いくら無上瑜伽タントラの成就法を実践しても、凡俗の執着も凡俗の顕現も全く無くなる気がしないと不安になることもあるでしょうし、自分の境地が遅々として全く進展しないと嘆かれることもあるでしょう。
まあ、今世今生で成就するのは当然に難しい話であり、焦っても仕方のないところもあります。
それでも、灌頂を頂くことにより大阿より賜った成就へと向けた「習気」(じっけ)は、今世今生以降も途切れることなく続くところであり、今は理解が及ばず、また境地が進まなくても、その「習気」が、きっといずれ役立つものとなり、花が咲く種となるものとなります。
平岡宏一先生が、リンポチェの日本人向けの講義を通訳されていた際に、会場の雰囲気を察して、難しく煩雑となるこの部分は飛ばしましょうと述べたところ、リンポチェは、今は到底理解できなくても、いずれ先にて理解できるようになる習気を心におくことが大切なのであるとして講義を継続なさられたというエピソードがあります。
習気を頂いておくというのは、誠に有り難く尊いことなのであります。
・・
では、生起次第などの成就法にて観想した本尊も、結局はどこまでも凡俗の顕現であって、それではいつまでも境地に進展がないままにならないのか・・
当然に成就法にて、観想してあるイメージの本尊(あるいは空性のイメージ)も凡俗の顕現なるものであり、錯誤したイメージでしかないが、錯誤してはいても、それが本尊(あるいは空性)であると強く信解できる許可を得ている(灌頂)ことによって、様々な清らかな行が可能となり、それらの清らかな行にて、境地をより善いものへと進めていくことができるようになっていくと考えられるところとなります。
でも、結局のところ、錯誤したままなのはそのままで大丈夫なのかということですが、そのイメージは、灌頂や説法により十分にイメージの仕方、注意点等の説明を受け、また、曼荼羅も拝見し、実際の本尊のありようも十分に観察できていることもあり、錯誤はあっても限りなく本尊に近いイメージを観想することができるようになっており、つまり、ほぼ錯誤の無いイメージが可能となっていると考えられるものであります。もちろん、それでもそれは「慢」であるとして諫めた言い方になりますが。
同様のことは「空性」においても言えることで、師から空性についての教えを十分に頂いて理解しておくことが大事なことになるのであります。
・・
凡俗の顕現を対治する有効手段
対象があると認識、把握したその時点で、すでに問題が発生してあるため、そう簡単な有効手段はないのであります。
かといって、対象は無いのかといえば、無いわけではなく、縁起として存在しているわけですから、何もないという絶無、虚無ではありません。
そこで、空性であることを信解作意してモノ・コトを把握していけるようにするために、成就法などにおいては、まず最初に空性を観想するところから色々なモノ・コトを生起させていくのであります。しかし、問題は、凡夫においては観想するそのイメージも凡俗の顕現の対象に過ぎないため、空性を観想しようにも、本来、どうしょうもないのであります。
では、どうすれば正しい観想ができていくのか?
