「ゾクチェン」再考中・1
「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」
やはり、ゾクチェンに関するいくつかの書物の中で、本著がゾクチェンを学ぶ上で最も最適なものになるではないだろうかと存じます。ダライ・ラマ法王猊下様に敬礼申し上げます。合掌
結局のところ、「ゾクチェン」が目指す悟りの境地としての「光明・明知(リクパ)・仏性」というものと「空と縁起」との関係性について、どう考えるべきかということになって参ります・・
うーん、今のところは、結局、松本史朗先生の「基体説」におけることでの弊害や危惧について、変わらずやはり考えることになってしまいますよね・・
もうかれこれ五年前の論考となりますが・・一応下記参考までに・・
「基体説」論考4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html
・・以下、抜粋・・
「基体説」論考4
さて、今回は「基体説」のもたらす弊害につきまして考えて参りたいと存じます。
まず、松本史郎氏の関連論考を参考と致しまして、松本史郎氏が「基体説」の弊害として述べられていると思われる主張に関して、私なりに少しメモ程度にまとめさせて頂きますと、
『安易な空思想は最悪の現実肯定の理論となる。それは、「不二」や「即」の名のもとに楽天的な"同一性"を説き、密教を擁護する理論となる。』
『現実と実在の全面的同一性』の理論となる。
『(空の思想が)一切を単純に否定する気楽なニヒリズムと、それに裏うちされた全面肯定の楽天主義』に陥る。
『善悪を超えた一元の立場から善悪をそのまま容認する現実肯定的、最善主義的な』思想に陥り、何らの問題(迷い・苦しみ)の解決にもならない。
『原理的な同一、無差別を言うことによって、かえって現実的な差別を肯定し、絶対化する』というものとなる。
『原理的な同一性、無差別性を言いながら、最終的には現実の種姓や諸法の差別を述べることで終わる。』
『無差別平等なる「一」によって、差別たる現実の「多」の実在性が根拠づけられる』ことにより、『現実的差別が固定化・絶対化』されてしまうということになる。
以上の松本氏の主要な主張を鑑みますと、仏教思想における「現実肯定化・同一化・固定化・絶対化」、そして、特には「差別の肯定化・絶対化」といったことを弊害として簡潔にまとめることができ、更には、「仏教の曖昧化」、「仏教の堕落化・腐敗化・退廃化」といったことも考えることができます。
更に上記より導き出されるより具体的な弊害としては、「仏教の反知的神秘主義化」を招き、「教説・修行の神秘化・密教化、あるいは魔性化」傾向が顕著となる、また、「全面肯定論」から「修行不要論」・「仏教不要論」への転落といったことなどが考えられます。
次に、仏教思想が非仏教化していくことに大きく影響した思想について考察して参りたいと思います。
・・
「基体説」論考3
如来蔵・仏性思想において、最も重大な問題は、「実体的な存在」を是認しているのかどうかということでありますが、残念ながら、これまでの私なりに進めて参りました仏教論考考察の結果として、松本史朗氏の「基体説」によって明確に説明されるように「実体的な存在」を是認していると言わざるを得ないものと考えることができ、松本史朗氏の「如来蔵(仏性)思想は仏教にあらず」という見解は追認するべきであると言えます。
これまで、考察の俎上に何度も挙げて参りました「基体説」とは、『存在・現象など一切のモノ・コト、万物に関する究極的な真理としての最終的基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源・根拠などの本質体)というものが、「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」としてあるのだと想定・仮定・仮説した上で、それらから、あらゆる事物・事象・現象が生じていると説明する「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元論」』というものであります。仏教が、上記のような「基体」を想定・仮定・仮説し、「現実肯定の理論」へと転落して、非仏教化していく経緯の中においては、様々に「最終的基体」(dhātu)に関しての表現が成されて説明されていることが伺えます。
今までの私なりの仏教論考考察から思いつくままにそれらの例をまずは挙げてみましょう。中には、意外と思われる単語も含まれているかも知れませんが、「最終的基体」(dhātu)を思想的に含んでいる可能性が高いものとしてご理解を頂けましたらと存じます。
「最終的基体」(dhātu)を思想的に含んでいる可能性が高いと考えられる単語
最終的基体・究極的真理・諸法の基体・万物の根源
単一実在論・一元論的我論・発生論的一元論・絶対的一元論・超越的一元論・神秘的同一論
無執着・無所有・無所得・無処住・無所住・無基体
無区別・無分別・不二・離辺・断辺・八不中道・不生不滅・非有非無・百非・絶無
無明即明・煩悩即菩提・生死即涅槃・世俗諦即勝義諦
言忘慮絶・言語道断・絶言絶思・無念無想・無戯論・戯論寂滅・不思不観・無名・無記・不可知主義・反知的神秘主義・神秘的不可説
無基体の基体・無基底の基底・無限の無・無立場の立場・絶対無・絶対的絶対
