日記

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「見仏と授記」

2021年05月27日 | 新日記
「見仏と授記」

問い「極楽浄土に生まれ変わりたい」
https://hasunoha.jp/questions/53394

上記拙回答内にて、

「・・なぜ浄土、あるいは天へと赴く過程を経なければならないのかは、見仏と授記という悟り・涅槃へ向けた条件を調えるためとなります。この娑婆世界は、現在、如来が不在であるため、それを補う必要性があるということになります。そのため顕教でも密教でも見仏と授記のために、浄土・天への往生(密教の場合は灌頂)が必須になるところであります。・・」

と述べてありますが、葬儀の際における「見仏と授記」を示す具体的な文言はありますかという質問

臨済宗(引導先は極楽浄土)では、明らかに記されています。

戒名授与の中で見仏

「・・法号を授与す。伏して願わくば今より以後、仏を称して師となし、深く禅定に入って十方の仏に見えんことを。」

龕前念誦回向で授記

「・・伏して願わくば、神、浄域を超え、業、塵労を謝し、蓮は上品の華を開き、仏は一生の記を授けられんことを。再び大衆を労して念ず・・」

ちなみに、曹洞宗では、龕前念誦回向にて臨済宗とほぼ同じようにして授記の文言があるものの、見仏についての文言は見当たりませんが、授記が言及されてある以上は当然に見仏していることが前提になるため、あえて省いてあるのかもしれないですね。

通夜・葬儀について(往生院六萬寺)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85018907.html

臨済宗や曹洞宗の引導先の考察につきましては、下記拙論をご参照下さいませ。

浄土での姿について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8

「施餓鬼」から始まった一連の考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f2ac67904d60204c87a6af2ac879a06d



アポーハ論・1

2021年05月25日 | 新日記
過去世からの心(の阿頼耶識)に薫習された習気(薫りが染み付いたようにそのモノコトを捉える習性)が、そのモノを捉えているが故に、誰一人として(外界における)同じモノ・コトを同じように認識することはない。

これはhasunohaで価値観の捉え方の違いについての回答内で述べたことであるが、このことを「アポーハ論」と組み合わせて考えるとどうなりますか、ということを別で聞かれた。

アポーハ論は、他者の排除、A性と非A性を分別するための論と認識しているが、結局、厳密に言えば、A性も非A性も、そのことを認識する者には、上記のために微妙な差異が生じるため、A性と非A性の境界を線引するのは不可能であると考えます。

つまり、A性と非A性にも実体が無いということで「空」ということです。

まあ、唯識が中観を補完するという奇妙な関係ではありますが、唯識も突き詰めていけば、認識主体側における実体性を否定せざるを得ないため、中観に帰結するとも言えるのですが。

・・

アポーハ論は、要するに認識に対しての共通項を導き出すということをもって概念をより鮮明化して把捉するための論ということになるのでしょうが、問題は、その共通項、A性にせよ非A性にせよ、多少の社会通念上の普遍的な概念は導き出せるとしても、根本的には、実は、認識のありようは一人ひとりで微妙にも異なってしまっているため、本当はそんな共通項は導き出せないということなのであります。

では、なぜ概念の正確な抽出にこだわる必要があるのか。

ここに仏教思想の概念を相手に正確に伝えるためには、当然に伝える側と伝えられる側の共通認識となるもの(概念)が必要であるという至極当然の要請によるところからであると考えられます。

後代の仏教認識論・論理学の学僧たちが、このことにこだわったのも、一切知者である如来ではない一凡夫としても仏教による済度の使命を果たすためには仏教を正確に相手に届ける、そのための土台を要することを理解していたからではないだろうかと思われます。

特に対機説法という仏教のあり方からも、相手の機根、それは相手の過去世から今までの阿頼耶識に熏習されてある習気のありようまでも知ってこそ、真なる対機説法が可能であり、そのようなところまで、つまり、相手の阿頼耶識のありようまでも知り得ることができるのは、一切知者である如来以外には不可能であるからであります。

我々凡夫が対機説法、善巧方便としていくら教化に努力しても、当然に失敗が多く、限界があるため、その失敗を防ぎ、限界に挑戦するためには、認識に対しての共通項を導き出すことが必要であったのだということなのであります。

・・

前回までの考察・・
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/b9a2d9817f8874916339496acaf64810

炉前葬(火葬場での葬儀)の式次第

2021年05月21日 | 新日記
ご事情により、一日葬よりもっと時間の無い炉前葬の導師ご依頼を頂戴しました。

時間は30分ほどとのこと。

炉前葬は初めてになりますが、故人様の生前のご遺徳を鑑み、できる限り通夜葬儀に準じたいとして儀軌を調えました。




  家 炉前葬 式次第

 令和  年  月  日   時  分  開式  


:〇 ・焼香三拝(三宝礼) 
   ・開経偈
   ・剃髪
   ・授戒願文
   ・奉請
   ・懺悔
   ・三帰戒・禁網経偈
   ・法号授与
   ・大悲咒・授戒回向

:十〇 ・十仏名・大悲咒
  ・龕前念誦・龕前念誦回向・鎖龕回向
   ・起龕念誦・起龕回向
   ・往生咒
   ・山頭念誦

:二〇 ・引導 ・秉炬佛事・引導法語
  ・観音経世尊偈(焼香)
   (また、時間に余裕の無い場合は、仏頂尊勝陀羅尼、阿弥陀如来根本陀羅尼、宝篋印陀羅尼などに代える)
   ・四弘誓願

:三〇 ・修了

この中で、観音経世尊偈の代わりに阿弥陀如来根本陀羅尼、一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼、浄除一切悪道仏頂尊勝陀羅尼を挙げさせて頂いています。

これらの陀羅尼が、どうして臨済宗の葬儀に適するのかと少し補足して申しますと、これらの陀羅尼にはそれぞれ極楽往生への功徳が説かれてあり、臨済宗の引導先となる阿弥陀如来様の極楽浄土への往生への資助となる陀羅尼でもあるからとなります。

常用となる往生呪(抜一切業障根本得生浄土陀羅尼)と共に合わせたいところでもあります。

通夜・葬儀について(往生院六萬寺)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85018907.html

臨済宗や曹洞宗の引導先の考察につきましては、下記拙論をご参照下さいませ。

浄土での姿について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8

「施餓鬼」から始まった一連の考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f2ac67904d60204c87a6af2ac879a06d