あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

えーちゃんとの会話から

2017-03-21 | 日記
久しぶりにえーちゃんに会った。
えーちゃんとは北村家二軍筆頭のえーちゃんである。
以前にも書いたのでもう説明はいいだろう。
クィーンズタウンで少しだけ時間があったので遊びに行きお茶をご馳走になった。
エーちゃんが言うには、クィーンズタウンの中心あたりに淀んだ空気があるような気がして、それがここ数年で増え続けているような気がする。
町の中心で働いている彼だから余計に気がつくものかもしれないが、僕も全く同意見である。
それは人々が作り上げる念のようなものかもしれない。
クィーンズタウンは綺麗な場所大きなだし人々がここを訪れるのも分かる。
自分も30年前にこの場所の綺麗さに惚れて居続けた口だ。
その場所の綺麗さとうらはらに人間の欲が渦巻いている。
今年はアロータウンに住んでしまったので、仕事以外ではクィーンズタウンに行くことはない。
行っても車を停める場所はないし、道路は常に渋滞しているし、レンタカーは多いしイライラするばかりだ。
なので町にはほとんど出ずに山小屋風の家で目の前の巨木を眺めながらお茶を飲むのだ。
なんか爺さんみたいだな。

みんななにかおかしいと感じながら生きつつ、何をどうしていいか分からない。
その『おかしい』という感じは一人歩きしながら大きくなっている。
これはニュージーランドの片田舎の観光地だけの話ではなく、世界のどこも同じような悩みを抱えている。
えーちゃんと大統領のトランプの話になったが、彼が言うには自分を支持してくれた人の望みを自分はやっているのだと。
それが本当ならアメリカとメキシコの国境にフェンスを作るなどという馬鹿げた事を多くのアメリカ人は望んでいるのか。
そこまでアメリカ人はバカなのか。
アメリカ人も大統領もバカ野郎なら、そんなアメリカに50兆もの大金を手土産に持っていく日本の総理大臣も大馬鹿野郎だ。
そんな金があったら福島の原発をなんとかしろ、熊本の地震の被害にまわせ、ついでにJRの日高線を直してやれ、その他もろもろ日本の中で困っている人に日本の金を使え!
アメリカの大統領も馬鹿だし、日本の総理大臣も馬鹿だし、それをバカバカと言ってる僕もバカなんだろう。
馬鹿は死ななきゃ治らないので、そういう人たちには早く死んでもらおう。
死ねばバカも仏様になれるのだから。

えーちゃんとお茶を飲んでそんな話をしていたら宗教の勧誘の人達が家に来て宗教のこととか社会のこととか尋ねていった。
うまくあしらって帰ってもらったえーちゃんが言った。
「いやあ、まいりましたよ。子供も連れて来られちゃって」
ひどい話だ。
人が何を信じるかは自由だが、それを個人宅まで来て広めようとする態度は嫌いだ。
そんな事をする時間があったら、街のゴミ拾いをしたほうがよっぽど世のため人のためになる。
ましてや子供を連れてくるなんて、やり方がきたない。
子供には子供の人生があるべきで、人生の大切な時間をそんなことに使わされる子供がかわいそうだ。
まあ親の背を見て子は育つので、親がそういう人なら子もそうなるのかもしれない。
それはそれでその人の人生をあれこれ言うことこそ、大きなお世話というものだ。
でもお願いだからうちには来ないでね。

こんなことを書いていたら面白い話題を見つけた。
僕が普通のニュースを見たり見なかったりするが、『地球最期のニュース』というサイトはよく見る。
この日の話が、サイコパスとその理念が世界を動かしている、というもの。
サイコパスとはなんぞや?
精神病質とは、反社会的人格の一種を意味する心理学用語であり、主に異常心理学や生物学的精神医学などの分野で使われている。
その精神病質者をサイコパスと呼ぶ。のだそうだ。
これじゃ分からないぞ、と思ったら親切に具体的な説明があった。

犯罪心理学者のロバート・D・ヘアによるサイコパスの定義

・良心が異常に欠如している
・他者に冷淡で共感しない
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が皆無
・自尊心が過大で自己中心的
・口が達者で表面は魅力的

ふむふむ、それで?

「自分のナルシズムを満足させるためには他人をどれだけ傷つけても構わないし、無慈悲で冷酷で共感の気持ちもない。しかし、人をコントロールする魅力と能力を兼ね備えている人物」

ああ、イヤな奴だね。
だけど、こういう人が企業のトップに多数いる。
そしてそういう理念のもとに企業は動いており、世の中がそうなっている。
詳しくはこちらを読んでいただきたい。

なるほど、ニュージーランドにもそういう会社はあるよな。
クィーンズタウンを牛耳っている会社の大ボスがまさにそれだろう。
そして小さい会社でもそういうようなボスの会社は多数ある。
これを読んで、僕が働いている会社のボス連中はこういう人じゃなくてよかったなと思うのだ。
こういう話を書くと、じゃああいつが悪い、というように結び付ける人がいるがそうではない。
誰が悪いと言う話ではなく、今の世の中がそういう理念によって動いているという話なのだ。
そしてそれこそがエーちゃんが感じた、なにかモヤモヤした淀んだ空気なのだろう。
今日も世の中はモヤモヤした空気に包まれて廻っている。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

走りに走った

2017-03-17 | ガイドの現場

僕の仕事はガイドである。
山を歩きながらガイドすることもあれば、車を運転しながらガイドすることもある。
今回の仕事では歩きはほとんど無く、ほぼ毎日運転をしていた。
クライストチャーチに始まりクィーンズタウン、ミルフォードサウンド、マウントクック、テカポ、クライストチャーチに戻り、そこからピクトンまで。
お客さんはフェリーでウェリントンまで行くので、そこでお別れして僕はその翌日にクライストチャーチまで戻ってきた。
ざっと2600キロを6日間で走ったのである。
2600キロと言えばあーた、本州を山口から青森まで一往復できるぐらいだ。
まあこの南島の南から北まで往復したようなものなのである。
そんなに運転して疲れないか?と聞かれれば疲れるがドライブはもともと嫌いではない。
それにニュージーランドの道は日本の高速道路と違って防音壁が無い。
99.9パーセントぐらいは牧場の中を走るので景色は常に開けている。
一般道なのでそれなりに変化があるのも良い。
日本の高速道路は運転しやすいが単調でつまらないと思う。
そしてここの道はトンネルがほとんど無い。
谷間をつめていって峠を越えて谷間を降りて平野部に出る。
地形が良く見えるし、人工的に作られた道よりも、旅をしている感覚を味わえる。

