平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い527  むの たけじ さんの「反戦」への執念、日本人全体で引き継ぐべき  

2016-08-26 09:48:38 | 日記
   平和への希い527  戦後71年  
むの たけじ さんの「反戦」への執念、日本人全体で引き継ぐべき  2016.8.26.

8月21日、むの たけじ さんが、私が住むさいたま市で、101歳の生涯を閉じられました。
心よりご冥福をお祈りします。

ジャーナリストとして、戦争前線での取材や、近衛文麿、東條英機など政権中枢要人とのインタビュー
記事などで、国民に戦意高揚を煽って来たが、みじめな敗戦。
「戦争の前線では、『敵を殺さなければ自分が殺される』。明日死ぬかもしれないという、この緊迫した
状況の中に3日いたら、倫理感も麻痺し、強姦、略奪など当たり前に行えるようになってしまう。前線に
いない、指令を出す最高司令官である国の首相はじめ上官は、『敵を殺し、勝利せよ』と前線の兵士の
苦悩など知ろうともせず、死んでしまったら、『名誉の戦死』と平然とうそぶくだけ。
戦争を始めてしまえば、止まらなくなるのです。人間が人間でなくなるのが戦争です。絶対戦争しては
いけないのです

真実を知らせず戦意高揚を煽り、みじめな終戦に導いてしまったジャーナリストの責任の重さを痛感し、
終戦と同時に、新聞社を辞め、生まれ故郷の秋田県横手市で「たいまつ」を創刊し、「反戦」の立場から
言論活動に奔走し、反戦活動家現役のまま、101歳の天寿を全うされました。

「戦況を熟知していた政権責任者が、もっと早く、停戦勧告を受け入れていたら」、東京大空襲はじめ
全国各地の空襲禍、悲惨な沖縄戦、広島・長崎の原爆惨禍など、無かった。
「始めてしまったら止まらないのが戦争。だから、絶対に戦争をしてはいけない」と言う、むの さん
の「反戦」への執念を、政権中枢の無謀な戦争の犠牲になった体験を持つ、日本国民全体が引き継ぐ
必要があると思います。平和憲法を世界に向け掲げて。


ウォーキングで出会った花々です。

8月26日「今日は何の日カレンダー」より
▲シーザー、イギリス上陸(BC55)▲日本初の地図製作(738)
▲江戸幕府、貿易船に朱印状を与える(1604)
▲米国・リンドバーグ夫妻、北太平洋横断、根室経由で霞ヶ浦に飛来(1931)
▲国産機(三菱製作「日本号」)による初の世界一周飛行(1939)
▲バイニング夫人、今上天皇の家庭教師に (1946)▲百円紙幣廃止、すべて硬貨に(1966)
▲ミュンヘンオリンピック開催(1972)▲地ビール容認へ(1993)