あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

南へ 漁師との出会い

2021-02-11 | ガイドの現場
病気や怪我というのは嫌なものである。
だからこそ健康であることのありがたみを知る。
でも健康である時はそれが当たり前なのでわざわざそこに焦点を当てない。
当たり前のことに人は感謝をしないのだ。
本当はそこが大切なんだけどね。
膝の腫れが引くまで数日寝込むとさすがに気が滅入る。
それでも医者に行き「たいしたことはないからまずは自転車に乗って動け」と言われ、自転車で犬の散歩をやると気が晴れた。
単純だな。
腫れはどんどん引いていき、ゆっくりだが歩けるようになり庭仕事もできるようになると、もっと気も晴れ世の中が明るくなった。
ますます単純だな。
1月はのんびりリハビリしながら畑仕事かな、などと思っていたら電話が鳴った。

「急な話で、来週なんだけど仕事できますか?ティマルから始まって5日間、クィーンズタウン行ってミルフォードとか市内観光とかやってテカポ行って戻って来るルート」
「え〜、車の運転は大丈夫だけど、歩きはまだ完璧じゃないよ」
「大丈夫大丈夫、歩く仕事じゃないから、観光ドライバーガイドだから。そういうわけでお願いしまーす」
そんな具合にバタバタと仕事が決まった。
このご時世にガイドの仕事があるのはありがたいことである。
山歩きの仕事はまだ無理だが、まあドライバーガイドなら大丈夫だろう。
それに久しぶりにクィーンズタウンへ行けば、全黒の蔵にも顔を出せるし、バンド仲間とセッションできるかもしれない。
お客さんは日本人4人で船乗り、というところまで分かっているが、そこから先が分からない。
貨物船の乗組員なのか、漁船の漁師なのか。
ニュージーランド初めてなのか、それともずーっとこっちにいる人なのか。
食べ物はどういうのが好みなのか、ひょっとすると日本食に飢えているのか、などなど。
宿はキッチン付きなので、何でもリクエストに応えられるよう、炊飯器やら米やら、そば、うどん、調味料、カレーのルーなど、そんなものまでも一応車に積み込みティマルに向かった。

いつもの事ながら、お客さんと出会うまでは、どんな人が来るのか分からない。
お客さんと出会い、色々な話をするうちに向うのバックグラウンドが分かってくるのだ。
それにはこちらの身の上も伝える。
かと言って自分の話ばかりするのもいけない。
その辺のさじ加減が難しい。
ありきたりのつまらない人生論など聞きたくない、それよりも血湧き肉躍るような話を聞きたい、というのが人情だ。
僕は今まで色々な経験をしてきたので、お客さんはわりと僕の身の上話も喜んで聞いてくれる。
若い時の経験は財産、というのはこういうことだ。
お客さんは50代から60代ぐらいのおじさん3人と、33歳の若者K。
若いのが助手席に座るので、自然とKから色々な話を聞く事になる。
彼らは北海道の道東、釧路の辺りの人で、数年前に乗っていた舟がニュージーランドの会社に買われた。
舟が買われるということは乗組員も一緒に買われる、ということだ。
それまでも漁でニュージーランドには良く来ていたので、この国のこともよく知っている。
日本人の乗組員が6人にインドネシア人の船員が30人ほど。
今はティマルの港がベースとなり、そこから漁に出てホキなどの深海魚を取っている。
一回の船出でだいたい3週間から1ヶ月ぐらい、港に帰ってきて1週間ぐらいの休みがある。
だが彼らには家がない。
漁が休みの間も舟に住む。
街には自由に行けるのだが、基本寝泊りは舟の上で、同じ船員と顔を付き合わせる生活を続ける。
1年に一回、舟の修理で40日ぐらい漁に出ない時があり、その時に日本に帰るのだが、今は簡単には帰れない。
みんなのストレスも溜まるだろうからと、会社が今回のツアーを手配した。
僕が日本人船員の4名、もう一つは二十数名のインドネシア人のグループだ。