真理・真如・涅槃・虚空・虚無・空寂・法性・法界・法身・実際・実義・一実・一如・一相・平等・無相・法位・無為・真諦・真性・実諦・実際・如実・実相・自性清浄
もう少し厳密に分析していかなければなりませんし、明確に分類したわけではありませんが、以上のような単語を挙げることができるのではないかと考えています。
さて、それでは「基体説」のもたらす弊害とはどのようなものとなるのでしょうか。次に少し考えて参りたいと存じます。
「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html
・・以上ここまで。
改稿「虹の階梯」読了。ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェ師の教えの邦訳。
まず、正直な感想から述べさせて頂きますと、チベット仏教・密教を少なからず学び進めている者にとっては、理解が難しいことや強いて問題となるようなものもあまり感じられず、チベット密教・ニンマ派教義の紹介として、それほど違和感のない内容で、ただ、オウム真理教の参考書、オウム真理教への手引書になったというだけのことで、その内容について吟味することもなく、敬遠していたのは間違いであったと反省致しております。
はっきりと申せば、中沢新一氏においては、その当時に麻原彰晃氏を礼賛し、オウム真理教の宣伝に加担してしまったのは、当時においての中沢新一氏の仏教、チベット密教の学びや、菩提心と空性の理解等がまだまだ浅薄であり、また、行法・修習も未熟であったために、その本質が見抜けずに、大きな過ちを犯してしまったということではないのだろうかと思われます。
もちろん、中沢新一氏の著書や思想の影響を受けて、オウム真理教に入信してしまい、悲劇的な結果となり、悪業を背負ってしまった者たちについては、やはり、責任の一端はあるかもしれないため、しかるべき謝罪や償いもなすべきとなるでしょうが、それでも、盲目的に、狂信的に麻原彰晃氏やオウム真理教へと帰依してしまったという自己責任についても、当然に問われてしかるべきとなるでしょうし、そのあたりの両者の過失度合を勘案して、今更ながらではありますが、責任論については言及しないといけないのではないだろうかと存じます。
また、改稿「虹の階梯」においては、帰依すべき対象、師とすべき対象に対してなすべき慎重なる態度についても当然に触れられており、やはり、本書だけをもってオウム真理教への入信を幇助したと判断するのも早計となるのではないかと存じます。
更には、オウム真理教が組織的に行った殺人の根拠として扱われてしまっている「ヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え」、「ポア(ポワ)の教え」について、改稿「虹の階梯」において、前者は直接的にも全く触れられておらず、後者も、殺人を肯定するような内容は全く見受けられずにて、明らかに本書やチベット密教への誤解・偏見による弊害が、今でもあるのではないだろうかと誠に危惧を致します。
とにかく、麻原彰晃氏の思想、オウム真理教の思想というものは、正直、とても仏教と呼べるようなものではなくて、ただの(麻原彰晃氏)個人・個人思想への崇拝信仰の宗教であり、様々に引き起こされた殺人事件も、麻原彰晃氏による社会への逆恨み的な歪んだ感情、利己的・保身的な感情が引き起こした複合的な組織的犯行であったと言えるのではないだろうかと存じます。
結局は、オウム真理教による殺人事件というものは、事件の背景や状況等を鑑みればみるほどに、とても仏教における慈悲行や利他行、善行と言えるようなものではない、無明・煩悩によって引き起こされた悪業となる殺人でしかなく、ただ、如来の大いなる慈悲を根拠として援用し、その殺人を正当化させるために「ヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え」や「ポア(ポワ)の教え」を歪曲して持ち出しただけで、とにかく、増上慢、傲慢未熟なる者によっての誤解・偏見・独善に満ちた方便の誤った使い方の典型例であったのではないだろうかと思われます。
(もしも、本当に麻原彰晃氏が本人の言うように最終解脱者であり、また収監後もチベット密教の瞑想・修習を拘置所で続けている中で、最終的に死に際して、虹の身体、幻身やトゥクダムといった悟りの徴を示した場合においては、その評価が一変してしまうことについても懸念しましたが・・改めてオウム真理教や麻原彰晃氏個人のことについても再考した結果、残念ながら、今やその可能性はほぼゼロと言ってしまってもいいような気が致しております・・)
そして、このオウム真理教におけることで、仏教、特に、チベット仏教、チベット密教への誤解や偏見による先入観にて、その本質について触れたり、学んだりすることがなくなってしまっているとすれば、なんともったいないことであろうかと思う次第でございます。
特にチベット仏教の精髄とも言える後期中観派の哲学的見解においては、空性を理解するためのこの上ない示唆に富んでおり、拙生は是非、チベット仏教全般の内容と並行して学ぶべきことが多くあるのではないかと存じております。
とにかく、改稿「虹の階梯」の感想はここまでとして、更に「ゾクチェン」について再考して参りたいと存じます。
(ちなみに、中沢新一氏の他の著書を読む気は今のところ全くございませんので、あしからずにて・・)
・・