今回のツアーでは普段あまり行かないピクトンまで行った。
普通ならクライストチャーチからピクトンまでは片道5時間弱。
ドライブの仕事なら充分日帰りできる距離なのだが、昨年11月の地震で主要国道の1号線が土砂崩れで閉鎖。
今は大がかりな迂回をすることになり7時間半もかかった。
迂回路も今まではそれほど交通量が多くなかったのに、いきなり大型のトレーラーが増えたからか道路の傷みがひどいのだろう。
これもかというぐらいに道路工事をやっていて、そこに大型のトラックが多いので時間は余計にかかる。
お客さんとはピクトンでお別れして、空で帰るのだが日帰りは無理なので途中で一泊せざるをえない。
普段は泊まることのないブレナムに泊まることにした。
ブレナムでは以前クィーンズタウンでガイドをしていたミチコとチェコ人の旦那のピーター、二人の家で夕食。
数年前に彼らがクィーンズタウンで結婚式をした時に呼ばれて行った時に旦那と会っている。
ブレナムと言えばワインの産地、ミチコもピーターもワイナリーで働いていて、家には美味しいワインが有り、しこたま飲ませてもらった。
次の日の早朝、道路が混む前にブレナムを出てクライストチャーチに戻った。

クライストチャーチの我が家に帰ってきて1日の休みだがやることはある。
鶏の一羽が卵が詰まってしまったのだろう、動かなくなってしまった。
卵が詰まるのは割とよくあることだそうで、たいていそのまま死んでしまう。
僕が居ない時に死んだら妻子は困ってしまうので、その鶏を締めた。
いずれにせよ、あと数か月、夏が終わったら締める予定だったので、ちょっと早くあの世へ行ってもらおう。
捌いてみたら痩せて肉はほとんど無かったのでそのままココの餌に。
内臓をみたらやはり卵が詰まっており、卵の出来損ないみたいなものの中に出来かけの殻がぎっしり重なっていた。
なるほどなこれじゃあ動けないだろうな。
生き物を飼う上で避けられないのが死との対向である。
ペットになれば名前も付けるので情がわく。
情が多ければ多いほど死による別れは辛くなる。
それが嫌で生き物を飼わない人はいるだろう。
うちの鶏は名前をつけないが、それでも毎日世話をしていれば情がわく。
それを殺すのはやはり勇気がいる行動だ。
できることなら避けたいがそれも許されない。
飼う責任というものもある。
きっちりと仕事をせねば。

その他、庭仕事をこまごまとやり家での休日は終わった。
再び僕は旅の空へ。
きっと南の方では黄葉が始まっていることだろう。
もうしばらく忙しい時期は続く。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ツアーの合間に

2017-02-26 | 日記
仕事の合間にクライストチャーチの家に帰ってきた。
やはり自分の家の自分の机の上だとブログも書く気になる。
今回の仕事も上手く行ってお客さんは喜んでくれた。
お客さんが喜んでくれて、自分も納得のいく仕事ができた後のビールが一番美味い。
チップもはずんでもらったので、そのお金で家族で外食をした。
空腹に身を任せ北京ダックなんぞ頼み、ビールをガバガバ飲んだので、いただいたチップがそっくりそのままなくなった。
宵越しの金を持たねえ江戸っ子のようである。
いやいや、金がなくなったわけではないな。
お金というエネルギーが廻ったのだ。
初めて行った店だったが、店の作りは場末のキャバレーのようだが、安い中華料理店にありがちの化学調味料臭さが無く旨かった。
家の近所にこういう店があると嬉しい。

今回のツアーの前半で腰をクキっとやってしまった。
グキではなくクキぐらいの軽いものだ。
僕は腰に爆弾をかかえており、疲れが溜まったりすると腰が痛くなる。
ひどい時には動けなくなるが、そうならないように気をつけながらやっているが、それでも時々小さな痛みが来る。
歩きと車の運転で腰が痛くなり、後半こそは良くなったが前半は腰をさすりながら仕事をした。
お客さんのスーツケースの積み下ろしなど、重い物を持つ時は特に慎重に、これ以上ひどくならないように気をつけた。
仕事がクライストチャーチで終わるので、オノさんに診てもらおう、と思いツアーの途中で連絡をしたら面白いもので腰の痛みがなくなった。
後半は痛みもなく無事に仕事を終えたのだが、表面的な痛みが無くなったから良しというわけではない。
のど元過ぎれば熱さを忘れる、と言うがそれではいかん。
これを機にボキボキやってもらうのだ。
以前にも書いたが、これがとんでもなく痛い。
特に今回は筋が強張っていたのもあり、いつもより痛い。
痛いのだが、自分ではほぐせない場所のツボをグリグリとやられる。
これがまた気持ちいい。気持ち良いのだが痛い。痛いのだが気持ち良い。以下続く。
オノさん曰く、我慢して動かなければもっと深い場所のコリをほぐせる。痛くて動いちゃうとこちらもそれ以上できない。
なるほどね、今回は痛くて「あー」とか「うー」とか叫び声をあげたものの我慢して動かなかったからかなり深い場所もほぐしてもらえた。
施術が終わるころには涙と鼻水でべしょべしょ。
ぐにゃぐにゃになったところでボキボキと整体でおしまい。
その後のおしっこが気持ち良い。体の老廃物が洗い流される気持ちだ。
これがあるので僕はオノさんのところに行く前には水をじゃんじゃん飲んでから行く。
その後はお楽しみのビール、オノさんと一緒に行き着けのラーメン屋サスケへ。
ここのラーメン屋は昔からの友達がやっているのだが、化学調味料を使わないラーメンスープが旨い。
長い仕事が終わって一段落して、しばしの休日、そして体も絶好調になってのビールと餃子とラーメン。
ああ、この世の至福なり。

