あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

北村家二軍

2010-11-21 | 
北村家一軍という人たちがいる。
誰が言い始めたか忘れたが、たぶんJCが言い出したのだと思う。
我が家に自由に出入りする人達のことで、なんてことはない皆僕の友達だ。
そんな彼らのことを僕は愛をこめて北村家一軍と呼ぶ。
ガレージには『一軍置き去りバッグ』というものがあり、ボードやスキーの道具、服などが入っており一軍は好きなように使う事が出来る。
使わなくなった板を置いていくヤツもいれば、山小屋のように自分の板を次回自分が滑る時に備えて人に持ってこさせるヤツもいる。
一軍は我が家に来れば、飲み放題食い放題泊まり放題の待遇である。
一軍は年齢性別どこに住んでいるかを問わず、「この世で何が一番大切か」ということを理解している人達でもある。そこを掴んでいれば誰でも一軍になれる。
そして一軍はスキー、ボードで言えばプロ級の腕前を持つ。
スキー、ボード業界の重鎮、伝説のライダーなんてのもいる。ある娘は昔オリンピック候補になったなんて話も聞いた。若手ではプロも生まれた。
言っておくがプロになるような上手い人が一軍になるのではない。
たまたま運動神経が達者な人が集まったのだ。
スキーの腕前はそこそこだが山登りの達人もいる。
自転車でいくつもの峠を越えながら旅をする人もいる。
カズヤのようにスキーはとんでもなく上手いが、北村家では永遠のドレイというような人もいる。
皆、本質を掴んでいてなおかつ自立し前向きに生きている、自然の中で楽しさを共有できる、かけがえのない友である。
職業はアウトドア関係の人がほとんどである。アウトドアのガイドが圧倒的に多いがその他、会社員、自営業、主婦、旅人などなど、職種は問わない。
ちゃんと数えたことはないが30人ぐらいはいるのだろうか。

そんな北村家一軍に去年、めでたくというか、ついにというか、やっとというか、とにかく二軍ができた。
あれは去年リオがクィーンズタウンに来た時のことだった。
リオは自転車で世界一周をしている男でクィーンズタウンの家に一週間ほど転がり込んだ。
http://ameblo.jp/gwh175r/
湖を見ながら僕とリオとエーちゃんの3人でビールを飲んでいた。
「リオ、お前はたいしたことをやってるな。次回は是非オレがいるときにクライストチャーチの家に来てくれ」
「ええ、それはぜひ」
「そうだな、お前も立派な一軍だな」
そして僕は一軍の説明をした。リオは恐縮して言った。
「そんな、だいそれた。だって僕はスキーとかボードとか上手くないですよ。」
「そんなことは関係ない。一軍とは何が大切か分かっていて、前に向かって進んでいて、ある能力に長けた人だ。お前は『自転車で旅をする』能力に長けているだろ?」
「はい、まあそうですねぇ」
「それで充分。ジャンルは関係ない。よって君は一軍」
「ハ、ハァ、ありがとうございます」
こうやって一軍は増えていく。
実際リオの運動のセンスは素晴らしく、1回フリスビーゴルフをやったが危うく負けるところだった。
ふとエーちゃんと目が合った。
「エーちゃんはなあ・・・、そうだなあ・・・。そうだ、今決めた。」
僕はあらたまって言った。
「エージ君、君を北村家二軍筆頭に任命しよう」
「ハイ、ありがたき幸せ」
これだけだと何がなんだか分からないだろうから説明しよう。
エーちゃんとの出会いは2年前だった。
フラットメイトのおっさんを通して彼と出会い、2シーズンフラットメイトとして過ごした。
クライストチャーチの我が家にも遊びに来て、女房も娘もエーちゃんという人柄を認めている。
彼の素晴らしい点はいつもニコニコしていることである。
そして他の一軍と同じく、何が大切か分かっていて前向きに進んでいることだ。
フラットは坂の上にあり、普通の人なら毎日歩いて通うのもおっくうになるのだが、エーちゃんは晴れた日も雨の日も歩いて通う。ボクにはとても真似できない。
車の運転が苦手ということもあるが、歩く辛さよりも一人で歩く間に色々考える事ができるという長所に意識を向けられる。ポジティブな人だ。
彼の徹底的な欠点はどんくさいということだ。
痛さを身をもって知る男と呼んでもよい。
クライミングでは落ちて骨を折る。マウンテンバイクをやれば大転倒してこれまた骨を折る。
数々の武勇伝を聞いたが「よく死ななかったね」というものはいくつもでてくる。
それでいて常に新しい事に挑戦しようというこの根性。
高所恐怖症のくせにバンジージャンプをやりに行き、一緒に行った女の子は飛べたがエーちゃんは飛べなかったというのも実にエーちゃんらしくてよろしい。
彼のすごいところはそれらの話がすべてネタになるくらい面白く、酒を飲んでいていいつまみになる。ずいぶんと痛いネタだ。
先々シーズンだったか、エーちゃんがオッサンとクライストチャーチにやってきた。
ボクはそのとき仕事が重なって行けなかったので、道具を貸してあげて二人はブロークンリバーに滑りに行った。
オッサンは初めてでもなんなくロープトーに乗ったが、われらがエーちゃんは悪戦苦闘の末プーリー(滑車)に激突。肋骨を折った。
彼の名誉のために書くが厳密にはその時には折っていない。彼の言葉を借りよう。
「なんかですね、それからずーっと痛くて大きく息をすると特に痛むんですよ。仕事に戻って職場の人で元看護婦の人がいるんですけど彼女いわく『それって肋骨にヒビがはいっている。どうにもできないからおとなしくしているしかない。』そうなんですね。それでしばらくして仕事中、くしゃみをしたくなって、『ファー、ファー、ブワックション。ボキッ、アイタタタタ、マジマジ、イテテテ』とまあそんなかんじで折れちゃいました」だそうな。
ちなみに彼はスキーヤーである。
ボーダーならまだ分かる。
スノーボードでロープトーに乗るのはすごく大変だからだ。
だが、だが、スキーヤーでこのどんくささ。
クラブのメンバーなら子供でも乗れるロープトーで・・・。
古今東西、前代未聞。筋金入りのネタ製造マシーン。
それがエーちゃんである。

