あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2024年

2024-01-24 | ガイドの現場
ちょっと今更感はありますが、新年明けましておめでとうございます。
新年早々地震だの火事だの大変な幕開けとなりましたが、あおしろみどりくろ読者の皆様のさらなる御栄達を祈っております。
今年も途切れ途切れの更新となりますが、忘れた頃に更新されるこのブログ、これからもご贔屓にお願い申し上げます。



堅苦しい挨拶はこれぐらいにして、いつもの調子に戻ろう。
年末年始から今まで、大きなツアーが二つ続きブログのページを開く余裕がなかった。
大晦日から年始はツアーの真っ最中で、いろいろ大変なニュースをチラホラ聞きながら、お客さんと一緒に美味しいものを食べ美味しい酒を飲み美しい景色を眺め楽しい時を過ごした。
ご両親は自分と同世代、母上様は死んだ父と同世代、その孫たちは自分の娘と同世代というご家族との旅は楽しく、特に母上殿を案内するのは自分の死んだ母を案内する感覚でもあった。
久しぶりにクィーンズタウンの街でお客さんと飲み、昔住んでいたボロ家がおしゃれなバーになっている話をして、外からそのバーを眺めていたら中から「ああ、聖さん」と声がかかった。
友達の息子がその店でバーテンダーをやっており、彼が僕を見つけ声をかけてきた次第である。
その流れで一杯やっていこうという話になり、イケメンバーテンダーが作るカクテルで再び乾杯ということになった。
旅の醍醐味とはこういうハプニング性であり、こういう嬉しい人間同士の繋がりが起こる時は良い波に乗っている証拠だ。
そういう時はその場に居合わす人が全てハッピーになれる。
お客さん、ガイドである自分、イケメンバーテンダー、周りの人々、幸せの波動は伝播して幸せの空間を作り上げる。
でもまさか自分が若いころに住んでいた薄汚いアパートで30年後にこんなことになるなんて、当時の僕は夢にも思わなかった。
人生とはつくづく面白いのである。



二つ目のツアーは写真家とお客さんと一緒に、山を歩き風景写真を撮るツアー。
この話は北海道に住む兄弟のような男、山小屋絡みの話だ。
山小屋の話はこのブログでも度々出ているので省く。
山小屋が来た
他にもいくつかヤツの記事を書いているので、興味がある人は探してくれ。
去年も2ヶ月ほど南島を自転車で廻り、旅の前後には我が家に滞在し大いに飲み食いしたのだ。
そんな山小屋から連絡があったのが去年の半ばぐらいか。
知り合いの写真家がニュージーランドへお客さんと一緒に行き山歩きをしたい、ついては誰かいいガイドを探している。
そこでニュージーランドで山歩きのガイドならあいつしかいないだろうと白羽の矢が立ったのだ。
山小屋曰く、その写真家はオレ達と同じ匂いがする人だから心配するな。
ふむ、まあヤツがそう言うのだからそういうことだろう。
宿や車の手配は古巣タンケンツアーズにお願いをして、トントン拍子にツアーが決まった次第である。
普通のツアーは国内を移動しながら名所を見て回るのだが、今回はかなり変わったツアーでベースとなるクィーンズタウンに5連泊、そこから日帰りで毎日の行く先を決める。
その日の天気やお客さんの様子を見ながらプランを立てていく。
昨日はマウントクック今日はルートバーン、さて明日はどこへ行こうかね、といった具合である。
晴れた時にはどこに行っても綺麗なのだが、雨天の時にはここに行けば小雨になるのでこの辺りで雨雲をやり過ごす、といった具合でガイドの腕が試されるのだ。
さらに写真撮影のツアーなのでじっくりと時間をかける。
きれいな森なぞ普通に歩いて1時間のコースを2時間も3時間もかけるのだ。
これはこちらとしても嬉しい。
とあるツアーをやった時には、ここが今日のハイライトという場所で時間もたっぷりあるのに写真をパチパチと撮って「もう写真撮ったからいい、次へ行こう」などと言われたこともある。
今回のメインはルートバーンの森歩きだったのだが、あまりの森の綺麗さにもう一度行きたいとリクエストがかかり帰国直前の日に再び行ったぐらいだ。
ガイドの想いとお客さんのリクエストが合致するとこういうツアーができあがるのだな。



そうそう肝心な写真家の話だが、山小屋が言ったとおりの人柄だが、大きく違うのはオレ達のように泥臭くなくもっとオシャレでスマートでかっこいい。
オレ達がミシシッピの泥臭いブルースなら、向こうはニューヨークのジャズといったところか。
それでも根底で繋がるところがあるので、話がぴったりと合致する。
自然観、東洋と西洋の考え方、宗教哲学、社会観、人生観、死生観、根っこで繋がると枝葉の違いは気にならない。
むしろ活躍する場所、生活の場、自己を表現する方法、取り巻く環境、そういった表面的に現れる違いを自分と違う視点で見るようで楽しい。
森で撮った写真をみせてもらったが、普段自分が見慣れている景色がこんな絵になるのかと驚いた。
今更ながら彼のウェブサイトを覗いてみたが、いやはやすごい写真を撮る人なのだと気がついた。ほんとに今更だな。
興味ある方はぜひ覗いていただきたい。
中西敏貴



そんな具合に2024年は明けて、気がつけばもう1月も半ばを過ぎている。
久しぶりにクィーンズタウンやミルフォードサウンドやルートバーンの森に行って想ったことは、当たり前だがやはり美しい場所だなと。
人間は比較することで判断する生き物である。
どんなに美しい場所があろうと、ずーっとそこに居ればその美しい景色は当たり前となり感動は薄れる。
しばらく離れることにより、感覚が研ぎ澄まされ美しい景色を堪能することができる。
そこに美しい景色があることは知っている。
だが知識として知ることで人間は全て分かった気になってしまう。
そこを実際に訪れて自分の肉体をその風景の中に放り込むことによって、見て聞いて触れて感じる。
それが生きることでありライブなのだと、3年ぶりのルートバーンの森に教えてもらった。
こうやってお客さんに喜んでもらう仕事をしているが、最近はこれが天職なのだろうかという想いが増した。
今回あげたツアーの他でも、ニュージーランド旅行の目的が僕に会うために来てくれる人がいる。
そういう人がいる限りこの仕事を続けていきたいと思うのだ。
天職とは、もしその仕事をしなくても生活できるような状態になったとしても、その仕事をやり続けるかどうかだ。
写真家はきっと写真を撮り続けるだろうし、歌手は歌いつけるだろうし、僕はきっとガイドを続けると思う。
その根底にあるのは情熱、パッションだ。
その情熱がなくただ惰性でやっている人や金を稼ぐためにやっている人もいるだろうが、そんな付け焼き刃はすぐにメッキがはがれる。
自分の事を過大評価しないように戒めるのはある程度は必要だが、そろそろ僕も自分自身に対する自信がつき始めた。
それは出会うお客さん達の反応を見れば分かるし、リピーターとなって帰ってきてくれる人の顔でも見える。

傲慢にならぬような自信を持ち、卑屈にならぬような謙虚さを持つ。
そんなバランスを保ちながら、2024年を生きていこうと思うのである。


コメント
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