さて家では家族の他にも僕の帰りを待っている者たちがいた。
庭の野菜たちである。
野菜にとってご馳走なのは農家の足音である、と最近何かで読んだ。
人が植物を想う気持ちというのが大切なのだということを最近は特によく考える。
人間の行動とは想いや考えから起きるものである。
同じ行動でもその原点である思想が違えば結果も変わってくる。
僕は野菜や鶏に話しかけるのだが、それを鼻で笑う人もいる。
そんなの全く科学的でないと。
ではその科学というものがどんな世の中を作っているのか。
それ以上踏み込んでも結論は出ないし、人の想いなんてものは外から変えるものでもない。
君の立場で言えば君は正しく、僕の立場で言えば僕は正しい。
ボブデュランも言っている。
僕は野菜に話しかけ世話をして美味しい野菜を作るのだ。
野菜と一口に言っても色々な種類がある。
大切なのは観察、見てあげることだと思う。
きゅうりなぞは蔓を伸ばしてあげるとどんどん育つ。
ネギは根元に土をかけてあげれば白いところが増える。
ジャガイモも根元にどんどん土をかける。
植物を見て、雑草が生育のじゃまになるなら取るし、時には間引きもする。
蝶の幼虫の芋虫も見つければ取って鶏の餌だ。
そういった行動全て、まず植物を見るところから始まる。
手塩にかけて育てるなんて言葉があるが、そういうことなんだと思う。
良く見てれば収穫のタイミングも分かる。
タイミングよく収穫し、それをそのまま食卓へ運ぶのは理想だろう。
もちろんたくさん収穫できたものは保存食にもする。
家庭菜園の良さは栽培、収穫、調理、食する、が一連で出来ることである。
こういった作業をやる秘訣は好きであることだろう。
好きなので暇さえあれば庭にいて何かしらやっている。
以前出会った女の人は「野良仕事は女の人にはできない」などと言っていた。
実際には『女の人にはできない』のではなく『自分にはできない』のだが『女の人』とすることで『自分』というものをその中に紛れ込ませてしまっている。
「そうやってあなたは自分というものから目を背けている。どーん」などと喪黒福造のように指を突きつけたりしない。
ああ、こうやって人間は自分を正当化するんだな、と思うだけだ。
その人とも二度と会うことは無いだろうし僕のブログを読まないだろうから、こうやって話のネタにする。
これは農業に限らず、何をするにしても好きだという気持ちが大切なのだろう。
好きこそものの上手あれ、と言うが人間好きでないことはそうそう続けられるものではない。

ツアーの途中で友達の西やんから連絡があった。
友達がクライストチャーチに行くからよろしくと。
話を聞くと尺八奏者が仮の大聖堂で地震の追悼ライブを行うのでその手伝いをしてほしいと。
西やんの頼みなら任せとけと大見得を切ったものの、自分のスケジュールの調整が難しく、妻や友人に頼むことにした。
大聖堂で尺八の音色なんて、どんな音が出るんだろう、聴いてみたいなあ。
人間は思ったことを現実化する力があるらしく、こうなりたいと思えばそうなる。
クィーンズタウンのボスから連絡があり、それほど忙しくないのでちょっとクライストチャーチでゆっくりしてこいと。
懸念していた用事も片がつき、本番には出れないがリハーサルには出れそうなのでその時に生音を聴けるかな。
そんなわけで来たる27日の月曜日、仮の大聖堂で夕方6時から、尺八演奏家き乃はちによるライブを行います。
クライストチャーチ在住の方、ぜひお越しあれ。
僕はその翌日からはしばらく忙しそうなのでそれまで数日間、家で庭仕事ざんまいなのである。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

瑞穂です。

2017-02-07 | 日記
みなさん、こんにちは。聖君の姪の瑞穂です。
あ、うちではお父さん以外、みんな叔父さんのことを聖君って呼んでいるんだよ。
昔からそうだったので今でも瑞穂は聖君って呼んでるよ。
9月にしぞーかからニュージーランドに来て、もう5ヶ月になるんだね。
最初にこのブログに出たのはポーターズのスキーからブロークンリバーデビューまで。
あれから瑞穂はどうしていたかと言うと、クィーンズタウン近辺をちょっくら旅をして、バンジージャンプもしたしルートバーンにも連れて行ってもらったよ。
ガイドをしてるって聞いたけど、聖君はこうやって仕事してるんだなあ、とちょっと感心したっけ。
その後でグレイマウスのバッパーで年末年始は働いてたよ。
財布を落としてあわくってたら親切な地元の人が届けてくれたりとハプニングもあったけど、色々と楽しかったっけ。
グレイマウスの仕事を終えて、西海岸とワナカを旅して先週アロータウンにやってきたよ。
グレイマウスは良い所だったんけーが、雨が多くてやるせなくって、この辺りの乾燥した感じは嬉しいやあ。
アロータウンではとりあえず聖君のフラットに転がり込んでいろいろやったさー。
聖君をてんだってビールも造ったもんで、ここでもビールはたくさん飲んだよ。


最初にやったのはジャガイモの収穫。
食べられるのを採って、そこに土をかけておけばまたできるなんてことも初めて知ったよ。


10分ぐらいで、たんと取れたよ。いかいのもあった。


取れたての芋でポテトサラダに。茹でて皮をむいて塩と酢で下味をつけたよ。


ポテトサラダの下ごしらえをしたら、ちょっくらサイクリングに行かざあ。


近くにこんな素敵なサイクリングコースがあるよ。


自転車でつり橋を渡るなんて初めて!


途中でラズベリー発見。バカ美味いよ!