彼が長けている能力。それは販売である。
以前、横浜の大手パソコンショップの店長だったという彼が言う。
「販売とは道だと思うんですよ」
ヤクザに監禁されながらパソコンを直した話や、店長の苦労話などを聞いていると彼の芯の強さが見えてくる。
今も彼はクィーンズタウンのお土産屋で販売という道を追求している。
フリスビーゴルフでは連戦連敗、アウトドアではネタ満載のエーちゃんだが、販売の事に関しては『これだけはゆずれない』というものを持っている。
実際そういう話をするときのエーちゃんはキリっとひきしまる。
だけどだけどだけど、ロープトーであばら骨折・・・・・・。
普通の人にはできないだろう。
逆の見方をすればこれはエーちゃんにしかできない快挙である。
よって二軍。
ただし断っておくが、一軍がえらくて二軍はダメというのではない。
山や自然を愛する心に上級者も初心者もない。
自然の中での感覚を共有できる事に意味がある。
エーちゃんと何回か一緒に山に行ったが、ニュージーランドの自然にやっつけられる感覚を彼は持っている。
まあ、エーちゃんは別の意味でもやっつけられちゃうのだが・・・。

「いまのところ二軍はエーちゃんだけだからね。二軍筆頭ということでこれからもがんばって面白いネタを作ってください」
「ハイ、痛くない程度にがんばります」
そしてエーちゃんはニコニコと笑うのであった。
さてさてこの先、エーちゃんを越える人材は現れるのだろうか。
あるとしたら、それはそれでまた楽しみである。
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2010-11-17 | 日記
人として大切なものに、物事を分け与える、シェアというものがある。
自分さえ良ければよい、というエゴとは対角の位置にあると思う。
まだ小学生だったころ、お正月になるとお年玉をもらった。
ボクと兄は毎年、市の福祉課へ行き、お年玉の一割、そして家で1円とか5円玉を貯めたお金を寄付していた。
「オマエはこうやってお年玉をもらってるが世の中にはお年玉を貰えない人もいるんだぞ。そういう人達のためにオマエが自分で寄付してこい」
親父の声は絶対であり、物心ついた時からやっていたので、我が家では当たり前の行事となっていた。
自分が損をするという想いを感じたことはなく、かといって具体的に誰かにお金が渡るのを考えるのでもなく、ごくごく当たり前にいつものことだからという感じで、僕達兄弟はお年玉の一割を寄付のお金としていた。
市の職員とか他の大人達はえらいねえと誉めてくれたが、何故誉められるのかよく分かっていなかった。
こうやって自然にシェアというものを習ったのだろう。
教育とはこういうことだ。
お金というエネルギーを他の人に分け与える、という行為は時には偽善的になりがちだが、当たり前のこととして経験をさせた父親に今では感謝をしている。
父親は強烈な人で面白いエピソードもたくさんある。
今はまだ書かないが、いずれ死んだらブログのネタにしようと思っている。

