あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

紫色の波

2020-12-11 | 日記
久しぶりのブログ更新である。
エイっと気合を入れないと書き出せなくなっている。
一度書き出せばリズムでスルスルと文章は出てくるのだがスピードに乗るまでがおっくうなのだ。
さしずめ蒸気機関車が長い列車を引いて走り出す時のように、シュワ〜と蒸気を出してゆっくりゆっくり動きだすがごとく。

さて近況。
11月は大工の見習いのような事をやり、友達家族とクィーンズタウンへ行き、そのついでに全黒の蔵を手伝った。
ちょうどその時に仕込みと絞りが重なって人手が必要だったのだ。
久しぶりに蔵でキビキビと働き、合間に絞りたての原酒を飲み、昼は昼で酒に合う昼飯で一杯。
1日だけの仕事だったので、給料にすると何かと面倒臭い、ということで現品支給。
搾ったばかりの無濾過生原酒や料理酒を貰って帰ってきた。
この無濾過がまた旨かったあ。
絞るのを二日遅らせたというだけあって、荒走りが荒くない。
普通最初に取る酒は文字通り荒々しくどこかしら尖っているのだが、これがまろやかなのだである。
荒走りでこれだけ美味いんだから、その翌日に取る中取りも美味いだろうな、と思っていたがこれが絶品。
「あんたたち、またすごい酒を造ったねえ」という言葉が素直な感想である。



しばらく庭仕事と専業主婦、合間に石鹸作りやビール作りもしていたのだが、だんだん蓄えも少なくなってきた頃にアルバイトの話が来た。
本来ならこの時期は夏の仕事で忙しく働いているのだがこのご時世、ガイドの仕事は無く無職だ。
12月の半ばにやや長めの仕事があるだけでそれ以外には何もない。
ということは収入が無いわけだ。
庭には食い切れないぐらいの野菜はあるが、今の世の中お金は必要である。
なので昔から取ってある古い紙幣だの、親からもらった金貨だのを売っぱらった。
何かの時に使いなさいと言われて貰ったものだが、こうやって使うとはね。
だが僕は心配をしていない。
なぜなら僕には神様がついているから。
何の神様かというとトイレの神様。
トイレの神様はお金の神様でもある。
きちんとトイレ掃除をやっていれば、大金持ちにはならなくともお金には困らない。
これを信じちゃっているので心配しないのだ。
今までだって地震で仕事がなくなった時も雪不足で仕事がなくなった時も、絶妙のタイミングで仕事が向こうからやってきた。
全てがそうだとは言わないが、トイレの神様の力添えもあると思う。
そんなのあるわけがない、と言う人は笑い飛ばせばいい。
信心とは文字通り信じる心であり、それは行動だ。
これは自分の家のトイレだけ綺麗にすればいいのではなく、気がついた時に出来る範囲で他所のトイレも綺麗にする。
かと言ってトイレ掃除だけして、後は何もしなくていいのか、と言えばそういうわけではない。
自分のやるべきことはやるのだが、トイレ掃除をしていればそれが向こうからやってくる。
今回も12月のツアーまでという中途半端な期間だが仕事の話が来た。
ありがたやありがたや、である。



仕事はラベンダー畑の雑草取り。
どっちみち家の畑でも雑草を取っているのだから、同じようなことをして給金を貰うのは嬉しい。
仕事は単純作業で誰でも出来る。
やっていて特に楽しい仕事ではない。
これが永遠に続くならば嫌になるだろうが期間限定だし、奴隷のように働かされるわけでなし。
何かに追われることなく、無理のないペースで働くので気は楽だ。
普段ならばこの時期はツアーで忙しく働いていて、のんびりと草むしりのアルバイトなんて言っていられない。
これもまたタイミングというやつなのだろう。
だだっ広いラベンダー畑の中を歩き回り、せっせと雑草を取っていく。
監視されているわけでないので手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。
ただ目の前にある仕事を一つ一つ淡々とやっていくということが人生において大切なのではないかと思うのだ。
仏教では掃除、洗濯、炊事といった日常の仕事も修行の一環と考える。
ならばこの雑草取りだって考え方によっては修行、すなわち悟りへの道になるのではないか。
金のためというのは当然ながら生まれる考えだが、どれだけ目の前の仕事を一生懸命やるかでこの先の人生も変わってくる。
そんなことを草むしりしながら考えるのだ。



ラベンダー畑を爽やかな風が吹き抜ける。
紫色の畑が風に揺られ波のように動いていく様は圧巻だ。
カンタベリー平野を吹き抜ける風を感じて、僕は30年前の事を思い出した。
やはり期間限定だったが牧場を手伝った事があった。
牧羊犬と一緒にトラックの荷台に乗って、ゴトゴトと揺られて移動した時。
青い空にポッカリと雲が浮かび、緑の大地を爽やかな風が吹き続けた。
「ああ、俺はこういう事をするために今ここにいるんだなあ」
そんな想いが雲のようにポッカリと心に浮かんだ。
この国に住んでいれば別に珍しい景色ではない。
牧場があって羊がいて、大地を雲の影がゆっくりと風と共に動いていく。
そんな風景の中で風に吹かれて、20代前半の僕は何かを感じた。
何故か分からないがその時の情景と感情が30年経った今、デジャブのように思い起こされた。
何だろうな、この風かな。



ラベンダー畑なんてそんなに珍しいものではない。
今までだってラベンダー畑の所に車を停めて写真を撮ったことはあった。
でもそれはしょせん観光客の目線であり、通り過ぎ去る一瞬のものだ。
実際にそこで働いてみれば綺麗事でないものはいくらでもある。
羊のウンコはそこらじゅうにあるし、毛虫だってウジャウジャいる。
ウンコが嫌だ、虫が嫌だと言っていたら仕事にならない。
日が当たれば暑いし、雨が降れば寒くて足元はドロドロ、風が強い日は花粉もハンパじゃない。
しかしまた現場でしか見えない物もある。
ラベンダーの茂みの中からバタバタと鴨が逃げ出して、そこに10個もの青白い卵が並んでいる巣を見つけた。
へえ、鴨の卵はこんな色をしているんだ、などと素直に思ったりもした。
この年になってもまだ、新しい経験ができることは嬉しいことでもあり、これもまた何かのご縁なのだろうなと思うのだ。
ラベンダー畑の中にこの身を置く。
それが今の自分であり、それがライブ、すなわち今を生きるという事なのだろう。
爽やかな風が吹く紫色の波の中で、そんなことを漠然と考えた。


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1 コメント

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Unknown (山小屋)
2020-12-11 08:31:30
同じようなもんだねえ。
騒いでも何も始まらないしね。
うちも野菜が食いきれないほど出来てね、ほら愛情は返ってくるというから。それを奥さんがせっせと近所に配って歩いたら、いろいろ楽しかったみたいだ。

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