バンジージャンプ並みの高さのつり橋もあって、下を見るとけっこう怖いよ。


翌日は天気も良くて、ごせっぽかったもんで山へ。


こんな所も登ったよ。


そして絶景ポイントへ。


後ろから聖君を撮ったよ。


こんな所を通るからちょっと怖かったっけ。


晩御飯はドラム缶の燻製器でスペアリブの燻製。


美味しそうって言うと「美味しそうじゃないんだ。美味いんだ」って言われちゃう。


付け合せはポテトサラダと庭のレタスのシーザーサラダ。
もちろんどれもバカ美味いらー。

今は聖君がしばらくクライストチャーチの家に行っているので、その間アロータウンの家に住ませてもらっているよ。
アロータウンの家は山小屋風で居心地がいいし、家の前には大きなプラムの木があって、あきゃー実がたんとなってるもんで毎日プラムの実を取ってパクパク食べてる。
このプラムの実が甘くて美味しいだよー。
聖君が言ってた、木で熟したフルーツは美味しいって、こういうことかと思ったね。
これからはクロムウェルあたりでフルーツピッキングの仕事でもしようかな、なんて漠然と考えているよ。
まだまだこの先どうなるか分からないけど、どうにかなると思えばどうにかなっゃうんだよね。
そんな瑞穂でした、またね~。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

年明けて

2017-01-23 | 日記
年が明けてあっという間に3週間、いや4週めに入ってしまった。
1月は行く2月は逃げる3月は去る、とはよく言ったものだが、その1月も半分以上も行ってしまった。
毎日毎日が充実しているのだが、ブログを書く暇がない。
いや、時間がないわけではないが気分が乗らないという時もある。
気分が乗らない時に無理に書いてもろくなものは書けないで、時間を無駄に消費して結局ボツというのが関の山。
なのでしばらくほったらかしにしておいた。
ここ最近は仕事も落ち着き時間に余裕ができたので、またおいおい書いていこうと思う。

さて前回の話から一か月以上も経ってしまった。
その間何をしていたかと言うとクリスマスから年末は仕事に追われ、正月は家族が犬を連れて遊びに来た。
名物のハンバーガーを行列に並び買ったり、犬を湖で泳がせたりとリゾート気分を味わった。
マウントクックからガイド友達が遊びに来たり、なんやかんやとイベントが続いた。
最近は落ち着いてじっくり料理を作った。
クライストチャーチでモツを買ってきて、庭で取れた大根人参ゴボウ葱などと一緒に煮物をした。
野菜を作ったことのある人なら分かるだろうが、全てが全て店で売っているようなものはできない。
立派なものができることもあるが、小さいものもあるし筋っぽいものある。
そうやって考えると店に並んでいる野菜はまるで工業製品のようだ。
ニンジン大根、ゴボウなど根別れしたものは丁寧に使える所を選んで使う。
これがけっこう手間がかかるのである。
だが時間に余裕があればそういった作業も楽しみとなる。
お気に入りの音楽をかけ酒でも飲みながらやる作業はきらいではない。
なんといっても自分が育てた野菜である。
顔も知らない人が作ったものとは思い入れが違う。
美味しいところは人間がいただき、それ以外の野菜屑は堆肥で土に還る。
アロータウンのこの家でも立派なコンポストの場所があり、土を作っている。
そうやってできたモツ煮がまずいわけがない。
大地の味を美味しくいただいた。

クライストチャーチからの途中に鮭の養殖場がある。
そこでは鮭の中落ち、頭、カマなどが買える。
5~6匹分で5ドル、格安である。
中落にも身はたっぷりとついていてなかなか食いごたえがある。
これを前回のツアーの帰りに買って来て、処理をした。
これまたひたすらに作業である。
面倒くさい、嫌だ、あーあやらなきゃ、という気持ちが少しでもあるならやらないほうがいい。
お金をかければ手間のいらない切り身だって売っているのだ。
僕の場合はこういった作業が苦にならない。
ただそれも時間に余裕がある時に限る。
ツアーが続いている状態でとてもそんなことはできない。
とにもかくにも、これまた好きな音楽を聴きながら酒でも飲みながらゆっくりとやるのがよい。
中落のいくつかはスプーンで身をはがし、大根の葉っぱと一緒に炒めてふりかけを作った。
味付けは塩のみ。その塩だって岩塩を使っているのでシンプルに旨い。
これだけで飯が食える。そこにうちの生卵なんてあればいうことなし。
鮭のカマや残りの中落は塩と砂糖に数日漬け込んでスモークサーモン。
この家にはドラム缶の燻製器があるのだ。
これを使わない手はない。
これまた仕事が暇な時を見計らって、数時間かけて作る。
僕が普段使っている燻製器は小さいので火の通りが早いのだが、ドラム缶燻製器はじっくりと燻製が作れる。
温度計も付いていて空気調整の弁もあり、火加減も調整できる代物だ。
3時間ほどゆっくりと燻す。

燻製を作っている間に庭仕事。
アロータウンのこの家も立派な庭があり、やることはいくらでもある。
堆肥を掘り起こしたら好い土ができていたので畑に使い野菜を植える。
余った土は袋に詰めて保存。
堆肥場をきれいにして雑草や芝生を刈ったものを入れておくスペースを作る。
農業の基本は土づくりから。
これを怠って旨い野菜は作れない。
クライストチャーチのうちでもアロータウンのうちでもやっていることは一緒だ。
アロータウンの家は他人の家なのだが、僕には自分の家だからとか他人の家だからという区別はない。
どちらも地球のものであり、我々はそこに住まわせてもらっている。
自分がその時に住んでいる所で自分にできることをやるのである。

そんなことをやっているとスモークサーモンができた。
作った人の特権、その場でいただく。
砂糖を使ったので照りが出て旨そうだ。
ほどよく水分が抜け、油も落ち、かといってパサパサでもない。
熱々のやつをハフハフ。
おおお、これは旨いぞ。
やはり今まで自分が使っていた燻製器とは出来栄えが違う。
ちょっとタレが甘かったかな、次回は砂糖を減らし塩をもっと多めにしてもいいな。
なんといってもこうやって燻製にすれば日持ちがする。
時間がないときでもこれならそのまま酒の肴になる。
燻製器万歳だな。
そんな充実したアロータウンライフはまだまだ続くのである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