お金というものはエネルギーの一つである。
これだって奪う人はいるし、分け与える人もいる。
昔、まだ20代前半の時の話である。
アルバイト先に40代の気のいい先輩がいた。
ボクは可愛がってもらい、しょっちゅう飲みに連れて行ってもらった。
若いときというのは時間はいくらでもあるが金は無いもので、その人にはいつもおごってもらっていた。
あまりにいつもおごってもらうのも申し訳ないので、たまにはボクがおごりますと言うとその人はこう言った。
「若いときというのはお金がないものだ。オレがオマエ位の年の時には先輩におごって貰った。その先輩はオレにこう言った。『オマエがある程度年をとって余裕ができたら若いヤツに飲ませてやれ。そうやって次の世代に廻っていけばいいんだ』だからオマエは遠慮なく飲め。それで金に余裕が出来たときはオマエが若い衆におごる番だ」
ボクはその言葉を肝に命じた。
今、ボクは40を越え、とても裕福とは言えないが若いヤツらに飲ませてやれるくらいの余裕ができた。
若い世代に酒をふるまう機会も増えた。もちろんこの話をしながらである。
こうやってエネルギーは人から人へ流れる。
理想の形ではなかろうか。

去年の事である。
あるお客さんをテアナウのホテルまで送り届ける仕事があった。
ボクの仕事はチェックインまでである。
ホテルでチェックインした後、ポーターが忙しそうだったのでボクが部屋まで案内した。
部屋のドアを開けようとしたが鍵が上手く回らない。合鍵をもらってもダメ。
ホテルのスタッフに来てもらってやっと開いた始末だ。
お客さんは納得しない様子である。
そりゃそうだ。ぼくだってそんな部屋は使いたくない。
お客さんに待ってもらって、レセプションに交渉に行く。
幸い部屋の空きはあり、すぐに別の部屋を用意してくれた。
しかも一回り大きい部屋だ。鍵も問題なく回る。
お客さんは大喜びで、立ち去ろうとしたボクに$20のチップをくれた。
「ありがとうございます。では遠慮なくいただきます。それではよい旅を」
レセプションを通るときに先ほど部屋を用意してくれたスタッフがいた。
「さっきはありがとう。お客さんも大喜びだったよ。これはお客さんから」
ボクは$20のうちの$10を彼女に手渡した。
彼女も期待をしていなかったのだろう。喜んで受け取ってくれた。お金をもらって喜ばない人はいない。
ぼくのテーマは『みんなハッピー』である。
自分とお客さんだけがハッピーになるよりも、それをやってくれたホテルのスタッフも含めてハッピーになりたい。
こうやって幸せのバイブレーションは広がる。
帰りにビールを買ってフラットメイトのエーちゃんにも幸せのおすそ分けだ。
こうやって幸せの輪は広まっていく。
その晩はもちろん美味いビールが飲めた。

シェアの対角にあるのはエゴである。
『自分さえ良ければいい』というのがエゴの本質だ。
『自分さえ良ければいい』という想いは『自分の家族さえ良ければいい』となり『自分の友達や親戚さえ良ければいい』となる。
社会では『自分の会社や所属する団体さえ良ければいい』となり、最後に『自分の国さえ良ければいい』となる。
お互いにそう思っているので戦争となる。
戦争を産んでいるのはエゴである。
父親はことあるごとに「自分さえ良ければいいと思うな」と言っていた。
エゴの克服、これが一番大切なことで一番難しいことだが、ボクが小さいときからそれを教育していた父親をぼくは尊敬する。
ぼくも40も越えて、やっとエゴというものが見えはじめた。
エゴが見えたらそれを受け容れて忘れ去る。
その先には『みんなハッピー』という夢のような世界が待っている。
それを選ぶかどうかは自分だ。

