汚くなった所を重点的にブラシがけしました。汗はたらたら、のどはカラカラ、体はノロノロ、大変でした。なんとかブラシがけが終ったのが12時半。セールはバッチリ乾いているのでまたセールを船に付けて、キチッとたたみながら収納して一段落でした。1時すぎて、とにかくのどがからからなのでフリードリンク付きのランチ(カレーライス)をとりながら、すごい水分補強をしました。オレンジジュース、ウーロン茶、アイスティー各一杯、りんごジュース2杯、水3杯とにかくいくら飲んでも飲めるくらい汗をかいたということです。食事を終えて船に戻り、今度はキャビンのぞうきんがけをし、汗びっしょりのTシャツを着替え、最後にメインセールのカバー、船体のオーニングを付け、ゴミを持って、水道栓をハーバー事務所に返して、何とか終りました。
独りだと多分途中で止めていたと思いますが、今日はY君がいっしょなので頑張ってできたかもしれません。仕事もそうですが共に頑張れる仲間がいると言うことは励みになることも多いものです。ただし、いいかげんな仲間だと逆のケースもあるので、友を選ぶことはすごく大事だと僕は思います。ただ自分が真剣にやっていれば、集まってくる友もそうなることが多いものです。とかく人は楽なことや、華やかのものに目が行きがちですがきちっと自分の意思や信念を作っていければ、バランスの良い交友関係ができるような気がします。
今日はここまでですが、先週のヨットで僕の仕事の仲間達が岸壁から望遠レンズを駆使していっぱい写真を撮ってもらいました。あとD社のWさんにも撮ってもらいました。
なかなか夏の天気は霞がかるので難しいのですがさすがでしたね。
ホームページにもいくつか掲載しますのでまたお暇な時に是非ごらん下さい。
URL:http://www3.ocn.ne.jp/~leia1755/38.html
ブログにはその中の一枚を巻頭に載せました。
僕の船のセールをあげて帆走している写真は自分が撮れないのですごく貴重です。
それではごきげんよう。
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しんさんのよもやま話・・・ビジネス編(124)

2007年08月01日 23時29分02秒 | ビジネス

8月1日(水)晴
梅雨が明けたかと思えばもう8月です。夏は日本人にとってはいろいろ楽しい思い出の多い月ですよね。夏祭り・花火大会・海水浴・盆踊りの各種行事とスイカ・アイスキャンディー・トマト・キュウリ・とうもろこしと言った夏の食べ物にみんな思い出があると思います。
さて今日は先週の約束どおり「中庸」の解説をしていきたいと思います。
少し復習です。「中庸」の「中」とは過ぎたるもなく、及ばざるもなく、いずれに偏ることもない、まさに一番正しい心の状態を言います。また「庸」とは万世にわたって変わることのなく保ちつづけることを言います。従って「中庸」とはいずれかに偏った判断をすることもなく常に正しい心を万世までも保ち続けるための教えを説いたものです。
「中庸」は孔子の孫弟子にあたる子思が記したと言われており、宋の時代に朱子(朱熹)が整理・補足して儒学体系として四書五経の中の一つとして世に知られるようになったものです。
これらの書物が江戸時代に日本に入ってきて、朱子学としてさかんに研究され、日本的な考え方も加味して「武士道」なるものが完成したと僕は考えています。
さてこの「中庸」は第一章で全てを総括して言い、2章~32章で細かく紐解きをして、最後にまとめると言う形をとっているのでまず第一章はよく意味がわからずともきちんと読んでおくことです。
ではその一章とは

天の命ずるをこれ「性」と謂い、「性」にしたがうをこれ「道」と謂い、「道」を修むるをこれ「教え」と謂う。

(人が生まれつき先天的に持っている心を「性」と言い、この天性、自然に従った行いを「道」と言い、この自然に従った天道・人道を修め極め天下の法則としたものを「教え」と言う。)

道は須臾(しゅゆ)も離る可からざるなり。離なるべきは道に非ざるなり、是の故に君子その見ざる所を戒心し、その聞かざる所を恐懼(きょうく)す。隠れたるより見るるは莫く、微かなるより顕なるは莫し、是の故に君子は独り慎むなり。

(道は自然に備わった天性に従うものであるからいか時も離れることはない。もし離れるものがあればそれは道とは言わない。それ故君子たるもの目に見えない所もあることを戒め慎み、耳に聞こえない所があることを恐れ慎むのである。隠れているものは見えることがないけどやがては露見するものであり、また微細なことは顕著のなることはないが、いずれ外に影響を与えるものである。それ故君子は人の知らないことについても自分独り慎むのである。)

喜怒哀楽の未だ発せざる、これを「中」と謂う。発して皆、節に中(あた)る、これを「和」と謂う。「中」は天下の大本なり。和は天下の達道なり。「中」「和」を致して、天地位し、万物育す。

(喜怒哀楽がまだ発していない渾然とした精神の状態を「中」と言う。この状態の時は生まれたままのどちらにも偏りがない自然の状態です。それが喜怒哀楽の感情が起こると、皆当然の節にかなうのは情の正しさを持って過ぎたるも及ばざるもない状態にすることを「和(か)」と言う。「中」はすべての物の根本となるものである。「和(か)」は情の正しさ、道の方法であり、天下の達道である。「中」と「和」を推し極めることができれば、家・国・天下は安定し、人も物もその生を遂げることができるのである。)

以上が子思が孔子から伝えられた教えの趣意を述べたものである。初めに道の根元が天より出でて、一定不易のものであり、生まれながらにして自己に備わっているもので離れることのできないものであることを明らかにし、次に見えざる、聞こえざる所を独り慎むこと(存養省察)を言い、最後に「中」「和」を推し極めて全てのものが生を遂げることができる(聖神功化)と言っている。この点について儒教を学ぶ者が自分の身によく自覚して、体得し、外界の誘惑に迷うような私欲を去って、善を充実することを願っている。この章は「中庸」全編の意義を総括して、要旨を述べたものである。これ以下の10章はは孔子の言を引用してこの章の意義を補足的に述べたものである。

ここまでが第1章です。今日はここ迄です。次回は孔子の言の引用から参考になる部分をとりながら三達徳、五達道、九経等儒学で言う道の詳細をみていくことにします。

結構疲れます。ここまで読んでくれた人ありがとうございます。
それではおやすみなさい。

それから先週土曜のヨットの写真ができてきました。次回にでも紹介します。

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