あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

北島ツアー

2021-02-02 | ガイドの現場


気がつけば2月に入ってしまった。
ブログを書くタイミングというものがあり、良い内容の話があるがタイミングが合わなくてお蔵入りしたものも多数ある。
書くのが遅いというのもあるが、物事が風化する前にちゃんと残しておくことも大切かな、などと思うのだ。
混乱、困惑、混沌の2020年の締めくくりは北島ツアーだった。
12月の後半に13日間という長いツアーで、お客さんは海外からの留学生。
ニュージーランドに留学をしているが、夏休みだが家に帰れずにいる子ども達で、出身は日本、台湾、韓国、中国、香港、トンガ。
ちなみに全員男子高校生で、ある意味あいにおいて楽である。
僕はサブのドライバーガイド、メインのガイドは学生の旅行に長けたベテランガイドのダーモットが付いた。
そして学校からは引率の教師が一人。
おじさんガイド、男子高校生14人というなんとなくむさ苦しい御一行様だ。



初日の朝、クライストチャーチを出発し北上、カイコウラで昼食後、ピクトンへ。
ピクトンで早めの夕食後フェリーに乗りこんだ。
旅というのは非日常である。
車に乗ったまま船に乗り込むというのでワクワク感が高まる。
このフェリーが遅れた。
予定では夜の10時半にウェリントンに着くはずが、2時間遅れの12時半。
それからホテルチェックインやらなんだかんだで眠りに付いたのは2時近くだった。



翌日、旅の興奮からか早めに起きてしまったので街を散歩した。
首都ウェリントンはあまり良く知らない。
いやウェリントンどころか北島を良く知らない。
ニュージーランドに来て数十年になるが、南島からほとんど出ることなく過ごしてきた。
ウェリントンには10年ぐらい前に友達の結婚式で来たぐらいだ。
♪知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい そんな歌を思い出しながら、ウェリントンの街を歩く。
娘の深雪は今は大学1年生でウェリントンのビクトリア大学へ通う。
子どもが親から離れ自分の人生を進んでいく真っ只中である。
親離れする時というのは、親も子離れする時だ。
子どもから離れ、改めて自分の人生について考える時なのだ。
ここが娘の住む街かあ、などと妙に感慨深く街を眺めた。



その日は移動日、ウェリントンからヘイスティングスへ向かう。
地図でしか見たことのない地名の街を通過する。
穏やかな山並みがあり、牧場に牛や羊がいる光景は南島に似てはいるが、やはりどことなく違う。
メインのガイドのダーモットがいろいろと説明をしていくれるのが有難い。
夕方にはヘイスティングスに着き、そこではキャンプとバーベキューだ。
今回のツアーは朝飯と夕飯も僕らが作る。
当然食材の買い出しなどもあるので、かなり忙しい。
夕飯が終わり、ほっと一息ついたところで、昔の知人がヘイスティングスに住んでいたことを思い出した。
初めてワーホリでニュージーランドに来た時にクィーンズタウンのお土産物屋で一緒に働き、英語の下手糞な僕をなにかと面倒を見てくれた。
最後に会ったのは20年ぐらい前のことだろうか。
それからは音信も途絶えてしまった。
こちらから連絡を取れば思い出すだろうが、そうでなければ僕のことなど忘れているだろう。
それはこっちだってお互い様だ。
この先、ましてやヘイスティングスに来ることはもう無いだろう。
あの人にも今生で会うことはもう無いかもしれない。
会うも縁なら会わぬも縁の 宿命(さだめ)なり。
そうやって自分を慰めて生きていこう。



ネイピア、タウポを経てロトルアで2泊。
連泊の合間に市内観光が入る。
南島で長年ガイドをやっている者の視線で北島の観光地を眺めるのもなかなか良い。
連泊ともなればそれなりに時間に余裕ができる。
街を一人でブラブラと歩いていると、街角で歌っているマオリのカップルがいた。
曲の合間に彼らに尋ねた。
「俺の知り合いでロトルア出身のナイロとダニエルって兄弟がいるんだが、知っている?昔クィーンズタウンに何年か居て、彼らにマオリの歌を教わったんだ」
雲をつかむような話だが、ナイロは音楽の方ではそこそこ有名だと言っていたのを思い出した。
「ええ、よく知ってるわよ」
「ええ?本当?今もロトルアにいる?」
「しばらく前にタウランガに行っちゃったわ。」
「そうかあ、彼らは今も元気でやってるのかねえ?」
「うん、とっても元気よ」
「ありがとう」
マオリの歌の師匠にも会えずか。
でも元気でやっているなら、それでいいだろう。



ロトルアを出てしばらく走り、映画ロードオブザリングスで有名なホビット村へ立ち寄る。
あの映画が好きな人には聖地のような場所だ。
以前出会ったお客さんも「これから北島へ行ってホビット村に行くんですう。もう楽しみで楽しみで」と言う人も何人かいた。
そこは現場のガイドがついて一緒に歩き色々と説明をしてくれる。
なるほど色々と興味深いが、同行した子供達のほとんどは映画を見たこともなければ興味も無い。
ガイドの話をつまらなそうに聞いていて、1時間で飽きてしまったようだ。
ぼくだって自分でドライブをしていたら高いお金を払ってまで来ないだろうが、仕事でこういう場所も来れるのは役得というものだ。
その後コロマンデル半島のフィティアンガへ行き、再びキャンプそしてバーベキュー。
そして大都会オークランドへ。