この「虹の階梯」が、オウム真理教の参考書、オウム真理教への手引書になったという批判がありますが、二十数年前の当時のチベット仏教・密教の日本における紹介・認知・学術研究等の浅薄なる状況を鑑みれば、本書にて、チベット仏教・密教への誤解や偏見、神秘主義的憧憬が生じるのも、ある意味では仕方がなかったのかもしれないかな・・という感じであります・・
チベット密教に興味があり、学びたい、修行してみたいとしても、チベットやインド、ネパールなどまで行って正式に修行できる余裕などがない中で、日本においての正統なる受け皿もなく、それでも何か少しでもとなった時において、チベット密教(というよりもシヴァ神崇拝、ボン教・ヒンドゥー教的な要素も強い包括宗教)との教義的な関わりも少しくあるとみられたヨガ・瞑想道場を開いていたのが、たまたまに麻原彰晃氏、オウム神仙の会、オウム真理教であったということになるのでしょうか・・
そして、特にオウム真理教が組織的に行った殺人の根拠として、密教のヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え、ポア(ポワ)の教えが、その殺人を正当化する根拠として用いられてしまったとして、特に注目を集めて、その中で、チベット密教に対しての疑義の目が向けられてしまったというところもあるのではないかと存じます・・
また、一読了後に総括致したいと存じます。
・・
改稿「虹の階梯」中沢新一氏/ラマ・ケツン・サンポ師。
さすがに20年以上前の古書だけにページが崩れていくつか外れてしまいましたね…
ニンマ派リンポチェ師のご法話の内容の邦訳にて、特に違和感なく、チベット仏教の学びを少しなりにも進めている者においては、馴染みのある教えばかりであり、懸念していたような中沢新一氏の思想的偏見や恣意的なものも今のところあまり感じられずでございます。
ただ、中沢新一氏の思想が入っていそうな「チベットのモーツァルト」や他の著書となれば別なのかもしれませんが、「虹の階梯」は、純粋なリンポチェ師の教えであると考えて構わないのではないかと存じます。
本著を読む限り、恐らくは、中沢新一氏に麻原彰晃氏の本質を見抜く力が、当時ほとんどなかったということなのではないのだろうかと思われますね。
はじめて中沢新一氏の著書を古書取り寄せました・・やはり、オウム真理教との絡みにおける批判に関してのことが念頭にあるだけに、ずっと敬遠をしておりましたが・・ついに・・という感じでございます・・
改稿「虹の階梯」中沢新一氏/ラマ・ケツン・サンポ師
中公文庫
「ゾクチェン」について再考している中で以前では気付かなかったことに気付きつつある気配があるような、ないような、、それが確信的となれば、また少しずつでも拙論の中においても開示させて頂きたいと思っています。もちろん、如来蔵思想、仏性思想にも当然に関連して参ります。
hasunohaの回答もすっかりと滞ってしまっておりますが、呪殺祈祷僧団復活に対しての懸念について(http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9bb187338f5bd4b6b01674157b908136)の考察の影響を受けて、少し思うところがあり、「ゾクチェン」について再び関連の論書を読み始めてしまっているのが主な原因でございます・・
・・
「今秋の東大阪市・市長選挙・市議会議員選挙についての雑感」2015.8.27
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4451ba3c2b7a73019388332e06b0a424
「9/27 東大阪市・市議会議員選挙について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c498421ab72ce533489194f6e09b9cc7
拙考「仏教と政治」について(2015.4.24)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52190445.html
「デモ運動の次のステージについて」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/6d4ac5e08c6fccb99cb126af42e2be10
「アベ政治を許さない」デモ運動への違和感・2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52197923.html
「呪殺祈祷僧団復活に対しての懸念について・7・最終」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9bb187338f5bd4b6b01674157b908136
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「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/
hasunoha・拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/
hasunoha・拙生紹介ページ
http://hasunoha.jp/users/16
hasunoha・拙寺紹介ページ
http://hasunoha.jp/temples/6
