あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

北島悠遊記

2022-05-27 | 
ブドウ畑の仕事が一段落してホリデーに入ったので所用を兼ねてオークランドへ行ってきた。
オークランドから荷物を運ぶ必要があったので、行きは飛行機、帰りはレンタカーでドライブしてクライストチャーチまでという5泊6日の行程だ。
オークランドへ仕事以外で行ったのは20年ぶりだ。
僕が初めてニュージーランドに来たのは1987年の5月だから35年前になるのか。
その時は3ヶ月オークランドの英語学校に通った。
18歳という多感な年頃に当時のオークランドで短いながらも生活をしたのは良い経験だったと今となっては思う。
その時には右も左も分からず、まさか自分がこの国に住むことになろうとは夢にも思わなかった。
当時のオークランドも都会だったが、のんびりとして治安も良く人々は親切で、古き良きニュージーランドがあった。
今回はその時の先生とも会い、互いの子供の写真など見せたり昔話をして旧交を温めた。
だが連絡が取れなくなってしまった先生もいるし、ホームステイで世話になった人もすでに亡くなってしまった。
人とのご縁というのは不思議なもので、会える時には会えるし会えない時にはどうやっても会えない。
会えないというのもこれまたご縁で、それは会うタイミングではないと理解している。



人が今の世の中でするべきことは3つある。
一つは本を読むこと。もう一つは旅をすること。そして人に会うことである。
これは今の世に限ったことではなく、どの時代や場所においても当てはまることだ。
共通することは、自分が持っている常識と違う知識や価値観があることを知る。
そのことによって相対的に自分を取り巻く状況を見ることができ、最終的には自分自身の内観へつながる。
人間は相対的にしか価値判断ができない。
日本から一回も出たことがない人は、日本の本当の良さが分からない。
どんなに素晴らしい所に住んでいようと、ずーっとそこに住んでいればそれが当たり前となり、何も感じられなくなる。
日本は、と書いたがこれは日本に限らずインドだろうがアメリカだろうが北海道だろうが大阪だろうが同じこと。
そこで大切なのが旅をすることなのだ。
自分が住んでいる場所との差異を感じ、他所には他所の社会があることを身を持って体感する、これは相手を認めるということにつながる。
相手を認めることができないとどうなるか、自分がもしくは自分の社会だけが正しいというエゴに発展する。
さらに非日常という旅先では良い所も悪い所も客観的に見ることがたやすいので、これまた相対的に自分の住む環境も客観的に見やすくなる。
そして旅先において自分が住む社会との差異が大きければ大きいほど理解しやすい。
例えば日本の端に行くのも世界の裏側に行くのも『非日常で旅』という点では同じだが、世界の裏側の方が自分の日常とかけ離れているので違いが分かりやすい。
でも考え方や見方によっては、例え隣町へ行くのであっても、充分『旅』になりうる。
要はそれを感じ取れる観察力や感性を持つかどうかである。