オークランドに着いたのは12月23日の午後だった。
オークランドでは街の中心のユースホステルに2泊、買い物には便利だが交通事情は悪い、普段なら。
世間はクリスマス休暇に入っていて、街の中心部はガラガラだ。
オークランドでは市内観光と自由行動。
僕もブラブラと街を歩く時間ができた。
僕が初めてニュージーランドに来たのは1987年の5月。
高校を出たばかりで日本から飛び出し、この街で3ヶ月英語学校に通った。
ショートランドストリートというドラマのタイトルの道にその英語学校はあった。
その場所に行ってみたが今では建物も変わって当時の面影は全く残っていない。
若い時に通った坂をぼんやり見つめ、当時の事を色々と思い出した。
初めて親元から離れ、初めての海外、初めてのホームステイ、初めてできた外国人の友達。
思い出はセピア色で、甘くもあり苦くもあり塩辛くもあった。
ただ間違いなく自分の青春の1ページがあった。
その時にホームステイをした家の親父さんが亡くなった話を聞いたのが20年ぐらい前か。
その後は連絡も取れなくなり、奥さんも今では生きていないだろう。
恩を返せなかったな。
学校の先生だった人は今でもオークランドに住んでいるが、今回はなんとなく連絡をしなかった。
仕事で来ているので時間がない、と言い切ってしまえばその通りなのだが、今回はそのタイミングではなかった。
人との縁が、なんとなく疎遠になる時はある。
それはそれで仕方のないものだろう。
誰もがそれぞれの生活があり、人間というものは常に動いているものなのだ。
30年前の自分と10年前の自分と今の自分は違うし、互いの環境だって違う。
それでも、いや、だからこそ、生で会うことができるというのは、何かしら運命のようなものを感じるのだ。



オークランドの初日は外食で、宿のすぐ近くの中華にいくことになった。
このツアー初の外食だ。
相方のダーモットに子供達の面倒を頼んで、その晩はユカちゃん夫妻と会った。
ユカちゃんは昔一緒に仕事をして、それ以来付き合いが続いている。
二人は最近オークランド郊外でカフェを初めて、自分達でも驚く具合に全てがトントン拍子に進んだ。
地元の評判も良く、コロナで大変なご時勢でも順調にやっていると言う。
彼女が昔働いていたという日本食の店に連れて行ってもらい、お酒を飲みながら話をした。
たしかに彼らは良い『氣』を持っていた。
なるほどな、こんな気を持っているのなら、その話はうなづける。
周り、これは人間社会も霊的な世界も含め、それがその人達に、これをやりなさいと道を指し示すことがある。
そういう時は全てが上手くいく。
そしてそれをやっている時の人の顔は輝いている。
それが『氣』というものなのだと思う。
こういう人と会っていると氣をもらえるし、こちらからも送るので互いに高まる。
エネルギーを奪い合うのでなく、互いに分け与える。
そういう時の場は和やかで刺々しいところがない。
会えない人もいるならば 簡単に会える人もいる それもまたご縁。
オークランドの夜はそうやって更けていった。



クリスマスの日にオークランドから北島の真ん中辺りにあるナショナルパークへ移動。
クリスマス休暇の移動ラッシュとずれるので道は空いていて快適なドライブである。
ナショナルパークではユースホステルに3連泊。
クリスマスの日というわけで、僕がローストポークを作りクリスマスディナー。
そしてちょっとしたクリスマスパーティー。
ナショナルパークでは当初はトンガリロクロッシングという1日ハイキングを予定していたがキャンセル。
代わりに近くファカパパスキー場のゴンドラに乗ってそこからちょっとした散策。
この辺りの山は全て火山であり、場所によっては白い煙をあげている。
普段見ることのない火山帯の散策は非常に興味深いものがあった。
トンガリロ国立公園。日本から来る山歩きツアーで、北島ハイキングなら必ず寄る場所。
南島ならばアオラキマウントクックのような場所だ。
風光明媚で今回のツアーの目玉なのだが子供達はそんなの興味無く、できることなら宿で1日ゲームをしていたいという人もいた。
まあ本来クリスマスに本国に帰るはずがそれができなくて、周りが勧めるから仕方なくこのツアーに参加しているのだ。
かわいそうと言えばかわいそうだが、感動というものの強要はできない。
ニュージーランドの自然を見たくてツアーに参加する、そういう人と一緒に歩き感動を共有していた去年は幸せだったなあ、とそれができない今になってあらためて思うのだ。





そんな矢先にやってしまった。
坂道を歩いていた時に膝を変にひねってしまったのか、何かしら違和感があった。
最初は痛みも腫れもなかったので、普通に歩いていたらだんだん腫れてきて、膝が曲がらなくなった。
痛みはないのだが膝が曲がらないので、歩くのもびっこをひいて歩くので難儀だ。
ツアーはその後はウェリントンへ移動して一泊。
そしてクライストチャーチへ帰るだけという行程なので、なんとか無事こなした。
ツアーが終わったのが12月30日の深夜。
激動でカオスの2020年の暮れはそんな具合だった。
そのおかげで2021年は人生初の寝正月になった。
普段ならば、超忙しい時でとても怪我だ病気だなんて言ってられない時期である。
いままでとは違う世界に住んでいるのだな、とも思った。
その後、膝の怪我はたいしたことがないことが分かり、順調にリハビリを続けていた。
1月はのんびりリハビリしながら庭仕事かなあ、などと思っていたら電話が鳴った。

続く・・・・・・のか?この話?
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大雪に思ふ。 | トップ | 南へ 漁師との出会い »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ガイドの現場」カテゴリの最新記事