通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

仁保島西新開の堤防跡を歩く(その2)

2016年09月27日 | 見て歩き
御幸橋から千田廟公園まで

江戸堤

ブラタモリ 広島編






先日(9月24日)、

NHK総合で放送された『ブラタモリ 広島編』。





番組の中では、

案内人である広島市郷土資料館の学芸員・本田さんによって、

タモリさんが「江戸堤」と命名した干拓堤防跡が紹介された。







この干拓地は「仁保島西新開(にほじまにししんがい)」と呼ばれ、

江戸時代に比治山(ひじやま)の南側から、

海の中にあった仁保島(=今の黄金山(おうごんざん))までを

広島藩の事業として行った干拓地のことなんじゃ。





前回は前振りだけで終わってしもうたが、

今回から3回にわたってこの堤防跡を紹介していきます。





第1回目は、御幸橋(みゆきばし)から

千田廟公園(せんだびょうこうえん)までじゃ。





↓『ブラタモリ』については、こちら↓

「ブラタモリ」NHK





↓広島市郷土資料館については、こちら↓

広島市郷土資料館





御幸橋は、広島に流れる6つの川のひとつで、

東から2番目を流れる京橋川(きょうばしがわ)に架かる橋。





1885年(明治18年)、明治天皇が広島を訪問した時に

この橋を渡ったことから

「御幸橋」という名前になったそうじゃ。





「御幸(みゆき)」、「行幸(ぎょうこう)」いうのは、

天皇が外出すること。











1945年(昭和20年)8月6日、

中國新聞社のカメラマン、故・松重美人(まつしげ よしと)氏が

ここ御幸橋で写真を撮ったので

橋の西詰め南側にモニュメントが設置してある。





この写真は

広島に原爆が投下された当日、

市中心部で撮影された写真のうちの1枚なんじゃ。











橋の北東側には、

バレーボールのVプレミアリーグ・JTサンダーズの合宿所と、

広島市出身で「世界一のセッター」と呼ばれた

故・猫田勝敏(ねこだ かつとし)氏を記念した

猫田記念体育館がある。





↓JTサンダーズについては、こちら↓

JTサンダーズ「JT ウェブサイト」













橋の南側から御幸橋東詰交差点を渡って右へ曲がり、

自動車が入っている道を進むと…、













…いきなり、段差が!





左側が堤防跡で、

右側は明治時代、宇品港を築くために干拓された

「宇品(うじな)新開」。





「仁保島西新開」は後に

「皆実(みなみ)新開」呼ばれるようになった。





そのため、地名は

道の左側が皆実町6丁目で、

右側は宇品御幸1丁目になっとります。





余談じゃが、わしゃ小学2年生まで、

この皆実町6丁目に住んどったんじゃの。











さらに歩いて行くと…、











至る所に段差が残っとる。





人々はここで生活するために坂や階段を作り、

日常の生活を送っとられる。





こうなってくると、

「この段差はね、江戸時代にね…」

といちいち説明するもんじゃのうて、

日常にある生活の一部なんじゃろうの。





さて、タモリさんたち一行が歩いた道をはどこじゃろか?

と探してみると…、





…あった!











平和塔があって、

その昔、わしの遊び場じゃった皆実町緑地の

西側にあるこの路地を入ると…、











テレビで見たような建物が右側に見える。

左側の建物の丸い窓が分かりやすいかもしれん。











クランクを曲がると、

突き当たりに急な坂が見える。











横から見ると、確かに急な坂になっとる。

この坂を上ったところが堤防跡じゃ。











この坂を上ったところで、

タモリさんは道路の反対側を見下した。





タモリ

「こっち低いですね」





本田さん(案内人)

「坂道じゃなくて ストンと落ちているような」






…という会話があったんじゃが、

この場所を下から見上げてみた。





このあたりの段差は3~4メートルくらいあって

とっても分かりやすい。











堤防跡を歩いていくと、千田廟公園が見える。

木が生い茂っとるところがそうじゃ。





千田廟公園いうのは、

明治時代、宇品港を築くために尽力された、

広島県知事・千田貞暁(せんだ さだあき)を記念して建てられた公園。





この公園も、その昔、

わしの遊び場のひとつじゃった。











この交差点を、北側から見たところ。





この微妙な段差、

左側(堤防跡)が高う(=高く)て、右側が低いという高低差を

写真から理解してもらえるじゃろか?






訪問日:2016年9月25日





【参考文献】

(本田美和子「”街”を拓く~城下町に残る街づくりの痕跡~」(広島市郷土資料館「ひろしま再発見3」関連講座 2016年5月)






今日は、先日放送された『ブラタモリ』の中で

タモリさんが「江戸堤」と命名した「仁保島西新開」を

御幸橋から千田廟公園まで話をさせてもらいました。





次回は、千田廟公園から

広島県病院までを紹介していく予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。

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