この2年というもの、世界中で人間の移動が制限され続けてきた。
旅というものが簡単にできない世の中である。
僕も仕事で北島に何回か行ったが、それらは旅ではなく仕事であったり単なる移動だった。
今回は不慣れな土地へ一人旅。
何回か行ったことはあるが、知った気にならず初めて行く場所のように見て回ろうと意識して旅をした。
今回はオークランドで荷物を受け取り、それをクライストチャーチへ持ってくるという用事があったのでレンタカーを借りた。
レンタカーもリローケーションというシステムで、決められた期間ならタダで借りられる。
レンタカー会社も国内で車の移動が必要な時があるのでそういう車を貸し出す。
ガソリン代やフェリー代は払わなければならないが、基本タダである。
車を運転して気づいたのだが、オークランドは坂が多い。
火山で出来た地形に街ができたので地形は複雑だ。
道路は右へ左へ曲がりくねり常にアップダウンがある。
感覚としてはジェットコースターのようだ。
まっすぐの道路が坂をいったん下りきりそこから登り、見えなくなるところで曲がりながら下っていく、なんてのはクライストチャーチでは全く無い景色だ。
こうやって見てみると、いかに自分が住んでいる場所が平野かということを思い知らされる。
相対的にものを見るとはそういうことだ。
そして当たり前のことだが暖かい。
緯度が違うのだからそれだけ暖かいというのは頭で考えれば分かるが、それを体感するというのは体で理解することだ。
きっと北海道に住んでいる人が九州に旅行に行けば、こういう感じになるのだろう。
暖かい気候に関連するが、植生が違って緑が多い。
僕は山歩きのガイドをしているぐらいだからニュージーランドの植物の事を人よりは知っている。
普段自分がいる南島の中でも北と南では植生が違うのだが、その範囲を超えた植物の世界を見るのは楽しいものがある。
亜熱帯性の気候だからかヤシが多い景色はそれだけで南国というイメージだ。
バナナやコーヒーの木が育つなんて話を友人に聞くと、植物にとっても住める地域なんだなと思う。
植物にとって住みやすい場所があるように、動物によっても住みやすい場所はある。
寒い気候より暖かい気候の方が、人間という動物にとって住みやすい。
動物は厚い毛皮を持ったり冬眠することにより寒さという環境を超えるが、人間は文明というもののおかげで寒い場所でも生活ができるようになった。
でも冬の寒さの中で生活するには、暖を取る薪とか電気とかそれなりのエネルギーが必要だ。
赤道から離れ北へ南へ、北極や南極へ近づくほどにそのエネルギーは大きくなる。
元々は南太平洋で裸で暮らしていたマオリの人たちが南島に極端に少なく、ほとんどが北島で暮らすのは自然なことだ。
オークランドから車で40分ぐらい北の街で友達がカフェをやっておりそこを訪ねたが、海が近く自然に溢れ適度な大きさの街があり、良い所だなぁと思った。
近くの公園にはキウィもいると言うし、スキーをしないで海が好きならこういう場所に住むのも良いだろうな。



今回の旅で僕が意識して積極的にしたのが人に会うということ。
人間の移動が制限され、なおかつ情報伝達の進化により、直接会うコミュニケーションをしなくても済む社会となっている。
誰とでも世界の裏側の友達とでも、ネットを通して顔も見れるし話もできる。
ああ便利な世の中になったね、めでたしめでたし、なのか本当に?
今だからこそ、こんな世の中だからこそ、直接人に会う大切さがあるのではないだろうか、と僕は考える。
昔からの友人、知人、1回だけ会った人、初めて会った人、いろいろな人に会った。
会って気づいたことは、氣の交流というものがあるということ。
目には見えない何かがそこに存在し、それが直接会って話をすることによって増幅する。
互いの氣が高まるというのはこういうことなんだろうな、と思った。
会ってエネルギーを奪われ疲れてしまう、という人は世の中に存在するが、今回の旅ではそういう人には会わずにそれぞれに良い氣の交流ができた。
会うも会わぬも、そういったもの全てがご縁なのだろう。



旅の日程はオークランドで3泊、ロトルア1泊、ウェリントンで1泊してクライストチャーチへ帰ってくる。
オークランドでは街の中心部へは行かず、郊外の友人宅などを巡って過ごした。
オークランドからタウランガを経てロトルアへ。
ロトルアでは女房のお勧めで、源泉掛け流しの日本式風呂がある宿に泊まった。
なんでも敷地の数メートル先に源泉が湧き出している場所があり、そこから湯を引いてきていると。
湯に浸かると体にヌルっとまとわりつくような質感で、これぞ本物の温泉。
あ〜極楽極楽。火山のない南島では絶対に味わえないものである。
南島にも温泉はあるが、火山性の温泉とは水質からして違う。
硫黄の匂いがプンプンするような温泉は大地の恵みだ。
これだって無い状態を知っているから感動も大きいのであって、例えば草津とか野沢とかそういう所で生まれ育ち今もそこに住んでいるなんて人には当たり前すぎて感動もないだろう。
まあ、もしも僕が温泉街に住んでいたら旅先をわざわざ温泉のある場所に選ばないで、ビーチリゾートだとか大都会だとか温泉と全然関係ない所を選ぶことだろう。
ともあれ温泉宿で1泊してから車で南下。
ロトルア郊外には間欠泉や泥の沼がボコボコ噴き出す場所が多い。
ドライブの途中で渡った川は丁度良い温度で、服を脱げばそのまま入れるような場所もあった。
きっと地元の人しか知らないような場所がたくさんあるんだろうな。