東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌
佐々井秀嶺師 CROSS hasunohaご報告「佐々井秀嶺師ご法話・質疑応答の要旨について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c2f4432afb312e76387fde494ac6f178
「お坊さん×IT」!【hasunoha】代表の堀下氏にプラットフォーム運営について聞いてみました
http://www.m-hand.com/hirumeshimae/web-encycropedia/hasunoha/
運営者によるhasunoha(ハスノハ) blog
http://taka.hasunoha-blog.info
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勝義方便メモNo.11
http://togetter.com/li/827044
超宗派系一覧
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2015.4.17「ダライ・ラマ法王猊下様のこと・・」
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2015.4.13「ダライ・ラマ法王14世来日法話 般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ご報告
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2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df
2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12
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『 仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~ 』平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b
「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c
「 死後について 」平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f
「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76
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「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
http://t.co/PwVvYWck
「焼身抗議」などで中国と戦うチベットの人々を追う、ドキュメンタリー映画『ルンタ』
http://lung-ta.net/
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川口英俊の自動配信・デイリー自動情報収集ネット新聞
http://paper.li/hide1125/1307742529
「ダライ・ラマ ゾクチェン入門」
やはり、ゾクチェンに関するいくつかの書物の中で、本著がゾクチェンを学ぶ上で最も最適なものになるではないだろうかと存じます。ダライ・ラマ法王猊下様に敬礼申し上げます。合掌
結局のところ、「ゾクチェン」が目指す悟りの境地としての「光明・明知(リクパ)・仏性」というものと「空と縁起」との関係性について、どう考えるべきかということになって参ります・・
うーん、今のところは、結局、松本史朗先生の「基体説」におけることでの弊害や危惧について、変わらずやはり考えることになってしまいますよね・・
もうかれこれ五年前の論考となりますが・・一応下記参考までに・・
「基体説」論考4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51788684.html
・・以下、抜粋・・
「基体説」論考4
さて、今回は「基体説」のもたらす弊害につきまして考えて参りたいと存じます。
まず、松本史郎氏の関連論考を参考と致しまして、松本史郎氏が「基体説」の弊害として述べられていると思われる主張に関して、私なりに少しメモ程度にまとめさせて頂きますと、
『安易な空思想は最悪の現実肯定の理論となる。それは、「不二」や「即」の名のもとに楽天的な"同一性"を説き、密教を擁護する理論となる。』
『現実と実在の全面的同一性』の理論となる。
『(空の思想が)一切を単純に否定する気楽なニヒリズムと、それに裏うちされた全面肯定の楽天主義』に陥る。
『善悪を超えた一元の立場から善悪をそのまま容認する現実肯定的、最善主義的な』思想に陥り、何らの問題(迷い・苦しみ)の解決にもならない。
『原理的な同一、無差別を言うことによって、かえって現実的な差別を肯定し、絶対化する』というものとなる。
『原理的な同一性、無差別性を言いながら、最終的には現実の種姓や諸法の差別を述べることで終わる。』