裏山のある家

2016-12-22 | 日記
毎年のことなのだが、クィーンズタウンで住む家を決めずに行く。
夏の間はクィーンズタウンでフラッティング、要は一部屋、間借りをするわけだ。
友達の家に住むこともあるし、知らない人の所に行って友達になったこともあった。
あらかじめ住む所が決まって行く時もあるが、ここ数年は行ってから見つけてみようとあまり決めないで行く。
なんか自分の運試しをしているようで、そういうのが妙にワクワクするのだ。
今年は何の縁かアロータウンに住むことになった。
家主は前から知っている人で別ルートからその人にたどりつき、とりあえずその人の家を見せてもらった時からその家に一目ぼれした。
もうこれはピンときた、なんてものではない。
ピストルで胸をズキューンと撃たれたような、ううむそんなものじゃあ足りないな。
そうだなあ、強いて言うならばヤマトの波動砲で惑星ごと吹き飛ばされたぐらいの衝撃。
それぐらい強い直感で、この家に引き寄せられた。

庭には畑がありビニールハウスもある。
クライストチャーチに比べ寒いので、ズッキーニ、きゅうり、トマトはハウスの中で育つ。
もちろんコンポストもやり放題。
イチゴが植えられて鳥よけのネットがかぶせてある。
庭を見ればその住人がどれぐらいの気持ちでやっているか分かる。
見た目だけの人も居れば、真剣に取り組んでいる人もいる。
畑は空いていたので、とりあえずキャベツを植えた。
ログハウス調の木を組み合わせた家は山小屋の雰囲気をかもし出している。
そしてなんと、自家製の燻製器まである。
スモークサーモン、スモークチーズ、これならベーコンも作れるか。
夢は広がるぞ。

家の中の本棚には日本語の本もどっさり。
本棚の片隅には宮崎駿のナウシカの漫画が全七巻。
おおおお、ナウシカかあ、二十年ぐらい前に一度読んだか。
ニュージーランドでナウシカなんていいじゃあ、ありませんか。
雨の日にゆっくり本を読むなんて楽しみもできた。

場所がまたいい。
アロータウンの町外れで、車の通りはほとんどない。
とにかく静かなのだ。
家の周りではトゥイがきれいな声でさえずり、この声で目が覚めるのは1日の活力源だ。
トゥイの泣き声は独特で綺麗な声の中に時折ギジギジというような音が混ざる。
7種類ぐらいの音を出すと、何かの本で読んだ覚えがある。
友達のトモコは初めてニュージーランドに来た時にキャンプをして、朝この鳥の声で目覚めた時に、宇宙人かUFOがやってきたと勘違いしたそうな。
確かにこの鳥の声は電子音のようにも聞こえるし、これがたくさんいればそんな夢も見るだろうな。
ここは鳥の国なのだ。

裏側はすぐに山で5分も行くと展望台があり、おあつらえ向きにベンチなぞ置いてある。
この国のこういうところが好きだ。
夕暮れ時にボーっとするにはもってこいの場所である。
町を見下ろす高台という雰囲気で人は殆ど来ない。
たまに来るのは地元の人だけで観光客が全く来ない。
クィーンズタウンは観光の町なので賑やかなのは仕方ない。
だがここ数年、街の喧騒にうんざりしていた感はある。
昔は街のど真ん中、モールになんぞ住んでいたこともあったが、その家は今やおしゃれなバーになっている。
特にクリスマスから年末年始にかけては、街にいたくない。
郊外の家なら静かでよかろうと思うが最近ではそうでもなくなってきている。
若ければ街に繰り出しパーティーもいいが、年をとったのか落ち着く場所で飲むことが多くなった。
ここの家はまさに隠れ家。
家の横は墓地だが、日本的なヒュードロドロ「恨めしや~」というものは一切なし。
ただひたすらに静かな場所であり、裏山へも墓地を通っていく。
家の正面は教会で、日中は人を見かけるものの夕方になれば誰もいない。
食卓の窓から教会の白い壁と大きな木が見えて、この雰囲気もまた良い。
とにかくすべてが気に入ってしまった。

難点というか悩みと言うのか、忙しすぎてほとんどこの家に帰っていない。
帰ってきて一泊してすぐに次のツアーといった具合で、フラットメイトと御飯を食べたのも数回だ。
そうこうしているうちに年の瀬がそこまで来ている。
ナウシカも燻製もしばらく先になりそうだな。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

光陰矢のごとし

2016-12-10 | 高座
え、毎度のお運びで、あたくし清水亭聖笑と申します。
ああ、うれしいですね。
パソコンの向こう側、ネット回線を通じて「よっ、待ってました!」なんて声が聞こえてまいりました。
こんなろくにアップもしないようなブログにお付き合いしていただくなんて、つくづくファンの皆様は酔狂なもので、いえいえ、ありがたいものです。
実に久々の高座でありまして、最後に出てきたのはいつだったでしょうかね。
もう思い出せないぐらい昔のことでしょうか。
きっとどうでもいいんですね、そんなこと。
たま~に出てきて、毒にも薬にもならないどうでもいいことを喋って、「次の出番はいつかな」と思いつつ消えてゆく。
あたしなんてそんな存在なんです。
でもね、そんなどうでもいいようなことが大切だったりもするわけなんです。
世の中四角ばっかりじゃつまらない。
三角もあれば丸もある。
楕円もあれば星型もあり、いろいろな形と大きさがある。
その隙間を埋めるのがあたしの役目。
今回もちょいとばかしお付き合い願います。

それにしても時が経つのは速いものですな。
ついこの前、年が明けたと思ったらいつのまにやら年の瀬。
あっというまに1年が経ってしまいました。
光陰矢のごとし、などという言葉もあります。
ええ、みんな急いで帰るんですよ。
仕事を終えた工場勤めの人が、びゅーっと。
え、ちがいますか?ちがいますね。それは工員。
月日が経つのが速いことです。
忙しいとなおさらのこと。
「今年は忙しくなるぞ」と親方には言われておりましたが、始まってみるとこれが目の回るような忙しさ。
毎日毎日あちらこちらを飛び回り、あっというまに11月が過ぎ、気がついてみれば12月の半ば、もう年の瀬です。
もっとも年の瀬と申しましてもこちらはニュージーランド。
日本のように師が走ることもなく、のんびりとクリスマスを迎えようという時期なのです。
けれどもあたしたちガイド連中は今が稼ぎ時。
今忙しくなかったら、いつ忙しいんだい、という具合ですから。
それにね、毎日お客さんを案内して大変なことは大変なんですが、この仕事は基本的に人を楽しませる仕事。
いいですね、こういう仕事は。
あなたハッピー、わたしハッピー、チップが弾めばもっとハッピー、そのチップで美味い物を買えば家族もハッピー。
みんながみんなハッピーになるのって、いいと思いませんか?
世の中には人の足を引っ張る仕事とか、人のアラを探すような仕事とか、人を陥れようという仕事もあるんです。
まあその道を選ぶのもその人の責任なので、あたしはそれ以上言いませんけどね。
その点あたし達のような噺家は、あ、いつのまにか噺家になっちゃいましたけど、ガイドも噺家も似たようなものなのでいいですよね。
あたし達は人を幸せにさせて、そのおかげでおまんまを食っている。
ありがたいことじゃあありませんか。
そもそもはたらくという言葉の語源は、はた=他人 らく=楽しむ だそうなんです。
すなわち、人を楽しませる、人を楽にさせるというのがもともとの意味。
それがいつのまにか、はたらく=金を稼ぐ というようになってしまった。
うーん、なんでこうなってしまったのか。
なのでね、みなさん、働いても金が稼げない噺家をもうちょっと見習いましょう。