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期待しない。

2010-11-14 | 日記
ここ数年とかく人がよく見える。
人の話を聞いているだけで、その人達の間でどういうエネルギーの動きがあるのかが分かってしまう。
この人は何故、こんな行動、発言をするのか分かってしまう。
ある人の行動、立ち振る舞いを見て、その人の生い立ちや家庭状況さえも分かる時もある。
自分が一番見えないが、自分を見ようとすることでさらに他人がよく見える。
たまに見えすぎてイヤになることもある。
自分が好きな人の、本人が気付いていない欠点なども見えてしまう時もあるからだ。
指摘をすればその人が傷つくので言わないようにしている。

人間は誰しもエネルギーを持っている。高い人もいれば低い人もいる。
人のエネルギーは高い方から低い方へと流れる。
その場合、奪うやり方と分け与えるやり方がある。
奪う人はエネルギーを他の人へ廻さない。自分で独占しようとする。ありったけのエネルギーを奪おうとする。
奪われた人はとても疲れる。
場にはギスギスした雰囲気が流れ、良い状態とはとても言えない。
奪い方にもいろいろあり、暴力、威圧、無視、依存などなど。
もう一方はエネルギーを分け与える方。
場の雰囲気は和み、エネルギーは人から人へ、さらにその先の人へと繋がる。
2人ならエネルギーの交流であり、3人以上なら輪となる。
人間のごたごたは全てエネルギーの奪い合いである。
本来なら自然からありあまるエネルギーをもらい人間は幸せになれるのだが、自然からエネルギーをもらうやり方を忘れてしまうと、人から奪うことになる。
人間とは人がよく見えるが、自分自身は見えにくい物だ。
エネルギーを奪う人は無意識のうちにそれをやっている。
さらに人間とは本質をズバリと言われると傷つく。
傷つくと怒るか落ち込む。
エネルギーを奪っている人に「あなたはそうやってエネルギーを奪っていますよ」と言ったところでどうにもならない。
そう言われて「ああ、そうか」と思うぐらいなら最初から人のエネルギーを奪わない。
それは他人に指摘されて気付くものではなく、自分自身を客観的に見ることにより気が付くものだ。

僕は人に期待をしない。
期待をすれば、してくれなかった時に傷つくのは自分だ。
この人はこうすればもっと良くなるのに、という想いも期待である。
そんなのは大きなお世話であり、全てはその人次第なのだ。
やる時はやる。やらないときはやらない。
全ての行動とは各自が決めるものである。
なのでボクは他人にこうしたほうがいいよとか、こうすればいいじゃんとは言わない。
「この映画、面白かったよ」は良いが「この映画、見た方がいいよ」は嫌だ。
見るかどうかは自分が決める。
人に期待をしない。
期待をする、しない。さらに相手がそれをする、しない、で4通りのシナリオができる。
人に何か物事を期待してやってくれなかったらがっかりする。
期待しなければ、やってくれなくてもがっかりしない。
相手がそうしてくれた時、期待していれば当たり前という想いが産まれる。感謝はない。
期待しないで相手がしてくれれば、ありがとうという感謝の心が産まれる。
どれがいいか一目瞭然でしょう?
故にボクは人に期待しない。
人に「こうした方がいいよ」とは言わないが、たまに「こうしなさい」とは言う。
「オイ、深雪、メシ食う前には手を洗え」
オヤジは健在である。