『無差別平等なる「一」によって、差別たる現実の「多」の実在性が根拠づけられる』ことにより、『現実的差別が固定化・絶対化』されてしまうということになる。
以上の松本氏の主要な主張を鑑みますと、仏教思想における「現実肯定化・同一化・固定化・絶対化」、そして、特には「差別の肯定化・絶対化」といったことを弊害として簡潔にまとめることができ、更には、「仏教の曖昧化」、「仏教の堕落化・腐敗化・退廃化」といったことも考えることができます。
更に上記より導き出されるより具体的な弊害としては、「仏教の反知的神秘主義化」を招き、「教説・修行の神秘化・密教化、あるいは魔性化」傾向が顕著となる、また、「全面肯定論」から「修行不要論」・「仏教不要論」への転落といったことなどが考えられます。
次に、仏教思想が非仏教化していくことに大きく影響した思想について考察して参りたいと思います。
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「基体説」論考3
如来蔵・仏性思想において、最も重大な問題は、「実体的な存在」を是認しているのかどうかということでありますが、残念ながら、これまでの私なりに進めて参りました仏教論考考察の結果として、松本史朗氏の「基体説」によって明確に説明されるように「実体的な存在」を是認していると言わざるを得ないものと考えることができ、松本史朗氏の「如来蔵(仏性)思想は仏教にあらず」という見解は追認するべきであると言えます。
これまで、考察の俎上に何度も挙げて参りました「基体説」とは、『存在・現象など一切のモノ・コト、万物に関する究極的な真理としての最終的基体(基本・基底・基盤・根本・根底・根源・根拠などの本質体)というものが、「絶対的な存在・実在・実体・自性・自相」としてあるのだと想定・仮定・仮説した上で、それらから、あらゆる事物・事象・現象が生じていると説明する「発生論的一元論」・「生成流出論的根源論」・「絶対的一元論」』というものであります。仏教が、上記のような「基体」を想定・仮定・仮説し、「現実肯定の理論」へと転落して、非仏教化していく経緯の中においては、様々に「最終的基体」(dhātu)に関しての表現が成されて説明されていることが伺えます。
今までの私なりの仏教論考考察から思いつくままにそれらの例をまずは挙げてみましょう。中には、意外と思われる単語も含まれているかも知れませんが、「最終的基体」(dhātu)を思想的に含んでいる可能性が高いものとしてご理解を頂けましたらと存じます。
「最終的基体」(dhātu)を思想的に含んでいる可能性が高いと考えられる単語
最終的基体・究極的真理・諸法の基体・万物の根源
単一実在論・一元論的我論・発生論的一元論・絶対的一元論・超越的一元論・神秘的同一論
無執着・無所有・無所得・無処住・無所住・無基体
無区別・無分別・不二・離辺・断辺・八不中道・不生不滅・非有非無・百非・絶無
無明即明・煩悩即菩提・生死即涅槃・世俗諦即勝義諦
言忘慮絶・言語道断・絶言絶思・無念無想・無戯論・戯論寂滅・不思不観・無名・無記・不可知主義・反知的神秘主義・神秘的不可説
無基体の基体・無基底の基底・無限の無・無立場の立場・絶対無・絶対的絶対
真理・真如・涅槃・虚空・虚無・空寂・法性・法界・法身・実際・実義・一実・一如・一相・平等・無相・法位・無為・真諦・真性・実諦・実際・如実・実相・自性清浄
もう少し厳密に分析していかなければなりませんし、明確に分類したわけではありませんが、以上のような単語を挙げることができるのではないかと考えています。
さて、それでは「基体説」のもたらす弊害とはどのようなものとなるのでしょうか。次に少し考えて参りたいと存じます。
「基体説」論考1-2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/51786543.html
・・以上ここまで。
改稿「虹の階梯」読了。ラマ・ケツン・サンポ・リンポチェ師の教えの邦訳。
まず、正直な感想から述べさせて頂きますと、チベット仏教・密教を少なからず学び進めている者にとっては、理解が難しいことや強いて問題となるようなものもあまり感じられず、チベット密教・ニンマ派教義の紹介として、それほど違和感のない内容で、ただ、オウム真理教の参考書、オウム真理教への手引書になったというだけのことで、その内容について吟味することもなく、敬遠していたのは間違いであったと反省致しております。
はっきりと申せば、中沢新一氏においては、その当時に麻原彰晃氏を礼賛し、オウム真理教の宣伝に加担してしまったのは、当時においての中沢新一氏の仏教、チベット密教の学びや、菩提心と空性の理解等がまだまだ浅薄であり、また、行法・修習も未熟であったために、その本質が見抜けずに、大きな過ちを犯してしまったということではないのだろうかと思われます。
もちろん、中沢新一氏の著書や思想の影響を受けて、オウム真理教に入信してしまい、悲劇的な結果となり、悪業を背負ってしまった者たちについては、やはり、責任の一端はあるかもしれないため、しかるべき謝罪や償いもなすべきとなるでしょうが、それでも、盲目的に、狂信的に麻原彰晃氏やオウム真理教へと帰依してしまったという自己責任についても、当然に問われてしかるべきとなるでしょうし、そのあたりの両者の過失度合を勘案して、今更ながらではありますが、責任論については言及しないといけないのではないだろうかと存じます。