以前知り合いになったホテルのマネージャーの方が言ってました。
「いいなあ、ガイドさんは。1日の終わりにお客さんが『ありがとう』って言ってくれる」
その方はマネージャーという役職なので、何か事あると謝ってばかりなんだそうですね。
ああ、確かにそう言われてみればそうだなあ。
お客さんがありがとうって言ってくれる仕事っていいなあ。
考えてみてください、駐車違反やスピード違反で罰金取られた時に「ありがとう」って言えますか?
泥棒に入られた時や詐欺にあった時にありがとう、って言えないですよね。
もっとも詐欺の場合は最後まで本人が気がつかなければ、それはそれで本人が幸せでいいのかもしれません。
お客さんがありがとうと言う、これは世の中においても大切なことだと思うのです。
ですからあたしはバスに乗った時にもドライバーにありがとうと言いますし、買い物をした時や食事をした時にも言うように心がけています。
あ、でもそれは、自分が納得のいくサービスを受けた時ですよ。
レストラン行って、不味い物食ってひどいサービスを受けて、ありがとうと言うほどあたしゃ人間できていません。
それにはサービスを提供する方も、きっちりとした仕事をしなくてはなりません。
噺家は稽古をしなくてはならないし、ガイドだって勉強しなくてはならないのです。
お客の方も、こっちは金を払ってるんだという態度ではいけません。
ええ、これでは上手くいく事もまとまらなくなっちまう。それは傲慢というものです。
かと言って「お金を払わせていただきます」というのも卑屈になってこれはいけないですな。
卑屈にならず、かといって傲慢にもならず。
ほどほどのところで軽い気持ちで「おっ、ありがとうさん」という具合に、これが粋ってもんじゃあないでしょうか。
お互いにありがとうと言い合う関係は社会の理想なのだと、あたしは思うんです。

さていつものように毒にも薬にもならないようなことをダラダラ書き連ねましたが、そろそろお時間。
ええ、あたしも今日からまたツアーの日々でございます。
こうやって仕事がたくさんあることもありがたいことでして。
旅行関係の仕事なんて地震があったり、政情が不安定だったりするとすぐになくなりますから。
ツアーというものは、行く先と出発する元、この二つが安定していて成り立つものなのです。
なのでね、お金を払ってくれるお客様にもありがたや。
支えてくれる家族にもありがたや。
段取りしてくれる会社にもありがたや。
自分自身にありがたや。
最後にすべてを乗せた地球にありがたや、ありがたや。

では最後に、
ガイド稼業と掛けて、海に漕ぎ出す小船ととく、その心は

波に揺られることでしょう。

ありがとうございやした。
どどん どんどん。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

クライストチャーチの風物詩

2016-11-11 | 日記
夏も近づく11月の半ば、クライストチャーチでA&Pショーというイベントがある。
これは簡単に言えば農業祭のようなもので、農業に関するありとあらゆるものが集まる。
ニュージーランドは農業国なのであちこちでA&Pショーが開催されるが、クライストチャーチのそれは国内最大規模で、その日は学校も休みとなる。
このショーが僕がいつも犬の散歩に行く公園で催されるのだ。
普段は静かなだだっ広い公園が、この数日間は巨大なイベント会場に変わる。
いつもならこの期間はすでにクィーンズタウンで働いているのでショーは見れないが、今年はツアーを一つ終えてクライストチャーチで数日間の休みが取れた。
日本から姪も来ていることだし、十年ぶりにショーに出かけた。
会場はいくつかの区画に別れ、乗馬エリア、牧羊犬エリア、家畜エリア、農業機器エリア、販売エリア、遊園地、イベントステージ、飲食コーナーなどなど、じっくり見ていったら1日では足りないぐらいだ。
牧羊犬で羊を追い時間を競う競技や、羊の毛刈り大会など、ニュージーランドならではのイベントもあり、姪も大満足の1日だった。


いつもの散歩コースを抜けて行くと・・・


入り口へ向かう人が見えてきた。


大男が斧で丸太をぶった切る大会。


建物では様々な出店、そして羊毛の品評会、その横では実際に羊毛のセリが行われていた。


こちらは生きた家畜のセリ。


子供たちが生きた動物とふれあうコーナーもあり。


子豚もいるし、鶏、鴨、ヤギ、その他もろもろ、にぎやかだ。


会場内はこんな具合。


可愛いね。


毛刈りを待っている羊達。


毛刈りの大会。いかにもニュージーランドって感じ。


外では馬の障害物競技。


アルパカの品評会。


遊園地コーナーではこんな物や


こんな物も。


観覧車はかなり高速でグルグル回る。


食べ物関連のテントでは料理の実演。そしてレストランの出店。


特設バイク会場。


バイク野朗の見せ場でもある。


100年前の農業機器。


古いトラクターのパレード。こちらは爺さん達の見せ場。


現在の農機器の展示販売。


農業に関するありとあらゆる物がある。


こんなものまで売ってます。


牧羊犬コーナーでは、羊を追いやる競技が行われていた。これもニュージーランドっぽいな。


賞を取った牛や馬のパレード。


人も馬も晴れ舞台。

と、まあこんな具合で楽しい1日だったのである。
これを組み込むツアーとかあったら楽しいだろうな。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

