
40年前のこと。
ずいぶんと昔のことと思われますか。
私には、つい昨日のことのようです。
学生寮から、ちゃんちゃんこを着た若い男たちが出てきます。
皆さん、一応学生でこれから授業に行かれます。
東京に出たくて、国立一期校に入りたくても、夢が破れた面々です。
地方からの出身者で溢れていました。
山形からは、とれたてのササニシキが届きました。
それは喜ばしいことと、鯖缶一個を土産に炊き立ての白飯を
おかずが無くなっても、腹いっぱい食べました。
鹿児島からは、木枠に入った6本の1升瓶が届きました。
芋焼酎の造り酒屋の息子に届いたのでした。
匂いを嗅ぎつけ、毎晩酒盛りです。
何を間違ったのか、高校時代の友人E谷の紹介で、寮にいるS先輩を訪ねました。
入学早々でした。
これが私の大学生生活のつまづきの元でした。
ドアを開けると、天井からガラスの破片が落ちてきました。
壁には、杜甫か李白の漢詩が殴り書きされていました。
おう、お前か。兄貴から聞いておった。
この方の兄さんは、有名国立医科歯科大に行かれていて、
E谷の姉さんと結婚されていたのでした。
S先輩は7人兄弟でした。
東大出とお茶の水大出身の両親でした。
兄弟の名前には、秀、優、龍、可、丁、春、夏とつけられていました。
どの方も、有名国立大に行かれていました。
この方は、典型的な落ちこぼれだったのです。
この方に紹介された0棟の方たちは、ほとんどが6年生、7年生と8年生でした。
中でも心酔したのが、T原さんでした。岩のような顔をした山男でした。
山男でありながら、武骨な感じではなく、頭が切れてスマートな印象でした。
11トン車の運転手、キャバレーの板さん、黒ヘルの心酔者と
世にも奇妙な人たちの集まりでした。皆さん、一応学生でした。
私は、後にこの0棟に引っ越し、毎夜T原さんの語録を書くようになったのです。
引っ越したばかりの頃、トイレの後水洗を流さないでいたのが、
S先輩に見抜かれ怒られました。
得意な料理はと聞かれ、卵焼きと答えました。
黄身をゴミに捨て、殻をフライパンでガラガラやっていました。無意識でした。
S先輩がきょとんとした顔をされました。その後、大笑いで頭をはたかれたのでした。
後々、大いに話のだしにされました。
S先輩は、剣道と哲学が大好きでした。
訳の分からない問答を繰り返していました。
かかり稽古は、執拗で終わりませんでした。
壁に叩きつけられ、床に這いつくばるまで止めませんでした。
私が、学費の足しにと始めたキャバレーのボーイの店に訪ねて来ました。
No1.の彼女を気に入り、いつまでも帰りません。
終いには、私から一万円を借り、さらに延長したのでした。
あんたがたどこさ。
地方出身者の集まりの魑魅魍魎(ちみもうりょう)の学生生活は、
その後延々と続くのでした。
またの話とします。
2014年11月12日
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