また、改稿「虹の階梯」においては、帰依すべき対象、師とすべき対象に対してなすべき慎重なる態度についても当然に触れられており、やはり、本書だけをもってオウム真理教への入信を幇助したと判断するのも早計となるのではないかと存じます。
更には、オウム真理教が組織的に行った殺人の根拠として扱われてしまっている「ヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え」、「ポア(ポワ)の教え」について、改稿「虹の階梯」において、前者は直接的にも全く触れられておらず、後者も、殺人を肯定するような内容は全く見受けられずにて、明らかに本書やチベット密教への誤解・偏見による弊害が、今でもあるのではないだろうかと誠に危惧を致します。
とにかく、麻原彰晃氏の思想、オウム真理教の思想というものは、正直、とても仏教と呼べるようなものではなくて、ただの(麻原彰晃氏)個人・個人思想への崇拝信仰の宗教であり、様々に引き起こされた殺人事件も、麻原彰晃氏による社会への逆恨み的な歪んだ感情、利己的・保身的な感情が引き起こした複合的な組織的犯行であったと言えるのではないだろうかと存じます。
結局は、オウム真理教による殺人事件というものは、事件の背景や状況等を鑑みればみるほどに、とても仏教における慈悲行や利他行、善行と言えるようなものではない、無明・煩悩によって引き起こされた悪業となる殺人でしかなく、ただ、如来の大いなる慈悲を根拠として援用し、その殺人を正当化させるために「ヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え」や「ポア(ポワ)の教え」を歪曲して持ち出しただけで、とにかく、増上慢、傲慢未熟なる者によっての誤解・偏見・独善に満ちた方便の誤った使い方の典型例であったのではないだろうかと思われます。
(もしも、本当に麻原彰晃氏が本人の言うように最終解脱者であり、また収監後もチベット密教の瞑想・修習を拘置所で続けている中で、最終的に死に際して、虹の身体、幻身やトゥクダムといった悟りの徴を示した場合においては、その評価が一変してしまうことについても懸念しましたが・・改めてオウム真理教や麻原彰晃氏個人のことについても再考した結果、残念ながら、今やその可能性はほぼゼロと言ってしまってもいいような気が致しております・・)
そして、このオウム真理教におけることで、仏教、特に、チベット仏教、チベット密教への誤解や偏見による先入観にて、その本質について触れたり、学んだりすることがなくなってしまっているとすれば、なんともったいないことであろうかと思う次第でございます。
特にチベット仏教の精髄とも言える後期中観派の哲学的見解においては、空性を理解するためのこの上ない示唆に富んでおり、拙生は是非、チベット仏教全般の内容と並行して学ぶべきことが多くあるのではないかと存じております。
とにかく、改稿「虹の階梯」の感想はここまでとして、更に「ゾクチェン」について再考して参りたいと存じます。
(ちなみに、中沢新一氏の他の著書を読む気は今のところ全くございませんので、あしからずにて・・)
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この「虹の階梯」が、オウム真理教の参考書、オウム真理教への手引書になったという批判がありますが、二十数年前の当時のチベット仏教・密教の日本における紹介・認知・学術研究等の浅薄なる状況を鑑みれば、本書にて、チベット仏教・密教への誤解や偏見、神秘主義的憧憬が生じるのも、ある意味では仕方がなかったのかもしれないかな・・という感じであります・・
チベット密教に興味があり、学びたい、修行してみたいとしても、チベットやインド、ネパールなどまで行って正式に修行できる余裕などがない中で、日本においての正統なる受け皿もなく、それでも何か少しでもとなった時において、チベット密教(というよりもシヴァ神崇拝、ボン教・ヒンドゥー教的な要素も強い包括宗教)との教義的な関わりも少しくあるとみられたヨガ・瞑想道場を開いていたのが、たまたまに麻原彰晃氏、オウム神仙の会、オウム真理教であったということになるのでしょうか・・
そして、特にオウム真理教が組織的に行った殺人の根拠として、密教のヴァジラヤーナ(金剛乗)の教え、ポア(ポワ)の教えが、その殺人を正当化する根拠として用いられてしまったとして、特に注目を集めて、その中で、チベット密教に対しての疑義の目が向けられてしまったというところもあるのではないかと存じます・・
また、一読了後に総括致したいと存じます。
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改稿「虹の階梯」中沢新一氏/ラマ・ケツン・サンポ師。
さすがに20年以上前の古書だけにページが崩れていくつか外れてしまいましたね…
ニンマ派リンポチェ師のご法話の内容の邦訳にて、特に違和感なく、チベット仏教の学びを少しなりにも進めている者においては、馴染みのある教えばかりであり、懸念していたような中沢新一氏の思想的偏見や恣意的なものも今のところあまり感じられずでございます。
ただ、中沢新一氏の思想が入っていそうな「チベットのモーツァルト」や他の著書となれば別なのかもしれませんが、「虹の階梯」は、純粋なリンポチェ師の教えであると考えて構わないのではないかと存じます。
