『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

旧平良小学校体育館

2019年02月28日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

旧平良小学校の面影を残す唯一の旧体育館で昭和55年(1980)3月に竣工したようである。陽光台への平良小学校の新築移転に伴い平成14年(2002)7月19日に閉校してからは平良体育館として使用されていた。平成29年(2017)3月31日に平良体育館は閉鎖されて取り壊しを待っているようである。

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遊びの菜園-廿日市14代目桜島大根と廿日市4代目切葉松本地大根の今

2019年02月27日 | 農業

 


廿日市14代目桜島大根と廿日市4代目切葉松本地大根を引き抜いてみた。左側が通常の青首大根で中央が桜島大根、右側が切葉松本地大根である。桜島大根は何代にも亘って青首大根と交配し4年前からは切葉松本地大根と隣接しているのでお互いに交配しているものと思われる。切葉松本地大根は元の形とは違って桜島大根の性質が入ってきたものであろうか。

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BCOF接収されていた元大元旅館

2019年02月26日 | 「宮島地区」ぶらり



 


昨日、宮島の進駐軍自動車路を紹介したが、終戦後に現在の水族館前にあった宮島ホテル(みやじま杜の宿の地)や大元旅館がイギリス連邦占領軍(BCOF)に接収されていた。元大元旅館の建物は老朽化しているが各所にペンキ塗装された痕跡がみられ、以前に元大元旅館の方に接収時代の名残りがある建物内を見せて頂いたことがありペンキ塗りのドアーにSTAFF ONLYと記されていた。

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進駐軍自動車路???

2019年02月25日 | 「宮島地区」ぶらり

 


厳島桟橋から海岸通りを進んで行くと画像の柵門に突き当たり、折れ曲がって商店街を通って厳島神社に向かう。かつて柵門の先の道路は進駐軍自動車路と言われていたようである。
昭和27年(1952)発行の岩波写真文庫(宮島)によると「海岸通りをふさぐ柵、進駐軍自動車路というのが名目だが、実は桟橋から観光客がここを通って参詣したらお土産屋はあがったりになるかららしい」とある。

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厳島神社千畳閣の梵鐘

2019年02月24日 | 「宮島地区」ぶらり



(八所宮 平成24年10月8日探訪)

 

千畳閣の縁側に架けられている梵鐘の刻銘には「日本國西海道 筑前州宗像郡 赤馬庄鎮主 八所大明神 社頭洪鐘也 応永五年戊寅二月十六日 大工了案」と刻されているようであり、天正年間に豊臣秀吉が島津攻略の際に持ち帰り厳島神社に寄進したようである。昭和59年(1984)には宗像市の八所宮に里帰りして梵鐘庫も設けられていたが、いろいろとあって平成25年(2013)に厳島神社へ返還された。 

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厳島神社本社の火焼前

2019年02月23日 | 「宮島地区」ぶらり

 

 


宮島を訪れた日、大潮の満潮で海面が火焼前床面すれすれであったが、所用を済ませて帰るころには干潮となっていた。
平舞台の左右門客神客神社の間から沖に伸び出した部分は江戸期の資料には舌先、廊嘴(したさき)、舌嵜などとあるが現在は火焼前と称されており、どのような経緯で舌先が火焼前(ひたさき)呼称となったのであろうか。

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旧宮島町役場庁舎解体工事

2019年02月22日 | 「宮島地区」ぶらり

 


五重塔に行くと見覚えのある旧宮島町役場庁舎が無くなっており、その方向に一見景観を無視したような大きなホテルが建築中か・・・
何が建築されているのかと近づいてみると旧役場庁舎の解体撤去をするための仮設の足場架構であった。廿日市市のHPによると旧跡地には市民センター(公民館)機能、コンベンション機能、観光振興機能、避難施設機能をもった地域拠点施設が整備されるようである。

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厳島港湾(宮島口)整備事業の今

2019年02月21日 | 「大野地区」ぶらり

 


