『はつかいち』 ぶらり

安芸の宮島の地・・・廿日市を見たまま紹介―独自の好奇心アンテナを張り巡らせて、ビビッと反応したものを紹介します。

対馬探訪-海神神社・藻小屋(舟屋)・ヤクマ塔

2018年11月30日 | 旅行

海神神社

木坂の藻小屋(舟屋)

青海の藻小屋(舟屋)

木坂のヤクマ塔

青海のヤクマ塔

峰町の木坂地区にある海神神社で折れ曲がった長い石段を上ると大きな社殿があり、境内には沢山の境内社が祀られている。看板表示によると延喜式神名帳所載の名神大社和多都美神社に比定され対馬国一ノ宮と称されていた。明治4年に海神神社と改称し国弊中社に列せられたようである。神社前の御前浜園地には浜石を積み上げ屋根を葺いた復元藻小屋(舟屋)があり、青海地区では古い藻小屋(舟屋)がみられた。かつて藻を乾かして肥料としていたようで、この藻を貯蔵したり舟を格納していたようである。
藻小屋前の海岸と青海地区の海岸には浜石を積み上げた「ヤクマの塔」といわれる石の塔があった。看板表示によると旧暦6月初午の日に海岸の浜石を積んで塔を建て、塔の上に烏石を載せ御幣を棒げ供え物をして礼拝するようで、ヤクマ祭は夏の収穫祭と天童信仰(日の神)が合祀された祭とされている珍しい祭礼のようである。 

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対馬探訪 3

2018年11月29日 | 旅行







 

対馬観光の定番である金石城跡の復元城門、旧庭園と対馬藩主の菩提寺である万松寺と旅先から紹介した両側にずらりと並んだ石燈籠のある長い石段の先には歴代の墓碑がずらりとならんでいる。宿泊ホテルやここでも韓国の旅行者が多く国境の島であることを思い知らされたのである。城跡の一部であろうか石積みの上で大きな博物館が建築中であり1~2年後に訪れたら開館しているのではなかろうか。マニアックな探訪をしたので追々に紹介していきます。

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対馬探訪 2

2018年11月27日 | 旅行

 

 

 

本日はレンタカーで対馬の最北端にある韓国遠望所に行ったが少し霞んで見ることはできなかった。ここは付けたしで少し離れたところに有る豊砲台跡を探訪した。マニアックな地ばかり訪れて約230km走った。明日帰るまでの午前中どこを探訪しようか。

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対馬探訪

2018年11月26日 | 旅行

 

 

 

本日は早朝より博多港に向かい、ジェットフォイル ヴィ--ナスに乗船して対馬へ。厳原地域の武家屋敷跡、万松院、清水山城跡等など歴史探訪をした。慣れないタブレットでの送信。明日はどこに行こうか。

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木橋と柿の鈴なり

2018年11月25日 | 「佐伯地区」ぶらり





 


中道地区を流れる中道川に架けられた木橋は今も現役のようである。木橋は山間部の小さな川ではみかけることがあるがこのような長い木橋は珍しい。木造の橋脚に丸太が2本掛け渡しその上に橋板が張ってあり両側には橋板押さえの丸太が取り付けられている。川の中には自然に育ったものであろうか山柿が鈴なりになっていた。

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極楽寺山登山-星ケ城跡

2018年11月24日 | 「廿日市地区」ぶらり











 


廿日市参道と原参道の出合いから屏風岩の石仏がある手前までの参道西側の尾根筋には中世の星ケ城跡がある。南北弓状に伸びた尾根上に目視の限り16郭を配し堀切で三つの郭群に分けている。しかし、厚い腐植土に覆われているので詳細は不明である。当城には大永期ごろ(1521~28)立野主膳が守居していたようであるが資料が乏しく詳しいことは不明である。

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極楽寺山登山-極楽寺山~牛池山

2018年11月23日 | 「廿日市地区」ぶらり











 


極楽寺山(標高693m)山頂広場を過ぎて遊歩道を進んで行くと休憩広場があり、広場口にかつての山境とみられる石塚があるが現在は数メートル離れたところに境界杭がある。昨日紹介した坪井大池の脇には石積みがみられる。以前に親からこの池のそばに人家があったと聞いたことがあり、昭和40年代前半ごろの探訪時には石臼が残っていたが今回確認することが出来なかった。
坪井大池上池の東側、廿日市市・広島市界の尾根筋を歩いていると663峰北端に陸軍輸送港域第二区標石が残されている。このような標石は極楽寺山系から野貝原山系にかけて8基確認することが出来る。同じ尾根筋に機能はしていないような何らかの表示施設がみられたが何であろうか。

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極楽寺山登山-坪井の大池

2018年11月22日 | 「廿日市地区」ぶらり

 

 





 


