通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

商船会社や汽船会社が利用していた、宮島にあった桟橋は?

2010年06月22日 | 広島の話題
今の宮島にはJRと松大観光の桟橋しかないんじゃが、30年くらい前までは、もうひとつ桟橋があったそうじゃ。



【問題】
かつて宮島にあった、商船会社や汽船会社が利用していた桟橋は、次のうちどれでしょうか?

1.観光桟橋
2.汽船桟橋
3.商船桟橋
4.鉄道桟橋









【正解】
3.商船桟橋




【解説】
宮島桟橋から南西へ約300メートルほど離れた場所に、かつて「商船桟橋」と呼ばれる桟橋があった。
1914(大正3)年に完成した桟橋は、各地の商船会社や汽船会社が利用していた。
戦後もにぎわう宮島の玄関だった。

その桟橋跡近くで土産品店の九州屋を営む上垣貴美子さん(75)は1956(昭和31)年に宮島へ嫁ぎ、夫博亨さん(故人)と店を切り盛りしてきた。
当時、九州屋は船会社と提携しており、客船が桟橋に到着すると、大勢の観光客が宮島土産を求めて詰めかけた。

(「「商船桟橋」みやじま楽(がく)」中国新聞 2010年5月31日)








当時は、そのくらい賑わっとったんじゃのう。



今日は、宮島の商船桟橋について調べてみようかの。



昨日のブログで紹介した企画展『美しき厳島』でも取り上げられとったので、そこから引用してみようかの。



当時は大坂商船だけでなく山陽鉄道や尼崎汽船の定期寄港、鉄道省の厳島巡礼船などもあったが、この絵図では島内に「大坂商船株式会社」の文字しか見えない。
大坂商船株式会社のすぐそばには商船桟橋があり、大坂商船はこの桟橋を利用していた。

(「1 日本三景ノ一 厳島案内地図 附名所案内記 昭和3年」企画展『美しき厳島』 P.2)




今は宮島に渡ろうと思うたら、対岸にある宮島口から、JR宮島航路と宮島松大観光しかない。
このころは大坂商船などの定期便があって、商船桟橋を利用されとったんじゃのう。



汽船ニテ御着発ニハ大坂、神戸、坂手、高松、多度津及中国各港門司、下関ト厳島間ニ大坂商船株式会社汽船毎日発着ス

(「4 パンフレット「旅館かめ福本店」」企画展『美しき厳島』 P.3)




大坂商船は、大坂から神戸、高松、宮島などを経由して、門司や下関を結ぶ定期航路があったんじゃのう。
しかも、毎日。



かつて賑わっていた商船桟橋が、今どうなっとるかというと…。



1970年代には商船桟橋も使われなくなっていった。
今、桟橋の面影はなく、切符売り場があった場所には、1991(平成3)年に建てられた「もみじ館」が空き店舗となってたたずむ。

(「「商船桟橋」みやじま楽(がく)」中国新聞 2010年5月31日)




1970年代といえば、1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線が、1972(昭和47)年3月に岡山まで、1975(昭和50)年3月には博多まで開業したころじゃ。

このころから、のんびりした船旅から、スピードで上回る新幹線などの陸上交通に切り替わっていったんかのう。
こりゃ、わしの勝手な推測じゃが…。



今日は、宮島の商船桟橋について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。
コメント
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