昨日、久しぶりに宮島に行ったが平日にも関わらず多くの旅行者がみられた。宮島口では厳島港湾(宮島口)整備事業が行われており、現在旅客ターミナルの工事中で地下室か基礎部分であろうか工事が行われているようである。

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屋敷塀の緑化

2019年02月20日 | 「廿日市地区」ぶらり


 


昨日は蔓性植物で緑化されているブロック塀を紹介したが、原地区の民家の屋敷塀全面にオオイタビであろうか蔓性の植物が絡みついて綺麗に覆っており、冬でも葉が落ちず緑化されていた。屋敷塀は土壁で瓦葺とされているもので、昔は「オオテ」といっていたが・・・

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ブロック塀の緑化

2019年02月19日 | 「廿日市地区」ぶらり



下平良地区を歩いていると民家のブロック塀全面にオオイタビであろうか蔓性の植物が絡みついて綺麗に覆っており、冬でも葉が落ちず緑化されていた。串戸地区では建物の1階壁面を覆っていたところがあったが現在は取り除かれていた。

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教覚寺山門(鐘楼門)

2019年02月18日 | 「佐伯地区」ぶらり





 (佐伯郡・大竹市の文化財より)


津田地区にある教覚寺の山門(鐘楼門)で珍しい茅葺の屋根である。看板表示によると元禄元年(1688)の建立とあるが、「広島県の近世社寺建築」によると宝永3年(1706)の建立と記されている。棟飾りで神社の千木に似た棟上に馬乗り型のX印の木が以前は3ケ所であったが現在は5ケ所となっている。

 

 

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広電バス玖島車庫跡

2019年02月17日 | 「佐伯地区」ぶらり

 


今年1月28日で1日4便あった広電バスの玖島線は廃止となった。玖島線の開通時期は定かでないが、昭和35年(1960)11月頃津田から玖島行きがあり、昭和37年(1962)1月頃広島バスセンターから玖島行きがあったようである。
昭和38年(1963)4月に玖島より支線の平谷線開通しており、この頃別の支線の吉末線があり、昭和40年(1965)3月にさらに奥部への川上線が開通している。また、この頃広島バスセンターから川角経由の玖島行きもあったようである。平成7年(1995)頃、平谷線・川上線・上大沢口線が運行されていたが、いつ頃廃止となったのかは定かでない。

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講中膳

2019年02月16日 | 「廿日市地区」ぶらり



 


昨日楢原泉水の同行(講中)倉庫を紹介したが、画像はかつて大原講中で使用されていた箱膳と椀である。毎月の御講寄、年末の御法事や、葬儀の際に箱膳に並べられた椀の状態は先人からの聞き取りで紹介する。
オヤワンは御飯、シルワンは味噌汁、オヒラはハッスン(人参、油アゲ、牛蒡、レンコン、椎茸などの煮物)、後にタイコ饅頭、パンに変わっており、オツボはクロメ、後にスズガシに変わっている。中央部分のナカジョコは白アエであるが椀の蓋を使用したものか皿であったのかは不明である。宮内地区でも大体同じように行われていたようである。

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楢原泉水同行倉庫

2019年02月15日 | 「佐伯地区」ぶらり

 


玖島地区の一丁田バス停付近に楢原泉水同行倉庫と表示された倉庫がある。玖島地区では同行と言われているようであるが上平良地区では講中といっており、以前にも記したが講中(同行)では毎月の御講寄や年末の御法事、また葬儀などに使用する什器類を講中(同行)倉庫にて保管していたが、葬儀方法の変革などで什器類を使用することがなくなってきている。
上平良地区では2ケ所の講中倉庫が残されているが講中は解散して無くなっている。

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蔵飾り-鷹

2019年02月14日 | 「佐伯地区」ぶらり



 


津田地区の民家土蔵の蔵飾りで鷹が松の枝に止まって獲物を狙っているような像が漆喰細工で表されている。この図柄と同じような蔵飾りが大竹市の飛び地である奥谷尻地区の民家土蔵(下画像)にあり、同じ左官の作か真似たものであろうか。奥谷尻地区の蔵飾りの方がリアルに表されている。

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