先日、お客さんにチップを頂いた。
そのお客さんはルートバーンで最高の一日を過ごし、僕の話を喜んで聞いてくれて、この人たちと出会ったのは偶然ではないな、というような心のつながりができた。
その1日の終わりに「これでビールでも飲んでください」とビール代にはありあまるほどのチップを頂いた。
こういう時に僕は遠慮をしない。ありがたくいただき、仕事が終ってから美味しいビールを飲む。
なんと言ってもお客さんが喜んでくれて、自分が納得の行く仕事が出来たあとのビールはウマイのだ。
チップとはその仕事に対するお客さんからの感謝の現れである。
ニュージーランドにはチップのシステムはもともとない。
チップがなくてもやっていけるぐらいの給料のシステムがある。
アメリカのように、どんな時でもチップを強制されるような国へは行きたくない。
チップとはあくまでサービスに納得して払うものであり、感謝の心である。
チップを見込んで給料が安い、というのはシステムとしておかしい。そもそも感謝の気持ちを義務付けるところに矛盾がある。なぜ物事を複雑化させるのだろう。
どの仕事でもプロならばチップがあろうとなかろうときちんと仕事をする。
その上にお客さんから感謝の気持ちでチップがあるのだ。
ニュージーランドにはもともとチップのシステムがない。
サービスをうけてチップをあげなくても、その人が不機嫌になることはない。
ぼくはニュージーランドに長くいるがチップをあげたことはない。お金はあげないがサービスを受けたときにはありがとうと言う。
だが最近、アメリカやヨーロッパからのツアーも増えてバスドライバーやガイドもチップをもらう機会が増えた。
たぶんレストランでもアメリカのお客さんはチップを弾むのだろう。
ぼくらも個人からチップをもらうことは稀だが、ツアーの添乗員からチップを貰うことはある。
お金を貰えばうれしい。当たり前の感情だ。お金をもらって悲しいとか悔しいという人はいないだろう。
だがそうなると、同じ仕事をしてもアメリカ人はチップをくれるが他の国の人はくれない、それならアメリカ人のツアーだけやりたいという思いが生まれることもあるだろう。
仕事をした後もチップをもらえなければ「なんだ、今回はチップは無しか」というネガティブな感情も生まれることもあろう。
仕事をして正当な報酬を頂く喜びを忘れ、チップをもらえないというところに意識が向いてしまう。
本末転倒だ。

僕はチップを期待しない。
チップを期待して、もらわなければがっかりする。
チップを期待して、もらえば当然である。そこに感謝はない。
チップを期待しないで、もらわなければ何も起こらない。チップをもらわなくてもやっていける給料のシステムがもともとある。
チップを期待しないで、もらえば純粋に嬉しい。そこには感謝の気持ちがあり、その後のビールがうまい。
期待をしない、とはこういうことだと思う。
こうして自分自身の考えを分析することにより、人がまた見えることになる。
人の悪いところも見えるが、良いところだって見える。
悪い点は本人の気付きに任せ、良い点を伸ばす方向に意識を向けるよう心がける。
なんと言っても、影よりも日向の方が何倍も広いのだから。



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近況報告

2010-11-12 | 日記
夏が始った。
僕は今クィーンズタウンへ来て、毎日ルートバーンを歩いている。
半年振りの森は優しく僕を包んでくれる。
ニュージーランドはエネルギーの高い国だが、その中でも原生林というのはひときわエネルギーが高い。
こういうところを歩いていると指先がピリピリとしびれてくる。
イヤな感覚ではない。むしろ心地よい感覚である。
「森の気、たくさんいただいてます。ありがとう。いやあ、きれいだなあ」
こういうことは言葉に出すとさらに高まる。
小屋の所にあるブナのカミサマにも挨拶をしてきた。
カミサマは赤い花を咲かせ始めていた。またたくさんの種をつけるのだろうか。
山にはまだ雪が残っているが時間の問題だ。雪がなくなるころには花が咲き乱れるのだろう。
シダの中心からコルが元気よく出てきた。
風は心地よく、日差しは適度に強い。
森の春である。

人とのつながりもある。
古くからの友とも出会い、電話で話をし、親睦が深まった。
今はまだ書けないが、新たに面白そうな事が始りそうな予感がする。
一度心が繋がった人とは何ヶ月連絡を取らなくても問題ではない。
彼らが生き生きと毎日を送っていることは容易に想像ができるし、人づてでも旧友が元気だという話を聞く。
そして実際に会ったり話をすることで関係は深まり、互いに高まる。
新しい出会いもあった。
以前、ちらっと話しただけの人とも深い話ができた。
皆、ぼくの経験や知識を喜んで聞いてくれる。

お客さんとの出会いも然り。
新婚カップル、熟年夫婦、初老の姉妹、結婚数年後の夫婦、皆それぞれバックグラウンドは違うが、全ての人と森を歩く喜びを共有できる。
そして1日の終りには「ありがとうございました」と言い合って別れる。
納得のいく仕事の後のビールがまた旨い。

人は自分を写す鏡である。
自分の気が高く活き活きと充実している時には、だまっていてもそういう人と出会う。
引き寄せの法則だ。
逆もありうるが、もういちいち書かない。
ありがたいことに、僕の周りの人は皆、それぞれの悩みを持ちながらも明るく前向きに元気に生きている。
そういう人に出会うことにより、己の状態を知る。
客観的に観ることが難しい自分自身というものを、周りの人間関係を通して観るのだ。

