『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

彼岸花・秋桜

2020年09月30日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

上平良地区の大原井手沿いの里道には彼岸花が群生しており彼岸には蕾が多かった。撮影時期を失して満開ではあるが少し色褪せたものもみられた。また近くの道路法面には自然に広がったのであろうかコスモスが満開であった。

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杉の根神社

2020年09月29日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

先日来紹介している大杉集落にある杉の根神社で杉の根を御神体として祀っている。江戸期の地誌に極楽寺の本尊である千手観音に関する伝説が記されており、その昔極楽寺山に登った僧行基は光を放つ大杉を伐って千手観音の像を刻み極楽寺に安置すると共に余木で幾多の像を刻んだ。杉の根神社はこの大杉の根を御神体として祀ったといわれている。下画像は40~50年前頃の草葺き屋根であった頃の杉の根神社である。

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大杉神社

2020年09月28日 | 「廿日市市周辺部」ぶらり

 

 

佐伯区大杉地区にある大杉神社は以前訪れた時には少し山を登った所にあったが、現在は道路のすぐ近くに新築移転されていた。五日市町誌の社寺分布地図には森ケ平神社とあるが由緒などは不明であり、看板表示によると古木の御神体が祀られているようである。大杉地区には1世帯のみの居住であるが、11月には地元出身者などによって祭事が行なわれているようである。

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中伏河内神社

2020年09月27日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

中伏集落入口付近に祀られている河内神社であるが由緒などは不明である。昔は少し奥に入った古森という所にあったようで、終戦頃は5世帯の氏神であった。現在の社殿は昭和32年に建築されているが当集落の氏子達のほかに後畑地区の人達の寄進もあったようである。玉垣は大正15年(1926)8月に東宮殿下(昭和天皇)行啓記念として建立されている。

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中伏・大杉集落の今

2020年09月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

アルカディア・ビレッチのある後畑地区の最北部にある中伏集落には2戸の民家がみられるが今は居住されていないようであり消滅集落のようである。また中伏集落に隣接した佐伯区五日市町の大杉集落には3戸の民家がみられ1戸に居住されているようであり超限界集落のようでる。

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朝焼け

2020年09月26日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

早朝ウォーキング途中での朝焼け・・・

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あんやしき積石塚の今

2020年09月25日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

アルカディア・ビレッジに隣接して一時グランドゴルフ場となっていた先にある「あんやしき積石塚」の頂部にあった墓地の墓碑が取り除かれていた。この塚は岬状に伸びた先端部にあり後畑地区が一望できるところで、中世頃この地の有力者が葬られたものとみられる。かつて田んぼの中に島状に残され開墾されなかったのは古くから葬地とされていたものとみられ上部は後世の墓地となっていた。

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アルカディア・ビレッジの今

2020年09月24日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

 

後畑地区の温泉保養施設であったアルカディア・ビレッジは多目的広場として再整備されていた。以前の食堂棟などが管理棟として整備され、温泉棟と宿泊棟部分が芝生広場となってここがキャンプ場のようである。平日の昨日体育館横では2張りのテントがみられデイキャンプをしておられた。

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懐かしいラムネ瓶

2020年09月23日 | その他

 

子供の頃ラムネ瓶のビー玉が欲しくてたまらなかったが取り出すことは出来なかった。左側のラムネ瓶は昔から通常みられるリサイクル瓶で、右側のラムネ瓶は特注品のもので瓶には「カネ吉 ラムネ製造所」反対側には「山崎商店」とありどこで製造されていたラムネであろうか。

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地御前聴測照射所(特設見張所)

2020年09月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

現在、地御前キラキラ公園がある地にあった山(通称海軍山・砲台山)にはかつて地御前聴測照射所があった。昭和17年(1942)ころから探照灯や空中聴測装置などが設置されていたようである。地御前聴測照射所は厳島聴測照射所などと大須山・鹿ノ川防空砲台の一翼を担い呉軍港など防衛援護していたようである。昭和60年(1985)年頃、開発される前に訪れた時には探照灯か空中聴測装置の基礎と煉瓦造りの建物が残されていたが基礎のみの画像しか見当たらない。

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早朝の飛行機雲

2020年09月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

早朝、ウオーキングしていると朝焼けの中に小さな飛行機雲が・・・

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鳥獣害防止爆音器

2020年09月21日 | 農業

 

稲穂も実りもうすく収穫の時期となるが、かつてイノシシやスズメなどからの鳥獣害防止のために使用していたカーバイト爆音器が倉庫にあった。カーバイトに水を加えてガスを発生させ着火して爆音を出す装置で、親の時代に使用していたが大きな音がするので周辺への迷惑がかかるために使用しなくなった。

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厳島を描いた木版画-②

2020年09月20日 | その他

 

明治期の神仏分離令以降に発行された画像の厳島絵図では昨日触れた本地堂、大カ子、経堂などが描かれていない。また本社の本殿と客神社の本殿には瓦棟を取り除いて箱棟とし千木と勝男木を取り付けてあるのが描かれている。明治35年(1918)の厳島神社特別保護建造物修繕で箱棟、千木、勝男木を取り除いて瓦棟に復し現在のようになったようである。

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厳島を描いた木版画

2020年09月19日 | その他

 

江戸後期ころから厳島神社への参詣者の土産物として厳島神社を中心として周辺部も含めて描いた木版画の厳島絵図を摺って販売していたようである。画像の厳島絵図は江戸期の万延2年(1861)に発行されたもので、本殿裏側に本地堂、本殿横に大カ子(鐘楼)がみられ、現在の社務所付近には芝居小屋がみられる。現在神社入口付近にある元神馬舎の位置には湯立殿があり隣接して経堂がみられ、本地堂、大カ子、経堂などは明治期の神仏分離令で取り除かれている。

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宮迫溜池

2020年09月18日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 

宮迫川の上流域に農業用の溜池が昭和17年(1942)に設けられ、宮迫溜池の流域面積は34.40haで最大貯水量は22,000㎥であったようである。宮園団地の築造に伴って現在のように改修されて宮迫川は無くなり、団地内は農水路と余水路が設けられている。現在は団地内に埋設された農水路で必要な農業用水のみが昨日紹介した赤い水が流れる宮迫川に流されているようである。

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