世の中には、こんな男もいるのです
初めて会ったのは、エンジニアリング会社に入って数年経った頃。
熱心に、豆腐の作り方を感動をまじえて語る男がいたのでした。
石油系のエンジ会社ではありえないことでした。
仕事を一緒にし始めて驚いたことは、数知れず。
ある日、私はフローッピーディスクをコンピューターから
取り出せなくなりました。これ以上使えなくなくなりました。
常に忙しいこの男に相談しました。
仕事を止めて、どれどれと取りかかりました。
なんでも面白がる男なのです。
あれあれ、ノートパソコンのあらゆるネジを外しだしました。
そこまでしても大丈夫なのと心配するまもなく、中身の基盤まで外しました。
私は、諦めました。新しいパソコンを自費で買おうと。
それから、格闘すること1時間半、フロッピーディスクを取り出しました。
インデックスとして貼りつけていた紙がはがれ、糊の部分がディスクポケットに
貼り付いていたのでした。ここまでは、私も笑顔でした。
このたくさんのネジをどうやってはめ込んでいくのか、復元するのか。
頭の良いやつと言うのか、パターン化して記憶するのか、
すらすらと異なるネジを見事次から次にはめ込んでいきました。
30分で元の姿になりました。
お礼を言って私は帰宅しました。
彼は、それから何事もなかったように、忙しい仕事に戻ったのでした。
朝9時から働き始め、夜中の3時までなんでもない顔をして働きます。
仕事の精度も、深さも一級品です。新しい誰も手を出さないプロジェクトが
彼の元に集まってきます。
毎日タクシーとはいかないので、自転車で1時間先の自宅まで帰ります。
浴びるほど酒を飲んで、また9時には席で黙々と仕事をしているのです。
私は、困りごとがあると彼を訪ねました。
いつも、仕事を置き正面から私の顔を笑顔で覗き込み、「どうしました。」
遠慮しながら、図々しく相談する私です。
解決策が出るまで、何時間でも付き合ってくれるのです。
月間400時間の残業。
それでも、たまに飲みに行こうと誘うと、また浴びるほど飲んで自転車で帰宅しました。
外国に転勤させられ、家族に変調があり帰国するまで7年間、
現地の若い人を熱心に指導していました。合間に多くの女と出会ったとのこと。
帰国してからも飲みました。
普通の店では、一人一万円もかかるので、ホッピー主体に切り替えました。
一人三千円になり、10時に締める店を探しました。
残業400時間のひずみは、家族を壊し、自分を傷めました。
そんな辛いことがあっても、彼は変わらないのです。
さらに賢く強くなっていました。
たまに飲む中野の店で、彼は自慢げに3kgの鉄板を仕込んだ靴を履いて来ました。
これで鍛えているのだとか。帰りに電信柱がよけきれず、ろっ骨にひびが入ったとか。
一緒に飲んでくれる先輩が、いつも「お開き」を宣言してくれます。
そうしないと、若くなくなっても、二人は飲み続けるものですから、危ないのです。
なんでも面白がる男に電話すると、
「もしもし」といつもと変わらぬ声のあと、
「どうしました。」と続きます。
これから商売をするならこれだと一晩中熱く語れる二人です。
こうして、ああして、これが新しい、工夫はこうだ。
この男、只者ではないはずなのです。
一切の心配事を羽織って今日も闊歩しているのでしょう。
2015年4月4日
初めて会ったのは、エンジニアリング会社に入って数年経った頃。
熱心に、豆腐の作り方を感動をまじえて語る男がいたのでした。
石油系のエンジ会社ではありえないことでした。
仕事を一緒にし始めて驚いたことは、数知れず。
ある日、私はフローッピーディスクをコンピューターから
取り出せなくなりました。これ以上使えなくなくなりました。
常に忙しいこの男に相談しました。
仕事を止めて、どれどれと取りかかりました。
なんでも面白がる男なのです。
あれあれ、ノートパソコンのあらゆるネジを外しだしました。
そこまでしても大丈夫なのと心配するまもなく、中身の基盤まで外しました。
私は、諦めました。新しいパソコンを自費で買おうと。
それから、格闘すること1時間半、フロッピーディスクを取り出しました。
インデックスとして貼りつけていた紙がはがれ、糊の部分がディスクポケットに
貼り付いていたのでした。ここまでは、私も笑顔でした。
このたくさんのネジをどうやってはめ込んでいくのか、復元するのか。
頭の良いやつと言うのか、パターン化して記憶するのか、
すらすらと異なるネジを見事次から次にはめ込んでいきました。
30分で元の姿になりました。
お礼を言って私は帰宅しました。
彼は、それから何事もなかったように、忙しい仕事に戻ったのでした。
朝9時から働き始め、夜中の3時までなんでもない顔をして働きます。
仕事の精度も、深さも一級品です。新しい誰も手を出さないプロジェクトが
彼の元に集まってきます。
毎日タクシーとはいかないので、自転車で1時間先の自宅まで帰ります。
浴びるほど酒を飲んで、また9時には席で黙々と仕事をしているのです。
私は、困りごとがあると彼を訪ねました。
いつも、仕事を置き正面から私の顔を笑顔で覗き込み、「どうしました。」
遠慮しながら、図々しく相談する私です。
解決策が出るまで、何時間でも付き合ってくれるのです。
月間400時間の残業。
それでも、たまに飲みに行こうと誘うと、また浴びるほど飲んで自転車で帰宅しました。
外国に転勤させられ、家族に変調があり帰国するまで7年間、
現地の若い人を熱心に指導していました。合間に多くの女と出会ったとのこと。
帰国してからも飲みました。
普通の店では、一人一万円もかかるので、ホッピー主体に切り替えました。
一人三千円になり、10時に締める店を探しました。
残業400時間のひずみは、家族を壊し、自分を傷めました。
そんな辛いことがあっても、彼は変わらないのです。
さらに賢く強くなっていました。
たまに飲む中野の店で、彼は自慢げに3kgの鉄板を仕込んだ靴を履いて来ました。
これで鍛えているのだとか。帰りに電信柱がよけきれず、ろっ骨にひびが入ったとか。
一緒に飲んでくれる先輩が、いつも「お開き」を宣言してくれます。
そうしないと、若くなくなっても、二人は飲み続けるものですから、危ないのです。
なんでも面白がる男に電話すると、
「もしもし」といつもと変わらぬ声のあと、
「どうしました。」と続きます。
これから商売をするならこれだと一晩中熱く語れる二人です。
こうして、ああして、これが新しい、工夫はこうだ。
この男、只者ではないはずなのです。
一切の心配事を羽織って今日も闊歩しているのでしょう。
2015年4月4日
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