クィーンズタウンの街はピークシーズンになると、ぐちゃぐちゃになるが、今はまだ落ち着いている時である。
僕はこの季節も好きだ。
今年はどんな夏になるのだろう。
どんな面白いことが起こるのだろう。
ワクワクする気持ちは膨らむ一方だ。






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2010シーズン

2010-11-05 | 日記
時は流れ季節は巡る。
クラブフィールドの山々も雪を減らし、春そして夏の山へと移り変わる
冬山という季節限定の場所で過ごす人々にとって、春は別れの季節でもある。
日本のスキー場で働いていた頃、シーズン終わりにさしかかると、仲間が1人去り、2人去っていった。
そして皆、自分のいる場所に帰っていき、次の雪が降る頃に戻ってくるのだ
冬山の道具ともしばしのお別れである。
ザック、雪崩ビーコン、ゾンデ棒、スコップ、グローブ、ブーツ、ハーネス、応急処置キット、その他もろもろを天気の良い日に虫干しする。
雪崩用の道具は今年も使わなくてすんだ。
娘が山で雪だるまを作る時にスコップを使ったぐらいだ。それぐらいがよろしい。
こういった道具は持っていて、使い方を知っていて、それでいて使わないというのが理想だ。
使わないだろうから持ち歩かないというのはダメだ。
「たまたま今日に限って持っていなかった」
そういう時に事は起こる。
道具をしまいながらボクは話しかける。
「今シーズンもごくろうさん。また来年もたのむよ。しばらく眠っていてくれ」
こうして道具達はラスタカラーのスキーボックスの中で夏を越す。

今シーズン半ばクライストチャーチで大地震があった。
地震当日、クラブフィールドは晴天パウダーというシーズン中ベストの日だったという。
地震の後、地震の専門家が講師となり話す集いがあった。
専門家は地震とは常に起こりうる物であり、それに対する人間の心構えが必要なのだ、というようなことをしゃべった。
心構えとは、それに対する知識を得ることであり、その準備、対策という行動をとることである。
だがそこに来る人が専門家に求めるものは「大丈夫ですよ」という一言だった。
なので彼に対する質問も「この先、大丈夫でしょうか?」というようなものだった。
専門家は専門家らしく簡単にはその一言を言わない。
「分からない」というのが彼の答であった。
そりゃそうだ。そんなのバックカントリーで目隠しをして「この斜面は雪崩れませんか?」と聞くようなものだ。
地面の中は見えないのでいろいろな機械を使って調査をするらしいが、それだって限界はある。
今回の地震は今まで知られていなかった所に断層があり、それが原因だという。
結果、「調べてみないと分からない」となる。実に専門家らしい答だ。
だがそこに集う人はそれで収まらない。地震という恐怖に脅えているからだ。
人間は自然の中では無力である。
これを徹底的に再確認する必要があるが、文明の中に住んでいるとそういったことも忘れてしまう。
専門家の話が終わった後、声をかけた。
「僕はスキーガイドをやっていまして専門は雪崩の方なんですが・・・。」
これだけで通ずる何かがあった。
雪崩と地震。種類は違えど地球上で起こる現象に変わりなし。
どちらも人のいない場所で起これば自然現象だし、人が巻き込まれれば災害となる。
地震、火山、津波、嵐、土砂崩れ、鉄砲水、雪崩。
どれも怖い物だが自分が安全なところでこれらを見れば壮大な見物だろう。
自然の営みは美しく、それでいて恐ろしい。

毎回、山から下りて雪崩ビーコンを外す時に思う。
「今日も死なないで山から下れた」
クラブフィールドはスキー場であり、スキー場から帰って来るのに大袈裟な、と思うかもしれない。
だが忘れてはいけない。スキー場とは冬山なのだ。遊園地ではない。
生きて帰ってくるのは当たり前だが、その当たり前に甘えてはいけない。
また当たり前の中に喜びがあり感謝がある。
山は人が死ぬ所だ。
死というものを真っ直ぐに見つめそれを過度に恐れない。
その先に生がある。
僕らは生かされている。
何か大いなる力によって。
その生きる喜びを感じ取れる場所が山でもある。
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