極楽寺参詣を済ませて一部の登山者以外にはあまり知られていない坪井の大池(上池・下池)を探訪した。坪井の大池は農業用水が不足していた佐伯区坪井地区の坪井耕地整理組合が後畑地区より水利権を得て坪井下池(牛池山第一溜池)を築造し、分水嶺の尾根にトンネルを掘って坪井川に流し坪井地区の農業用水とした。
その後大干ばつに見舞われたために、下池より少し上流側に坪井上池(牛池山第二溜池)が築造された。
坪井溜池から坪井川までの引水は分水嶺の尾根に折れ曲がったトンネル水路を掘っているのである。下池の取水樋から石積のトンネル口、トンネルはまず倉重川の源流谷に出てそこから鈍角に折れ曲がって再びトンネルで坪井川の源流谷に至っている。花崗岩質の山であり人力での掘削のためと、トンネル水路維持管理のためにこのように折れ曲がったトンネルとしたものであろう。
の溜池は行政区域の違うところに造り、水利権の無いところに設けた珍しい事例である。

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極楽寺山登山-変木

2018年11月21日 | 「廿日市地区」ぶらり








 


廿日市参道で宮島SAからの出合いすぐ上に柵を喰っている樹木があるが何時頃から喰い始めたのだろうか。以前に熊の目撃情報があったので注意表示がしてあった。
20丁碑を過ぎて登って行くと道脇に松の木があるが立ち止まらないと登山道に生えた普通の松の木に見える。根元をみるとそこは根元でなく大きく湾曲してはるか向こうに根元がある珍しい松の木である。30丁碑手前には木が裂けて折れ曲がり裂けた部分は空洞となっており、折れ曲がった両側には幹が大きく育っており斜めの幹も生きている。

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極楽寺山登山-参道所どころ

2018年11月20日 | 「廿日市地区」ぶらり
















 

 

廿日市参道の22丁碑手前に右速谷神社道とある道しるべ碑がある。上平良河野原地区に至る山道であるが荒れており山慣れした人以外は通行しないほうがよい。23丁に当たる付近でかつて山崩れがあり、大量の弥生土器片を採集しており平地のない山の斜面でありどのような遺跡であったのであろうか。「極楽寺山23丁遺跡-廿日市町史通史編(上)参照」
26丁碑脇には手無し観音像が祀られていたが盗難にあい現在は石仏が祀られている。27丁碑を過ぎて参道脇には四等三角点があり、点名は極楽寺で標高518.36mのようである。34丁碑手前には屏風岩の上に石仏が祀られており、屏風岩の正面には南無・・・・と刻されているのがかすかにみられる。35丁碑を過ぎて左上に上がる道を進むと極楽寺歴代住持の墓地がある。

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極楽寺山登山

2018年11月19日 | 「廿日市地区」ぶらり













 


昨日、久々に極楽寺山に登山して紅葉している極楽寺を参詣した。宮島サービスエリア脇から廿日市参道を登山したので里程碑は18丁碑から極楽寺の37丁碑まで13基がみられる。これらの里程碑は天明元年(1781)に廿日市町の町人衆によって寄進建立されたものである。 (里程碑参照:極楽寺道三十七丁ぶらり登山-廿日市の文化第21集・廿日市のいしぶみ)

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広がった橋・狭まった橋-出合橋

2018年11月18日 | 「佐伯地区」ぶらり





 


スパ羅漢を過ぎて国道186号から分岐して中道・羅漢山方面に向かう県道119号の小瀬川に架かる出合橋で、国道側から進むと橋が途中で広がっており、反対側からだと狭まった変わった橋である。橋を渡ると直角な道となっており、かつてバスやトラックなどの往来でカーブを緩やかにするため、当初は狭い幅員の橋であったものを後の時代に拡幅したものと思われる。

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帯岩・帯石の紅葉

2018年11月17日 | 「佐伯地区」ぶらり

 


岩倉地区の県道沿いにある帯岩・帯石周辺のモミジの紅葉が綺麗であった。江戸期の地誌には帯岩・墨嶽山・帯石とあるのみであるが、佐伯町の民話・伝説には、「帯掛明神と重なり岩・・・その昔、市岐姫命が乳飲み子を背負い、出雲から厳島までを旅する途中、ここで休息され、 岩に帯を掛けたことから「帯掛岩」とされ、市岐姫命を祀って帯掛明神とした。
この岩についてはその昔、大地震が起こり下の路上に落ちた際や、 参勤交代で通りかかった殿様が危険であるとして上から落とした際も、 翌朝には元の位置に戻っていたという伝説が残っている。」とある。

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往還道(西国街道)近道

2018年11月16日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


潮音寺の裏手にある小道は中世末期頃の土手跡とみられ、江戸期に沖側が埋立てられたようである。江戸後期頃には潮音寺の裏手から串戸通りは往還道より約2町(約218m)位近いので近道として西国の大名も通っていたということであり、威厳を示す大名行列が脇道であるこの小道を通っていたとは・・・

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速谷神社の紅葉

2018年11月15日 | 「廿日市地区」ぶらり









 


速谷神社参道のモミジや楼門脇のイチョウの葉などが色づいて見頃となっている。儀式殿の脇ではOld man倶楽部有志の人達で注連縄づくりの準備作業として稲藁のアクタ取り除きを3日間行った。昨年までは長老一人でなんと1ケ月もかけてされていたのである。

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