1日ドライブしてウェリントンに投宿。
街の中心から少しだけ外れたコロニアルビレッジのホテルに泊まった。
周りはアンティークの店とかクラッシックの楽器屋とか小洒落たカフェとかが並ぶ。
昔ながらの建物がそのまま残っている街並みは雰囲気が良い。
こういう昔の雰囲気が残っている街を見ると、僕は地震前のクライストチャーチを思い出す。
クライストチャーチは街の中心部が地震で壊滅的に破壊され、今は新しい建物が立ち並ぶ街になりつつある。
きれいだしおしゃれで洗練された雰囲気の街は、シドニーのようだと人は言う。
これはどうしようもない事だが、クライストチャーチらしさはなくなってしまった。
失われたものは戻らない。
ウェリントンの街も大きな地震が来ればそうなってしまう。
今まで地震がなかったから、これからもないという保証はどこにもない。
これは歴史を勉強して学んだことだが、今まで起こらなかったことがこれからも起こらないということはない。
逆を返して言えば、今まで起こらなかったことが今の世の中で起きている。
だからこそ今という瞬間が大切でありそれを感じることが生きるということだ。





夜はウェリントンの大学で勉強をしている娘に案内されて、街の中心部の繁華街にあるエチオピア料理のお店へ。
絶対に自分一人ならば来ない場所だが、地元に住む人は最高のガイドになりうる。
エチオピア料理なんて聞いたことも食べたこともないが、店は結構流行っていた。
お店はきっちりとしたレストランではなく、カフェっぽい造りのカジュアルな店だ。
料理は鶏肉や牛肉や豆類の煮込み料理を、やや酸っぱいパンケーキと一緒に食べる。
今まで食べた経験だとモロッコ料理に近く、スパイスが効いてなかなか美味い。
そして食後は娘がお勧めするアイスクリーム屋でデザート。
いくつも賞を取っているアイスクリーム屋は確かに美味かった。
繁華街を歩いて感じるのは、古い街並みの中での新しい感覚というものか。
大きすぎず小さすぎず、都会だが変に金持ちぶってるわけでもなく、古い物も新しい物も、人種も文化も全てが程よく入り混ざるバランス感が良い。
素直にいい街だな、と思った。
「将来的にこの街に住みたいとは思わないが、この街で大学生活ができたのは良かったと思っている」と娘が言う。
ごもっともな話だ。
18歳の僕が高校卒業後に日本を飛び出してオークランドで短いながらも生活をしたように、娘は娘の人生で色々な経験を積んでいる。
もしも娘がウェリントンにいなかったら、この旅でも素通りするであろうが、娘のおかげでこの街の今まで知らなかった一面を見ることができた。
こういうのもご縁というものだし、いろいろな刺激を受けるのが旅の本質でもある。



旅の最終日はフェリーが2時間ほど遅れたので、朝ホテルの周りを散歩する時間ができた。
地形的に山が海のすぐそばまで迫っているので坂が多い。
ホテルの周りにも車が入れないような路地もある。
そういう路地を当てもなくブラブラと歩くのはなかなか気分が良い。
フラっと見つけたベーカリーカフェでのんびりコーヒーを飲むのもフェリーが遅れたおかげだ。
無事にフェリーに乗り南島へ着くと、あとはひたすらクライストチャーチへ帰るだけのドライブ。
南島に渡った瞬間に僕の旅は終わってしまった気がする。
夕方に無事に我が家に着き、妻が作ってくれた日本式のカレーを食べて「あーあ、やっぱり我が家はいいなあ」などというのも旅の終わりっぽくてよろしい。






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シーズン終了

2022-05-06 | 日記
旅の終わりはいつも虚しくて誰かと一緒に、気の合う仲間とオーイエ。
『また会えるさ』というタイトルのJCが作った歌だ。
この歌ができたのも30年ぐらい昔になるか。
冬から冬へ、南半球と北半球を渡り鳥のように行ったり来たりしていたあの頃、春は別れの季節だった。
スキー業界という特殊な世界で生きていた仲間とは、春になれば別れて次の冬にまた出会う。
そんな事の繰り返しだった。
ニュージーランドに定住するようになり、ハイキングやスキーの仕事をするようになっても季節というのは常に身の回りにあった。
忙しい夏が終わり秋が来ればハイキングの仕事がなくなり冬にそなえ、冬のスキーシーズンが来て忙しい時を過ごし春が来ればヒマになり、やがてくる夏に備える。
気がついてみればそんな生活を20年もやってきた。
僕は基本的に季節労働者なんだろう。
季節の移り変わりに、ロマンを感じ、哀愁を覚え、喜びを見出し、物のあわれを知る。
ニュージーランドは日本と同じように四季があり、季節ごとの美しさや優しさ厳しさを感じ取れるのもここに住んでいる理由の一つだ。



