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「その犬の歩むところ」 犬の物語なのだが、アメリカが語られている

2017年08月21日 | もう一冊読んでみた
その犬の歩むところ/ボストン・テラン  2017.8.21

ボストン・テランの 『その犬の歩むところ』 を読みました。
犬の物語なのだが、アメリカの社会、文化、文学、音楽、自然、そして帰還兵の話でもあります。
訳者あとがきは、その内容を的確に説明しています。

 本書で描かれているのはモノではなくアメリカの名もなき人々の心の豊かさだ。その豊かな心を犬とも人とも共有し、与え合うことの尊さ、美しさ。作者が訴えたかったのはそれだろう。そのことはなにより ”ギブ” という命名に明白に示されている。

その他に、訳者あとがきは、ボストン・テラン本人についても興味深い話を紹介しています。

物語は、哲学的、瞑想的に語られる部分も随所にみられ、最後は、こんな文章で閉じられます。

 犬にまつわる伝説は数かぎりなくある。神話に登場する彼らについて書かれた本も無数にある。彼らなしに完結する文化など地上にはない。
 そんな中、ひとつこんな言い伝えがある。天地創造に際して神は地上をふたつに分けた。そのために底知れぬ深淵が掘られ、その一方の地上には人間、もう一方の地上にはそれ以外のすべての生きものが住まわせられた。ところが、深い溝が広がるのを見て、犬はその溝を跳んだ。
人間と同じ地上に住むために。
 その瞬間、その行為において、犬は神が人間として考えた創造物のすべてになった。なぜなら犬がその溝を越えたのは、人間を愛し、人間が求める近親者になりたかったからだ。人間の善良さとともに歩む善良さを自らにも求めたからだ。
 しかし、それは反逆の行為であり、その犬の跳躍が自ずと示しているのは、神が人に求めたすべての一部に反逆があったということだ。反逆には反逆の場所があり、知恵や、思慮分別や、慈愛と同様、反逆もまた天賦のものだ。そしてそれこそ----自分は何者になり、何者にならないか、自由に選ぶ力こそ----神が創造したエッセンス中のエッセンスだ。さて、人は底知れぬ深淵を跳んだ生きものに値いする生きものたれるや否や。


心ときめく愛の行為についても述べている。

 若さというものを一度でも手に入れたことがある者なら、誰でもそういう最初のキスを知っている。自分の人生の歴史と心が否応なく結びつけられることが感じられる相手とのキスだ。
それは若さの恵みのひとつであり、重力の力で体のあらゆる部分を盗む。体の中身をすべて外に抜き出して、それをどこかに消し去ってしまう。

 「要するにお互い一目惚れだったわけ。だから、すぐにふたりだけの計画を立てた。わたしは学校の先生になって、彼はレストランかコーヒーショップを経営して、子供をたくさんつくって……彼は自分がやると言ったことを全部やった。でも、それをわたしの従妹とやったのよ。
その従妹と駆け落ちをして結婚をしたの」
「初めて聞いたわ」
「だから今話してるのよ。わたしは打ちひしがれた。母には”憂鬱の女王”って名づけられた。」


これには、クスリとしてしまうでしょ。

でも、これから先は少し難解です。ぼくには理解できないところもあります。

 闘犬場で闘わせられ、粗暴な獣に変えられてしまったことでもない。眼がくらむような憎しみに心ならずも圧倒されたことが辛かったのでもない。愛のなかったことがなにより辛かった。誰にとっても何者でもないということは、自分が無だということだ。生きものは何者でもなくなると、骨肉が剥き出しになる。生きることが耐えられなくなる。

 ルーシーのほうはバックミラー越しにイアンを見つづけた。愛するイアン、やさしさのわたしのポートレート。愛は謎も真実も超え、自らを十全的に所有することだ。肉体の接触でさえ愛を完全には取り囲めない。愛とは渇きを圧倒し、すべてを決するものだ。

 ヒューズを救えなかったという思いはずっと彼につきまとっていた。真偽の定かではない心の過ちに対処する方法はただひとつしかなく、それは人間の限界、人間の真の広がりを明示する限界線を超えている。自分はすべてではなく、すべての一部であることを理解すること。それは結果を求める人間の限界と折り合いをつけ、しかも結果と一体になれることを意味する。
人の人生すべてに射す影がある。人は愛する者を抱きしめるようにその影も抱きしめなければならない。
 そうした影、そうした過ち、そうした限界こそ人間の能力の指針であり、それらを受け入れれば、それらは人を常に広がりつづける存在へと導く。このことを理解すべきだ。
 このことこそ最も大切な地上に生きとし生けるものの福音だからだ。

 おまえは決して孤独ではない。太陽の最も黒く最も深いところにいてさえ孤独ではない。生ける心はすべて順番を待つ血族だ。孤独なものすべてに友がいる。絶望として知られる荒涼とした空間を渡って、おまえのところにやってくる友がいる。苦悩するあらゆる心に答がある。生きている空と天国を備えた完全無欠な答がある。

 「わたしたちは人として奇蹟を祈ります。自分たちの慕らしがよくなるように奇蹟が起こることを願います。今の暮らしを変えてくださいって。今の暮らしに変化をもたらしてくださいって。わたしたちの苦しみを和らげて下さいって。でも……自分たち自身が奇跡にならなければ、なによりすばらしい暮らしなどとうてい望めません」


そして、夢について。

 途方もない約束と永劫不滅の夢がその短いことばの中に含まれていた。彼の心がなくしたものは夢だった。夢とは常になくてはならないものだ。そして、どんなドラマにおいてもその核となるものだ。なぜなら、夢こそこの物質的な世界を人生の正しい場所に返してくれるものだからだ。

 「お巡りとして、これは経験から言えることだ。人生というのは運命に彩られたものだよ。おふくろはこんなことをよく言ってた、”運命というのはあれこれ選択をするのに忙しくしてるときに起こるものだ”って。それと」とレイファーは言った。「あんたには夢がある」
 そのことばは……
 「夢って誰にもなきやいけないものですよ」とディーンは言った。

 夢はしばしば生きて傷つき、そのためにこそ理解も同情もできる人間を必要とする。忘れ去られた希望の箱の中をのぞいて、そこに世界を見いだせる人間を。
 元アメリカ海兵隊三等軍曹ディーン・ヒコックは、自分が探していた夢のほうがすでに彼を見つけていることには、まだ充分気づいていなかった。


犬のことを言っているのだが、ぼくはアメリカ南部の黒人奴隷のことかと連想してしまった。

 おまえをおれの力でひざまずかせてやる。なぜならおれは人間で、聖なるものの顕現だからだ。だからおれにはおまえを買うことができ、売ることができ、叩くことができ、食いものにすることができ、おまえを破壊することもできる。おまえには雨のひとしずくほどの値打ちもない。この世にごまんとある雨のひとしずくほどの値打ちもな。

犬の物語だが、アメリカが語られている。
この小説の雰囲気をあなたに伝えたくて、ながいながい引用になってしまいました。
もし気に入ったところがあれば、手にとってご一読下さい。

もう一度、訳者あとがきより一言。

  一風変わった小説である。
  いい小説だ。すがすがしい小説だ。


 『 その犬の歩むところ/ボストン・テラン/田口俊樹訳訳/文春文庫 』

コメント
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