ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

出家

2010-06-10 | 義経絵巻-芭蕉夢の跡-
兜を取れば、我が子と同じ年頃の若武者で、その死を覚悟した静かな心と凛々しく美しい姿に驚いたのだった。
熊谷「名はなんと申す?」
この時、熊谷はこの若い武将を逃がそうと思っていた。しかし、
若き武将「名乗らずともよい。我が首を取り、我が名を尋ねよ。
この首…そなたにとって(手柄となる)良き首よ…」と、若き武将は自刃した。
熊谷は涙ながらにその首を切り落とした。
ドサッ…首は鈍い音を立てて落ちた。
この時、熊谷の心に、遠く祇園の鐘の音が響いたのかもしれない。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ…[平家物語の冒頭文より]

命の儚さ、諸々の命が消え行く無常さ、平家の栄枯盛衰…この若き武将が平清盛の義父弟の子「平 敦盛(あつもり)」だったと知ったのはすぐ後のことだった。熊谷は我が子と同じ年頃の敦盛の死から「戦の意味」と「世の平安」を考えるようになり、
熊谷「戦で多くの人を殺めてきた…」と、力なく呟いた。
戦の果てに平和を見出すことが出来るのか?
命の行く末に極楽浄土は広がっているのか?
命の重みを考えても、その答えは見つからない。そして、誰も教えてはくれない。
目の前で死んでいく者たちを思い、深く悩み苦しみ、出家の意思を固めた熊谷だった。
それから13年後、浄土宗の開祖「法然(ほうねん)」を師事と仰ぎ、法名「蓮生(れんせい)」として、余生は戦いに散っていった武者たちの弔いの意を込めて念仏を唱え続る日々を送っていた。その師と仰いだ法然もまた武将の子であったそうだ。
戦いとは「平和」に強く憧れを抱くものであり、その思いをより強く深くするものである。
多くの武将たちが信じた軍神 八幡神はそれが分かっていて「この世に平和の象徴 鳩を使わした」のではないだろうか…。
郷は、熊谷から鳩を譲り受けたと同時に「平和への思い」も引き継いだのだった。