ティマルからオアマルを経てモエラキのビーチを散策している時に、日本の父親から電話が入った。
前回の北島ツアーの時もそうだったが、父は仕事の時を狙うように電話をかけてくる。
前回、北島ツアーでトンガリロで時間があったので、年賀状がわりに絵葉書を送ったのだ。
「おい、お前、字が上手くなったなあ。今までで一番上手だったぞ」
「そりゃ、ありがとう。今はツアーの最中でモエラキにいるぞ。丸い岩のある海岸。」
「おお、確かダニーデンの近くだったな」
「そうそう、よく覚えているな」
老人は遠い過去のことは覚えているが、その日のお昼ご飯を食べたかどうか思い出せないという。
ひとしきり親戚の誰それが死んだだのという話を聞いて、僕はいつもの言葉で電話を切った。
「じゃあ死ぬまで、元気でな。好きな物を食いまくってポックリ死んでくれ」
僕も本当は去年の5月に日本に帰る予定だったがそれもできず、今のままなら親の死に目にも会えない。
まあそれも仕方なかろう。

パーマストンから内陸に入り、クロムウェルの馴染みのフルーツショップへ立ち寄る。
今の時期はサクランボ、あんず、モモ、ネクタリンなどが旬である。
いつもならツアー客で混雑する店内も人はまばらだ。
多分今シーズン最初で最後のツアーだろうと、顔なじみのオバちゃんに挨拶をした。
明るい話題はなく、オバちゃんの愚痴を聞くだけ聞いて、店を出た。ふう。
クィーンズタウンではレイクビューのホリデーハウスに3連泊。
聞くとクィーンズタウンには以前1回来たことがあると。
「あの時は時化でブラフから動けなくなっちゃって、しょうがないからブラフからタクシーでクィーンズタウンまで来たんだよ。」
「へえ、そりゃタクシーの運ちゃんも喜んだでしょう」
「まあね、運ちゃんの分も街のホテル取ってやったからね。でもクィーンズタウンへ来る道も大雪で運転も大変そうだったけどな」
ブラフは南島の最南端の街でクィーンズタウンまで普通に走っても2時間半ぐらいかかるだろう。
金払いのいい客はどこでも喜ばれる。
これは世の常である。

二日目はミルフォードサウンド1日観光。
ミルフォードサウンドはニュージーランド観光の目玉と言っていい場所だ。
シーズン中は何回も来る場所だが、今年はこれが最初で最後だろう。
普段は大型バスが何十台も止まる駐車場もガラガラ。
最近ではそれでも駐車場が足りなくてバスを停める際のゴタゴタがあったのだが、それが嘘のようだ。
そしてお昼時のクルーズは1日で一番込み合う時間帯で、普段なら何百人もの人が舟に乗り込むのだが、この日のお客さんは20人程度。
自然を味わうという観点から見れば、今は最高の状況である。
だがツーリズムビジネスという方向から見れば、これではやっていけない。
夏休みでクィーンズタウンはそこそこの賑わいを見せているが、わざわざミルフォードサウンドまで足を延ばす人はそれほど多くない、ということだろう。
この先、夏休みが終わったらもっと人の行き来が少なくなるはずだ。
人が少なくなれば収入も少なくなる。
施設や道や国立公園の管理には当然金もかかる。
バスや舟や飛行機などの機材は使ってナンボのもので、使わなくても物は古くなっていくので何らかの金はかかる。
バス置き場で長いこと使われないバス、空港近くで野ざらしになっているレンタカー、ミルフォードサウンドで繋がれたままになっている観光船。
漠然と感じていたツーリズムビジネスの衰退が、ガラガラの施設を目の当たりにすると心に重くのしかかってくるのだ。

