大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

徳川御三家筆頭・尾張公の居城「名古屋城」見聞録

2011年11月21日 11時35分59秒 | 地方の歴史散策・名古屋城
お江戸の街には尾張徳川家に所縁のある場所が幾つか残っています。尾張家の上屋敷があった場所は現在の防衛省がある市ヶ谷の高台。それに中屋敷があった場所は四谷の紀尾井町という地名に紀伊、尾張、井伊の頭文字をとって残っています。そんなことで尾張徳川家は江戸っ子である私にとって身近な存在であることで、今回は尾張徳川家の居城である名古屋城をゆっくりと見学することにしました。

名古屋城天守閣

神君家康公が普請した城の中でも江戸城に次ぐ名城として名高い名古屋城は濃尾平野を見下ろす高台に堂々とした姿で聳え立っています。惜しむべくは、オリジナルが先の大戦で焼失してしまいましたが、再建された天守閣にはかつての豪壮華麗な姿が蘇っています。

名古屋城石柱
名古屋城正門

登城ルートは現在の正門から入城することとしました。この門も戦災で消失したため再建されたものです。正門脇のチケット売り場で入場券(大人500円)を購入し入城。正門の櫓下に尾張初代藩主である義直公と正室の菊人形が展示されていました。

義直公と正室の菊人形

正門をくぐるとそこはかつての西の丸御殿があった場所。ここから天守閣の直下へと続く内濠沿いの小道を進みます。歩を進めていくにつれて五層の天守が覆いかぶさるように間近に迫ってきます。澄み渡る秋空の下、天守がくっきりと浮かび上がります。

天守遠望
天守閣

天守内部の見学は後回しにして、まずは期間限定で公開されている「西北隅櫓(すみやぐら)」へと向かいます。この西北隅櫓へ向かう途中に、現在復元工事が進められている「本丸御殿」の木材加工場があります。大量の木材をここで加工しているのですが、御殿の梁を造っている様子を見学通路から見ることができました。この工事は2009年に始まり、全ての建物が完成するのは2018年を予定しています。尚、工事は第1期、第2期、第3期と行程が区切られ、その期毎に完成部分を公開する予定です。「平成の大普請」をうたい文句に大復元工事が着々とすすんでいます。完成の暁には是非訪れて見たいものです。

本丸御殿完成画

今回、幸運にも特別公開されている「西北隅櫓」は名古屋城に残る3つの櫓の一つです。3つ共に重要文化財に指定されています。「西北隅櫓」の創建は天守閣が完成する以前の元和5年(1619)のことで、建設には他の建物の古材を転用しています。

西北隅櫓

外観から小天守のような美しい姿をしています。築造当時の原形を今に伝える建物で現在の名古屋城の建物の中では最古の建造物です。屋根が三層、内部が三階の櫓です。内部は予想していたよりも広く、防戦や食料、武器の貯蔵施設として城を守る武士たちが大勢待機するのに十分な広さを持っています。

櫓1階
天井の梁
櫓2階
櫓3階

板張りの床と太い柱そして天井を這う太い梁が長い歴史を感じさせてくれます。最上階からは水を湛える内濠と梢越しに天守閣の美しい姿を眺めることができました。これまで城郭に備えられた隅櫓に登ったことがなかったのですが、内部の造は完全に戦闘用で石落しを間近で見ることができました。

櫓3階から眺める天守

この西北隅櫓がある一帯を「御深井丸」と呼んでいます。この一帯にもう一つ期間限定で特別公開されている建造物があります。それが「乃木倉庫」です。明らかに城郭様式の建造物ではないことがわかります。

乃木倉庫
乃木倉庫正面

実はこの建物は明治初期に旧陸軍省の弾薬庫として建てられたものです。名前の由来から当時、陸軍少佐であった「乃木希典」によって建てられたと言われています。白壁のどっしりとした建物で、いかにも頑丈そうな佇まいを見せています。内部はガランとした感じで何ら飾り気がありません。入り口の扉はなんと三重の鋼鉄製です。

乃木倉庫内部
入口の3重の扉

レンガ造りのこの倉庫は先の大戦の空襲にも耐え、焼失した本丸御殿の襖絵などを避難させておいたため、難を逃れ現在も残っています。新しい本丸御殿が完成したら国宝級の襖絵が今一度御殿を飾ることを期待します。

今回の名古屋城訪問では幸運が重なるもので、さらに特別公開の施設に出くわしました。それは同じく御深井丸の端にある「茶席」です。

茶席

茶席は「書院」「猿面望嶽茶席」「織部堂」「又隠茶席」の四つの庵から構成され、それぞれが趣深い木造建築で侘び寂びの極致といった風情を醸し出しています。各々の庵の名前には由来があり、特に猿面望嶽茶席には信長公の居城であった清須城の古材が柱に使われているとのこと。この柱の節が猿の顔に似ていたことから、秀吉に「汝の顔に良く似ていると」戯れたと言われたことから、このように名付けられたと言います。

茶席への入口
書院
猿面望嶽茶席
猿面望嶽茶席内部
織部堂
織部堂内部

さていよいよ天守閣ですが、数年前に一度ここ名古屋城に訪れたことがあります。その際に天守に登ったのですが内部は各階に展示スペースがあり、さまざまな展示物が置かれていました。確かに見応えはあるのですが今回は割愛させていただきます。

天守下の不明門
天守真下から

天守閣の真下にあたる場所は現在本丸御殿の復元工事のため大きな建屋が占拠しています。建屋内部の見学は月、水、金、土、日、祝日に行われています。今回は残念なことに曜日が合わず見学ができませんでした。

本丸御殿工事建屋

後ろ髪を引かれる思いで、清正石と呼ばれている巨石を見ながら、表ニ之門を抜けて二の丸庭園へと向かいました。その途中に清正公の石曳きの像が立っています。この像が立つ辺りから東南隅櫓(重要文化財)の美しい姿を見ることができます。

東二之門へとつづく石垣
巨大な清正石
東南隅櫓
清正公の石曳きの像

歴史を振り返ると、関ヶ原の戦いで勝利した家康公が慶長14年(1609)に豊臣方への防備として名古屋城の築城を決定し、翌慶長15年から工事が始まりました。ほぼ天下を手中に収めた家康公は豊臣を追い詰めるための策を着々と進めながら、慶長17年に名古屋城を完成させます。そして、尾張藩初代藩主として家康公の九男である義直公が名古屋城に入ります。そして大阪冬の陣、夏の陣を経て徳川の世を盤石なものとし、それ以来、名古屋城は徳川御三家筆頭の尾張公の居城として栄えたのです。



江戸時代を通じて尾張藩からは将軍を輩出することがなかったのですが、将軍家の居城である江戸城に勝るとも劣らない壮麗な城郭と碁盤の目のように整備された美しい城下町がここ名古屋には広がっていたのです。それは御三家筆頭の誇りと名誉がなせるわざだったのではないでしょうか。

豪華絢爛・名古屋城本丸御殿
ただ今、建設中!名古屋城本丸御殿の裏側




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