山小屋、旅立つ。

2016-10-29 | 日記
山小屋という名前はもちろんニックネームである。
北海道で「ガイドの山小屋」というお店をやっていることから「山小屋さん」と呼ばれているこの男。
僕と同じ年で仕事も同じようなことをやっているし、物の考え方も同じなので僕らは兄弟と呼び合っている。
ヤツは1年おきにNZに来ては2ヶ月近く自転車の旅をする。
かれこれ10年近くのつきあいになろうか。
前回、日本に行った時にはヤツの家に転がりこみ、2週間ほど飲んで食って気が向いたら自転車の乗ってという日々を過ごした。



ヤツの旅の最初と最後は我が家で過ごすのが常である。
今回もいつものようにやって来て、ビールをたらふく飲み美味い物をたらふく食って過ごした。
ただ飲み食いしていたわけでもない。
庭木の剪定、トレーラーに切った枝を積み込み捨てに行ったり、ガレージの土間の修繕などなど、できる男なのだ。
自家製ビールも一緒に作り、オノさんの所で二人仲良くボキボキやってもらい、その後でビールも飲んだし、プチ観光もした。



そんな山小屋が地図を見ながら悩んでいた。
旅のルートを決めかねていたのだ。
今回は2ヶ月ほどかけて南島を1週する。
クライストチャーチを基点に北上する時計回りのルートか、南下する半時計周りのルートかで悩んでいた。
基本的に雨の時は走らないので、心境としては晴れが続く時に出発したい。
だが天気は不安定で1日後には強い雨雲が来そうだ。
そうなるとそこで停滞になるので、それなら出発を延ばそうかな、という気になるのも分かる。
またこの国の場合、局地的に天気が変わるので、ここから南は雨だが北は晴れ、ということもよくある。
それがはっきりしてれば踏ん切りもつくのだろうが、今回は北へ行っても南へ行っても同じような天気なのでまた迷ってしまう。



山小屋と僕とは似通っているところも多いが、違うところもある。
ヤツは旅のプランに関してはわりと細かく、ノートに時計回りだとこれぐらいにクィーンズタウンを通過してとか、反時計回りだとこうなってとかいろいろとシュミレーションを書き込んで計算している。
出発して方向が決まれば、選択も少なくなるのだが出発前だと選択が多い。
選択が多いと人は迷うものである。
僕が提案した、分岐に来たら棒を投げて出た方向に進むという案はあえなく却下。
僕の旅は行き当たりばったりで、この前日本に行った時もギリギリまでプランを決めず、自分をニュートラルな状態に置くことを意識した。
いろいろな友人知人宅に泊めてもらうことも多かったし、トークライブなんてこともしたので事前に連絡もしたが、基本は行き当たりばったり。
それで全て上手く行ったのだから、我ながらたいしたもんだと思う。
最近は旅をする機会も減ったが、いつかは知らない街で棒を投げて出た方に向かって進む旅をしたいものだ。



さてそんな出発前に頭を悩ましている山小屋に悪魔のささやきを一言。
「まだアフガニスタン料理、食ってないだろ?」
あえなく滞在決定。
その晩は二人でアフガン料理を買いに行き、親父に「ハウメニピーポー」と聞かれ、今回はそれに「マイフレンド」という言葉がついた。
メシは文句無く美味く、ニュージーランドに居ながらにして中央アジアの味に兄弟も満足。
とんでもなく美味い物を食うと「ムフフフ」と気味の悪い声を上げるのがヤツの癖だ。
4人前の料理がその日の晩飯と次の日の朝飯と昼飯でやっとなくなった。



我が家での滞在も1週間になり、ヤツの奥さんの由美ちゃんが「まだ聖さんの所に居るの?」と言い出す頃、山小屋の重い腰も上がった。
うちとしては1ヶ月でも2ヶ月でもいてもかまわないのだが、そうもいかない。
曇りだが暑くもなく寒くも無く風は無風、出発にはまずまずの天気に、ココの散歩を兼ねて一緒に自転車で走った。
公園の外周道路は車と交差しないのでチャリダーに優しく、犬も喜んで一緒に走れる。
公園の外れで僕とココは山小屋を見送った。
2ヶ月で3000キロぐらい走るのだろうか。
僕にはとてもまねできないが、それによって見えるものもある。
次にヤツと合流するのはクィーンズタウンでだ。
さてと僕もそろそろ夏の準備でもしようか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

カルチャーショック

2016-10-20 | 
家の近く、わりとよく通る道に気になるレストランがあった。
看板にはアフガニスタンと書いてある。
アフガニスタン料理?聞いたことがないな。
たぶんイスラム系の食べ物なんだろうなという想像はできた。
この店がぱっとしない外観で、あまり目立つわけでもない。
それでも町の中の幹線道路沿いに何年も前から存在し続けるということはそれなりに人気があるのかなどと、そこを通る度に考えていた。
「あそこのレストラン、美味しいらしいよ」
という情報をどこからともなく女房が持ってきて、それならいつかテイクアウェイでもしてみるか、と思って数ヶ月。
冬の忙しい最中、僕も女房も仕事で帰りが遅く晩飯を作るのが面倒くさいという時に、娘と二人でその店に行ってみた。