人が少ないのでいつもの大型船は出さずに、小さめの舟で湾内を回る。
この辺りは南緯45度ぐらいで赤道と南極の中間。
船乗りの間では『吠える45度』という言葉があって、45度を超えてそれ以上南へ行くと、海が吠えるように波が荒くなる。
というような説明をいつもお客さんにする。
船乗りでもない僕が偉そうに船乗りの話をするのだ。
「え?そうなの。そんなの知らなかったよ」と本職の船乗りのお客さんが笑った。
「うちらが行くのはだいたい48度ぐらいだからなあ」
ううむ、きっと想像を絶する世界なんだろうなあ。
低気圧の真っ只中ということもありタスマン海に出るとうねりが高くなり、船長がアナウンスで注意を促した。
舟に乗っている人もバランスを保とうとしている横で若いKが言った。
「ベタ凪ッス。」
いやあ、海の上ではかないませんがな。

翌日は市内観光。
ゴンドラに乗ってリュージュ、バンジージャンプ、アロータウン、ジェットボートツアー、ワイナリーなどなど。
もちろん全黒の酒蔵見学もありだ。
そういう所での金の使い方がすごい。
ワイナリーでは一番高い180ドルのワインをポンと買う。
街中でノースフェイスの店に立ち寄れば、パッと見たジャケットのサイズだけ確認して、袖も通さずに買う。
店員も「ご試着ですか?え?お買い上げ?あ、ありがとうございます」と驚く。
まあ普通は驚くわな。
「ええ?それで着てみて気に入らなかったらどうするの?」という素朴な疑問には
「そん時は誰かにあげちゃう」と実に気前が良い。
レストランでも値段をさほど気にせず、食べたい物を食べ飲みたい酒を飲む。
「シェフのおすすめコース人数分、あと生ガキを20個ほどもらおうかな」
なんて注文をして、コースの中で気に入った物があれば追加注文。
もちろん全黒の酒蔵見学の時も純米大吟醸をお買い上げ。
毎度あり〜、チーン。
Kは毎晩カジノへ行き、1日数千ドル単位で勝ったり負けたりしている。
まあ、普段の生活では金を使うことがないのだからそうなるのか、それとも性格だからか。
そこで「会社からのお金がこれだけで・・・」なんて話をするとしみったれた気分になるのだ。
金銭感覚がここまで違う人と出会うことは稀なので、それはそれで楽しいものもあった。
いろいろ美味しい物もおごってもらったしね。
ケチくさくないっていいねえ。

クィーンズタウンからワナカを経てマウントクック。
シーズン真っ盛りで普段は賑わうホテルだが、今は閑散とした雰囲気が漂う。
眺めを売りにしているホテルだが、地元の人が簡単に泊まれる値段ではない。
ここでも超多忙な時を知っているだけに寂しさが募るばかりだ。
だがその反面、人が少ない分自然を堪能するには良い。
どこもそうだが、あまりに人が多いと大自然を味わうという雰囲気ではなくなる。
大自然の中にいながら『観光地』になってしまう。
今なら簡単に歩ける観光トラックも良いだろうな。
そして振り出しに戻ってしまうが、大自然の中の観光施設は人がいないとさびれた雰囲気になる。
不思議なものだ。

その晩はテカポ宿泊。
テカポでは定番の湖畔レストランで晩御飯。
若いKはここでもコップ酒をぐいぐいあおる。
普段、海にいる時には全く飲まない。
それでなのか、だからなのか、この旅行中は毎晩かなりの量を飲んでいた。
クィーンズタウンでは毎晩カジノに行っていたがテカポにはカジノが無い。
村にひとつだけあったスロットマシンのある酒場も火事で焼けてしまい、ギャンブルは何もない。
健全な村だ。
若いKはかなり酔っ払っていて、ぼくもかなり酔っ払っていたので、付き合って遅くまで話をした。
友達のシノちゃんも働いていて、仕事が終わった後に話につきあってくれた。
酔っていたので何を話したかあまり覚えてないが、若者の悩み、葛藤、愚痴につきあった。
同じ人と毎日共同生活をして、1年以上も日本に帰らず、ストレスも溜まっていることだろうし別のものも溜まっているだろう。
たまには違う人と話をして、風を通すのもいい。