本著を読む限り、恐らくは、中沢新一氏に麻原彰晃氏の本質を見抜く力が、当時ほとんどなかったということなのではないのだろうかと思われますね。
はじめて中沢新一氏の著書を古書取り寄せました・・やはり、オウム真理教との絡みにおける批判に関してのことが念頭にあるだけに、ずっと敬遠をしておりましたが・・ついに・・という感じでございます・・
改稿「虹の階梯」中沢新一氏/ラマ・ケツン・サンポ師
中公文庫
「ゾクチェン」について再考している中で以前では気付かなかったことに気付きつつある気配があるような、ないような、、それが確信的となれば、また少しずつでも拙論の中においても開示させて頂きたいと思っています。もちろん、如来蔵思想、仏性思想にも当然に関連して参ります。
hasunohaの回答もすっかりと滞ってしまっておりますが、呪殺祈祷僧団復活に対しての懸念について(http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9bb187338f5bd4b6b01674157b908136)の考察の影響を受けて、少し思うところがあり、「ゾクチェン」について再び関連の論書を読み始めてしまっているのが主な原因でございます・・
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「今秋の東大阪市・市長選挙・市議会議員選挙についての雑感」2015.8.27
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4451ba3c2b7a73019388332e06b0a424
「9/27 東大阪市・市議会議員選挙について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c498421ab72ce533489194f6e09b9cc7
拙考「仏教と政治」について(2015.4.24)
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52190445.html
「デモ運動の次のステージについて」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/6d4ac5e08c6fccb99cb126af42e2be10
「アベ政治を許さない」デモ運動への違和感・2
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52197923.html
「呪殺祈祷僧団復活に対しての懸念について・7・最終」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/9bb187338f5bd4b6b01674157b908136
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「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
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hasunoha・拙回答まとめ集
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/
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東日本大震災を機縁として立ち上がりました「hasunoha」に参画できましたこと、誠に感謝致しております。微力ながらにも一つ一つ少しずつでもお役に立てれる善行・功徳となりましたら、亡くなられました皆様への追善供養として回向申し上げたくに存じております。合掌
佐々井秀嶺師 CROSS hasunohaご報告「佐々井秀嶺師ご法話・質疑応答の要旨について」
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勝義方便メモNo.11
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「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料
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「 死後について 」平成26年9月・秋彼岸墓前回向 配布資料
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「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料
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「自らを灯明と化した菩薩たちの願い」~チベット問題・焼身抗議を考える~
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「焼身抗議」などで中国と戦うチベットの人々を追う、ドキュメンタリー映画『ルンタ』
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