週末の夕方とあって店内はけっこうな賑わいぶりで、テーブルも何席かあるのだが半分ぐらいは埋まっている。
入り口にはテイクアウェイの人が何人か待っている様子。
カウンターの中ではイスラム系のオヤジが一人で忙しそうに働いている。
他に店員は見当たらない。
しばらく待たされそうだな、これは。
「なあ、あきらめて別の店に行こうか」と僕。
「きっと美味しいよ。ちょっと待っても買っていこうよ」と娘。
「そうか、そうだな」
老いては子に従え、ではないが娘の言うとおりに待つことにした。
店の入り口には立て看板にメニューが10ぐらい、チキンだのラムだのが書いてある。
良く分からないのだが娘と相談して、3つその中から適当に選んで順番を待った。
そうしているうちに、僕らの後ろからも行列が出来て、さらに店内で食べる人も来てテーブルも満席になった。
これだけ混雑しているのに、相変わらずオヤジが一人でバタバタと働いている。
オヤジが僕らに聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
「え?俺たちは二人だけど、注文したいのはこのメニューの4番と5番と8番で・・・」
ということを言ったのだが親父はもう一度
「ハウメニ ピーポー」
「だから4番と5番と8番を注文したい」
親父は首を横に振ると僕の後ろの人に聞いた。
「ハウメニ ピーポー」
後ろの人はツーとかスリーとかワンとか言い、親父は僕らを無視して調理を続けた。
なんなんだここは一体?
近くで待っていた常連らしきインド人が笑顔で言った。
「ここはそういう店じゃないから」
「そういう店じゃないって?」
「まあまあ大丈夫だから、待ってみなよ」
相変わらず親父は忙しそうに働いている。
焼き物のコーナーでは大串に刺された鳥とラムが時折炎を上げながら焼かれている。
その面倒を見ながら、ライス、サラダ、カレーを盛り付けて、テーブルの客を呼ぶ。
客の方も心得たもので、アフガニスタン語か何か分からない言葉でやり取りをしながら、それを受け取り自分のテーブルへ運ぶ。
そして、その客が他のテーブルに座った白人の客にも料理を運んだりしている。
どうやらここはメニューは一種類。
ラムとチキンの串焼き、チキンのオーブン焼き、サラダ、ライス、カレー。
これを人数分に出すようだ。
料金は一人一律20ドル。
テイクアウェイとしては高いが、とにかく量が多い。
そうか、そういうことか、なるほどな。
親父は僕らの方は全く見ないで、てきぱきと働き続ける。
雰囲気は頑固親父で「うちは一見さんはお断りだよ、全く分け分からんヤツが来やがって」そんなオーラさえ出てると思うのは考えすぎか。
このまま無視され続けたらどうしよう、と心配になる頃、やっと僕らの方を見て言った。
「ハウメニ ピーポー」
「お忙しい所、誠に恐れ入りますが、3人分包んでいただけませんでしょうか?」
とは言わないがそんな気持ちで「スリー」と言った。
親父はニヤっと笑い「ラム、チキン、オーケー?」
「オーケー、オーケー」
てきぱきと3人分包み料金は60ドル。
現金を無造作にジーンズの尻ポケットに突っ込むと、笑顔でサンキューと言い握手をした。
ふう、こんな店があるんだなあ。



家に帰ってから、さあ晩飯だ。
まずは鳥肉の焼き物、強火で焙るように焼いた鳥肉はスパイスが効きすぎず、シンプルに美味い。
ラムも同じく、羊臭さをあまり感じさせず、かといってスパイスが強すぎもせず美味い。
ご飯はインド料理のそれより長細いヤツだが、ふっくらと炊けていて、しかもスープで炊いてあるんだろう、うっすらと味がついている。
そしてもう一つの鳥の焼き物はオーブン焼きなのだが、これまたジューシーで表面は香ばしく絶品。
インドのタンドリチキンにちょっと似ている。
さらにカレーもついていて、このカレーがインド風のカレーとも違い、シンプルに美味い。
このカレーとご飯の組み合わせも最高。
とにかく全てが美味いのだ。
味を文で表現するのは難しいのだが、インドと中近東の間ぐらいの香辛料の具合か。
地理的にもたぶんその辺りに位置するのだろう。
中央アジアと言うんだろうな。
昔、中国を旅した時にシルクロードを奥へ奥へ行き、たどりついたのがパキスタンとの国境にある街だった。
そこは政治的には中国なのだが、地域も社会も文化もイスラムのそれで、ここが中国と言うことの方がおかしい、そんな印象を持った。
ふとそんな中央アジアを思い出させるような、そんな味がした。

その晩は3人分を頼んだのだが、とても3人では食いきらない量である。
日本だったら6人分だろうな、きっと。
我が家は大食いの類だが、お腹がペコペコだったのに食いきれず次の日に残った。
これで一人20ドルは決して高くない。
この味でこの量、なるほどな、パッとしない外観の店がつぶれずに繁盛しているわけだ。
それよりなにより、店の入り口にあるメニューの意味は一体・・・。
「うちはそういう店じゃないから、文句があるなら他所へ行きな」
なんてことは言わないだろうが、メニューはあれど客に選択の余地無し。
アメリカでは客により多く選択を与えるのが良いサービスと言う考えがあるそうな。
確かにサブウェイでサンドイッチを買うと良く分かる。
サンドイッチの中身を選んで、パンの種類を選んで、チーズの種類を選んで、それを焼くか焼かないか選んで、サラダの中身を選んで、ドレッシングを選んで、最後に塩コショウをふるかどうか選ぶ。
僕も今でこそ慣れたが、最初は慣れなかったし、僕の周りにはどうやって買えばいいのか分からないので買ったことが無いという人がいる。
選択恐怖症というものがあるのかないのか分からないけど、そういう人は買えない。
まあサブウェイを食べなくても日常生活には全く支障をきたさないからどうでもいいんだけど、その面倒くさいシステムがアメリカっぽいとも言える。
その考えと全く正反対、客に選択の余地を与えず、「これが美味いんだから黙ってこれを食え!」というノリのこの店。
なんか日本の頑固親父に共通するものがあるようで、僕は大いに好きになってしまった。
これで不味ければ話にもならないのだが、美味いのだから文句もない。
ニュージーランドは西洋の社会に入るのだが、その中でアメリカ資本主義への反骨精神。
そういえばアフガニスタンはアメリカと旧ソ連の間でボロボロにされた国だな。
そういったこと全て含めて、僕にはカルチャーショックだった。
自分が昔住んでいた家から歩いて5分ぐらいの場所に、そんな店があったなんて。
こういう発見があるから人生は楽しい。
ついでに言えば、このブログのために写真を撮ったのだが、この看板。
真ん中のピラミッドやらスフィンクスやらって・・・エジプトだよな。
それにこのAFGHANの文字だけ字体が違うぞ。
もともとエジプト料理で、そこだけ後から書き替えたのかも。
そのいい加減なノリも美味けりゃOK。
何はともあれこのお店、クライストチャーチに来た折にはぜひとも行って、4番と5番と8番を注文していただきたい。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加