認識が常に錯誤した認識であることを意識することから始めていくようにするとよいのではないだろうと考えています。
現れは、真実においては自分が認識してあるそのとおりでは常にないと。
こうしていくと、凡俗の執着を起こすことがなくなっていくことになります。
こっちを先として、それから全く凡俗の執着を起こすことがなくなってから、次に凡俗の顕現の対治に取り組むという順番が必要であるのだろうと思います。
いきなり凡俗の顕現からと考えるのは、つまり、煩悩障を残したままに所知障をなくそうということであり、ニンニクが残ってあるのに、そのニオイだけを消臭剤で取り除こうとしてもいつまでも無駄であるのと同じことなのであります。
解決の先決はニンニク(煩悩障)の方なのであります。
まあ、最終的に所知障の解決はもっとはるか先の先、五次第の最後の方にならないと無理なのですから。。
・・
「施餓鬼」から始まった一連の考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f2ac67904d60204c87a6af2ac879a06d
極楽浄土への往生について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8
開甘露門(施餓鬼のお経について)
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/34b4c7f4598a50c7cd091030d62eed6c
施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html
まあ、今世今生で成就するのは当然に難しい話であり、焦っても仕方のないところもあります。
それでも、灌頂を頂くことにより大阿より賜った成就へと向けた「習気」(じっけ)は、今世今生以降も途切れることなく続くところであり、今は理解が及ばず、また境地が進まなくても、その「習気」が、きっといずれ役立つものとなり、花が咲く種となるものとなります。
平岡宏一先生が、リンポチェの日本人向けの講義を通訳されていた際に、会場の雰囲気を察して、難しく煩雑となるこの部分は飛ばしましょうと述べたところ、リンポチェは、今は到底理解できなくても、いずれ先にて理解できるようになる習気を心におくことが大切なのであるとして講義を継続なさられたというエピソードがあります。
習気を頂いておくというのは、誠に有り難く尊いことなのであります。
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では、生起次第などの成就法にて観想した本尊も、結局はどこまでも凡俗の顕現であって、それではいつまでも境地に進展がないままにならないのか・・
当然に成就法にて、観想してあるイメージの本尊(あるいは空性のイメージ)も凡俗の顕現なるものであり、錯誤したイメージでしかないが、錯誤してはいても、それが本尊(あるいは空性)であると強く信解できる許可を得ている(灌頂)ことによって、様々な清らかな行が可能となり、それらの清らかな行にて、境地をより善いものへと進めていくことができるようになっていくと考えられるところとなります。
でも、結局のところ、錯誤したままなのはそのままで大丈夫なのかということですが、そのイメージは、灌頂や説法により十分にイメージの仕方、注意点等の説明を受け、また、曼荼羅も拝見し、実際の本尊のありようも十分に観察できていることもあり、錯誤はあっても限りなく本尊に近いイメージを観想することができるようになっており、つまり、ほぼ錯誤の無いイメージが可能となっていると考えられるものであります。もちろん、それでもそれは「慢」であるとして諫めた言い方になりますが。
同様のことは「空性」においても言えることで、師から空性についての教えを十分に頂いて理解しておくことが大事なことになるのであります。
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凡俗の顕現を対治する有効手段
対象があると認識、把握したその時点で、すでに問題が発生してあるため、そう簡単な有効手段はないのであります。
かといって、対象は無いのかといえば、無いわけではなく、縁起として存在しているわけですから、何もないという絶無、虚無ではありません。
そこで、空性であることを信解作意してモノ・コトを把握していけるようにするために、成就法などにおいては、まず最初に空性を観想するところから色々なモノ・コトを生起させていくのであります。しかし、問題は、凡夫においては観想するそのイメージも凡俗の顕現の対象に過ぎないため、空性を観想しようにも、本来、どうしょうもないのであります。
では、どうすれば正しい観想ができていくのか?
認識が常に錯誤した認識であることを意識することから始めていくようにするとよいのではないだろうと考えています。
現れは、真実においては自分が認識してあるそのとおりでは常にないと。
こうしていくと、凡俗の執着を起こすことがなくなっていくことになります。
こっちを先として、それから全く凡俗の執着を起こすことがなくなってから、次に凡俗の顕現の対治に取り組むという順番が必要であるのだろうと思います。
いきなり凡俗の顕現からと考えるのは、つまり、煩悩障を残したままに所知障をなくそうということであり、ニンニクが残ってあるのに、そのニオイだけを消臭剤で取り除こうとしてもいつまでも無駄であるのと同じことなのであります。
解決の先決はニンニク(煩悩障)の方なのであります。
まあ、最終的に所知障の解決はもっとはるか先の先、五次第の最後の方にならないと無理なのですから。。
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「施餓鬼」から始まった一連の考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f2ac67904d60204c87a6af2ac879a06d
極楽浄土への往生について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8
開甘露門(施餓鬼のお経について)
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/34b4c7f4598a50c7cd091030d62eed6c
施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html