最終日はテカポからティマルへ帰るだけだ。
まっすぐ走れば1時間半の距離である。
途中の街で寄り道をし、ビール醸造所でお昼を食べて、早い時間にティマルへ戻った。
本来ならそこでお別れだが舟を見せてくれるというので、Kの案内で見学させてもらった。
船首にはレーダーやら計器類が並ぶブリッジ。
片隅には立派な神棚があり、いつも御神酒をお供えするそうだ。
全黒の大吟醸もお供えするのかなぁ。
食堂、調理場、洗濯場、風呂、トイレ、という居住区は限りあるスペースを使った機能的な造りだ。
だが40人もの男が生活をする場として考えると、正直狭い。
若いKの部屋を見せてもらったが、狭くて乱雑な船室の壁には女のヌードのカレンダーがかかっていた。
船乗りのイメージそのままで、思わず笑ってしまった。
Kの仕事場である機関部、取れた魚を捌いて凍らせる作業場、そして凍らせた魚を入れる船倉。
これらの設備はさながら工場である。
小さめの工場がそのまま船の中にある、という感想だ。
狭い通路で機関長と呼ばれていたお客さんとすれ違う。
彼はすでに仕事用の作業服に着替えて仕事に向かうところだった。
生活の場は仕事の場でもある。
ブリッジに戻りコーヒーをいれてもらった。
不思議なことに、船に戻ってくるとおじさん達やKの顔つきが海の男の顔になった。
いい顔だ。
「これからはホキのフライを食べる度に皆さんの事を思い出します。どうぞこれからもご安全に魚を獲ってください。僕がそれを美味しくいただきます。」
みんなと固い握手を交わし船を降りた。

クライストチャーチまで2時間のドライブの間、思いを馳せる。
一つの仕事をやり終えた充実感、自分の家に帰って家族に会える安堵感。
久しぶりに見たリゾート地での先が見えないツーリズムの暗さ。
たまに再開してセッションをした仲間の笑顔。
雑多な感情が渦を巻く中でのドライブは悪くない。
そして想いは再び、海の世界へ飛ぶ。
別れ際にわずかだが彼らの世界を覗かせてもらった。
すごい世界だった。
逃げ場のない海の上の狭い空間に何十人もの男が生活する。
時にはいざこざもあるだろう。
ケンカの末に海に投げ込まれてしまえば、はいそれまでよ、おさらばえ〜。
警察だってどうこうできるわけでなし、事故として処理されてしまう。
この船ではそういうことはないが、他所の船ではたまにあると言う。
そりゃストレスだって半端なものではないだろう。
ああいう人達が獲った魚を食べているのだ。
仕事とは言え、過酷な環境で生きている人が高給を取るのは当たり前だ。
これからは「魚が高い」とぼやくのをやめよう。
高くて当たり前だ。
自分に欠けていたのは感謝の心だ。
頭で考える感謝と心で感じる感謝は違うものだ。
それに気がついた事が今回の収穫だ。

住む世界が違う、という言葉があるがまさにそれだった。
人生観、価値観、生活の場、金銭感覚、全てが違う。
彼らと繋がっている物があるとすれば、心の奥底にある「自然の中では人間は無力だ」という虚無感のようなものだろうか。
そこにあるのは死生観であり、故に刹那的になるのではなかろうか。
人間の営みさえも自然の一部として考えるのならば、今の狂った世の中も自然界の出来事の一つだ。
自然の中では、じたばたしてもどうしようもない、というような開き直りの極意。
そして船に戻った時、海の男の顔になった時、自分に出来る事やるべき事をたんたんとやる態度。
僕は僕なりに想うことがあった。
コロナの渦はさまざまなところで影響を与え、その波紋は今も広がっている。
今まで知らなかっただけで、今回のように見ず知らずの人も影響を受けている。
自分だってガイドの仕事がこの先いつあるのか分からない。
そうならないことを祈るが、ひょっとするとこれが最後かもしれない。
でも何かしら自分にできること、自分がやるべきことをやっていこう。
彼らとは二度と会わないかもしれないが、彼らとの出会いは深く胸に刻まれた。
一期一会。
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