ツーリズムという職種と全く違う農業という世界から、今回は季節の移り変わりを見てきた。
去年の冬の剪定から始まり、ブドウが芽吹き成長し味をつけ熟すまで、一通りの仕事をした。
その時期ごとの仕事もあるし、季節を通しての仕事もあるが全て楽しい経験だった。
大変な作業もあったが、それが終わった後の充実感はやったものだけが分かる山登りの感覚に似ている。
収穫で畑の仕事は終わるかと思っていたが、実際はネットを巻いてそれを納屋にしまってシーズン終了である。
もちろん、ワイヤーを直したり、散水のシステムを直したり、その他もろもろ畑の仕事はエンドレスだ。
だがそういった仕事は後回しでもよい仕事で、冬になり剪定が始まるまでにそういう仕事をする。
とりあえず収穫が終わりネットを片すところでシーズンは終了なのだ。
忙しい時はとことん忙しいがヒマな時はヒマというのはツーリズムと同じで好きだ。



収穫が終わってそのままにしてあったネットを外し機械でロールに巻いていく作業は数人の作業である。
あーだこーだ言いながらやっていくと、葡萄畑のネットが外れ風景が変わっていく。
白いネットに覆われた姿を見慣れてしまうと葡萄畑本来の姿が新鮮に見える。
丸まったネットをヒモで縛って、納屋にしまう。
そういう作業をしながら、収穫もれのブドウをバクバクと食う。
収穫時には若かった実がちょうどよく熟していて食い頃になっているのだ。
我ながらよく食うなあと思うが、目の前に旨そうな実があれば食うのが葡萄への感謝であり礼儀であり敬意である。
ほとんどの実は鳥に食われてしまっているし、早い木は葉っぱを落とし冬に備えているのもある。
周りの木々も葉を落とし、空を見上げてみれば完全に秋の色だ。



秋が来ると妙に感傷的になるのは今始まったことではない。
気がつけば毎年毎年秋になると同じようなことを書いている。
なんなんだろうなぁ、この感覚。
紅葉がきれいでそれが一斉になくなった祭りの後、という感じではない。
それよりも、誰も意識しない場所で木の葉っぱが落ちていき、いつのまにか木が丸裸になり夕焼けにシルエットを映す。
やっぱり自分の心の秋のイメージは、わびさびなんだろう。
こういったのも四季があればこそで、常夏の国ではこの感情も生まれないし、極限の地では夏が終わると同時に冬になるのでこの感情が生まれる隙がない。
そうやって考えると地球上で緯度、南緯も北緯も35度から45度ぐらいという地域に限られて四季の移り変わりが楽しめることになる。
そしてまた大陸という場所も何か違うような気がする。
大陸とは大きな陸地であり、島国のような繊細さが無い、もしくは少ないような印象を持っている。
これは島国にしか住んだことのない僕の私見で、ひょっとすると大陸にもわびさびを感じ取れるような場所があり、そういう文化があるのかもしれない。
それならそれでそういう場所に行ってみたいものだ。



シーズン終了の話だった。
日本はGWだがこちらでは5月というのは何もない。
暦上で祝日も無ければ、学生や子供の休みも無い。
ある意味落ち着いた、普段の生活をする時期だ。
葡萄畑も何もなく、ほぼ1ヶ月の休みとなった。
この休みの間に、所用でオークランドへ行く予定である。
ついでに北島を観光がてらドライブして南下して、普段会えない人に会ってこようかなどと目論んでいる。
でもその前にまず庭の仕事からだな。
夏の間に忙しくて、庭のことがほとんどできなかったのでやることはいくらでもある。
まずは蒟蒻芋の収穫から。
蒟蒻芋、山芋、キクイモ、里芋、秋は収穫の秋、食欲の秋でもある。







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